米田さんは森の中に1畳ほどのスペースの小屋を設け、クマが訪れるのをじっと待った。
「クマは来る場所は決まっています。夏は沢で草を食べているし、秋は実のなる木の上にいる。そこにカメラを仕掛けて、クマが来たら遠隔操作でシャッターを切る。昼も夜も、日曜日も。ずっと仕事の延長だった」
「動物写真家とやっていることは変わらないですね」と、筆者が言うと、「へっへっへ」とうれしそうに笑う。
秋田から広島へ
ちなみに、最近のクマの研究は、クマにGPSを装着して人工衛星で行動を追跡したり、体毛やふんなどから取り出した遺伝子の分析が主流になっている。
それに対して、米田さんの研究は、山に分け入って、クマはどのようなところで暮らしているのか、「森を見る」と表現する。
「最近の研究者はずいぶん遠くからクマを見ている感じがします。彼らが話すクマの生態は、本当のクマの生き方とは違うような気がしてね」
86年、米田さん秋田県庁を退職し、90年にフリーのクマの研究者として広島県廿日市に移住した。
「環境省が『西日本のクマの実態は全然わからない。研究者が誰もいない』って、言うんですよ。それで、こっちに引っ越してきた。広島県の一番山奥です」
秋田県とは異なり、中国地方に生息するクマは「絶滅のおそれのある地域個体群」に指定されている。
クマとの共存を訴える米田さんは、農作物被害を防ぐために捕獲したクマを殺さずに山奥に放つ「奥山放獣」を始める一方、これまでと同様、クマの観察や撮影を続けた。
「最近はカメラがデジタルになって、感度がすごく上がったのと、さまざまな画像処理が施せるようになったので、暗くて陰影の強い森の中でもふつうに撮れるようになりました」
秋田で撮り続ける理由
米田さんは7月18日から東京・新宿のニコンサロンで写真展「クマを追って50年 思い出の40コマ」を開催する。
「写真作家の登竜門と言われるニコンサロンに応募して、通ったわけですから、もう写真家だよね。ははは」