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諸河久

諸河久

諸河 久(もろかわ・ひさし)/1947年生まれ。東京都出身。カメラマン。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。「諸河 久フォト・オフィス」を主宰。公益社団法人「日本写真家協会」会員、「桜門鉄遊会」代表幹事。著書に「オリエント・エクスプレス」(保育社)、「都電の消えた街」(大正出版)「モノクロームの東京都電」(イカロス出版)など。「AERA dot.」での連載のなかから筆者が厳選して1冊にまとめた書籍路面電車がみつめた50年 写真で振り返る東京風情(天夢人)が絶賛発売中。
路面電車がみつめた50年前のTOKYO
隅田川のレジェンド橋「新大橋」 関東大震災に耐えた名橋を渡る都電が向かう先は?
隅田川のレジェンド橋「新大橋」 関東大震災に耐えた名橋を渡る都電が向かう先は? 2020年のオリンピックに向けて、東京は変化を続けている。同じく、前回の1964年の東京五輪でも街は大きく変貌し、世界が視線を注ぐTOKYOへと移り変わった。その1960年代、都民の足であった「都電」を撮り続けた鉄道写真家の諸河久さんに、貴重な写真とともに当時を振り返ってもらう連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」。今回は、隅田川に架かり、下町情緒あふれる江東区・深川と古くからの門前町・水天宮方面をつなぐレジェンド「新大橋」付近だ。
「港区女子」も驚きの変貌!? 大人の街・西麻布を走っていた「専用軌道」とは
「港区女子」も驚きの変貌!? 大人の街・西麻布を走っていた「専用軌道」とは 2020年のオリンピックに向けて、東京は変化を続けている。同じく、前回の1964年の東京五輪でも街は大きく変貌し、世界が視線を注ぐTOKYOへと移り変わった。その1960年代、都民の足であった「都電」を撮り続けた鉄道写真家の諸河久さんに、貴重な写真とともに当時を振り返ってもらう連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」。今回は、東京・港区の西麻布交差点付近。いまや「港区女子」などの言葉ができるほど若い世代にも人気の界隈で、グルメな芸能人がお忍びで現れるようなおしゃれな飲食店が軒を連ねる。だが、50年前は現在の雰囲気とは打って変わって、青山墓地に隣接した墓地下停留所から霞町(現・西麻布)にかけて、専用軌道が敷設されていた。都電ファンには「麻布の専用軌道」としてお馴染みだった場所だ。
東京タワーがあまりにも大きく見えた「三丁目の夕日」時代 路面電車が向かう先は…
東京タワーがあまりにも大きく見えた「三丁目の夕日」時代 路面電車が向かう先は… 2020年のオリンピックに向けて、東京は変化を続けている。同じく、前回の1964年の東京五輪でも街は大きく変貌し、世界が視線を注ぐTOKYOへと移り変わった。その1960年代、都民の足であった「都電」を撮り続けた鉄道写真家の諸河久さんに、貴重な写真とともに当時を振り返ってもらう連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」。今回は、東京のランドマークを代表する「東京タワー」のお膝元で、映画「ALWAYS三丁目の夕日」のロケーションモデルといわれる、東京都港区「札の辻」付近だ。
国会議事堂近くで隊列を組んでいたのはデモではなく「都電」!? 50年前の桜田門
国会議事堂近くで隊列を組んでいたのはデモではなく「都電」!? 50年前の桜田門 2020年のオリンピックに向けて、東京は変化を続けている。同じく、前回の1964年の東京五輪でも街は大きく変貌し、世界が視線を注ぐTOKYOへと移り変わった。その1960年代、都民の足であった「都電」を撮り続けた鉄道写真家の諸河久さんに、貴重な写真とともに振り返ってもらう連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」。今回は、国会議事堂前で行われるデモでもおなじみとなった「桜田門」付近だ。
いまとはまるで違う50年前の「銀座」 ひた走る路面電車と空を覆う架線
いまとはまるで違う50年前の「銀座」 ひた走る路面電車と空を覆う架線 2020年のオリンピックに向けて、東京は変化を続けている。同じく、前回の1964年の東京五輪でも街は大きく変貌し、世界が視線を注ぐTOKYOへと移り変わった。その1960年代、都民の足であった「都電」を撮り続けた鉄道写真家の諸河久さんに、貴重な写真とともに振り返ってもらう連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」。今回は、東京を代表する街・銀座のスポット「銀座四丁目交差点」だ。

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