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コロナ自粛で妻の家事負担増の夫婦は仲が悪化? データが示すある関連性
コロナ自粛で妻の家事負担増の夫婦は仲が悪化? データが示すある関連性 コロナ自粛期間、夫婦の家事分担が進むかと思われたが……(※写真はイメージです/GettyImages) ハルメク生きかた上手研究所所長の梅津順江さん。著書に『この1 冊ですべてわかる 心理マーケティングの基本』(日本実業出版社)。  現役時代は仕事や趣味でお互い多忙な夫婦でも、定年後は一緒に過ごす時間が増える。良好な夫婦関係を維持するには、夫婦で家事をどう分担していくか、というのも重要な要素の一つだ。現在のシニア世代は家事分担をどう捉えているのか。また、コロナ禍で意識に変化はあったのか。現在発売中の週刊朝日MOOK『定年後からのお金と暮らし2021』では、シニア世代のシンクタンク機関に取材した。 *  *  *  平均寿命から考えると、定年退職後、15年以上に及ぶ夫婦二人の時間がある。この時間を穏やかで円満なものにするには、どうしたらいいだろう。  ヒントになりそうなデータが、2020年にハルメク生きかた上手研究所から発表された。 ■データが示す家事分担と夫婦仲の関連  同研究所は、50代以上の男女について調査・分析するシンクタンク機関だ。不定期に60~70代の既婚男女を対象に、夫婦関係に関する意識調査を行っている。昨年はこの調査に、家事分担の質問を加えたそうだ。 「コロナ禍の自粛期間で夫婦が一緒に家にいる時間が増え、家事分担が進んだのではないか。そんな仮説のもと、新たに質問を加えたのですが……」  所長の梅津順江さんが話す。「まず、夫婦関係への満足度を調査すると、18年の調査に比べ、自粛期間中の昨年5月は、“満足している”と答えた人が、男性で61・0%から76・0%に、15ポイントも増えています。ところが女性は68・8%から65・7%に、3ポイント以上減っていたんです」  この差は何か。外出自粛で夫婦関係が悪くなったという女性に理由を聞いたところ、家事分担に関する不満が続出したという。「昼食を作る手間が増えイライラする」「家事をしない夫にストレスがたまった」など。ちなみに、夫婦関係が良くなったと答えた人に理由を尋ねると、男女双方から、「話し合う時間が増えた」といった言葉が出た。 「一方、“現在の家事分担に不満があるか”という質問を全員にすると、“ある”と答えた男性は、全体の3%でしたが、女性は26%。先の質問で“夫婦関係に満足していない”と回答した女性にしぼると、約半数が、家事分担に不満を抱えていることが分かりました」  これらの結果から、コロナ禍で家事分担が進んだどころか、夫婦一緒の時間が増えて、女性の家事の負担感も増し、その負担感は夫婦仲の悪化につながりやすくなっていると、梅津さんは分析する。 ■夫婦関係が悪化するとお金のやりくりも困難に?  26%という数字を、「少ない」とみる人もいるかもしれない。この点は世代の違いを加味する必要があるようだ。 「調査対象の60~70代の女性には、“自分が家事をするのは当然” “少し手伝ってくれるだけでうれしい”と考える人が少なからずいます。しかし今の50代では、家事分担は50:50にすべきだという価値観を持っている人が多いようです」  50代以下を対象に調査した場合は、不満を持つ女性はもっと多いと考えられる。  では、互いに不満を抱えたまま生活を続けると、どうなってしまうのだろうか。梅津さんは数多くの取材経験から、「家庭内別居もある」と話す。 「二人とも家事を放棄してしまい、家の中が荒れ果てているご家庭も目にしました。実は夫婦仲が悪くなると、互いのへそくり額が増えるという調査結果があります。“この人といつまで一緒にいるか分からない”と思うと、今後に備えてお金をもっていたくなるようです。不仲の人の平均へそくり額は、1千万円を超えています」  これでは、定年後の計画的な資産運用なども無理な話だ。  コロナ禍の自粛期間が、定年後の生活の予行演習になったという夫婦も多いのではないか。この期間中に相手に不満がたまったという人は、今のうちに対策を講じるべきだろう。 「先述のように、会話の時間を持つと、夫婦関係が良くなりやすいようです。特に男性はコミュニケーションを求める傾向が強い。ところがシニアの方々と話していると、当の男性のほうが言葉足らずになっていることが多いと感じられます。夫が先に“ありがとう”とか“何をすればいい?”など声をかけるといいのではないでしょうか」  妻は今のうちに家事の手を抜くことを練習しておいてはどうか、と梅津さん。「昼食は麺」と決めたり、必ずしも手作りでなくてもいいことにしたり……。いずれにしても、夫婦で会話する習慣をつくっておくのが大切なポイントのようだ。 梅津順江(うめづ・ゆきえ) ハルメク生きかた上手研究所所長。マーケティング会社勤務等を経て、2016 年から現職。年間約1千人のシニア女性を取材し、誌面づくりや商品開発、広告制作を行う。著書に『この1 冊ですべてわかる 心理マーケティングの基本』(日本実業出版社)。 (文/松田慶子) ※週刊朝日MOOK『定年後からのお金と暮らし2021』より
「70歳からのハローワーク」が現実に 政府が進める「老後レス社会」
「70歳からのハローワーク」が現実に 政府が進める「老後レス社会」 68歳から警備員として働き始めた柏耕一さん (c)朝日新聞社 (週刊朝日2021年3月26日号より) 56歳でパナソニックからサノヤスHDに転職した米田康浩さん (c)朝日新聞社  私たちの人生から「老後」という時間がなくなる「老後レス社会」が到来する──。少子高齢化と人口減少に加え、所得格差の広がりによって、日本人の生涯は激変する。「死ぬまで働かないと生活できない時代」を生き抜く術とは?(朝日新聞特別取材班) *  *  * 「老後レス」という言葉を耳にして、あなたは何を思い浮かべるだろう。  キャッシュレス、コードレス、シュガーレスなどの単語でおなじみの「レス」は、「~がない」ということを示す英語の接尾辞(less)だが、それを「年老いた後」という意味の「老後」につけた造語だ。 「老後がなくなる」時代がやってくる。政府は、そんな社会に向けて着々と手を打っている。  4月1日から、70歳就業法が施行される。現在の法律は、企業に対して、定年廃止、再雇用などによって従業員が65歳まで働けるようにすることを義務づけているが、70歳まで延長して努力義務とする。フリーランス契約への資金提供や起業の後押し、社会貢献活動への参加支援なども選択肢として認める内容だ。  この「70歳定年」について、政府は将来的な義務化も視野に入れている。高齢者にできるだけ現役のままでいてもらい、年金などの社会保障の担い手を増やす狙いなのは明らかだろう。  安倍前政権が「一億総活躍」というスローガンを掲げたのは記憶に新しい。2019年10月4日に召集された臨時国会の所信表明演説で、安倍晋三首相(当時)は「65歳を超えて働きたい。8割の方がそう願っておられます」「意欲ある高齢者の皆さんに70歳までの就業機会を確保します」と語った。  この首相発言にネットはざわついた。「働かなきゃ食えないんだよ!」「大半の人は『働きたい』じゃなくて、『働かざるを得ない』ですよね」という反発が数多く書き込まれた。  この「8割」という数字は、仕事をしている人に分母を限定した数字で、回答者全体では約55%だったことがのちに明らかになる。自分の意思として働きたいのか、生活のために働かざるを得ないのか。多くの人が感じる老後不安は、派手なスローガンで覆い隠すには大きすぎるだろう。  老後レスで働く高齢者は、すでに身近なところにいる。  風雨が吹きすさぶスーパーマーケットの建設予定地で、当時73歳だった柏耕一さんは、セメントを運ぶ大型トラックを誘導していた。コンビニで買ったレインコートでは完璧な防水とまではいかず、尻までぬれた。これで日給9千円だ。 「年に数回あるかないかのキツイ現場。それこそヨレヨレになりました」  1946年生まれの柏さんがこんな厳しい現場に出続けるのは理由がある。