カラヤンのアシスタントを務めた経験があり、バーンスタイン、小澤征爾らの音楽作りもじかに見ている高関の指導は刺激的だった。沖澤はできる限り生のコンサートへ足を運び、さまざまな指揮者のリハーサルを見学し、一方で藝大オーケストラを指揮。オペラ公演も自分で企画して上演した。大学院に進もうというタイミングで井上に誘われ、石川県金沢市の「オーケストラ・アンサンブル金沢」の研究員となる。休学し、事務局員として働きながら指揮者の仕事を学び、時には鍵盤楽器奏者として舞台で演奏もした。

「ジュニアオーケストラの運営も一人でやっていて大変だったけど、一応社会人として働いたのはとてもよい経験でした。オケの裏表でどれほどの人たちが関わり、大変な思いをしているのかよくわかりましたから。それに金沢ではたくさんの人がオケを知っていたのも素晴らしいと思いました。金沢で過ごした1年間で、どうしても指揮を続けたいという気持ちが湧いてきたんです」

 15年、ベルリンのハンス・アイスラー音楽大学修士課程へ留学。18年には東京国際音楽コンクールで、19年には小澤征爾や佐渡裕、山田和樹らが優勝したブザンソン国際指揮者コンクールで第1位となり、一気に視界が開けていった。特に3年に1度開催される東京国際音楽コンクールは、03年から4大会連続で1位を出さなかったほど審査が厳しいことで知られる。その時の課題曲はメンデルスゾーンの《静かな海と楽しい航海》、自由曲にはリヒャルト・シュトラウスの《ドン・ファン》を選んだ。審査員の一人だった高関は言う。

「今の若手は大編成のリヒャルト・シュトラウスなどはうまく振れるんですが、古典的なメンデルスゾーンには苦労するものです。でも彼女が振り終えた時、隣にいたユベール・スダーンさんがすぐ、『彼女は素晴らしい演奏をした』とおっしゃいました。それだけインパクトがあったんです」

 ブザンソンでの優勝後は欧州でも認められ、有力なドイツの音楽事務所KDシュミットへ所属することになった。19年にはリトアニア人男性と結婚。公私ともに変化の時を迎えた。

(文中敬称略)

(文・千葉望)

※記事の続きはAERA 2023年7月10日号でご覧いただけます

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