※写真はイメージです(写真/getty images)
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 21世紀に入り、大学は厳しい競争原理にさらされるようになった。その結果、歴史と伝統がある人気大学と、定員割れを起こす大学が生まれた。「大学ランキング2020」(朝日新聞出版)から、平成後半の日本の大学を読み解く。前編「バブルが崩壊しても、大学は拡大路線を突っ走った」よりつづく。

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●女子大の共学化、キャンパスの都心回帰

 平成が12年過ぎたところで、21世紀を迎えた。2001年前後の5年間、一般入試志願者数1位の大学は10万~11万人で推移していた。1990年前後は13万~15万人である。このころに比べて大学入学者が増えているはずなのに、志願者数は落ち込んでいる。不況によって、受験生1人あたりの併願数が5~7校から3~5校に絞られたからだ。

 2000年代前半、拡大路線から潮目が変わった。国は、1980年代から国鉄、電電公社を民営化するなどの「官から民へ」という政策を進めてきたが、いよいよ国立大学もターゲットとなっていく。まずは大学の数を減らすこと。国立大学の再編統合である。医科系単科大は地元の大学にどんどん統合されていった。

 2004年には国立大学法人化が始まった。これによって大学に自立性、自律性、効率性が求められていく。稼げるところは自分で稼ぎなさいということになり、大学には競争によって資金を勝ちとるというシステムが採り入れられていく。こうした競争原理の象徴的な存在が、「21世紀COEプログラム」という文科省の支援事業だった。また、学長の権限が強まっていく。大学の構造的な改革であり、ときの文科大臣の名前をとって「遠山プ
ラン」といわれた。

 2004年、法科大学院、株式会社立大学という新しい大学の形態が生まれた。法科大学院は新しい法曹養成のあり方を実現するために作られたものの、司法試験合格率20%台という低空飛行を続けている。法科大学院は最盛期には74校あったが、19年は36校となった。失敗である。

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私大の医療系新学部が次々に創部された