「日英の2カ国語が話せる点も、米国では生かせない。逆に、日本を仕事のベースにすれば、語学力やプレゼンテーション力、海外人脈で優位に立てる。野球に例えるなら、アメリカのマイナーリーグでプレーするか、日本のプロ野球で稼ぐかです」
企業が留学生に期待するのは「困難な状況下で主体的に考え行動する力」(大掛さん)。04年、ハーバード大を卒業した嘉数(かかず)駿さん(35)はボストン・レッドソックスのアジア地区プロフェッショナルスカウト。自らの手で「好きな野球」を仕事にした。
「留学志向はなかった」という嘉数さんに転機が訪れたのは高校1年。父が豪州のシドニーに転勤となり、1年強を過ごした。
「(麻布での)学校生活が楽しかったので、本当はついていきたくなかった。得意科目の英語も現地の高校では通じず、最初の半年はすごくストレスでした」
●夢の実現は一歩ずつ
映画監督になるのが夢だった。ある日、米国の総合大学では映画も専攻できることを知る。情報を得るためさっそくシドニーの米国領事館を訪ねた。
「ところがその日は7月4日。独立記念日で閉まっていました(笑)。次の日、また行きましたけれどね」
東大にも合格するが、ハーバード大に進学。専攻した視覚芸術学科は学生数も少なく、教授とマンツーマンの充実した時間を過ごせた。ところが卒業後、帰国しドキュメンタリー映画の仕事に就こうとするも「食えない」と多くの関係者の反対にあう。悶々とするなか手にした本が、後にブラッド・ピット主演で映画化されたノンフィクション『マネー・ボール』。統計データを活用して資金不足に悩む球団を躍進させた、オークランド・アスレチックスのGMの話だ。
「プロ野球選手の経験がなくても、野球の仕事はできるという気づきを得ました」
嘉数さんは子どものころから野球観戦が大好きだった。折しも日本の球界は再編問題に揺れ、選手会がストライキを起こす事態にまで発展した。そのとき目にしたナイキの新聞広告が背中を押した。
「だれもいない球場の写真に、ひとこと『野球の好きな人が野球の未来を決めるべきだと思う。』と書かれていました」
日米での1年間の求職活動の末、千葉ロッテマリーンズのボビー・バレンタイン監督(当時)のもと仕事を得て現在に至る。
「ハーバードの学生というと、一瞬にして数学の難問を解くような、超人的な天才のイメージを抱く人が多いですが、実際は違う。物事の実現に向けて一歩ずつ地道にステップを踏む人たちが多かった。そうした人たちから受けた刺激が僕にとって最大の財産になっています」
(編集部・石田かおる)
※AERA 2017年3月27日号