「65歳を過ぎると、警備員以外で雇ってくれるところがない」  30年以上、書籍の編集プロダクションを経営し、300冊以上を世に送り出してきた。だが、競馬にのめり込み、不動産などへの投資も失敗。放漫経営のツケは、約2500万円の税金の未払いという形で回ってきた。  働く意欲も薄れ、「坂道を転げ落ちるように」会社の売り上げも激減していった。自営業で国民年金の加入期間が長かったこともあり、年金は夫婦を合わせても月6万円ほど。自宅を手放して移ったアパートの家賃6万6千円を含め、生活費を稼がないといけない。  手っ取り早く稼ぐため残された道が、68歳から始めた警備員の仕事だった。  月給は額面で約18万円。自宅近くで働くと知り合いに会うのがいやで、わざと電車で1時間以上離れた場所での勤務を選んだ。私鉄沿線で未明に仕事を終え、駅前の店の軒下で、冷たい風が吹きすさぶ中、始発を待つ惨めさは身にしみた。 ■働く高齢者多く80歳超の人も  警備会社で働いてみて驚いたのは、働く高齢者の多さだった。なかには80歳を超えた人も。取材班が2月に出した新書『老後レス社会』では、そんな警備業界の現状についても詳しく報告している。「超高齢化社会に進む現代日本の縮図がここにある」と柏さんは言う。 「働く場所があるというのは、高齢者にとっては救いです。80歳までできると思うと、安心感があるんですよ」  なぜ、老後レス社会が迫っているのか。その背景にあるのは、日本を待ち受けている巨大な変化にほかならない。  この国で、「少子高齢化」と「人口減少」という言葉を聞かぬ日はない。加えて、経済的格差は広がり続け、それにコロナ禍による景気低迷や失業の増加が追い打ちをかける。 「老後への不安」は、すでに日本社会の通奏低音となっている。前出の柏さんのように、老後になっても働かざるを得ない高齢者が目立ち始めているのは、決して個人の問題ではないのだ。  厚生労働省によると、2019年度にハローワークで新たに登録した65歳以上の求職者は約59万人に上り、10年前(2009年度)の約32万人の1.9倍近くにまでになった。また、労働政策研究・研修機構の調査(2015年発表)では、「60代が働いた最も主要な理由」は「経済上の理由」が最も多く、約58.8%を占めた。  70歳定年に加え、70歳超就労も広がれば、「70歳からのハローワーク」も現実のものとなるかもしれない。本来、喜ぶべきことであるはずの長寿化が不安をもたらし、人生最大のリスクとなっている。そんな社会に、私たちは生きている。  私たちは、いくつになっても働き続けるしかないのか。そんな暗澹たる気分にもなってくるが、高齢になっても働き続けることは、必ずしも絶望だけを意味しない。高齢になっても前向きに働き続ける人たちもこの本で紹介している。  亡くなる直前まで、生きがいを感じて元気に働き続けたケースも。千葉県柏市に住む鎌田勝治さんは76歳の時に、市内の特別養護老人ホームに「就職」した。  取材で施設を訪ねると、78歳の鎌田さんは、ベレー帽をかぶり、背筋をすっと伸ばして現れた。施設には要介護度の高い高齢者が多くおり、認知症を患った人も少なくない。その目の前の床を慣れた手つきでモップを使って拭き清めていく。 「仕事っていうのは楽しいもんだねえ。人と接して仲良くするというのがいい。70歳を過ぎてようやく気付いたよ」  鎌田さんは16歳から、有名靴メーカーの工場で1足3万円以上の高級紳士靴を1日25足、半世紀以上作り続けた。定年退職後も関連企業で働き、退職したのは70代半ばのことだ。  子どもたちは独立し、妻と二人暮らし。不足のない額の年金を受給しており、生活費に困っているわけではない。それなのに、なぜ働くことを選んだのだろうか。 「働いていた時とは勝手が違って、やることがないと戸惑っちゃってね。その点、ここの仕事はみんな楽しいんだよ。現役時代よりも、いまのほうが楽しいかもしれない」  自分が必要とされているという実感は何歳になっても大切だ。仕事は確かに、人に役割と居場所を与えてくれる。  鎌田さんはちょっと躊躇(ちゅうちょ)してから、思いもよらぬことを口にし始めた。 「実は半年ほど前、精密検査で胃がんが見つかったんです。働いて誰かと話していないと、つまらないことを考えてしまう。いまは医師からも良好と言われ、元気に働いています。いや、働いているから元気なのかな」  鎌田さんが亡くなったのは、取材から数週間後だった。 「働くのはもうやめたほうがいいと私は何度も言ったんです。それでも、あの人はいつも出かけていきました」と妻は語った。  彼にとって、「働くこと」イコール「生きること」だったのだろうか。限られた残り時間にも多くの人とつながり続け、最終ゴール寸前まで働き続ける。こんな人生の締めくくり方もある。 ■就労の社会実験 老後もいろいろ  実は、鎌田さんが暮らしていた柏市は、全国でも有名な高齢者就労の先進地域の一つ。というのも約10年前から、高齢者の社会参加を促す「実験」が行われていたのだ。  勤め人の多くが朝早く東京へ通勤し、昼間人口と夜間人口の差が大きい。そして、バブル時代前後に自宅を購入した団塊世代の住民が多く、現在は必然的に急激な高齢化が進んでいる。  この柏市の特性に目を付けた東京大学高齢社会総合研究機構が2009年、柏市役所と独立行政法人「都市再生機構(UR都市機構)」とともに、高齢者の「生きがい就労」を社会実験として進めた。  高齢者が働くことの利点について、社会実験の報告書はこう指摘している。 「働きに出ることは最も長年慣れ親しんだライフスタイルであって、明確な外出目的となる」 「就労の場では明確な自分の役割(居場所)が与えられる」  定年退職後の男性たちが、「粗大ゴミ」とまで言われるようになって久しい。確かに定年で長年の会社と別れを告げた男性たちは、同時に居場所、役割、話し相手、さらには人生の目的すら見失ってしまうことが多い。それに対して最も効き目がある処方箋(せん)が「就労」なのだろう。  先の見えない老後レス社会を見越して、早い段階で転職に踏み切り、高齢まで働く道筋を立て始めている人たちもいる。  コロナ禍で早期退職募集を始める企業が増えており、ターゲットにされているのはだいたい中高年だ。しかし、追い出すどころか、中高年に絞った中途採用をしている会社が大阪にある。機械設備の製造販売を手がけるサノヤスホールディングス(HD)だ。  米田康浩さん(60)は、2016年に56歳でパナソニックから転職した。当時、60歳の定年を前に今後の人生を考え、「もう一度新しい環境で挑戦したかった」と言う。  米田さんは1981年に新卒で旧松下電器産業に入社し、技術部門などを中心に計34年間を松下・パナソニックで過ごした。サノヤスHDに転職後は、グループ会社の合併や新工場の建設を担当している。現在はグループ会社の役員だ。 「パナソニックで培ったマネジメント能力はこちらで役立っている。第二のサラリーマン生活、楽しいですよ」と話す顔はすがすがしかった。  明治時代に造船会社として創業した同社は、時代の荒波を何度も乗り越えてきたが、1970、80年代の造船不況に苦しんだ時期、新卒をほとんど採用できなかった。そこで「管理職となる50代が足りない。一方で大企業にはそうした人材がくすぶっている」ことに着目。2013年からこうしたシニア採用を始め、いまでは22人が働くという。  高齢になれば、経済状況も、働く気力、体力も人それぞれだ。老後レス社会と言っても、高齢者の数だけ、働き方、生き方がある。人間はただ一人の例外もなく老いる以上、老後レス時代とどう向き合うかは、すべての人が自分ごととして考えなければならない。  限られた紙幅では書ききれないが、前掲書では、高齢者、そして予備軍まで、多くのケースを紹介している。  迫り来る高齢期を前に不安を募らせる就職氷河期世代や、社内失業状態の「働かないおじさん」、定年前に会社に見切りをつけ、地方に移住した人など、それぞれの人生の選択を、読者のみなさんはどう考えるだろうか。  これから先の数十年、日本の人口が減り続けることは、人口推計によってすでに確定している。ピーク時には年間100万人というすさまじいスピードで人口減少が進み、仙台と同規模の都市が毎年消えていくことになる。世界に類を見ない人口の大変動が日本をのみ込もうとしている時代、高齢者こそ、この国に残された最後の「人的資源」なのかもしれない。 ※週刊朝日  2021年3月26日号
