撮影:石井陽子
撮影:石井陽子

■人間の都合で鹿との関係は真逆になる

 日本には北海道から沖縄県まで、7種類の鹿が生息している。エゾシカ、ホンシュウジカ、キュウシュウジカ、ツシマジカ、マゲシカ、ヤクシカ、ケラマジカ。石井さんそのすべてを撮影した。

「マゲシカは、いま自衛隊の基地建設で知られるようになった馬毛島(鹿児島県)にいる固有種なんです。基地ができると絶滅してしまうのではないか、かなり心配されています」

 撮影にいちばん苦労したのは対馬(長崎県)にいるツシマジカ。

「『スマートディア』って、いうんですけど、鹿が賢くなって、人前にはめったに姿を現さないんです」

 ツシマジカは作物を荒らす有害獣として積極的に駆除されるうちに、人を極端に恐れるようになった。「それで仕方なく、猟師さんに同行して、やっと撮りました」。

 石井さんはかわいらしい鹿の姿を撮る一方、鹿猟や獲物の解体も取材してきた。これまでに口にした鹿の肉のなかでは、エゾシカがもっとも美味という。

撮影:石井陽子
撮影:石井陽子

「どの鹿も美しい動物なんですけれど、鹿と人間の関係は、人間の都合で真逆になります。奈良の鹿は神の使いで、ほかは害獣。そんな矛盾を映し出す鏡のような存在でもあるのかな、と思いますね」

 奈良・春日神社の主祭神、武甕槌命(たけみかづち)は白鹿に乗ってきたという伝説があり、鹿は神の使いとして大切に保護されてきた。1957年には天然記念物に指定されている。

 奈良のような市街地に鹿が生息しているのは世界的にも珍しく、石井さんの作品は海外で紹介されることが多いという。

「最初、14年にマレーシアのフォトフェスティバルに招待されて、その後、いろいろな海外のネットメディアで取り上げていただきました。ドイツやフランス、ニュージーランドなどで作品を展示してきました」

■朝の撮影は「出勤風景」から

 石井さんの撮影にはいくつかのルールがある。まず、画面に人を絶対に入れないこと。

「人が入ってしまったら、どんなにいい写真でもボツにします。撮影時に気づかなくても、拡大して人が写っていたらボツです」

 そのため、常にどこに人がいるか把握しながらシャッターチャンスを待つ。場合によっては、鹿の体で人を隠して写すこともあるという。

 鹿は下を向いて草を食べたり、座っていることが多い。

「でも、立って上を向いているシーンが好きなんです。そのほうが『鹿の惑星』っぽいから。でも、顔を上げるまで待つのが大変で」

 シャッターチャンスが訪れた瞬間、人が画面に入ってしまい「あーっ、と思うことも(笑)」。

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コロナ禍の街にやってくる鹿