佐々木が不甲斐ないピッチングで落ち込んでいる時、さりげなく声をかける。どんなピッチングがしたかったか、なぜできなかったか、解決策は何かを聞き出し、最後には「それでいいのだ」と本人の考えを肯定(撮影/加藤夏子)
佐々木が不甲斐ないピッチングで落ち込んでいる時、さりげなく声をかける。どんなピッチングがしたかったか、なぜできなかったか、解決策は何かを聞き出し、最後には「それでいいのだ」と本人の考えを肯定(撮影/加藤夏子)

 また試合後、登板しない投手をインタビュー役にし、登板した選手に質問させた。質問をする方も聞かれる方も同時に試合を振り返ることができ、それぞれ大きな気づきを得ることができる。そんなコーチングを続けていると、勝てなかった若手が勝てるようになり、くすぶっていたベテランが息を吹き返し、2年目にはリーグ優勝を果たした。


 その一方、「これでいいのか?」という疑問が常に付きまとった。ある時、練習時にはコントロールされた速球を投げるのに、マウンドで力みストライクが入らない選手がいた。2割ぐらい力を抜けば制球力が付くと想像し「ちょっと力を抜いた感覚で投げてみたら」とアドバイス。だがその選手は結局、力の入れ加減が分からなくなり引退。


 コーチとしての自分に限界が見えた。野球特有の「感覚」や「コツ」といった非言語の領域を選手に伝えるには、今以上の理論や表現力を獲得しなければならない。いうなら野球のブラックボックスを見える化する試みである。日ハムコーチを辞任し、48歳で筑波大学大学院に入学。


 30年来の友人である騎手の武豊(54)が、二人で食事をした時に吉井が何気なく発した言葉を、今でも鮮明に覚えているという。


「“選手はみんな勝ちたいんだよ。だからワシはみんなを勝たせてやりたいんや。騎手だってそうやろ。馬の特性を見抜き、最大のパフォーマンスを引き出してやるのが仕事やろ”って。僕はこの言葉を聞いたとき、吉井さんは絶対にいい指導者になると確信しましたね」


 大学院生活は刺激的だった。モヤモヤしていたものが理論という形になってはっきりと姿を現した。指導した准教授の川村卓(53)は、学ぶ姿が真摯(しんし)で吸収力も半端なかったと述懐した。


 在学中にソフトバンク、院卒後に日ハム、そして19年からロッテの投手コーチに就任。選手と語り合いつつ、選手が自ら問題点を見つけ、クリアする方法を自分で見いだすまで向き合う。答えは言わない。時間はかかるが、そうすることによって選手は成長し、当然、選手寿命も延びる。「最高のコーチは教えない」というのが吉井の流儀だ。

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