眞子さま結婚問題アンケート1万3057回答で「反対」9割 宮内庁元幹部ため息
眞子さま結婚問題アンケート1万3057回答で「反対」9割 宮内庁元幹部ため息 眞子さま(宮内庁提供) (c)朝日新聞社  秋篠宮家の眞子さまと小室圭さんの結婚問題について本誌「週刊朝日」が行ったアンケートでは1万3057もの回答が寄せられ、「反対」が97%を超えた。コロナ禍で身内が命を奪われた家族も、経済的に苦境に立たされている人びともいる。そうしたなかで表に出た皇室への声を、どうとらえるべきか。 *  *  * 「おお、そこまででしたか……」  ちいさな、しかし驚きとため息が交じった声を漏らしたのは、宮内庁元幹部のひとりだ。  結婚に賛成はしない──。本誌が2月23日~3月5日の間に行った眞子さまの結婚問題に関するアンケートの回答者は1万3057人にも上った。詳しくは後述するが、そのうち1万2749人(97.6%)が「反対」の意を示した。 「ここまできたら、ご本人に任せるほか、ないのかもしれません。副作用はあるでしょうが……」  こう話していた宮内庁元幹部に、改めて本誌のアンケートに対する反響の大きさを伝えると、返ってきたのは冒頭のような声であった。  先月の誕生日会見で天皇陛下は、まさに、「多くの人が納得し喜んでくれる状況になることを願っております」と、答えている。「祝福」への道のりは険しそうだが、お二人の結婚への意思が揺るがないのも事実。 「湘南江の島海の王子」に選ばれた小室さん (c)朝日新聞社  眞子さまと小室さんは今年、30歳を迎えることから、元宮内庁職員の山下晋司氏は、2021年中に結婚の可能性も高いとの見方を示している。  皇籍を離れても、「特別待遇」の恩恵を受けた暮らしとなる。  皇室と元・旧皇族でつくる菊栄親睦会。眞子さまは正会員、小室さんと母の佳代さんは準会員の有資格者となる。上皇ご夫妻の長女、黒田清子さんが結婚後も晩餐会に夫婦同伴で何度も出席しているように、眞子さまも南米各国やブータンなどからの国賓を招いた晩餐会には、タキシードに身を包んだ小室さんを同伴して出席する可能性が高い。住居はセキュリティーのしっかりしたマンション。黒田清子さんの住まいもそうだが1億円を超えるであろうと予想される購入費には、皇族女性の結婚に伴う約1億5千万円の一時金が充てられるだろう。 秋篠宮さま(代表撮影) (c)朝日新聞社  しばらくは、地元の警察が警備にあたるなど高額な税金が投入される。  一般と同じ生活とはならない。まして議論されているように、結婚後も「皇女」や「女性宮家」として公務を行う制度が実現すれば、なおさらだ。  思い出されるのが秋篠宮さまが、結婚問題で、一貫して主張する憲法論だ。昨年11月の誕生日会見でも、秋篠宮さまはこう話した。 「憲法にも結婚は両性の合意のみに基づいてというのがあります。本人たちが本当にそういう気持ちであれば、親としてはそれを尊重するべきだと考えています」  この発言を多くの人は、長女の結婚を許すという意味にも受け止めた。しかし、朝日新聞の宮内庁担当記者であった石井勤さんは、根源的な問いを娘に突きつけた会見であったと指摘する。憲法は結婚の自由を保障する。だがその前に、第1条は天皇の地位を「主権の存する日本国民の総意に基く」と定めている。 「天皇を支える皇族も常日頃から憲法をよりどころにしています。秋篠宮さまが会見で憲法を持ち出したのは、『あなたは、国民の総意というものをどう考えるのか。私たちは皇族の一員として、憲法をよりどころにしてきたのではなかったか。国民の意見が賛否で大きく分かれるような結婚をあなたはどう考えるのか』と、眞子さまに暗に問いかけたのだと思っています。皇族としての原点をただす、厳しい問いだと、私は感じました」(石井さん) ◆アンケートに寄せらせた声 (週刊朝日編集部で作成)  アンケートはインターネット上で行い、届いた1万3057の回答の内訳は女性7062人(54.1%)、男性5995人(45.9%)。  年齢層は、60代が最も多い5959人(45.6%)。続いて50代2642人(20.2%)、40代2235人(17.1%)が占めた。まずは率直に、「眞子さまと小室圭さんの結婚をどう思うか」を問うと、「いいと思う」は、わずか149人(1.1%)。対して、「よくないと思う」は1万2749人(97.6%)。「どちらとも言えない」は159人(1.2%)だった。それぞれの回答理由は別表にまとめている。 天皇皇后両陛下と眞子さま  (c)朝日新聞社 「いいと思う」と答えた人の中には、<結婚したいと思える人はそう簡単に見つかるわけではないので、お互いが結婚したいと今でも思うのであれば、結婚させてあげても良いと思う。小室さんからの発言がないので、眞子さまへの今の気持ちや結婚の意思について話して欲しい>などがあった。大多数を占めた「よくないと思う」からは、<金銭問題や疑惑の数々を何年も放置して、眞子さまを矢面に立たせる人との結婚などあり得ない>や<眞子さまの成長を国民はお生まれになられた時から見守ってきているので、どうしてもお幸せになっていただきたい。だからこそ、いくら待っても誠意が全く見られない小室さんに不信感だけが募っていくばかりです>といった声が寄せられた。  昨年11月、眞子さまは小室圭さんとの結婚について宮内庁を通してお気持ちを公表した。これを受けてお二人の意思を尊重すべきだと思うかを問うと、「尊重する」は250人(1.9%)、「尊重できない」は12480人(95.6%)、「どちらでもない」は 327人(2.5%)だった。  どのような形であれば、お二人の結婚を祝福できるかを問うと、国から眞子さまに払われる「一時金」を受け取らず、皇室特権を利用しないなどといった意見があった。 (週刊朝日2021年3月26日号より)  さらに、「小室圭さんは宮内庁が求めた金銭問題の説明を行う必要があるか」については、「ない」が52%で、「ある」が48%だった。「ない」と答えた人の理由は、<なぜ一私人である小室さんにだけ説明責任を求めるのか。これまでの経緯の説明を国民に果たさなければならないのは、公人たる秋篠宮夫妻と当事者である眞子さまでしょう>など。「ある」と答えた人からは、<説明が今後もなければ、宮内庁、引いては皇室としての面目は丸つぶれ。だが、もう何を説明されようが遅い。都合のよい言い訳を並べられても、それを聞く時間が無駄だ。国民の疑念はもはやそこではない。多額の留学費や警備費の出どころ、多数の忖度の説明を求めている>などの理由があった。 天皇陛下(代表撮影) (c)朝日新聞社  また、2月23日の誕生日に先立った会見での天皇陛下の言及をどう思うかを問うと、次の感想が寄せられた。 <「多くの人が納得し喜んでくれるような状況」のお言葉に厳しさと思いやりを感じた。国民が喜ぶのはもう破談しかないが、眞子さまに向けて冷静になるように促したものだと考える。眞子さまは、「お気持ち文書」で天皇陛下も祝福されているかのように綴っておられたが、あれは間違っていたのではないかと思う> <昨年11月に公表した眞子さまの「お気持ち文書」と、この天皇陛下のお言葉の真意は、明らかに相反し矛盾している。この天皇陛下のお言葉を受け、眞子さまの考え方を聞く記者会見が必要であると思いました> <おめでたい誕生日の会見に宮家の問題についてお答えしなくてはならないことを本当に気の毒に思いました。この問題は宮家の当主で父親である秋篠宮さまが解決すべき> 2月23日~3月5日にインターネット上でアンケートを実施。計1万3057件の回答をもとに作成。 (週刊朝日2021年3月26日号より)  皇室は、こうした国民の声をどう受け止めるのか。(本誌・永井貴子、岩下明日香) ※週刊朝日  3月26日号に加筆 ※アンケートは2月23日~3月5日の間、インターネット上で実施。寄せられた計1万3057件の回答中4つの自由回答に対して、すべて空白だった回答は5435件だった。
「気持ちの区切りは必要?」 つらい過去を思い出す人にカウンセラーはどう答える?
