朝比奈秋『植物少女』(朝日新聞出版)※Amazonで本の詳細を見る
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 祖母の晩年は、果たしてしあわせだっただろうか。苦しみばかりだったんじゃないだろうか。風を感じ日差しの温かさに息を吐く、そういうふとした瞬間にそんなことを思っては、立ち尽くしていた。

 さて、話を『植物少女』に戻そう。主人公美桜の母深雪は、植物状態だ。美桜を産んだ際に脳出血を起こしてしまい、病院にいる。だから美桜は、ベッドで寝たきりの、ただ生きているだけの母しか知らない。

 幼い頃の美桜は、母や他の入院患者たちと時を過ごす。子どもらしい残酷さで身勝手な振舞いをする美桜を、彼らはただただ受け止める。いや、植物状態のひとしかいないから、あるがままを受け入れてもらえていたというべきか。美桜は静かな病室で彼らに囲まれて、成長してゆく。

 しかし病室の外の美桜の世界は、決して生きやすくなかった。病室の中には存在しない様々な感情が溢れている。人間関係に悩まされるし、母親と仲睦まじい友の姿が眩しく映る。母が欠けたせいで、家族もうまくいかないことがある。それらは美桜を振り回すし、傷つけもする。美桜はそのたび病室に向かって母に焦燥をぶつけるが、もちろん母は何も言わない。美桜の荒ぶりをただ受け入れ続けるだけ。

 美桜にとって母は、母だけれどただ息をしているだけの空っぽなひとだった。植物状態だから何にも伝わらないし、何にも分かっていない。だから美桜は、母を求めながらも、可哀相で哀れなひとだと心の底で思っていた。

 でも美桜は気付く。母は空虚に生きている哀れなひとではないということに。母は、病室の彼らは、呼吸を重ねて命を繋いでいる。この世界でちゃんと生き抜いている。

 生とは連なりだ。いまこの瞬間を次の瞬間へ繋げて、生きること。この美桜の気付きに、私は己の心の奥のしこりがほろほろと解けていくような気がした。

 生きるということを考えると、そこに大きな意味や意義を求めてしまっていやしないだろうか? 少なくとも私は、生きるからには何か成さねばいけない気がしていた。しかし、生きることの本質はそこではないのだ。

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