実際に、そのあとの大阪での維新の政治手法というのはずっとそういうものだったと思うんです。「多数派を制した」のは「民意を得た」ことであり、それは「全権を委任された」であるというふうに多数決の意味をずるずると読み換えていった。これは民主主義の理解として間違っていると僕は思います。
政治には勝ち負けしかなく、勝った方が正しく、敗けた方が間違っていたというシンプルで底の浅い政治理解がこの10年間急速に進行しました。それは維新だけでなく、自公政権与党にも、野党にまで浸透している。自民党の政治家たちは「安倍政権の間、6回の国政選挙に勝った。ということはアベノミクスは成功だったという意味だ」という没論理的なことを平然と言い放ちます。獲得議席の多寡と、政策の正否というまったく次元の違うものを混同している。相対多数を得たということは、それまでのすべての政策に成功したということだ、というようなことが「嘘」だということはいくらなんでも自民党の政治家だってわかっているはずです。けれども、そういう「嘘」を平然とついても国民がそれにぼんやり頷いているのを見て、なんだ簡単な話じゃないか、この「嘘」をつき続ければいいんだということになった。この没論理的な政治文法をどこかできっぱり否定しないと、複数の意見をすり合わせて落としどころを探るという民主主義的対話というのは存立できなくなる。