「気持ちの区切りは必要?」 つらい過去を思い出す人にカウンセラーはどう答える? 写真はイメージです(C)GettyImages カップルカウンセラーの西澤寿樹さんが夫婦間で起きがちな問題を紐解く連載「男と女の処世術」。今回のテーマは「気持ちの区切り」。つらい過去の経験を思い出して、「区切りをつけないといけないのか」「区切りをつけられない私はダメなのか」などと思ったことのある人も多いことでしょう。そんな思いに対して、プロのカウンセラーはどうアドバイスするのでしょうか。 *    *    *  3.11から10年の「節目」ということで、新聞やテレビで特集や特番がたくさん流されました。  そういうのに浸っていると、被災者でない私すら、なんとなく、10年でひと区切りなのかなあという思いになったり、10年経ったのだから次のことに目を向けないとね、という無言の圧があったりするような気がしてきます。もちろん誰もそんなことを言っていませんし、まだあちこちに震災の傷跡が残っている現状で、被災者はもう気持ちに区切りをつけるべきだ、なんてことを言ったら逆にバッシングされる気がしますが。  社会政策としては、どこかで区切りをつけて政策を変えていかなければならないというのは理解できます。そういえば、延期になっているオリンピックも復興を掲げたものでした。  しかし、気持ちの区切りは人それぞれで、つらかった体験を受けとめ、あるいは横に置いて、さっさと区切りをつけた人もいるでしょうし、いまも全然区切りなんかつかない人もたくさんおられると思います。  そんな状況の時、カウンセラーはこういったことをよく聞かれます。 「もう区切りをつけないといけないのでしょうか」 「まだ区切りをつけられない私はダメなのでしょうか」  もちろん、「区切りをつけなければいけない」ということはありませんし、ダメだということもありません。区切りがついていない、というのは単に状態にすぎません。  たとえば「室温16度」というのは単なる状態ですが、その部屋にいて、 「快適だと感じないといけないのでしょうか」 「寒いと感じる自分はダメなのでしょうか」  というのと同じだと思うのです。  16度を快適だと感じる人もいれば、寒いと感じる人もいて、それが今のその人なので、いいも悪いもないはずです。  それでも「区切りをつけるべきなんでしょうか」という人もいるのでしょう。ただ、そもそも16度の部屋を「快適だと感じるべきでしょうか」という質問がナンセンスなように、「区切りをつけるべきか」も(聞きたくなる気持ちは想像できますが)ナンセンスな質問です。  寒くて、その状況を変えたいなら、変える方法を考えればよいだけのことですし、清少納言が「冬はつとめて」といったように寒さに浸っていたいなら、変える必要もありません。  問題があるとしたら、 (1)本人は変える必要性を本当は感じていないのに、周りの人や自分の頭の中にある考えによる圧力で変えなければいけないと思い込んでいる場合か、 (2)その状況を変えたいし、変えられるはずだと心のどこかで思っているのに、変えられないと自分に言い聞かせている(信じている)状況です。  大筋でいえば、(1)は「自分は変える必要を(少なくとも今この瞬間は)感じていない」ということに気づけばすっきりするはずです。自分の気持ちに区切りをつける、つけないは自由ですから、自分にとって必要なければ、変わらなくていいのです。それにもかかわらず、もし外から内心の区切りを強要することがあるとすれば、それは暴力的なことだと思います。しかし、長期間つらい思いをしている人を見るのはつらいので、外野の人たちは、良かれと思って「もうそろそろ……」と言ってしまいがちです。 ■30年以上前の「過去」は解決済みだったのか?  朝子さん(仮名、60代、主婦)が語ったのは、いわば「はるか昔の大地震の話」でした。  今から30年以上前の、結婚して数年、子どもがまだ小さかったころの夫の不誠実な行動がどうしても許せず、心の中から消えない、という話です。最初にお聞きした時にはあまりの時間の長さにびっくりしましたが、その後同じような話をされるクライアントさんが何人もいらっしゃいました。  朝子さんの話によれば、朝子さんが未就学児二人を抱えて本当に大変だった時に、夫の邦男さん(仮名、60代、会社顧問)は、仕事の飲み会を装って好意を持っていたらしい同僚の女性と一緒に飲みに行ったり、幼稚園の父母参加の行事の日にも仕事だといってその女性とゴルフに行ったりしていた、等々の話でした。性的関係については邦男さんも否定しますし、朝子さんも、それはなかったのではないかと思う、とおっしゃいます。  朝子さんが専業主婦で二人の子どもがいたこともあり、最初は我慢していたそうです。しかし、どうしても我慢できなくなり、お子さんが小学校に入ったころから何度かケンカして、邦男さんは謝罪し、仕事以外ではその女性と会わないと約束して一応は「解決」したのだそうです。その後、子どもの中学受験や邦男さんの転勤など生活上の様々なことに忙殺されて、時折思い出すことはあっても、どうにか頑張って来たのだそうです。  ところが、下の息子さんが就職して家を離れて以降、思い出すことが次第に増えたそうです。それが今では週に何回か不意に思い出し、手が震えたり、いてもたってもいられなくなって、邦男さんにストーカーのようにメールしたり、邦男さんが帰宅するのを待ち構えたように「なんであんなことしたの?」とか「本当は彼女と結婚したかったんじゃないの」とか、はたまた「あの前の日に、私がイライラしていたから、あなたは幼稚園の父母参観をさぼって彼女に会いに行ったの」などと詰問を止められなくなってしまったそうです。  朝子さんも邦男さんも、この状況を、先の(2)の「状況を変えたいし、変えられるはずだと心のどこかで思っているのに、変えられない」と認識されていました。だからこそ「どうしたら変えられるのか」を求めてご相談に来られました。  しかし、私の見立ては違いました。  私は、朝子さんが今直面している感覚としては、朝子さんはこの状況を変えたくないだろうと想像しました。お二人とも30年前の「事件」は、解決済みであることを前提にお話しされていましたが、朝子さんにとっても本当にそうなのか、疑問を感じたのです。  明るくしている人を見ると人は「もう乗り越えたんだ」「問題は解決した」と思いがちです。邦男さんもそう信じて来ました。  しかし、本当は違いました。30年前にケンカした時も、朝子さんは激高しながらも、一方で冷静に避けていたことがありました。「離婚」です。幼子二人を抱えた専業主婦の自分が、子供を育てていくためには、離婚だけは避けなければ、という点だけは常に冷静だったのです。朝子さんが「離婚」と言い出すこともなければ、話がそういう方向に振れないように注意しながらケンカしていたというのです。  なので、子供を育てる責任を全うした今、蓋が外れて、問題が再燃するのはある意味自然なことだったわけです。 ■夫を許せるのか。妻の答えは? 朝子さんに聞いてみました。 「お子さんを育てる責任がない今の感覚のまま30年前に戻ったとして、邦男さんを許したら楽になれるのだとしたら許しますか?」  朝子さんは強く否定しました。 「絶対許しません」  一呼吸おいて、 「でも、本当は許したいのかもしれません……いろいろあったけど、やはりこの人と一緒にいたいっていう気持ちが捨てられなくて……私ってダメですね……」  と言って涙ぐまれました。  逆説的ですが、「絶対許しません」と強く言い放った瞬間に、(1)の「変えなければいけない」いう思い込みが溶けました。これが溶けて初めて、(2)の「状況を変えたい、変えられない」という苦しみに直面することができます。  もちろん朝子さんは「ダメ」ではありません。ダメなのではなくて、「区切りをつけたいのにつけられない(=変わりたい気持ちと、変わりたくない気持ちが心の中で葛藤している)」ので、それは苦しいことです。  横でお聞きになっていた邦男さんに感想をお聞きしたところ、 「区切りをつけたいならつければいいのに、なぜそれができないのかが理解できませんし、そもそも、過去のことにこだわるより将来をどう生きるかを考えたほうがいいと思います」  というようなことをおっしゃいました。  その感想を朝子さんにお聞きすると、 「この人らしいな、と思います。許せないところもありますが……」  私が割り込んで、 「許せないんじゃなくて、許したくないんですよね」  と言うと、笑って言い直されました。 「ムカつくところ、許してないところはたくさんありますが、それでも自分はこの人が好きで一緒にいたいんだな、ということがわかったので、来てよかったです。許さなければ一緒にやっていけないと思っていましたけど、そんなことなくて、許さないことがあっても一緒にやっていくことは可能かもしれない、と思いました。」  とおっしゃいました。  自分の気持ちや心のありように、(良かれと)いろいろ言ってくる他人や自分のなかの一部がいます。社会生活を営むうえで、彼らの意見を参考にして自分の振る舞いに気をつけたほうがうまくいきやすいのは事実ですが、一方、周りが「寒くない」といっても、自分が寒いなら、自分にとってはそれが動かせない現実なのです。                         (文責・西澤寿樹) ※事例は事実をもとに再構成してあります。
