「メジャーでの日本人選手は助っ人的な立ち位置ですが、彼は研究者のような目でマウンドに立っていた。試合や人の分析が微細で面白く、彼の話をヒントにした小説を何冊か書かせてもらった」


 メジャーは吉井の好奇心をかき立てた。偉大な選手たちの一挙手一投足を観測し、彼らは何が違うのか分析。それらを日記にしたためた。日記を書くことで、自分を俯瞰(ふかん)してみる手法を習得。その後ロッキーズ、エクスポズに移り、2003年に帰国しオリックスへ。


 メジャー時代の5年間は、人生の大きなターニングポイントになったと吉井が振り返る。


「メジャーは結果を出さないと明日がない厳しい世界。日本にいたときは、腹が立つとものに当たったり、喧嘩(けんか)したりしていましたが、小さなことで気持ちが揺れるのは本当にアホらしくなった。アメリカでドンと腹が据わりました」


 07年、42歳で24年間の現役生活に終止符を打った。直後、日ハムから投手コーチのオファーが届いたが気乗りしなかった。コーチは邪魔な存在と考えていた。しかし「請われるうちが花」と受諾。


 自分が現役時代、コーチの指導で嫌だったこと、良かったことを事細かに書き出した。すると良かった項目は少なく、嫌だったページには文字がぎっしり埋まった。この嫌だったことは選手に絶対やらないと決めた。


 ノートを眺めながら吉井が真っ先に行ったのは、選手とコミュニケーションを取ることだった。選手と会話するには選手と同じ目線になる必要がある。選手がどんな性格でどんな場面でどんな行動をとるのか観察した。その上で、質問を繰り返し選手の考えを深掘りする。そしてその選手の立場になり、なぜそうしたかを考える。吉井がコーチの基本と考える「観察」「質問」「代行」である。


■選手に無理をさせず最大値を引き出す


 カリスマ的な人が名コーチと言われていることもあるが、カリスマになってしまうと選手との間に壁ができ、生の情報が入ってこない。吉井は“ダジャレ好きの白髪のおっちゃん”になった。

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