1945年8月15日、頭をたれ敗戦を告げる「玉音放送」を聞く人々
1945年8月15日、頭をたれ敗戦を告げる「玉音放送」を聞く人々

 日本は憲法と政治指導者と国民によって、今まさに戦間期の思想を持たない世界新記録を作っている。決して「戦争で失ったものを戦争で取り返す」ことはしない。それが日本の国家としての柱になっている。

 その意味で言うと、日本は世界から見れば特殊な国でもある。たった一回の「負け」で戦争は二度としないと誓った。「戦争で失ったものは戦争で取り返す」と言い出す勢力も出てこないし、日常会話の中にものぼっていないはずだ。

 第二次世界大戦で日本人は「金輪際、戦争なんかしたくない」と思うくらい徹底的に戦ったとも言える。それで戦争の本質的な嫌な面が骨身に染みたのかもしれない。それと同時に、日清戦争以来の日本軍の哲学なき軍事行動、ただひたすら営業品目のように戦争をしてきた「出鱈目」に対する日本人の反省があるのかもしれない。

 それなら日本は真っ当な国だ。経験を教訓としている「理性の国家」と言える。

 日本は第二次世界大戦で、二度とこんな戦争をしてはいけないという境地に至るまで、あまりにも酷い戦争をやってのけた。玉砕や特攻を行い、沖縄が蹂躙(じゅうりん)され、日本中の主な都市が爆撃を受けても降参しなかった。最終的には、広島と長崎に原爆が投下されて天皇が降参を宣言する形になった。

 とことんまでの悲惨さを示す戦争を行った体験を生かして、日本はその後、77年余の歴史を紡いできた。こういう視点で見れば、第二次世界大戦の敗戦国・日本は、じつは「戦争そのものに対しては勝っている」と言えるのではないか。

 第二次世界大戦に負けて、私たちはやっと物事を考えるようになった。それまでは「それ行け、やれ行け」で10年おきに戦争をしてきた。そして初めて徹底的に負けて、何のために戦争をしたのか、負けに至る歴史はどんなものだったのかと考えるようになった。

 戦後の77年余、そのように考え続けてきたことが日本の最大の財産と言える。この財産を生かしながら戦争をしない今日に至っている。それを次の世代、その次の世代へと繋いでいく営みがなくなれば、またどこかでけろっと忘れてしまい、「それ行け、やれ行け」の国に逆戻りしてしまうだろう。

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日本の奇妙な二重性