浮所飛貴さん(美 少年)が表紙に登場! AERA進学ムック『カンペキ中学受験2022』発売
浮所飛貴さん(美 少年)が表紙に登場! AERA進学ムック『カンペキ中学受験2022』発売 『カンペキ中学受験2022』 ※アマゾンで発売中!  朝日新聞出版は3月19日(金)、AERA進学MOOK『カンペキ中学受験2022』を発売しました。コロナ禍で変わる学校選びの新基準や、2021年入試の最新情報を特集するほか、首都圏336の国公立&私立中学の独自調査データも掲載しています。表紙・インタビューには現役大学生の浮所飛貴さん(美 少年)が登場しています。  首都圏の中学受験生数はここ数年増え続けています。さらにコロナ禍で、オンライン授業などをいち早く取り入れた私立中高一貫校に、保護者からの注目が集まっています。 どこよりも早い中学受験情報誌として毎年評価をいただいている『カンペキ中学受験』の最新版では、「コロナで変わる学校選び」をテーマに、withコロナ時代に求められるチカラを育む私立中高を取材。このほか、2021年の中学入試速報、プロ家庭教師が教える志望校選びのポイントなどを特集しています。 さらに、首都圏の国公立&私立中学336校の入試難易度や進路状況、スクールライフ、カリキュラム、学費などを学校別に詳しく紹介。各校のICT環境についても初めて調査しました。 インタビューには、現役大学生のジャニーズJr.としてクイズ番組などで活躍する浮所飛貴さん(美 少年)が登場。自身の中学受験を振り返り、受験生にエールを送ります。 <主なラインナップ> ◯インタビュー 浮所飛貴さん(美 少年) 「第一志望はゴールじゃない」 ◯withコロナ時代に求められるチカラとは 私立中高独自の学びに迫る 広尾学園 田園調布学園 武蔵野大学 大妻 東京農業大学第三高等学校附属 駒場東邦 ◯こんな制服で登校したい! あこがれの制服スタイル ◯首都圏中学入試速報 今年の結果から2022年入試を予測 ◯ランキングではっきりわかる 中高一貫校の実力 ◯プロ家庭教師が指南 志望校選びはココを押さえる ◯首都圏国公立・私立難易度データ一覧表 ◯首都圏国公立・私立中学校MAP ◯カンペキ中学受験ガイド336中学校 「カンペキ中学受験2022」 定価:1900円+税 発売:2021年3月19日(金曜日) https://www.amazon.co.jp/dp/4022792736
子が1000万円以上損したケースも 配偶者相続に潜む“落とし穴”
子が1000万円以上損したケースも 配偶者相続に潜む“落とし穴” (週刊朝日2021年3月26日号より) (週刊朝日2021年3月26日号より) (週刊朝日2021年3月26日号より)  相続には配偶者を優遇する制度がたくさんあるが、使い方次第では損をする可能性も。配偶者の相続税負担を大きく減らす「配偶者の税額の軽減(配偶者控除)」と、昨年4月から始まった「配偶者居住権」の“落とし穴”について、専門家に聞いた。 *  *  *  相続税には、基礎控除(「3千万円+600万円×相続人の数」で計算)のほかに、「配偶者控除」という制度があり、相続財産は「1億6千万円」または、「法定相続分」のどちらか多いほうまで課税されない。  それもあってか、高齢夫婦の夫が亡くなり一次相続が発生した際、遺言書も残されておらず、相続税の申告期限(相続発生から10カ月後)までに相続人同士で十分な話し合いも持てない場合は、「配偶者控除もあることだし、とりあえず遺産は全部、お母さんに引き継いでもらおう」となることが少なくない。  しかし、こうした一次相続が“成功体験”となって「相続税恐るるに足らず」とたかをくくっていると、二次相続でとんでもない目に遭う。  都内在住の50代の男性のケースを紹介しよう。男性は2018年2月に父親を、1年半後に母親を、相次いで病気で亡くした。一次相続の際は、1億5千万円の課税財産を全て母親が承継したので、相続税はかからずに済んだ。しかし、二次相続では母親の財産調査で新たに実家から相続した預金が見つかるなどしたため、課税財産が1億8千万円に上り、相続人の男性と妹は2740万円もの相続税を払うはめになった。  当たり前のことではあるが、相続税の配偶者控除という“魔法の杖”が使えるのは一次相続に限定される。さらに二次相続では相続人の数も少なくなり、課税財産が膨らみがちになる。  相続支援サービス「夢相続」の曽根惠依誇代表は、「配偶者控除の節税効果は絶大であり、有効活用すべき」としながらも、「節税という観点からは二次相続とセットで考えていく必要があります」と指摘する。  例えば先の男性のケースで、一次相続の際に財産を法定相続分(母親が2分の1、男性と妹が4分の1ずつ)で分割していたらどうなっていただろう。一次相続で男性と妹が財産を受け取ることでそれぞれ373万円の相続税が発生するものの、二次相続の相続税額は860万円まで圧縮される。結果として、実際の相続と比べてトータルで1134万円もの負担が減る。  さらに曽根代表は、「配偶者控除を適用するには相続税の申告が必要。また、相続税の申告期限から3年以内に遺産分割を完了しなければならないことも頭に入れておかないといけません」とアドバイスする。  配偶者控除は「配偶者が取得した財産」に対するものなので、遺産分割協議がまとまらず相続税の申告期限までに配偶者の相続分が決まらない場合は適用されない。  こうした場合は未分割のまま期限内に申告して納税する必要があり、その際には合わせて「申告期限後3年以内の分割見込書」を提出しておく。配偶者控除を適用せずに申告しいったん納税することになるが、申告期限から3年以内に分割が完了すれば配偶者控除が受けられ、納付した相続税は還付される。これが曽根さんの言う「3年の期限」だ。  なお、“争続”で調停になるなどして3年以内の分割がかなわなかった場合も、事前に管轄の税務署長から承認を受けておけば分割完了時に配偶者控除が適用される。  配偶者控除の活用に関して曽根代表が注意を促すのは、妻が年上だったり、夫婦の年齢が近かったりするケースだ。 「高齢夫婦の多くは財産が夫に偏在しており、妻のほうが先に亡くなると配偶者控除のメリットをほとんど享受できなくなります。また、先の男性のように二次相続を視野に入れた対策を行っていなかった場合も、夫の死後に間を置かず妻が亡くなると、生前贈与などによる対策の余地がなくなってしまうので注意が必要です」  昨年4月から適用が可能となった「配偶者居住権」も、配偶者の相続を有利にする制度だ。  日本の相続では、自宅不動産が相続財産の大半を占めることが多い。相続人が配偶者と子どもで法定相続分に沿った遺産分割を行うとすると、自宅を相続した配偶者はほかの財産をほとんど受け取れず、今後の生活費に充てるための金融資産を確保するのが難しくなる。  制度の導入で自宅不動産を配偶者居住権と「負担付き所有権」とに分けてそれぞれの評価額で相続できるようになり、配偶者は「生活費に充てる金融資産」と「無償で自宅に住み続ける権利」を受け取ることが可能となった。  同時に注目されているのが、配偶者居住権設定による節税効果だ。設定後に配偶者が死亡すると配偶者居住権は消滅するが、その際、自宅とその敷地の所有者には相続税が課税されない。  資産税を専門とする税理士法人タクトコンサルティング情報企画部の山崎信義部長(税理士)は、配偶者が亡くなった際の二次相続で、相続人(子ども)が330平方メートルまでの自宅の土地の課税対象額を80%減額できる「小規模宅地等の特例」が使えるかどうかが一つの判断基準になると話す。 「子どもが既に自宅を所有するなどして小規模宅地等の特例の条件を満たさない場合は、一次相続で配偶者居住権を活用したほうが二次相続での相続税負担が軽くなります。一方、二次相続で子どもが小規模宅地等の特例の適用を受けられる場合は配偶者居住権を活用しないほうが相続税の計算上有利になることもあり、あらかじめ相続税額を試算して有利不利を判断する必要があるでしょう」(山崎さん)  しかし、この制度にも落とし穴はある。例えば、配偶者居住権を設定した後、配偶者が介護施設に入居せざるを得なくなったとしよう。入居金を払うために配偶者が配偶者居住権を換金したいと考えても、民法上、配偶者居住権は売却できない。  負担付き所有権を持つ子どもと合意すれば、配偶者居住権を消滅させ、その代償として子どもから金銭を受け取ることができるが、配偶者には所得税などが課される。  配偶者居住権や配偶者居住権に基づく敷地利用権を消滅させるに当たり、配偶者が子どもから相応の対価を受け取った場合は、「総合課税の譲渡所得」として扱われる。  一方、期間満了前に配偶者居住権を無償で消滅させたり、対価を支払ったが、それが評価額に比べて著しく低い金額だったりした場合は、負担付き所有権を持つ子どもに対し、基礎控除110万円を超えた金額に贈与税がかかる。配偶者居住権消滅時の評価額が1千万円だとすると、贈与税額は177万円にも上る。 「ただし、配偶者の将来の相続財産がそれほど多くなければ、相続時精算課税制度の利用で税金がかからない可能性もあります」(同)  相続時精算課税制度とは、60歳以上の親から20歳以上の子や孫への生前贈与について2500万円まで贈与税を非課税にし、贈与した親の相続が発生した際にその贈与財産をほかの相続財産と合わせて相続税を計算することができる仕組みだ。  配偶者居住権は、実務的にも取り扱いが難しい面があるという。遺産分割協議で設定しようとしても、高齢の配偶者の意思能力がネックとなってできない事態も起こり得る。だからといって元気な50~60代のうちから遺言などで設定しておくと、実際の相続が発生するまでの間に家族の関係性や経済状況、さらには税制自体が変わってしまう可能性がある。  スタートしたばかりの制度とあって、何らかの不都合が生じれば制度内容が大きく改定されることもないとは言えない。 「残された配偶者に自宅に居住し続ける権利と相応の金融資産を相続できるようにするという制度趣旨に沿った活用なら検討の余地がありますが、節税のためだけに使うというのはあまり勧められません」(同)  配偶者控除も配偶者居住権も適用には高度な専門知識が必要な場合もある。わからないことがあったら専門家に相談しよう。(ライター・森田聡子) ※週刊朝日  2021年3月26日号
