羽生結弦 (c)朝日新聞社
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羽生結弦とブライアン・オーサーは、試合のリンクで、練習場所で、離れているときはメールで意見を交わす(写真:YUTAKA/アフロスポーツ)
羽生結弦とブライアン・オーサーは、試合のリンクで、練習場所で、離れているときはメールで意見を交わす(写真:YUTAKA/アフロスポーツ)

 常に世界のトップで戦い続け、五輪でも連覇を果たした羽生結弦。彼の輝かしい実績を支えているのが、言葉の力だ。強気な言葉で自身を鼓舞する一方で、自分が口にした言葉に囚われて、新たな学びを得たこともあった。彼の発した“言葉”とともに、その軌跡を振り返ろう。

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 13-14年ソチ五輪シーズン。羽生の最大のライバルはパトリック・チャンだった。彼に勝てば五輪金メダルは堅いという状況で、シーズン初戦のスケートカナダは鼻息荒くスタートした。

 口にしたのは当然、

「パトリックに勝ちたい」

 ところが、本番では自分に集中できずにミスを連発。だが、次のフランス杯ではほぼパーフェクトな演技を見せた。

 羽生はこう話した。

「パトリックには勝ちたいです。でも『まずは自分に集中しよう、自分の演技をすれば勝てる』と思うようになった。そのバランスです。勝ち方が変わってきたのかもしれません」

 周囲には「勝ちたい」と宣言し、自らの心には「自分に集中しよう」と語りかける。このバランスで、羽生は13年12月のGPファイナルで優勝。そのまま、14年2月、ソチ五輪の頂点まで駆け抜けた。

 五輪王者となった後の4年間をどう過ごすか。ここでも羽生は意識的に、言葉の力を活用している。

 まず羽生は、オーサーにこう宣言して自らを鼓舞した。

「五輪の金メダルを取ったことで今までと違うプレッシャーを感じるようになるかもしれない。でも五輪王者だからといって、もっと強くなろうという原動力が途切れることはありません」

 オーサーも、こんな言葉で羽生を後押しした。

「これからは、誰かの背中を追いかけるのではなく、結弦自身がフィギュアスケートの限界をつくる立場になる」

 オーサーのこの言葉を胸に刻んだ羽生。その通りの4年間になったことは、もう誰もが知っている。

 五輪の後の14-15年シーズン、羽生は中国杯での衝突や腹部の手術など、多くのアクシデントを抱えながら、世界選手権で銀メダル。同じオーサー門下のフェルナンデスが、この年の世界王者になった。

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