西加奈子さん(左)と宮内悠介さん(撮影/朝日新聞出版写真映像部・高野楓菜)
西加奈子さん(左)と宮内悠介さん(撮影/朝日新聞出版写真映像部・高野楓菜)
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 作家・宮内悠介さん最新刊『ラウリ・クースクを探して』は、発売以来、新聞・雑誌の書評欄での紹介が相次ぎ、「ダ・ヴィンチ(2023年11月号)」(10月6日発売)では「今月の絶対はずさない!プラチナ本」に選出されるなど大きな話題となっています。「小説トリッパー」2023年秋季号に掲載された西加奈子さんとの対談では、「書くこと」とを巡り、様々な話題が展開しました。その充実の内容を特別に公開します。

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小説の当事者性

西:編集者の方から「バルト三国のエストニアに生まれて、ソ連崩壊で運命を変えられたラウリ・クースクという男性の一代記です」と伺っていたので、今度の宮内さんの本、どれだけ分厚くなるんだろうと思っていたんです。プルーフが送られてきたら、とてもコンパクトだったので驚きました。240ページ弱ですもんね。でも、その中にぎっしりとラウリの人生やこの国の歴史が詰まっている。中央アジアが舞台だった『あとは野となれ大和撫子』は何ページくらいでした?

宮内:原稿用紙換算で言うと、600枚です。今回は300枚ですね。

西:拝読していて、ローベルト・ゼーターラーの『ある一生』という小説を思い出しました。アルプスの麓で暮らした男性の一代記なんですが、150ページぐらいしかないんですよね。彼がいかにして彼一人だけでは生きられなかったか、つまり時代という大きなものに翻弄されてきたか、という話で『ラウリ・クースクを探して』と、どこか共鳴している気がしました。ただ、ローベルト・ゼーターラーはオーストリア出身でオーストリアのアルプスの麓を舞台にしています。日本人である宮内さんは、どうしてエストニアが舞台の話を書こうと思われたんでしょうか。

宮内:旧ソ連を舞台にすることを最初に決めたんです。その理由は、作品に出てくるMSXというコンピュータが関係しています。東西冷戦時代、ソビエトはCOCOM(対共産圏輸出統制委員会)という輸出規制を受けていて、性能のいいコンピュータは輸入できなかったんです。そこでソビエトが取った戦略が、おもちゃみたいなコンピュータを輸入して教育などに使うことでした。その中に、日本のMSXというコンピュータもラインナップされていたんです。

西:小説の中に出てきたやつですね。ラウリは少年時代、MSXでゲームをプログラムすることに熱中していた。

宮内:私も小さい頃、MSXで遊んでいたんですよ。鉄のカーテンの向こうにも自分と同じようにMSXで遊んでいた子どもたちがいたんだ、という発見が着想の源になりました。そう言えばコンピュータについて小説で正面から扱ったことがあまりなかったなと思い、この作品でやってみたいな、と。旧ソ連の国家の中で、エストニアはIT大国として有名だったので、おのずと候補になっていきました。

西:当事者性の問題って最近、よく言われますよね。「日本人の作家が、エストニア人の話を書いていいのか?」というような。もちろん私は書いていいと思うし、大切なのは「どう書くか」ですよね。逆に「当事者だから書いていい」というのも違うんじゃないか。例えば私の場合であれば、短編で乳がん患者のことを書きましたが、自分が乳がんの当事者だからといって全ての同じ属性の人のことを語る権利を得たわけではない。同じ当事者であっても一人一人感じることは違うということを忘れてはいけないし、そもそも作家って自分が主導権を握るのではなくて、物語が要請してくるものを書くべきなのではないかと思うんです。と言いつつ今、そういうことを宮内さんに聞こうとしちゃってるんですけど(笑)。

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