宮内:私も最近、ChatGPTの話に全然ついていけなくて、苛立たしいです。

西:宮内さんでも!?(笑)

宮内:「昨日、これができるようになりました」と、新たにできるようになることが毎日毎日多すぎて、全然ついていけないんですよ。情報を追いたくても追いきれない。

西:随分前からそうだったのかもしれないですけど、それって人間の脳や身体では処理できないようなことをしてるってことじゃないですか。すごい時代になったもんだなあって思うのは、友達の友達がChatGPTにハマっちゃったんですって。私は全然詳しくないんですけど、コンピュータがすぐ返事をくれるんですよね? その人はずっと悩み事を友達にスマホで伝えてたんだけど、友達は人間だから永遠には付き合えないじゃない? 途中で寝たり、仕事しているとすぐには返事が来なくなるけど、ChatGPTは永遠に返事をくれるから、めちゃくちゃハマっちゃったらしいんです。

宮内:身体がないですからね。疲れないですから。

西:心配して友達がその人に話を聞いたら、「もう友達になった。私に対してため口になったんだよ」と。それを聞いた友達が、「ChatGPTはいわゆる壁打ちだから、自分がそう仕向けてるんだよ。ため口にするタイミングを自分が作って、自分が全部そうさせてるだけなんだ……」って懇切丁寧に説明したんですって。そうしていくうちに、その人のアディクションは解けていったらしいんですけど。

宮内:本当にあるんですね、ChatGPTアディクション。

西:海外で、それで自殺した人がいるってニュースも読みました。

宮内:あっ。私も読みました、そのニュース。つらい話だったから、読んだはしから忘れちゃったのですが。

「書く」という行為がもたらすもの

西:ラウリが中学生の時に、お前は旧ソ連派につくかエストニア独立派につくのか、選ばされる場面がありますよね。中学生という、自分がまだ何者か確立していない時に、そんなに大きなものに目を向けて、選ばなければならないという状況自体があまりに酷ですよね。しかも、若い頃にした決断がのちのちの人生を決定してしまう。仕方のないことかもしれないけれど、人間って変わるのに、残酷な現実だなって感じました。ただ、宮内さんの小説はそういった現実も書きつつ、世界中にいる「ラウリ」の生を祝福する気配に満ちているじゃないですか。決して大ハッピーエンドとかではないけれども。そこが素晴らしいなと思いました。

宮内:バッドエンドにしようと思えばいくらでもできますけれども。ハッピーにするほうが、お話作りをするうえで難しいと感じていて、難しいと思うからこそ、そちらのほうにチャレンジしたいと考えています。だから、私は常になんとか明るくしようとするんですけれども、ちょいちょい失敗して暗くなる(苦笑)。今回は、作中人物に導かれてこうなった面があります。

西:また世代の話になりますが、私たちの若い頃は厭世的で、人間の暗い部分を吐露したほうが「本当のこと」を言ってるって思われがちだったじゃないですか。今は時代が悪すぎて、逆に明るいことを言おう、ポジティブなことを言おうっていうムーブメントがある気がしますが、特に私たちが20代の頃とか、露悪的なことを言うのがかっこいいみたいな風潮、なかったですか?

宮内:ありましたね。いろいろな悪しきテンプレがまかり通っていました。

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