その後、29歳で独立し、30代半ばで父親の会社を継いだ。
「とはいえ、父はまだバリバリと音楽づくりをしていました。ぼくは映像をつくった。同じ会社の中でお互いに別々なことをしていた、という感じです。好きな写真も撮っていました」
■全力で止められた写真学校へ
スポーツ写真を撮り始めたのは2014年ごろだった。理由を尋ねると、「たまたまです。野球、ボクシングとか」。ところが、「ぜんぜん撮れなかった」。
「なんで、頭の中にあるような絵が撮れないんだろうと思って、仲間の映像カメラマンに、『こういう絵が撮りたいんだけど』って聞いたら、『撮影機材からして違うし、無理だよ』と言われた。あーって思って、モヤモヤしている間に、やっぱり俺、写真が好きなんだな、と気がついた」
イチから写真を勉強し直そうと思い、写真学校にいこうとしたら、「全力でまわりに止められた。もういいだろう、いまさら何でいくの、って」。
周囲の反対を振り切り、2016年4月、東京綜合写真専門学校夜間部に入学した。小原選手に帯同してモスクワを訪れたのはその5カ月後である。
ちなみに、ボクシングとのつながりはどこで生まれたのか?
「フォークソングの神様と言われた岡林信康さんの息子、大介さんが帝拳ジムに所属するボクサーだったんです。応援団もあった。父の縁で、『おじさんばかりでかわいそうだから、応援団に入ってくれ』と、言われた。30代前半のころです。応援しに行くと、面白そうだな、と思って、自分もボクシングをやりたくなったんです。それでワンツースポーツジムに通うようになりました」
ワンツースポーツジムの桜井孝雄会長(当時)は東京オリンピックの金メダリストで、プロ時代は三迫ジムで活躍した。
「桜井会長は三迫一門の一人なんです。なので、三迫ジムに小原選手を撮らせてほしいとお願いしたとき、『ワンツーの子がうちの選手を撮りたいのね』みたいな感じで、すごく温かく受け入れてくれた。小原選手も撮ることを許してくれました」
ロシア取材から帰国すると、日本のスポーツ写真の第一人者、水谷章人さんのもとでさらに腕を磨いた。
■撮りたいシーンがある
最近のカメラは非常に高性能だが、重要なのは「そのツールを使って、自分が思い描くものをどう撮っていくか」だと言う。
「ぼくには撮りたいシーンがあります。それが生まれそうな瞬間を予測するというか、長い間ボクシングを見ていると、その瞬間がわかる。例えば、接近戦で頭と頭をゴリゴリとくっつけているなかで選手はお互いに間合いを測っている。離れるべきか、打つべきか。そこで人間性がむき出しになってくる。そういうシーンをねらっている」
今年36歳の小原選手とは「練習はもちろん撮りますし。ご飯も行きます」という間柄だ。
「撮り続けていくことで彼の思いや悩みを知ることになるじゃないですか。今もリングに上がり続ける理由は何か、みたいな。それをぼくがどう客観的に撮るか。最後まで撮れたら面白いな、と思っています」
【MEMO】吉岡天平写真展「想望するリングへ」
キヤノンギャラリー銀座 11月1日~11月12日
キヤノンギャラリー大阪 2月7日~2月18日