今夏91歳で逝った母をモデルに漫画を描き続ける作者の岡野雄一さん(64)と、「介護民俗学」を提唱する六車由実さん(44)が、認知症の人の世界を語り合った。
* * *
六車:介護は人と人との関係なので、あまりに真正面から向き合うと追い詰められる。だから私は聞き書きの際、ちょっと話題をずらす。例えば、ふと発せられた言葉の意味にこだわったり。そうすると意外にも真正面から向き合うよりも、その人の人生の深いところが理解できる。介護をネタに、それを表現することで得られる利点は二つあると私は考えます。一つ目は距離感。ネタ探しで介護する側の心に余裕が生まれる。二つ目は、そのネタを作品として仕上げるために必要な「編集」という作業を通して、客観的に見直せる。隠れた意味が見えてきたり、起きている出来事の本質が見えたりするんです。
岡野:長崎に暮らす詩人の藤川幸之助さんはお母さんのオムツを替える際にウンコが手についたりするといった介護の際のイライラを、詩に書くことでお母さんへの感謝の気持ちに変えられたとおっしゃっています。何かが必要なのでしょうか。広い意味の表現、処方箋として。
六車:お母さんのオムツ交換の際、その老いた局部を見て泣いてしまう男性が結構いるそうです。でも、それすらもネタにして笑いに変えてしまえばいい。ブログやツイッターだっていい。家族はもちろん、介護職員も自分で自分を楽しませるぐらいの気持ちが必要で、私は介護はもっと緩くていいと思うんです。
岡野:真面目にきっちり介護していると、自分のほうが壊れてしまう。
六車:今の介護現場にはエビデンスや客観性、科学性が求められ、私たちもそう教育されています。利用者さんの行動記録に主観を入れてはいけないと。誰もがそれだけではすくい取れないものがたくさんあると、わかってはいます。なのに手をつけてはいけないと思い込んでいる。そこに触れるほうが楽しいし、実は私たち自身が救われるのに。
岡野:僕の漫画に母と同じ施設で暮らす70代のゆりさんが登場しますが、エピソードはほぼ実話です。15歳上の母をすごく可愛がり「自分がおぶって育てた」と。それを聞いた母も「覚えとる」(笑)と答える。
六車:漫画には亡くなったお父さんがお母さんに土下座するシーンがよく出てきますが。
岡野:僕の創作です。間違いないのは母の中に出てくるのは酒を飲んで暴れる若いころではなく、酒をやめて好々爺になってから。最期は俳優の笠智衆そっくりになって、孫の面倒もしっかりみていました。
六車:ご友人や親戚など、亡くなった方が次々とお母さんの前に現れます。これらは幻覚や妄想という認知症特有の症状とみなされますが、岡野さんは「認知症になって初めてあの世とこの世がつながる」と言っておられますね。
岡野:それは母の施設の他の入所者の方々からも実感したんです。時間軸がグチャグチャですが、聞いていると、リアルな話のような気がしてくる。死んだ人がすぐ横で鎮座している感覚です。それが僕には面白くて仕方がない。
六車:うちの施設に、昨年夫が逝って独居になった利用者さんがいますが、彼女の話によく年老いた実父が出てきます。すごくリアルで、「お父さんがあれこれ文句を言うから蹴飛ばした」と言ったり、喧嘩したことをすごく後悔していたり。彼女にとって、ある種の救いになっている。
岡野:先日、別の週刊誌で対談したNHKの元アナウンサー町永俊雄さんは「認知症は多幸症の面もある」とおっしゃった。決して不幸ではなく、彼らは現実を何度も繰り返し、そのつど自分を幸せにできるんだと。
六車:それを幻覚や妄想としかとらえずに、薬で見えなくしてしまったら、それまでです。認知症の人には、私たちには見えないものが見えている。実は豊かな世界かもしれない。
※週刊朝日 2014年10月31日号より抜粋