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諸河久

諸河久

諸河 久(もろかわ・ひさし)/1947年生まれ。東京都出身。カメラマン。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。「諸河 久フォト・オフィス」を主宰。公益社団法人「日本写真家協会」会員、「桜門鉄遊会」代表幹事。著書に「オリエント・エクスプレス」(保育社)、「都電の消えた街」(大正出版)「モノクロームの東京都電」(イカロス出版)など。「AERA dot.」での連載のなかから筆者が厳選して1冊にまとめた書籍路面電車がみつめた50年 写真で振り返る東京風情(天夢人)が絶賛発売中。
路面電車がみつめた50年前のTOKYO
昭和の“撮り鉄”にも人気!? 国鉄車両とはひと味違う「軽便鉄道」に魅了された理由
昭和の“撮り鉄”にも人気!? 国鉄車両とはひと味違う「軽便鉄道」に魅了された理由 鉄道写真家の諸河久さんが、地方の村と国鉄の駅とをつなぐ狭軌鉄道(軽便鉄道)の存在を知ったのは小学生の頃。国鉄車両よりも二回りも小さい列車が走る姿にみせられた。高校に進学してから、軽便鉄道の写真撮影にのめり込んでいく。そこには沿線の人々や鉄道員との得難い交流があった。今回の諸河さんの連載は特別編として、「アサヒカメラ」2月号に掲載された「軽便鉄道」を紹介する。
まるで昭和の特撮シーンのような52年前の「板橋」都電とガスタンク ともに消えた理由は?
まるで昭和の特撮シーンのような52年前の「板橋」都電とガスタンク ともに消えた理由は? 2020年の五輪に向けて、東京は変化を続けている。前回の東京五輪が開かれた1960年代、都民の足であった「都電」を撮り続けた鉄道写真家の諸河久さんに、貴重な写真とともに当時を振り返ってもらう連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」。今回は「板橋のガスタンク」を背景に中山道を走る都電だ。
現存する唯一の都電「荒川線」の55年前 風雪や定時運行の“強み”になった理由とは?
現存する唯一の都電「荒川線」の55年前 風雪や定時運行の“強み”になった理由とは? 2020年の五輪に向けて、東京は変化を続けている。前回の東京五輪が開かれた1960年代、都民の足であった「都電」を撮り続けた鉄道写真家の諸河久さんに、貴重な写真とともに当時を振り返ってもらう連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」。今回は、今も健在な荒川線・三ノ輪橋を発着する半世紀前の都電だ。
これぞ昭和の渋滞! 高度経済成長期の50年前「千住大橋」がここまで混み合った理由
これぞ昭和の渋滞! 高度経済成長期の50年前「千住大橋」がここまで混み合った理由 2020年の五輪に向けて、東京は変化を続けている。前回の東京五輪が開かれた1960年代、都民の足であった「都電」を撮り続けた鉄道写真家の諸河久さんに、貴重な写真とともに当時を振り返ってもらう連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」。今回は、日光街道の難所「千住大橋」を渡り北千住に向う都電だ。
巨人「V9」時代の後楽園球場を望む50年前の「水道橋」 スコアボードに写るチームは?
巨人「V9」時代の後楽園球場を望む50年前の「水道橋」 スコアボードに写るチームは? 2020年の五輪に向けて、東京は変化を続けている。前回の東京五輪が開かれた1960年代、都民の足であった「都電」を撮り続けた鉄道写真家の諸河久さんに、貴重な写真とともに当時を振り返ってもらう連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」。今回は、後楽園球場を背景に白山通りを走る都電だ。
箱根駅伝コースを50年以上前の「路面電車」で振り返ってみた! 追憶の美しき街並み
箱根駅伝コースを50年以上前の「路面電車」で振り返ってみた! 追憶の美しき街並み 2020年の五輪に向けて、東京は変化を続けている。前回の東京五輪が開かれた1960年代、都民の足であった「都電」を撮り続けた鉄道写真家の諸河久さんに、貴重な写真とともに当時を振り返ってもらう連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」。今回は、特別編として、1月2日と翌3日に実施される「箱根駅伝」のコースを、いまから50年以上前に走っていた往時の路面電車で振り返ってみる。
昭和39年東京五輪の気運高まる「銀座」の元日 地下鉄に追いやられた都電の数奇な運命
昭和39年東京五輪の気運高まる「銀座」の元日 地下鉄に追いやられた都電の数奇な運命 2020年の五輪に向けて、東京は変化を続けている。前回の東京五輪が開かれた1960年代、都民の足であった「都電」を撮り続けた鉄道写真家の諸河久さんに、貴重な写真とともに当時を振り返ってもらう連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」。今回は、「東京オリンピック」が開催された1964年元日の銀座四丁目を走る都電だ。
おじさんたちの聖地「新橋」の51年前 駅ホーム下が吸殻で「鳥の糞」と揶揄された理由
おじさんたちの聖地「新橋」の51年前 駅ホーム下が吸殻で「鳥の糞」と揶揄された理由 2020年の五輪に向けて、東京は変化を続けている。前回の東京五輪が開かれた1960年代、都民の足であった「都電」を撮り続けた鉄道写真家の諸河久さんに、貴重な写真とともに当時を振り返ってもらう連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」。今回は、丸ノ内や品川と並ぶサラリーマンの街、「新橋」の都電だ。
東京タワーが「東京のタワー」だったと感じる53年前の西麻布 こんなにも見えた理由は?
東京タワーが「東京のタワー」だったと感じる53年前の西麻布 こんなにも見えた理由は? 2020年の五輪に向けて、東京は変化を続けている。前回の東京五輪が開かれた1960年代、都民の足であった「都電」を撮り続けた鉄道写真家の諸河久さんに、貴重な写真とともに当時を振り返ってもらう連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」。今回は、かつて東京タワーを遠望できた西麻布交差点付近の六本木通り沿い「笄坂(こうがいざか)」を上る都電だ。
江戸の名残「半蔵門」54年前の都電 名前の由来は「服部半蔵」から?
江戸の名残「半蔵門」54年前の都電 名前の由来は「服部半蔵」から? 2020年の五輪に向けて、東京は変化を続けている。前回の東京五輪が開かれた1960年代、都民の足であった「都電」を撮り続けた鉄道写真家の諸河久さんに、貴重な写真とともに当時を振り返ってもらう連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」。今回は、江戸城甲州口といわれた「半蔵門」の都電だ。

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