日本の「夫婦同姓」先進国では“特異な規定” 改姓手続きのコストで「日本の生産性が損なわれている」
日本の「夫婦同姓」先進国では“特異な規定” 改姓手続きのコストで「日本の生産性が損なわれている」 婚姻届には「婚姻後の夫婦の氏」を夫か妻いずれの氏にするか選ぶ欄がある。先進国では特異な制度だ(撮影/編集部・上栗崇) 国会で夫婦別姓に反対する理由を問われた丸川珠代男女共同参画大臣は「私の意見に左右されないで国の政策を進めていただきたい」などと正面から答えるのを避け続けている (c)朝日新聞社  丸川珠代男女共同参画相が選択的夫婦別姓に反対する文書に名を連ね、批判を浴びる。姓を選べることで幸せになる人は増えても、反対派にとって不利益はないはず。今こそ、一進一退を繰り返す議論を前進させる好機だ。AERA 2021年3月22日号の記事を紹介する。 *  *  * 「先生におかれましては、議会において同様の意見書(編集部注:選択的夫婦別姓制度の実現を求める意見書)が採択されることのないよう、格別のご高配を賜りたく、お願い申し上げます」  こんな文書が今年に入り、自民党籍を持つ42道府県議会の議長宛てに送られた。文書の差出人は自民党の国会議員50人。国会議員が名を連ねて反対を迫る文書は、「圧力」だとして大きな批判を浴びている。 ■先進国では特異な制度  差出人の一人で、選択的夫婦別姓の導入に慎重な自民党有志の議員連盟「『絆』を紡ぐ会」共同代表の高市早苗衆院議員は9日、「国会議員は県議会議員に頭が上がらない。むしろ、お願いベースだ」と釈明。また、差出人には男女共同参画担当大臣に就いた丸川珠代参院議員の名もあり、ジェンダー平等を推進する閣僚として不適切ではとの疑問の声が噴出した。  選択的夫婦別姓とは、「夫婦が望む場合には、結婚後も夫婦がそれぞれ結婚前の姓を称することを認める制度」のことだ。  現在、民法では結婚後は夫婦どちらかの姓を名乗ることが定められている。法律上はどちらに改姓してもいいものの、実際には96%の夫婦が夫側の姓を名乗る。法務省によれば、夫婦同姓を法律で義務付けている国は先進国では日本だけで、世界的にも特異な規定だ。  改姓すると免許証の書き換えやクレジットカードの更新など膨大な手続きが必要になるだけでなく、旧姓のままで仕事がしにくかったり、仕事上は旧姓を使用できても海外でトラブルになったりする不利益が生じることがある。慣れ親しんだ姓を変えることで、アイデンティティーの揺らぎに悩む人も多い。  また、早稲田大学法学学術院の棚村政行教授と、制度実現を求める「選択的夫婦別姓・全国陳情アクション」(陳情アクション)が去年行った調査では、全体の1.3%、20代男性の2.4%が「別姓が選べないために結婚を諦めたことや、事実婚を選択したことがある」と回答した。棚村教授はこう指摘する。 「家族の法律は個人の尊厳や婚姻の自由を保った上で制定されるべきですが、名前という『個』を表す重要な要素に選択肢がない状態が続いている。改姓は女性の人権にかかわるものと考えられがちですが、男性にとっても重要な問題をはらんでいます」  ソフトウェア会社サイボウズ社長の青野慶久さんは言う。 「別姓が法的に認められないことで、会社は社員の戸籍姓と仕事で使う旧姓のふたつを管理しなければいけない。改姓手続きを必要とする機関の窓口にも無駄な負荷がかかっています。本来必要のないコストで、日本の生産性が損なわれています」  青野さんは2001年の結婚時に、妻の姓である「西端」に改姓している。その後さまざまな不都合に直面したことから、選択的夫婦別姓制度の実現を求めて発信を続けてきた。 「仕事では『青野』を使い続けていますが、今日も契約書に『西端慶久(青野慶久)』とサインしました。契約書にサインするときは法務部がその都度『青野』でいいのか『西端』にする必要があるのか確認するなど手間をかけています。また、このサインで婚姻という個人情報も漏れてしまう。不合理な制度です」 (編集部・川口穣) ※AERA 2021年3月22日号より抜粋
メーガン妃が「王室の人種差別」を告白 英国でもっとも支持を落とした人は?
メーガン妃が「王室の人種差別」を告白 英国でもっとも支持を落とした人は? 人種差別問題のほか、キャサリン妃とメーガンさんの「確執」についても語られた(gettyimages) インタビューの内容は英米各紙やソーシャルメディアの話題を独占。英国ではほぼすべての新聞が1面で取り上げた(gettyimages)  アメリカの特別番組で放送されたメーガンさんとヘンリー王子のインタビューが、イギリスの世論を分断している。一方で、メーガンさんによるパワハラ報道も浮上し、激しい応酬が予想される。AERA 2021年3月22日号から。 *  *  *  3月7日の日曜日、午後8時から2時間、アメリカの3大テレビ局の一つ、CBSはヘンリー王子(36)とメーガンさん(39)の特別番組を放送した。二人にインタビューしたのは、オプラ・ウィンフリーさん(67)だ。彼女が司会をする「オプラ・ウィンフリー・ショー」は、アメリカのトーク番組の中でも評価が高く、インタビュアーとしての腕は全米一といわれている。資産家でもあり、2010年12月、経済誌「フォーブス」によると彼女の収入約3億1500万ドルはエンターテインメント業界では1位だった。  メーガンさんはそれまで面識がほとんどなかったウィンフリーさんを2018年、ウィンザー城での結婚式に招待、特等席を用意した。メーガンさんは、いつかウィンフリーさんのインタビューを受けたいと願い、ウィンフリーさんも英王室の人気者ヘンリー王子を射止めたメーガンさんの話を聞きたいと希望。二人の思惑は完全に一致したが、王室にいる時には王室側から反対され、離脱から1年ほどが経ち、完全離脱を王室に告げた後に満を持して向かい合った。 ■王室全体がダメージ  番組は、アメリカで1700万人超、イギリスで1100万人超が視聴したといわれる。メーガンさんから、いくつかの衝撃的な発言があった。  まずは人種差別をほのめかした。生まれてくる赤ちゃんの肌の色は濃いだろうかという話が王室内でされたという。しかし、誰がいつどういう状況でした発言かは、その人にダメージが大きいから口にしないという。個人名を特定しないため、逆に王室全体が人種差別組織のようなイメージに染まってしまった。ただ、ヘンリー王子はこれは妊娠前の出来事であると話し、メーガンさんは妊娠中のこととするなど、微妙な食い違いがみられた。  さらに、メーガンさんは「生きているのが嫌になって、自死を考えたこともあった」と口にした。現在は英米共にメンタルヘルスを重要視しており、「困難を打ち明けたのは勇気がある」(アメリカ大統領報道官)と称賛する声が上がった。一方でイギリスでは、高価なブランド品を身にまとい、ロンドンとNYをプライベートジェットで往復してベビーシャワーを最高級ホテルで祝い、また育児休暇中にテニスのセリーナ選手を応援に再びNYに飛んだメーガンさんが、実は自死を考えるまでに思いつめていたのかと、驚く声が新聞のコメント欄などで見られた。  9日にイギリスのテレビに出演したメーガンさんの父親トーマス・マークルさん(76)は、自死まで考える妻を、夫であるヘンリー王子はなぜ守れなかったのかと疑問と不満をあらわにしている。  メーガンさんとヘンリー王子のこうした発言に、動いたのはエリザベス女王(94)だった。チャールズ皇太子(72)とウィリアム王子(38)に声をかけ緊急会議を開いた。異例の声明は早くもイギリスでの放映翌日に発表された。 ■若年層はメーガン支持  エリザベス女王はまず、「ハリーとメーガンにとって過去数年間がどれほど困難だったかを知り、家族全体が悲しんでいる」と気持ちを寄せた。次に「いくつかの記憶は異なるかもしれないが」とやんわり認識の違いを示唆しつつも、「提起された人種の問題は懸念される。真摯に受け止め家庭内で対応する」と確約した。  イギリス国内には、現在アジア系・アフリカ系などのマイノリティーが15%ほどいるとされ、その割合は年々増加している。また、英連邦にはアフリカやカリブの国が多く加盟している。こうしたなか、女王は人種差別問題に対して特に厳しい姿勢を取ってきた。  番組への反応は、イギリスとアメリカとで異なった。