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「歴史」に関する記事一覧

【戦国パロディ】もし徳川家康が武田信玄と「三方ヶ原の戦い」をSNSのタイムラインで解説したら
【戦国パロディ】もし徳川家康が武田信玄と「三方ヶ原の戦い」をSNSのタイムラインで解説したら もし、徳川家康と武田信玄がSNSをやっていたら……家康は「なめるな信玄!」と怒りのリプライを飛ばしていたかもしれない。NHKのSF時代劇『天下人のスマホ』等にも制作協力として携わったスエヒロさんの新刊『戦国時代のタイムライン』(監修:本郷和人東京大教授)より、一部を抜粋・編集してお届けする。
東京の地名は「地形」に由来。でも山じゃないのに「青山」はなぜ?
東京の地名は「地形」に由来。でも山じゃないのに「青山」はなぜ? 赤坂、白金台、市ケ谷、飛鳥山……。普段何げなく口にする東京の地名だが、その多くが地形に由来していることは知られている。建物がびっしりと並んでいるので地形を意識することはあまりないが、実は都心は高低差があって坂が多く、東京23区には名前が付いた坂が900以上もあるという。
徳川秀忠の養育係抜てきの貞春尼は「家康が今川家の存在を頼りにしていた証」だった
徳川秀忠の養育係抜てきの貞春尼は「家康が今川家の存在を頼りにしていた証」だった 徳川家康が少年期に今川家で「人質」として過ごし、酷い仕打ちを受けたかのような言説のため、今川氏真との抗争に勝利した後、今川家との関わりはなかったかのように誤解されている。しかし「家康の人生において、今川氏真・貞春尼きょうだいの与えた影響は大きかった」と歴史学者・黒田基樹氏は説く。今回、氏真の妹・貞春尼が徳川秀忠の女性家老(「上臈」)にして後見役であったという、新たな事実が確認された。黒田氏の新著『徳川家康と今川氏真』(朝日新聞出版)から一部抜粋、再編集し、紹介する。
かつての抗争相手の妹を徳川秀忠の「育ての親」に 家康は今川家を頼りにしていたのか
かつての抗争相手の妹を徳川秀忠の「育ての親」に 家康は今川家を頼りにしていたのか 一〇年近く抗争を繰り返し、三河統一後は、以前の主従関係が入れ替わった徳川家康と今川氏真。一般的に、家康は今川家に対して否定的だと考えられてきた。ところが新たに分かったのは、家康が氏真の妹・貞春尼を女性家老に任命していたという事実。二人の関係性について、これまでの認識を大きくあらためなければならない、と説くのは歴史学者・黒田基樹氏だ。黒田氏の著書『徳川家康と今川氏真』(朝日新聞出版)から一部抜粋、再編集し、紹介する。

この人と一緒に考える

「どうする家康」の現場を見に行く! 三英傑の足跡をたどる名古屋旅【保存版】
「どうする家康」の現場を見に行く! 三英傑の足跡をたどる名古屋旅【保存版】 松本潤が徳川家康を演じるNHK大河ドラマ「どうする家康」は、7月23日放送の第28話が「本能寺の変」。SNSではオンエア前から、「家康黒幕説?」「家康と秀吉の共謀説?」などと物語の展開予想が白熱。戦国の世をしたたかに生きた信長、豊臣秀吉、家康の「三英傑」に改めて注目が集まっている。
安倍元首相亡き後、この国はどこに向かうのか 自民党の負の側面と歴史の分岐点を見極める
安倍元首相亡き後、この国はどこに向かうのか 自民党の負の側面と歴史の分岐点を見極める 安倍晋三元首相の殺害事件に続き、岸田文雄首相を狙った事件は、戦前の五・一五事件、二・二六事件を思い起こさせる。ウクライナへのロシアの侵攻、宗教と政治の不穏な関係など、時代の空気が戦前にも似た雰囲気を漂わせているなか、われわれは歴史から何を学ぶことができるのか。学会の泰斗、長谷部恭男(憲法学)、杉田敦(政治学)、加藤陽子(歴史学)の3氏が戦前と現代を比較しながら時代を読む。(朝日新書『歴史の逆流 時代の分水嶺を読み解く』<2022年12月刊>から一部を抜粋)
世界中に衝撃を与えた「日露戦争」は本当に勝利したといえるのか――賠償金ゼロ、人命度外視の代償
世界中に衝撃を与えた「日露戦争」は本当に勝利したといえるのか――賠償金ゼロ、人命度外視の代償 戦争の勝ち負けはそれほど単純なものではない。戦争は国家が目的を掲げて行うものだ。だから戦争の目的が完遂されていなければ、「戦闘には勝ったけれども戦争に負けた」と呼べる状態がありうる。戦争に勝った結果、軍国主義化が進むこともあれば、戦争に負けたことで平和が長く続くなど「逆転の状態」があり得る。ノンフィクション作家・保坂正康さんが、新たな視点で見た戦争の勝ち負けとは。今回は「日露戦争」について。(朝日新書『歴史の定説を破る――あの戦争は「勝ち」だった』から一部抜粋)

特集special feature

    名古屋城・金のシャチホコはなぜあの形なのか? ルーツをたどることで明らかになった壮大な歴史とは
    名古屋城・金のシャチホコはなぜあの形なのか? ルーツをたどることで明らかになった壮大な歴史とは 名古屋のシンボル金鯱。言わずと知れた、徳川家康が築かせた名古屋城の天守の最上部で輝いているあれだ。展覧会で地上に降りた姿を目にした方も多いことだろう。じつは金鯱には東アジアにおいて長い歴史があった。金鯱ほど目立たないが、反り返った魚のような形の飾りが日本中の寺院や宮殿の屋根の両端に載っている。なぜあの形なのか。いつから載っているのか。城郭考古学が専門の研究者で、『歴史を読み解く城歩き』(朝日新書)を出版したばかりの、千田嘉博・奈良大学教授がその歴史を明かしている。長年、歴史や文化財を取材してきた朝日新聞の塚本和人さんが、千田氏の説の概要と、遠くモンゴルの草原の墓でみつかった壁画のレポートなども合わせ、日本と東アジアのダイナミックな金鯱のつながりを紹介する。
    徳川家康の運命を変えた「桶狭間」は信長の奇襲ではなかった! 城から読み解く勝利の秘密と家康の性格
    徳川家康の運命を変えた「桶狭間」は信長の奇襲ではなかった! 城から読み解く勝利の秘密と家康の性格 2023年のNHK大河ドラマ「どうする家康」が始まった。初回でさっそく描かれた「桶狭間の戦い」だが、これまで織田信長の奇襲の結果と言われてきたこの戦、近年は戦いの最初からイニシアチブを握っていたのは信長だったと、従来の説への見直しが迫られている。
    「鎌倉殿の13人」から50年後、鎌倉幕府を襲った晴天の霹靂とは?
    「鎌倉殿の13人」から50年後、鎌倉幕府を襲った晴天の霹靂とは? NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」がついに最終回を迎える。1185年11月、諸国に守護・地頭をおき源頼朝によって開かれた鎌倉幕府は、明治維新まで約700年続く武家政権の始まりだった。大河ドラマの主人公、鎌倉幕府2代執権・北条義時は、1221(承久3)年、世にいう承久の乱が勃発した際、鎌倉方を率いて後鳥羽上皇擁する上皇方を打ち破り、北条氏を中心とした強固な武家政権を築き上げた立役者だ。
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