劣化コピーの遺伝子は雌の蚊に作用し、人を刺したり卵を産んだりできない雌雄同体に変異させることが目的だ。この方法であれば特定の種に絞って作用させることができるため、殺虫剤よりも効果が的確であると見られている。ケージの中で実施した実験成果の発表によると、8世代後には子孫を残せる正常な雌の蚊はいなくなり、ケージ内の蚊は全滅した。

「ターゲット・マラリア」のプロジェクトが実れば、マラリアから多くの人命を救えるようになる。この遺伝子ドライブの実験は、近い将来、屋外で実施されようとしている。それは、野生動物の間に遺伝子変異を拡散することを意味する。果たして、自然界はそれを受け入れ、健全でいられるのだろうか。

 こうした遺伝子ドライブは、米カリフォルニア大学サンディエゴ校の発生生物学者であるバレンティノ・ガンツとイーサン・ビアによって実証され、2015年4月に科学学術雑誌『サイエンス』で発表されたことで注目を集めた。この研究では、遺伝子ドライブによってゲノム改変されたショウジョウバエで、突然変異の誘発が集団内で連鎖反応的に起こり、伝播した。

この現象は、遺伝子ドライブを導入した生物が自然界に流出した場合に生態系に大きな影響を与える可能性があることを示した。そのリスクを軽減するための予防策や対処法も研究されているが、もし人工的な生物が自然界に解き放たれたとすれば、同様のことが発生し得る。

 ゲノム編集は1塩基単位で改変できるため痕跡をほとんど残さず、自然発生する突然変異と見分けることが難しい。そのため、人為的な改変が起きたとしても、遺伝子の変異が自然発生によるものなのか、人為的なものなのかを判別できなくなるおそれがある。

 ゲノム編集された生物が自然界に放出されたとき、遺伝子操作されていない野生生物や自然にどのような影響を及ぼすかは未知数である。だからこそ、遺伝子を人工的に改変した生物が自然界に出てしまうリスクは大きく、人工改変遺伝子が環境や生態系に紛れ込んでしまったときには人間の手に負えないものになる。

 ゲノム編集された生物が万が一放出された場合、自然界の動植物と餌や生息場所をめぐって競合したり、他の動物を捕食することで、生態系に負の影響を与える可能性がある。さらに、ゲノム編集された生物たちが自然界のそれと交雑し、天然の生物とはかけ離れた性質を持つ〝ポストライフ〞の世界に置き換わると、今の生態系を根底から壊し、人間が生きていく上で不適格な生態系ネットワークが形成されてしまうリスクもある。

 生物は地球の環境に影響を与え、変化させ、その中で人類は生き延びることができる場や食糧を確保した。しかし、ゲノム編集生物によってこの環境を乱し、生態系が臨界点を迎えると、生きる場や食糧を失い、人間の生存に適さない状態を作り出すかもしれない。

 自然界や生態系は、それだけセンシティブであり、果てしなく長い時間をかけて人間が生存できる環境が整えられてきた。その自然界や生態系を甘く見て、ゲノム編集生物の可能性に傾き過ぎると、思わぬ滑り坂を作り出すことになる。

《『人類滅亡2つのシナリオ AIと遺伝子操作が悪用された未来』(朝日新書)では、制度設計の不備が招く、テクノロジーの「想定しうる最悪な末路」と回避策を詳述している》