戦争の勝ち負けはそれほど単純なものではない。戦争は国家が目的を掲げて行うものだ。だから戦争の目的が完遂されていなければ、「戦闘には勝ったけれども戦争に負けた」と呼べる状態がありうる。戦争に勝った結果、軍国主義化が進むこともあれば、戦争に負けたことで平和が長く続くなど「逆転の状態」があり得る。ノンフィクション作家・保坂正康さんが、新たな視点で見た戦争の勝ち負けとは。今回は「太平洋戦争」について。(朝日新書『歴史の定説を破る――あの戦争は「勝ち」だった』から一部抜粋しています)
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■敗戦の原因を考え続けることが最大の財産
第二次世界大戦で、日本は壊滅的に「国益」を失ってしまった。それなら「戦争で失ったものは戦争で取り返す」戦間期の思想を持ってもおかしくない。しかし戦後、日本は「戦争放棄」の日本国憲法によってそのような思想を持たないことを国の内外に宣言した。吉田茂は「負け方が大事なんだ。ぐずぐず言わないで模範的な負け方を見せてやろうじゃないか」などと言い、首相になると、「軽武装、経済重視」で戦後の国づくりに邁進した。
日本は戦争放棄の憲法を今日まで77年余も守っている。そして何よりも政治指導者が「戦争で失ったものを戦争で取り返す」といった発言をしたことは一度もない。自民党のどんな保守系の首相であっても、である。
数年前、「北方四島ビザなし交流」に参加した日本維新の会の衆議院議員が、訪問先の国後(くなしり)島で、記者会見中の訪問団の団長に「戦争をしないと取り返せない」などと言って大顰ひん蹙しゅくをかった。酒に酔っていたとはいえ、そんなことを公言する政治家は、それまで一人も見たことがなかったから、非常に驚いた。
思えば、第一次世界大戦後にできたドイツのワイマール憲法は、日本国憲法のような内容だった。しかし、ドイツではすぐにヒトラーが登場して全権委任法で骨抜きにし、戦争で失ったものを戦争で取り返す道を突き進んだ。つまり、どんな立派な憲法があっても政治指導者しだいでどうにでもなる。それが国家権力というものだ。だからこそ、国民はおかしなことを言い出す政治家を選んではいけない。