大八木弘明監督(右)/1958年7月30日、福島県河東町(現・会津若松市)生まれ。会津工高、小森印刷(現・小森コーポレーション)の後、24歳で川崎市役所に勤めながら駒大に入学。箱根駅伝で1年5区、3年2区の区間賞。ヤクルトを経て95年に駒大コーチに。2002年に助監督、04年に監督就任酒井俊幸監督/1976年5月23日、福島県石川町生まれ。福島・学法石川高から東洋大に進み、箱根駅伝に3回出場。コニカ(現・コニカミノルタ)では全日本実業団駅伝3連覇に貢献した。2005年に学法石川高の教員となり陸上部顧問に。09年4月に東洋大陸上競技部長距離部門監督に就任(撮影/加藤夏子)
大八木弘明監督(右)/1958年7月30日、福島県河東町(現・会津若松市)生まれ。会津工高、小森印刷(現・小森コーポレーション)の後、24歳で川崎市役所に勤めながら駒大に入学。箱根駅伝で1年5区、3年2区の区間賞。ヤクルトを経て95年に駒大コーチに。2002年に助監督、04年に監督就任
酒井俊幸監督/1976年5月23日、福島県石川町生まれ。福島・学法石川高から東洋大に進み、箱根駅伝に3回出場。コニカ(現・コニカミノルタ)では全日本実業団駅伝3連覇に貢献した。2005年に学法石川高の教員となり陸上部顧問に。09年4月に東洋大陸上競技部長距離部門監督に就任
(撮影/加藤夏子)
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昨年11月の全日本大学駅伝の競り合い。50回目の今年はどこが制すか (c)朝日新聞社
昨年11月の全日本大学駅伝の競り合い。50回目の今年はどこが制すか (c)朝日新聞社

 大学駅伝のシーズンが近づいてきた。10月8日の出雲駅伝から、50回を迎える11月4日の全日本大学駅伝、来年正月の箱根駅伝まで3大駅伝が続く。同じ福島県出身、駅伝ファンの間で「名将」の誉れ高い駒沢大の大八木弘明監督と東洋大の酒井俊幸監督に、昨今注目の「運動部の指導のあり方」から最強のライバル「青山学院大」まで、語り合ってもらった。

【写真】昨年11月の全日本大学駅伝の競り合い。今年はどこが制すか?

*  *  *

──学生はお二人の前に出るとピリピリして、背筋が伸びる感じがします。青山学院の原晋監督はおちゃらけてても、グラウンドに行くと厳しい感じで、選手もきちっとなる。そういう厳しさは大事ですか。

大八木:グラウンドに入ったら本気さが伝わらないと、学生も本気になってやらない。指導者が中途半端なことをやっていたら学生だって中途半端になるんで。真剣な姿勢を見せないと、たぶん子供たちはついてこない。

酒井:おっしゃるとおりだと思います。空気を作るというのは指導者がすごくやらなくてはいけない仕事かなと思いますね。雰囲気作りから、チーム作り、人づくりと続いていく。なんか楽しそうに見えてても、ちゃんとしっかりと芯を持って、という集団にすることが大事じゃないんでしょうかね。

大八木:練習をやってる時はきついけど、終わってからワー、ヨカッタっていうふうな終わり方をしてあげないと、子供たちの体に染みこんでいかない。嫌々やってたら絶対にホントのものは出てこないんで。青学の原監督と中身はたぶん似ていると思いますよ。表面はあえて彼はたぶん違うほうに向けているけど。

酒井:基本的に長距離は、生活習慣をしっかりさせて、自分でやる気にさせていきますので、その声掛けのタイミングとか、どんな言葉をチョイスするか、どんなふうにモチベーションを上げていくかの違い。方向性は一緒。

──言葉と言えば、東洋大の「その1秒をけずりだせ」というスローガンはどのようにできたのですか。

酒井:箱根駅伝で1位と21秒差で敗れた後(2011年の第87回)、チームのやる気を鼓舞するためにミーティング用の短い映像を作ったんです。そのためにキーワードを学生たちからヒアリングしたら、自分があと何秒がんばれば勝てたかもしれないとか出てきた。なにか他人のために自分で1秒を生み出せるんじゃないかというふうに考えていって。「その」とつけたのは、そこに場面や人を想定して、勝つシーン、負けたシーン、サポートしてくれている人、負けたくない人とか、思いを込めて。あと、試合の時ではなく生活の中で、その精神は大事にしようかという。東日本大震災が起き、ふるさとのためにという思いも込めて作りました。

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