日本一になってファンに応える川上氏 (c)朝日新聞社 @@写禁
日本一になってファンに応える川上氏 (c)朝日新聞社 @@写禁

 10月31日、「打撃の神様」川上哲治氏が死去したことが、多くのメディアで報じられた。川上氏の現役時代と最晩年について、週刊朝日元編集長の川村二郎氏が長男で文筆家の川上貴光氏(67)に聞いた。

*  *  *

 川上氏は現役時代、宮崎のキャンプでは、朝一番に起きて瞑想し、グラウンドに一番乗りをした。

「それで『今日も選手がけがをしないように』とブツブツ言いながら、小石や砂利を拾ったそうですよ」

「哲のカーテン」の中でそんなことがおこなわれていたとは知らなかった。選手にも子供にも、罰は与えても体罰は決して加えなかったそうである。

 先日、「偲ぶ会」があった文化勲章作家、丸谷才一氏は健啖(けんたん)家で勇名をはせたが、哲治氏もそうだったようである。

「父の母親は無学な人でしたが、『メシが食える間は死なん』と教えたそうで、この教えを信じていました。60のときにがんで胃を全摘したのに、退院すると、胃があったときと同じように食べるんです。食べては痛みで七転八倒するのに、懲りずに何回でも繰り返すので、母があきれてました。でも、手術してから1年で体重を元にもどしたのですから、驚きです」

 それからもゴルフを続け、70代と80代で、エージシュートを何回もしたというのだから、さらに驚く。89歳のときに難コースで知られる「箱根カントリー倶楽部」をハーフ54で回ったのが、人生最後のゴルフになった。

「89にもなって54なんて、愛嬌がないですよねえ」

 今年6月、最後の入院をしたが、旺盛な食欲は衰えを知らなかった。肺炎などと闘いながら病院食では足りず、家族にウナギやすき焼きを届けさせた。それは10月中旬、食べ物がのみ込めなくなって点滴をするようになるまで続いた。

「亡くなる1週間前でしたか、夢に祖母が出てきたのか、はっきりした声で、『ご飯』と言ったのには、本当にびっくりしました」

 亡くなる直前、貴光氏は婚約が決まった長女と病室を見舞った。

「父は娘の報告を聞き終わると、何も言わずに笑ってくれました。息子が言うのもおこがましいですが、本当に見事な最期でした」

 93歳、死因は老衰だった。「お別れの会」は、プロ野球シーズンが終わってからになるようだ。

週刊朝日  2013年11月15日号