秋田県、2021年7月。雨の中に直立して6メートル先の私を見続ける。歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」五段目に出て来る雨に濡れた「斧定九郎」みたいな虚無感と殺気を感じて足がすくんだ(撮影:米田一彦)
秋田県、2021年7月。雨の中に直立して6メートル先の私を見続ける。歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」五段目に出て来る雨に濡れた「斧定九郎」みたいな虚無感と殺気を感じて足がすくんだ(撮影:米田一彦)

 展示作品の約半数は自宅のある広島県で写した写真だが、その他は比較的最近、秋田県で撮影したものである。理由を尋ねると、衝撃を受けた。

「秋田の写真は16年に4人が殺された『人狩り』の延長で撮影しています。個体識別をする必要があるので、クマの顔写真を全部撮っています」

 山菜採りに入山した4人が死亡、4人が重軽傷を負った本州最悪の獣害事件、いわゆる「十和田山熊襲撃事件」である。

 事件はすでに終息しているはずだが、なぜ今も当時の現場に通い、クマを撮り続けているのか。

「あの事件は1頭が起こしたわけじゃないんですよ。関係したクマが6、7頭いる。それが、どう駆除され、残存しているのか、写真を撮って、識別している」

 先に書いたように、クマは基本的に臆病な動物で、不意に鉢合わせしたりしなければ、まず人を襲うことはない。

「ところが、クマが人を襲う重大事件はどの地域でも同じように起きているのではなくて、特定の地域で継続して起きている。そこには攻撃性の強い、凶暴な家系のクマが生息していると、研究者の間では言われています」

秋田県、2020年7月。牧草に隠れるぐらいの幼熊を2頭つれた100キロ級のメスグマ。クローバーを食べている(撮影:米田一彦)
秋田県、2020年7月。牧草に隠れるぐらいの幼熊を2頭つれた100キロ級のメスグマ。クローバーを食べている(撮影:米田一彦)

それでも襲われる

 広島県の自宅周辺の森では5メートルくらいまでクマに近づいて顔のアップを写したりする。クマの対処法を知っているので、それほど怖くないという。

 一方、秋田県で写した写真の多くは大豆やソバの畑にやってきた来たクマである。

「畑で撮るのが一番怖いですね。相手からこちらが必ず見えていますから。もちろん、気づかれないように『だるまさんが転んだ』方式で接近します」

 クマが他の方向を見ているときに、たたっと走って、止まり、クマにレンズを向ける。

「この母子グマの写真は距離10メートルくらいです。非常に緊張しました。子連れの場合はどう反応するか、わかりませんから」

 襲われた場合は、催涙スプレーの一種である「クマ撃退スプレー」を使用する。

「これまでに何回もクマスプレーに助けられました。メーカーによると、90%の撃退実績があるそうです。でも残り10%はそれでも襲われる」

 米田さんは「クマがクマの世界で暮らしている姿をみんなに見てもらいたい」と言う一方、「場合によってはクマは害獣でもある。だから殺すことも手伝ってきた」と語る。

「私はクマの被害対策をずっとやってきたわけですが、今、山村の人々の被害意識と、都市住民の愛護の意識との乖離(かいり)がひどいんですよ。クマを捕獲すると、地元の自治体に『殺すな』と電話がたくさんかかってきて、事務停滞を引き起こす。なので、都市住民にもクマの実像を伝えたい。日本の中心で写真展をやるなんて、望まなかったんだけれど、やることになっちまった、という感じです」

アサヒカメラ・米倉昭仁)

【MEMO】米田一彦写真展「クマを追って50年 思い出の40コマ」
ニコンサロン(東京・新宿) 7月18日~7月31日

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