西:そうなんですね! エストニアで育った少年の話ではあるけれど、私小説でもある。それができるのは、やはり物語という形を借りるからですね。

宮内:さきほどはテーマやアイデアが先にあるかどうかで、これまでの作品と今回の作品との違いに触れたんですが、プロットの立て方の違いも大きいんです。例えば『~大和撫子』は完全に構築的な作品だったので、すごく細かなプロットを立てていました。でも、今回はかなりゆるやかなプロットで、それも自分にとっては珍しいのです。それはゼロから曲を作るような話ではなくて、私小説的な面があったからなんだと思います。

西:じゃあ、もともとメロディはあったというか、自分の中にあったものを掘り起こしてゆく感じだったんですね。

宮内:私はわりと記憶で書く部分も多いんですが、特に今回はそうでした。ぴったり真ん中でソ連を崩壊させようとか、そういうことは決めていましたが、流れに任せて書いてみた部分も大きいです。

西:ラウリはプログラミングを通じて、イヴァンという同い年の男の子と出会うじゃないですか。宮内さん自身、イヴァンみたいな人とも出会っていた?

宮内:そうですね。コンピュータのおかげで、通常では出会えなかったような、仲のいい友達ができました。

西:二人の関係、とても素敵でした。たぶんこの小説を読んだ人はみな、自分が人生の中で出会った、イヴァンみたいな存在を思い出す気がします。

宮内:今回の小説のタイプは、西さんの小説で言うと『サラバ!』に該当すると思うんですよ。幼少期に外国にいて日本へ帰ってきた人が、もしかしたら必ず一度は書くような構造の話になっているのかなと思いました。ラウリ・クースクはずっとエストニアにいるんですけれども、実際は国を移動しているようなものですから。

西:私は『サラバ!』で主人公を同い年の男性にして、自分が経験したことをそれこそ彼に託すように書いていったんですが、男性にした理由は「僕はこの世界に、左足から登場した。」という最初の一行を思い付いたからなんですよね。ただ、今考えれば自分との距離を離しておいた方が、客観性が出てくるんじゃないかなって予感があったのかもしれません。

宮内:私もその感覚がありました。自分の出身地であるニューヨークを舞台に、日本人男性の話を書いたらこうはならなかった。あまりにも自分そのものだと、書いていて息苦しいところがあるのかもしれません。

コンピュータがもたらした変化

西:ラウリはタフな少年時代を送っていく中で、最初の頃は逃げ場がない状態ですよね。でも、コンピュータと出会うことで、鬱屈した狭い世界から広い世界に飛び出していくことができた。どれだけ狭い場所にいても世界中の人と簡単に繋がれるって、コンピュータがもたらした、最も素晴らしいことの一つなんじゃないのかなと、私なんかは思うんです。

宮内:本来はそうですよね。息苦しくなってしまった面もありますが……。

西:世界を広げてくれるツールのはずなのに、最近は世界を狭くするために使うことがあるのがもったいないですよね。「SNSで閉塞感を感じる」って、どういうことやねんって思います。ものすごくアンビバレントな存在だと思うんですよ。例えば最近、家のWi-Fiが調子悪くて「Wi-Fiおっそいわー」ってイライラしちゃったんだけど、こんなイライラ、10年前はなかったじゃないですか。10年前まではなかったイライラの感情を、コンピュータのせいで経験しちゃっている。それと同時に、バンクーバーに住んでいた時に、コロナで簡単に帰れなくなったんですが、コンピュータのおかげで日本の友達や親とずっと繋がっていられたんです。「せい」と「おかげ」が共存する、こんな両極端なツールってなかなか他にないと思うんですよ。いや、そういうものって今までの歴史にももちろんあったはずだけど、こんなに急速に変わるものってなかったんじゃないか。変化のスピードが、コンピュータとかインターネット界隈の特徴だなと感じます。

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