受験準備のため音楽の勉強を基礎からやり直した。藝大の夏期講習へ行き、指揮の個人レッスンも受けた。その甲斐あって、難関の指揮科に見事現役合格する。

 だが、入学後がつらかった。まず人の多い東京に慣れない。満員電車、猛暑による夏バテ。水も合わずひどい肌荒れになった。まわりのレベルが高すぎて勉強についていけない。それなのに学内では「指揮科なんてすごい!」という目で見られる。レッスンでは毎回「才能がない。やめてしまえ!」と叱られてばかり。眠れなくなり、とうとう3年の夏休みから休学して青森に帰ってしまう。

「別の大学を受験し直すことも考えたのですが、半年休んでぼーっとしていたらだんだん具合が良くなっていきました」

 翌年4月に大学へ戻った。1年留年することになったが、それからはいろいろな先生に習うようになり、大学院進学直前には高関健(68)についた。

「高関先生は昔風の師弟関係ではなく、学生一人一人を人間として扱ってくれる方でした。楽譜の読み方、知識や指揮のテクニックも完璧で研究にも熱心。先生にはテクニックだけでなく、すべてのことを教えていただきました」

■ブザンソンで1位を獲得 欧州でも認められるように

 最初は指揮者が何をするのかよくわからなかった沖澤だったが、尊敬する指導者を得て、いよいよ指揮者という存在に向かい合っていく。高関は初めて沖澤を指導した時のことを覚えている。

「レッスンではピアニストに対して指揮をするのですが、最初のうち沖澤さんはピアニストを見られずに下を向いて振っていましたね。気持ちが内向きになっていたのでしょう」

 沖澤は少しずつ変化していった。レッスンでは事前によく勉強し、鋭く反応してきた。

「私が一方的に教えるのではなく、どんどん質問が来ます。成長していく学生は皆そうですね。私だけでなく、井上道義さんや下野竜也さんなどいろいろな先生たちから違うレッスンを受けていました。それもよかったのです」

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