■抑えつける指導が合わず上層部と諍いが続く


 吉井は「恥ずかしい限り。若気の至りです」と、187センチの長身を縮め照れるものの、そんな自分の失敗談を今は関西弁のおやじギャグで加工し、選手たちとの会話のツールに使っている。


 エースの小島和哉(27)は吉井を理想の上司と言う。


「話をしなくてもいつも見てくださっているのが分かる。失敗しても咎(とが)められることはないし、グレートでなくていい、グッドでいいって。いつもいい時に起用してくれるので選手はやる気満々」


 ロッテの主軸はZ世代が多い。しかしコミュニケーションの難しさを感じたことはない。世代より個々の個性を重んじているからだ。


 新聞記者出身でロッテ広報歴18年の広報室長・梶原紀章(46)は、いわばコミュニケーションのプロ。それでも、選手に胸襟を開かせる吉井の話術には、驚くことがあるという。


「声をかけるタイミングが絶妙。言葉のチョイスも上手い。選手を細やかに観察している証拠です」


 1965年、和歌山県有田川町に生まれた。小学校で柔道をやり、中学から始めた円盤投げで近畿大会2位。本格的に野球を始めたのは名門・箕島高校に入学してからだ。円盤投げで鍛えた強肩が投手として開花し、高2、高3と甲子園に出場。一方、ARBのコピーバンドを結成し、ギターを担当した。野球を職業にするつもりはなかった。


 83年のドラフト会議で近鉄から2位指名を受け、散々迷った挙句入団。数年やって大学に進学するつもりだった。86年、転機が訪れる。秋に行われた日米野球を見て、やる気のなかった吉井に火が付いた。日本で活躍する先輩たちがまるで歯が立たない姿に衝撃を受けた。


「それまでメジャーリーグなんて知らなかったから、米国にはこんな凄(すご)い選手たちがいるとびっくりした。アメリカの選手たちと戦ってみたい。それにはまず日本で活躍しないとと、本気になった」


 翌年に初勝利を飾ると、88年には最優秀救援投手に輝く。93年から先発投手になった。

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