「とにかく超越されていた」心臓外科医・天野篤が天皇陛下から学んだこと (2/3) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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「とにかく超越されていた」心臓外科医・天野篤が天皇陛下から学んだこと

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天野 篤さん(右)と林真理子さん (撮影/写真部・小山幸佑)

天野 篤さん(右)と林真理子さん (撮影/写真部・小山幸佑)

天野 篤(あまの・あつし)/1955年、埼玉県生まれ。83年、日本大学医学部卒業後、関東逓信病院臨床研修医、亀田総合病院心臓血管外科医長、新東京病院心臓血管外科部長、昭和大学横浜市北部病院循環器センター長・教授などを経て、2002年から順天堂大学医学部心臓血管外科教授、16年から順天堂大学医学部付属順天堂医院院長。冠動脈オフポンプバイパス手術の第一人者で、12年、天皇陛下の心臓手術を執刀した。近著に『100年を生きる 心臓との付き合い方』(セブン&アイ出版)など。 (撮影/写真部・小山幸佑)

天野 篤(あまの・あつし)/1955年、埼玉県生まれ。83年、日本大学医学部卒業後、関東逓信病院臨床研修医、亀田総合病院心臓血管外科医長、新東京病院心臓血管外科部長、昭和大学横浜市北部病院循環器センター長・教授などを経て、2002年から順天堂大学医学部心臓血管外科教授、16年から順天堂大学医学部付属順天堂医院院長。冠動脈オフポンプバイパス手術の第一人者で、12年、天皇陛下の心臓手術を執刀した。近著に『100年を生きる 心臓との付き合い方』(セブン&アイ出版)など。 (撮影/写真部・小山幸佑)

天野:急性心筋梗塞なんかで死ぬ人はものすごく減りましたね。でも、高齢者で心不全で亡くなる人は増えてます。

林:そうなんですか。

天野:なんでかというと、ある一定の心臓病になって治療すると、治療後にまた心臓が痛んでくる人がいるんです。そういう人は最後は心不全。すべての手を尽くしても、心臓自体がへばってくるので助かりません。高齢すぎるので、人工心臓をつけたり移植したりという治療の適用になりませんから、その時点で寿命ということになっちゃうんですね。

林:先生のところには、皆さん紹介状を持っていらっしゃるんでしょう? 順番待ちで大変でしょうね。

天野:いや、紹介状持参の方は多いですが、できるだけ希望される時期に診察しますから、迷惑はかけてないと思いますよ。それに重症度に応じて、必要であれば今これから手術することもありますしね。大学病院って、患者を選んでるとか待たせてると思われるんですけど、うちはぜんぜんそんなことないです。預かった命というか、頼られた命ですから、まずはがっぷり四つに組んで、その中でベストな結果を出します。これは天皇陛下から教わったことなんですよ。

林:それはどういうことですか。

天野:陛下の手術を通して、両陛下はこの日本の中で、最も重い責務を背負われながら生きておられる方だと思いました。にもかかわらず、すべてを受け入れて感謝するという姿勢は、国民のために生きるというお気持ちからなのでしょう。いやァ、とにかく超越されていました。だから軽々しく人のためにやってるなんて言っちゃいけないんだなと思った。僕も、どんな患者さんにもこれがベストだという形を納得するまで探し、ギリギリまで自分の全力を尽くそうという思いを新たにしました。以来、手術の意味を自問しても、「自分のため」っていう答えになるんです。誰かのためにやってると言っても、それは結局、自分のためにやってるんですよ。それが本当に自分のためにやっていないのが、天皇陛下なんだと思います。

林:先生ご自身にも精神的な変化があったんですね。先生はよく「僕は日大の医学部だから」っておっしゃるけど、いま日大の医学部ってけっこう難しいんじゃないですか。

天野:われわれの時代は、試験の点数が悪くても、お金があったら入れたんです。逆に試験の点数がよくても、寄付金がなかったら入れなかったんですよ。僕は3年浪人して入りましたが、試験をやったあとに、「この試験で合格点の60点を取れないやつがいるんだ」と思って驚愕しましたよ。「こんなやつらのために医学部に入れなかったのか」と思って。僕の高校の同級生でも、僕よりもぜんぜん成績が下のやつが、日大の医学部にストレートで入ったりしてましたから。


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