■楽器を買わずに済むから 指揮科の進学を志す

 不調の中で振ったコンサートだったが、オーケストラとの相性はよく、滞在した京都の街でとてもリラックスできた。都会でありながら山が近く緑も多い。練習場近くには鴨川も流れている。沖澤には自然が必要なのだ。

 沖澤は青森県三沢市に生まれた。公務員である父の転勤で生後すぐ青森市に転居。小学3~4年生の頃に宮城県多賀城市でも暮らしたことがあるが、青森市での生活が長い。津軽平野は空が広く開けており、岩木山をはじめとする山々や津軽海峡の海など、豊かな自然に恵まれた土地である。冬は寒いが変化に富んだ四季折々の暮らしは、今も沖澤の感性の基盤となっている。

「春夏秋冬、きれいなんですよね。冬は雪が降り積もる音がするけれど、深く積もった時にはまわりの音がなくなって、月が雪に反射して。チャイコフスキーの交響曲第5番の最初のテーマで弦楽器がタンタンと鳴ると、『あ、これは雪に音が吸収されている音だな』とすぐに思い浮かびます」

 幼い頃はよく外で遊んだ。野原で虫を捕まえ、川ではザリガニ釣り。冬になって白鳥が飛来するとパンの耳を与えに行った。その一方で音楽にも親しんだ。姉と共にピアノやチェロを習い、青森ジュニアオーケストラに所属。小さなオーケストラだったが指導者の村川芳信が熱心で、楽しく音楽に打ち込めた。高校では吹奏楽部にも所属し、オーボエを吹いた。

「プレッシャーは全くなく、ただただ音楽が好きという気持ちで続けていました。狭い世界で『自分はうまいんだ』と思って過ごせたのがかえって良かったのかもしれません」

 高校2年生の時、音大受験を志す。既に姉が東京の私立音大に進学していたため、親の負担を考えて受験先を東京藝術大学一本に絞った。それも俊英の集まる指揮科である。オーボエで受験しようかと思ったが、指揮科なら音大受験用の高い楽器を買わずに済むというのも理由の一つだった。そもそも、指揮者が何をやる仕事なのかよくわかっていなかったという。

「それでも『絶対に受かる』と思っていたんだから世間知らずでしたよね(笑)」

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