田中は『軍鑑』の記述と、戦国時代の古文書・古記録のそれとの矛盾点が多いことを指摘した。そしてこの事実を根拠に、高坂弾正の名を騙って小幡景憲が偽作した書と主張した。この『軍鑑』偽書説は、歴史学界で長らく有力視された。

 そうしたこともあって、『軍鑑』が描く武田信玄と上杉謙信の一騎打ちは創作と見られてきた。ところが近年、同書の史料的価値が再認識されつつある。

 国語学者の酒井憲二氏は、『軍鑑』の版本・写本を網羅的に蒐集し、文献学的・書誌学的手法で整理することで、原本に最も近い最古の古写本を確定した。その成果は、一九九五年に『甲陽軍鑑大成 研究篇』としてまとめられた。これによれば、『軍鑑』には室町時代の古語がふんだんに使用されており、江戸時代初期の人間が著述できるものではないという。

 また、従来は『軍鑑』でしか確認できず、同書が創作した架空の人物という説すらあった山本勘助に関する史料も次々と発見された(市河文書・真下家所蔵文書・沼津山本家文書)。かくして『軍鑑』は真書であることが実証された。

 ただし、『軍鑑』の原型が春日虎綱によって作成されたということと、同書の内容が歴史的事実であるということは、全く別の問題である。武田信玄・勝頼に仕えた春日虎綱は確かに武田氏の合戦に関する当事者・経験者である。けれども、後から往時を振り返った回顧録には、しばしば記憶違い、脚色、改竄などが見られる。また虎綱死後の増補改訂によって事実が歪曲された可能性もある。

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信玄と謙信の一騎打ちはあったのか