この逸話も創作だと思うが、創作にせよ実話にせよ、『軍鑑』は、上杉政虎(謙信)が自らの手で信玄を討ち取ろうとしていた、とは記していない。むしろ武田信玄の影武者戦法を警戒し、深追いを避けたのだ。創作だとしても、示唆的な逸話である。

 井沢氏の「推理」にはこの点で穴がある。謙信が自身の危険を顧みずに信玄を討とうと決意していたと仮定しよう。だが、目の前の武将が確かに信玄だという保証はどこにあるのか。いくら謙信が命知らずだったとしても、影武者相手に命を賭けるはずがない。

 もちろん「影武者戦法など非現実的で、『軍鑑』の記述は信用できない」という反論は可能だ。だが、それを言ったら大将同士の一騎打ちの方がもっと非現実的だろう。やはり両雄の一騎打ちは後世の創作と考えるべきである。

 なお永禄四年十月五日近衛前久書状によれば、上杉政虎は「自身太刀打ちに及」んだという。自ら太刀を抜いて戦ったというのだ。現在の歴史学界では、この史実に尾ひれがついて一騎打ちの話が生まれたと考えられている。歴史学者の磯貝正義氏が指摘するように、「これ(筆者注:前久書状の記述)をもって、謙信が信玄の本営に斬り込んで、信玄に太刀を浴せたという、かの有名な伝説の裏付けとするのは飛躍」である。