トロントのホームリンクの練習場の壁には、過去に輩出した世界王者と五輪メダリストの名前を刻んだ金のプレートが掲げられている。羽生の14年ソチ五輪金メダル、同年の世界選手権王者をたたえるプレートに、「15年世界王者 フェルナンデス」のプレートが加わると、羽生は言った。
「あれを毎日見ながら、悔しさを思い出して練習できるな」
もともと「勝ってやる」などの気持ちを、口に出すだけでなくノートに書き記すことでモチベーションを高めていた羽生。
「15年世界王者 フェルナンデス」の文字は、ノートに書いた文字と同様に、自身のパワーになることを予感していた。
そして、羽生に最大の飛躍をもたらした、15-16年シーズンが訪れる。
夏の間は順調にトレーニングをこなしてシーズンイン。「ショートの演技後半で4回転」が新たな挑戦だった。ところが、カナダで行われたシーズン初戦のオータム・クラシック。「ショパン バラード第1番」の演技後半で4回転ジャンプをミスすると、つぶやいた。
「このプログラム、まだ昨シーズンから一度もノーミスしてないな」
言葉を大事にする羽生が、ネガティブワードを口にすることは珍しい。弱気になっている証拠だ。すると演技後、この時の自らの言葉を振り返った。
「演技『後半』の4回転、という固定概念にとらわれている可能性があります。自分の思い込みで影響を大きく感じているところがあるかもしれない」
「演技後半で4回転に挑戦しよう」と思いすぎることで、「後半は難しい」という固定概念が生まれ、それにとらわれていた、という意味だ。
10月のスケートカナダでも同様のミスをすると、羽生は作戦を変更した。「後半」よりもっと難しい、「ショートで4回転2本」に挑むことにしたのだ。
「もっと強くなりたい。一皮剥けた羽生結弦になってやる」
そう宣言すると、オーサーをして「人が変わったようだ」と言わしめるほどの集中力で練習した。そして11月のNHK杯で、宣言通りの「ショートで4回転2種類」を成功させる気迫の演技を見せ、106.33点で自らの世界最高得点を更新した。