アメリカでは、ヘンリー王子とメーガンさんに同情的な意見が多く、イギリスでは世代によってその反応に差が出た。  3月9日に調査会社ユーガブが4656人を対象に実施した調査によると、「インタビュー後、王室とヘンリー夫妻のどちらに同情しますか」についての回答では、18歳から24歳までは王室が15%で夫妻が48%、50歳から64歳は46%と13%と逆転。65歳以上になると、55%と9%と大きく差が開く。女王の勤勉で献身的な奉仕ぶりを長く見てきた中高年は女王への敬愛の念が強く、若い層はヘンリー王子とメーガンさんの権威にチャレンジする姿勢に自由と勇気を感じるのだろう。  また9日の「メール・オンライン」のテレビ視聴者1056人を対象にした調査結果は、それぞれのロイヤルの評価を明らかにした。それによると、女王が2ポイント下がったものの、それ以上に目立ったのがヘンリー王子の15ポイントダウン。ロイヤルの中で最も下げ率が大きかった。メーガンさんが6ポイント下がったのに比べても際立つ。  ヘンリー王子は、女王、父、兄、義理の姉を痛烈に批判した。「父と兄は王室の枠にとらわれて、気の毒だ」という意味あいのことを言い放った。しかし、父は結婚式の礼拝堂で、トーマスさんの代わりに花嫁の手を引いてくれた。経済的援助もあったはずだ。義理の姉キャサリン妃を「お姉さん」と呼んで慕い、妃の手料理を幾度も家族と一緒に楽しんだはずではないか。女王はじめ家族は、何かとトラブルを起こすヘンリー王子を長く支えてきた。当初はヘンリー王子はメーガンさんの影響を受けているだけと王子を擁護する見方が多かったが、次第にヘンリー王子への失望が広がっている。母ダイアナ元妃の悲劇を繰り返しウリにするのはもうやめた方が良い、との声も上がっている。  テレビ番組が放送される数日前の3月2日、タイムズ紙はメーガンさんがケンジントン宮殿で暮らしていたころパワハラ行為があり、職員2人が辞職に追い込まれたとする王室関係者の話を掲載した。精神的に追い詰められ、泣き出したり、震えが止まらないと同僚にもらしたりする職員もいたという。スタッフが上層部に報告しようとしたところ、ヘンリー王子から「ことを荒立てないように」と懇願されたとある。 ■約10人が被害訴えた  王室は、「記事に書かれている内容について調査を行う。王室は、何年も前から職場における尊厳に関する方針を定めており、職場でのいじめやハラスメントを容認していません」と発表した。メーガンさん側は、「インタビュー放送前に完全に虚偽の話を広めるためにタイムズ紙が使われた」と反発した。  王室では退職者も含めて、10人ほどがパワハラ被害を名乗り出た。キーパーソンの一人がサマンサ・コーエンさんだ。女王の個人秘書として働き勲章を授与されたほど有能だった。女王は彼女ならと見込んでメーガンさん付きにした。しかし、メーガンさんはコーテシー(女性がするお辞儀の一種)も教えてもらっていないし、イギリス国歌もグーグルで調べるありさまだったと明かし、コーエンさんの努力は認識されていない。コーエンさんは1年ほどで王室から辞職した。  メーガンさんの元スタッフらは「サセックス・サバイバーズ(サセックス公爵夫妻のところで働いたが生き残った)」と名乗り、状況をつぶさに話すという。パワハラの調査結果を王室が公にすれば、メーガンさんは反論し、激しい応酬は裁判に持ち込まれるだろうか。 「ウォールストリート・ジャーナル」によると、CBSはオプラ・ウィンフリーさんの制作会社に700万~900万ドルを支払ったという。今回のインタビュー番組は、大金を手に入れ、70カ国以上に名前と顔が売れたオプラ・ウィンフリーさんの一人勝ちなのかもしれない。(ジャーナリスト・多賀幹子) ※AERA 2021年3月22日号
草刈民代「俄然お芝居が面白くなった」 きっかけは40代後半での学び
草刈民代「俄然お芝居が面白くなった」 きっかけは40代後半での学び 草刈民代さん 草刈民代さん 草刈民代さん  バレエダンサーとして文部大臣奨励賞を始め、数多くの賞を受賞し、その後は女優へ転身した草刈民代さん。その苦労を明かす。 *  *  *  ここ何年かは、話題のドラマで立て続けに印象的な母親役を演じている。絵に描いたような“日本のお母さん”ではなく、自分もまた葛藤を抱えているような母親役がピタリとハマる。 「若年性アルツハイマーを発症した娘の母親を演じた『大恋愛~僕を忘れる君と』にしても、娘に、自分ができなかった理想の人生を託した『私の家政夫ナギサさん』にしても、どうも最初から私がキャスティングされたのではなくて、巡り巡って私のところにきたみたい(笑)。でも、結果的にすごく私の見た目とか、私自身の気持ちにハマった役になりました」  草刈さんが、バレエダンサーを引退して女優に転向したのが43歳のとき。その2年ほど前から、「そろそろ引退の時期を決めないと」と考えるようになった。 「踊っていた頃、いずれ女優になりたいと考えたことは一度もないんです。むしろ、自分は女優には向いていないと思っていました。でも、自分の次のステップとして、“踊りで培ったものを昇華できる場所は何か”とじっくり考えたとき、パッと“女優”というイメージが湧いた。バレエを踊っていたときも、私が特に大事にしていたのは表現することだったので」  女優になって最初の5年ほどは、目の前にある役に向かい合うだけで精いっぱいだった。50代になる少し前、「映像の仕事に慣れていくだけでは、自分らしい女優としての表現には辿り着けない」と思い始めた頃、英国王立演劇アカデミーの元校長ニコラス・バーターさんの妻と知り合いになった。 「日本人の奥様が、『ぜひ、うちの主人のレッスンを受けて!』と誘ってくださって、レッスンを受けることになったんです。その前にも、アクターズスタジオ出身の先生のレッスンを受けるためにニューヨークに行ったりして。40代後半にして、新たに演劇のメソッドを学びはじめました。バレエもたくさんのメソッドがあるので、それを体得していく行為は、性に合っていたんでしょうね」  そこから潮目が変わり、踊りで培ったものと演劇がつながるようになってきた。  女優としての経験を積む中で、「自分に欠けているのは何なのか」に気づいた上で、芝居のメソッドを学んだとき、「ああ、だからか!」といろんな疑問が氷解したという。 「そこから、俄然お芝居が面白くなりました。一昨年は、バーター先生に私がプロデュースする2人芝居の演出をお願いしたんですが、そのときは、先生と一緒に戯曲探しから始めました。選んだのが日本初上演の作品だったので、夫(映画監督の周防正行氏)にも台本づくりに関わってもらって。演劇作品で、ゼロからの舞台づくりができたことで、演じることへの理解も深まったし、女優としての自分を少し信頼できるようになりました」 (菊地陽子 構成/長沢明) 草刈民代(くさかり・たみよ)/1965年生まれ。東京都出身。87年全国舞踊コンクールバレエ第一部第1位、文部大臣奨励賞を始め、数多くの賞を受賞。96年の映画「Shall we ダンス?」(周防正行監督)に主演し、日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞。バレエを引退後は女優に軸足を置きつつ、国内外の公演でアーティスト、プロデューサーとしても活躍。4月からドラマ「イチケイのカラス」に出演。 >>【後編/大人が成長するには? 草刈民代「“受け入れる”ことから始めてみては」】へ続く ※週刊朝日  2021年3月19日号より抜粋
あなたの友人は大丈夫? 福岡5歳児餓死事件や過去の類似事件にみる“モンスター”の共通点
あなたの友人は大丈夫? 福岡5歳児餓死事件や過去の類似事件にみる“モンスター”の共通点 福岡地検に送検される碇利恵容疑者 (c)朝日新聞社 尼崎連続変死事件/2011年にやはり監禁されていた40代女性が脱出して発覚。角田美代子元被告が複数の家族を支配し、金銭を奪うなどした。被害者らは長年共同生活を強いられ、死者・行方不明者はわかっているだけで10人以上とされる (c)朝日新聞社 AERA 2021年3月22日号より  当時5歳だった碇翔士郎ちゃんを餓死させた事件で、母親の碇利恵容疑者(39)とそのママ友の赤堀恵美子容疑者(48)が保護責任者遺棄致死容疑で逮捕された。事件の背景には「マインドコントロール」があったとみられており、赤堀容疑者は無関係のママ友の一人を暴力団関係者に顔が利く「ボス」に仕立て上げ、恐怖を植え付けるなどして碇容疑者を支配したという。こうした身近に潜む“モンスター”から身を守るにはどうしたらいいのか。AERA 2021年3月22日号で、過去の類似事件や危険人物の特徴を取り上げた。 ※【4人の看護師が夫を殺害…福岡5歳児餓死事件と「手法が近い」過去の事件とは】より続く *  *  *  背後の暴力団や闇の組織の存在をにおわせ、弱みを見せるとグイグイ付け込んでくる。このパターンは北九州監禁殺人事件や尼崎連続変死事件にも共通する。 ■笑顔で近付き情報得る  起訴された事件だけで7人の死亡(6人殺害、1人傷害致死)が確認されている北九州監禁殺人事件は、松永死刑囚が虐待と拷問で支配した家族同士を殺し合わせ、死体の処理もさせたという犯罪史上でも稀な凶悪事件だ。  