信玄と謙信の一騎打ちはあったか

 ところが、両者を混同し、真書なのだから内容も全て真実だと誤解する人は少なくない。推理小説家の井沢元彦氏は近著『武田信玄 500年目の真実』(宝島社新書、二〇二一年)で、信玄と謙信の一騎打ちが史実である可能性は「決して乏しいものではない」と主張し、創作と決めつける歴史学界を批判している。

 井沢氏は言う。大将が単騎で斬り込むなど常識ではあり得ないが、毘沙門天の熱心な信者であり、「自分は絶対に死なない」と思っていた謙信ならばあり得る。謙信は地位や財産にもまったく興味がなく、正義を貫くために戦った。これまでの信玄との戦いでほとんど成果を挙げることができなかった謙信は、今度こそ決着をつけようと固く誓って出陣してきたのだから、信玄を討ち取れる千載一遇の好機が到来したならば、自身の危険など顧みないだろう、と。

 謙信が「自分は絶対に死なない」と思っていた根拠として、小田原城攻囲戦において謙信が北条勢の鉄砲の射程内で弁当を食べた逸話を井沢氏は挙げる。しかし、これは江戸時代の俗書に見える話で信用できない。謙信が地位や財産に興味を持たなかったという主張も、関東管領就任などを考えれば疑わしい。

 そもそも井沢氏は『軍鑑』をきちんと読んだのだろうか。同書には次の逸話が見える。第四次川中島合戦後、上杉政虎は家老衆に「自分が太刀を浴びせた武将はおそらく信玄だろうとは思ったが、信玄は謀略に長けた人物で、(信玄と同じ)法師の姿の影武者を多く仕立てていると聞いていたから迷った。もし影武者と戦って生け捕られてはまずいと思い、馬から下りて組み伏せなかったのだ。相手が信玄と分かっていたら組み伏せたのに残念だ」と語ったというのだ。

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『軍鑑』の記述は信用できない?