応援団が大渋滞に巻き込まれ、試合に間に合わなくなる悲劇が起きたのが、90年の1回戦、大宮東vs高知商だ。

 甲子園初出場の大宮東は、大会通算2千試合目のメモリアルゲームとなったが、応援スタンドに陣取っていたのは、前日の朝8時に先発隊として出発したブラスバンドと父兄の180人だけ。午前10時32分に試合が始まっても、前夜計35台のバスで学校を出発したはずの1千人近い学校関係者は姿を見せないままだった。

 実は、同校の応援バスは、台風11号の影響と事故、帰省ラッシュの大渋滞に巻き込まれ、山梨県上野原市の談合坂を通過したのが4時間遅れの午前2時。この時点で「もう駄目だ」とあきらめたOBもいたほどだった。

 しかし、大応援団不在にもかかわらず、大宮東ナインは健闘する。1点を先行された直後の1回裏、2四球でチャンスをつくると、死球を挟む4連打で6対1と逆転した。

 バスで甲子園に向かう途中だった生徒の中には「(今日は)間に合わなくても、6点取って試合は大丈夫と思った。2回戦を見ればいい」と安堵した者もいた。

 ところが、夏18回の出場を誇る高知商も、3、4回に1点ずつを返し、じわじわと反撃。6回に岡林親司の左越えソロで2点差に迫ると、7回には敵失に乗じて、ついに6対6の同点に追いついた。

 大宮東もその裏、野瀬英則の左越えソロで7対6と再び勝ち越したが、高知商は8回に3長短打に犠飛を絡めて8対7と再逆転。9回にも3点を加え、駄目を押した。

 そして、大宮東の最後の攻撃も簡単に2死。ここでようやく応援団が17時間かけて甲子園に到着した。

 大声援に勇気づけられ、連打で2死一、三塁のチャンスをつくるも、次打者が三ゴロに倒れゲームセット。生徒たちは到着してわずか数分で甲子園を去ることになった。

 北川博敏主将は「1回の6点で受け身になってしまった。いつでも取れると思っているうちにズルズルいってしまった」と必死に涙をこらえていた。

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歴史的瞬間を放送できず…