パリに暮らすサンドラ(レア・セドゥ)は夫を亡くした後、通訳をしながら8歳の娘を育てている。彼女の日課は父のアパートを訪ねること。哲学の教師だった父はアルツハイマー病に由来する神経変性疾患で、記憶と視力を失いつつあった──。連載「シネマ×SDGs」の51回目は、脚本も手がけたミア・ハンセン=ラブ監督の父への想いをベースに生まれた映画「それでも私は生きていく」。ミア・ハンセン監督に見どころを聞いた。
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前作「ベルイマン島にて」はスウェーデンの自然の中でのバカンスのような撮影でした。パリに戻り「さあ、何を撮ろう」と思ったとき、より自分の日常に近いものを描こうと思いました。特に私の父の存在と病気についてクローズアップする必要性を感じたのです。
父は本作で描いた病気と同じ病を患い、私がこの映画の脚本を書き上げた後に新型コロナで亡くなりました。愛する人が苦しんでいるのを見ることはつらいですが、でもその不幸のなかで私は愛や幸せを再発見することがありました。40代以降は親の病気や介護、自身の仕事でも新たな責任が生じる非常に難しい時期です。そんな経験をしながらも、仕事をし、子育てをし、恋をして生きる等身大の女性を描きました。描かれる全てが私の体験ではありませんが、本作は私史上、最も「私に近い私」を表現していると思います。
父が病気になってから、私は長い時間を一緒に過ごしました。哲学の教師だった父はインテリで、人間の本質や言語の美しさを言葉で表現することを大切にしていました。そんな人が記憶を失い、うまく話せなくなっていくことは私にとってもショックでした。しかし衰えていくなかでも父はたまに途切れ途切れに詩のような言葉を発し、何かを訴えようとしていました。それはまるで消える直前の電球が点滅するような感じでした。私は父との会話を全て録音していたんです。映画にもその様子を描き、父親役を演じたパスカル・グレゴリーも現場で父の録音を聞き、役作りに役立ててくれました。
父は病気におかされた人間ではなく、最後まで彼自身としての個性を持ち続けたと思います。本作は父へのオマージュでもあり、父の尊厳をフィルムにとどめることができたかなと思っています。
(取材/文・中村千晶)
※AERA 2023年5月15日号