撮影は朝早い。外がまだ暗いうちに起床し、日の出の30分前から撮り始める。
「鹿は夜、森の奥の泊まり場にいることが多くて、日の出とともに森から出てきます。そのとき、文字どおり、道草を食べながら歩いてくる。そんな『出勤風景』を撮影します」
1~2頭でやって来ることもあるが、5頭から10頭ほどの群れで行動することが多いという。
「森から1.5キロほど離れた奈良県庁に出勤するのは7時ごろ。ここの芝生を食べるんです。それが芝刈りのコストの削減につながっていると、日経新聞の記事に書かれたこともあります。わりと鹿がよく来る場所は決まっているんですが、散歩している犬と出合うとびっくりして走り去ったりして、毎日、やって来るコースは変わります」
そんな鹿の姿を石井さんは電動アシストのレンタサイクルを利用して探す。歩き回るにはかなり広い地域で、車で移動すると駐車場が限られているからだ。
■コロナ禍の街にやってくる鹿
びっくりするような場所で鹿と出合うこともある。作品には、トイレの中でトイレットペーパーを食べる鹿の姿が写っている。
「これは東大寺の大仏殿のそばにあるトイレなんですが、鹿が鼻先を使ってドアを開けられるみたいです。偶然出合って、慌てて撮りました。ヤギのように紙が好きで、観光客がパンフレットとかを持っていると、それを食べに行ったりします。コート紙だと、体に悪いと思うんですけど」
近鉄奈良駅のバスターミナルで写した鹿の写真もある。
「ここに鹿がいるのは非常珍しいです。撮影したのは新型コロナのまん延によって緊急事態宣言が出る直前で、外国人が来なくなったころ。人がいなくなって、動きやすくなったからか、街中に出てくることが増えました」
観光客の姿が消えると、鹿愛護会が販売する「鹿せんべい」を与える人もほとんどいなくなってしまった。
「鹿が駅前までやって来て、おなかを空かせているのではないか。そんな記事もずいぶん出ました。まあ、鹿に聞いてみないと、本当のところは分からないですけど」
JR奈良駅前の繁華街で鹿を写したこともある。
「交差点を爆走していました。それを鹿愛護会が追いかけていた。地元の人が『鹿が出てきたよ』って、通報すると、鹿愛護会のペインティングした車がやって来て、興福寺のとなりにある猿沢池のほうに導いていくんです」
鹿は迷って街の中心部に現れたのか?
「いや、確信犯かも(笑)。すみません、また鹿の話ばっかりになっちゃて」
(アサヒカメラ・米倉昭仁)
【MEMO】石井陽子写真展「鹿の惑星」
入江泰吉記念奈良市写真美術館 7月2日~8月21日