尼崎連続変死事件は、主犯格の角田美代子元被告(12年12月、起訴勾留されていた兵庫県警本部の留置場で自殺、享年64)が25年以上にわたり、血縁関係のない男女を多数集めて疑似家族のように共同生活させていた。彼らの実家に狙いをつけ、些細な弱みを見つけて乗り込んでは暴力や脅しで財産を奪ったり、親族同士で争うように仕向けて家族崩壊に追い込んだりして、養子縁組制度を悪用して次々に家族を乗っ取った。  この2大凶悪事件の主犯に共通するのは、笑顔で近づいて仲良くなり、情報を搾り取ったタイミングを見計らって豹変したとみられる点だ。 「松永も角田も暴力団の影をちらつかせながら、恐怖で人間を操ることにたけていました。相手がグループになった場合は社会と隔離させ、グループ内でターゲットを1人決めて徹底的に追い込んで弱らせた。あと、子供を人質に取っておくと、離れて住む親も支配の構造から抜け出せないことを熟知していました」(同様の事件を扱う著書があり、松永太死刑囚との対話も重ねてきたノンフィクションライターの小野一光さん)  松永死刑囚は類いまれな「聞き上手」だったという。娘とともに監禁された父親は、ニコニコと相槌を打つ松永死刑囚に過去のヤンチャ話を話すうちに、かつて横領めいたことを起こした経験を吐露してしまい、その件について認める文書を書かされた。一連の事件に深く関与した内妻の家族を呼び寄せる際には、娘が既に人を殺しているということを強調し、同居する全員が共犯関係であることを強く意識させたという。 ■はっきり拒絶がカギに  著名人が霊能者などに傾倒して問題になるケースも多い。平成の大横綱、貴乃花が不調に陥った98年、突然兄の若乃花を「花田勝氏」と呼んで拒絶するようになり、懇意にしていた整体師から洗脳されているという疑惑がワイドショーを賑わした。  マインドコントロールとは異なるが、かつて霊感商法などが社会問題化した世界基督教統一神霊協会(現世界平和統一家庭連合)を巡っては、1992年に新体操の元五輪選手だった山崎浩子さんやトップアイドルだった元歌手の桜田淳子さんが合同結婚式に参加して話題になった。入信したタレントの飯星景子さんを、父親で作家の飯干晃一さんが「娘を取り戻す」と宣言して脱会させた経緯はワイドショーで連日報じられた。  また、教祖の麻原彰晃こと松本智津夫元死刑囚(18年死刑執行)に率いられたオウム真理教は信者や敵対する弁護士一家の殺害、95年の地下鉄サリン事件へと凶暴性を極限まで高めて瓦解した。  最下部のリストは、マインドコントロールを仕掛けてくる危険人物の特徴をまとめたものだ。もし彼らから標的に定められたら、どう身を守ればよいのか。小野さんは言う。 「彼らに共通しているのは、被害者としての資質を選別してリスク回避をすることです。強く抵抗したり、第三者に相談に駆け込みそうだと見定めたりしたらそれ以上深追いしない。実際に弁護士に相談しようとした動きを察知した途端、標的から外した例がある。最初から高い山には登ろうとしないのです」  大事なのははっきりと拒絶の意思を伝えること。捜査機関の影がちらつけば、彼らは自ら去っていく。(編集部・大平誠) <あなたの友人は大丈夫? マインドコントロールを仕掛ける危険人物の特徴> (1)笑顔で接近、親切な聞き上手 一見面倒見がよく魅力的。親身になって相談に乗ってくれることが多い (2) 脅しの材料を聞き出し豹変 つい家族の秘密や知られたくない過去を打ち明けてしまったら、その後の態度に注意を (3) 他者と隔絶させ孤立狙う 第三者に相談させないよう周囲との関係を断たせる。「○○さんとは話すな」は危険なサイン (4) 架空の黒幕をチラつかせる 「暴力団と関係がある大物」などとの親密な関係を誇示するのが常套手段 (5)共犯関係を作り上げる 悪事に引き込み、「やってしまった」と罪悪感を持たせることで逃げられなくする ※AERA 2021年3月22日号より抜粋
写真で地域おこしに貢献したい。小野悠介が写したハーブ栽培の「仙人」
写真で地域おこしに貢献したい。小野悠介が写したハーブ栽培の「仙人」 撮影:小野悠介  写真家・小野悠介さんの作品展「太陽と月の下」が3月16日から東京・新宿のニコンプラザ東京 ニコンサロンで開催される。小野さんに聞いた。  個展案内の写真の中でたくさんの紫色の花が輝いている。朝日を浴びた小さな畑。そこに髭をたくわえた長い髪の男が腰を下ろし、赤いはさみで花穂を一つひとつ丁寧に切り取っている。頭に巻かれた花と同じ色のバンダナ。雰囲気のある、絵になる人だな、と思った。  写真展は新潟県十日町松之山で自然の循環のなかで暮らすことを意識しながら「ホーリーバジル」を育てる嶋村彰さんを追った作品。嶋村さんの暮らしを幹に、家族や地域の人々の枝葉が広がっている。  ホーリーバジルは熱帯原産のハーブの一種で、「神目箒(かみめぼうき)」とも呼ばれ、嶋村さんはこれを栽培するだけでなく、茶やスパイスに加工して販売している。 撮影:小野悠介 紫色の花が一面に咲く景色に出合って感動。生産農家に転身  松之山は美しい棚田で知られる地域で、ブナのすらりとした幹が立ち並ぶ「美人林」や、「日本三大薬湯」の一つ、松之山温泉がある。冬になると例年3メートル以上も雪が積もる豪雪地帯でもある。 「写真好きのおじさんがよく来ていますね。ほんとうに里山という言葉が似あうところです」  もともと、嶋村さんは埼玉県出身で、高校卒業後はスノーボード好きが興じて新潟県長岡市に移住した。しかし、数年後に新潟県中越地震で被災。仮設住宅で暮らした後にアジアを放浪し、帰国後は山小屋や森林組合で働いた。  松之山に腰を落ち着けたのは10年ほど前。十日町市出身の真友子さんと結婚。黒倉集落の古民家を改築して暮らし始めた。冬は道路までの除雪がひと苦労だが、越後三山が望める高台で、日の出とともに朝日の当たる素敵な場所だ。  当初は森林整備などの仕事をしていたが、長野県大鹿村でホーリーバジルの紫色の花が一面に咲く景色に出合って感動。松之山にも「この風景をつくりたい」と、自宅の庭に植えた。それが茶葉になると知り、販売を始めたことがきっかけとなり、いつの間にか生産農家になった。 撮影:小野悠介 人と触れ合ってみたい。小さいコミュニティーに飛び込んで撮ってみたい  話を聞いて面白いと思ったのは、2年前、初めて小野さんが嶋村さんの自宅を訪れた際、ホーリーバジルの花畑を写した写真を見せてもらい、「ぼくもこの光景を見てみたいと思った」ことだ。この紫色の花には人を引きつける不思議な魅力があるらしい。  小野さんには本格的に写真を学び始めたころから「何か、地方を盛り立てることに貢献したいという思いがあった」。「その手段の一つが写真だった」と言う。  日大経済学部で地域創生、いわゆる「地域おこし」を専門に学び、2015年からは2年間、日本写真芸術専門学校夜間部に通った。  そんなわけで「人と触れ合ってみたい、どこか小さなコミュニティーに飛び込んで撮ってみたい、という気持ちがあった」。  専門学校時代は伊豆諸島・利島と十日町市・池谷集落に通い、取材した。利島を写した作品「島の環」は17年、コニカミノルタ フォト・プレミオ年度賞特別賞を受賞。  今回のインタビューでは「島の環」「太陽と月の下」、二つの作品を見せてもらったのだが、島の人々と風土を写した前作に対して、「太陽と月の下」は撮影範囲がぐっと狭まり、嶋村さんの家族写真を見るような印象を受けた。 撮影:小野悠介 直感的に決めた撮影。「撮ったら絶対に面白いことがありそう」  その地域に入り込んで、撮るか、撮らないかを決めるのは、「直感的なものだったりする」そうで、嶋村さんを撮ると決めたときもそうだった。  19年春、池谷集落を取材していた小野さんは、「十日町市には『仙人』と呼ばれる人が何人かいる」ことを耳にする。その一人が嶋村さんだった。  興味を持ち、本人を訪ねると、「撮ったら絶対に面白いことがあるんじゃないかと、すごく可能性を感じました」。そして「この農家さんの1年って、どんなだろう、という感じで」、松之山に通い始めた。  取材は短いときで2泊3日、長いときで1週間くらい。1カ月に1回ほどのペースで嶋村さんを訪れた。「農作業の時期に合わせたり。『行事があるからおいで』、とか」。  ホーリーバジルの栽培は春、水を張ったお椀に黒いゴマ粒のような種を浸けるところから始まる。 「種がねばねばしたものをまとってくるので、それを土に埋めて、芽出しをするんです」  植木鉢のような形をした育苗ポットで苗を育て、10センチほどの大きさになったところで畑に植え替える。  夏になると、みずみずしい紫色の花穂が伸びてくる。朝日を浴びた畑に腰を下ろし、少し葉のついた花穂を花茶やスパイスの材料にする分だけ切り取っていく。  秋は本格的な収穫シーズン。大きく育ったバジルを根元から刈り取る。傷んだ葉を取り除いて束ね、天井に張った縄につるし、3週間ほど干す。乾燥したら「穂ガラ取り」。花と葉を枝から指でしごき取る。  どれもとても手間のかかる作業で、それが写真からも伝わってくる。嶋村さん一人ではこなせないので、祖父母や集落の友人の手を借りる。口コミやインターネットで募ったボランティアや農業体験の学生も訪れる。  そして、雪の季節がやってくる。 撮影:小野悠介 「作品で地元にお返しをする。十日町でも展示します」  嶋村さんは「つらさがあるからこそ、幸せをより幸せに感じられる」と言う。  冬になれば毎日、毎日降り続く雪。農家の仕事もなくなる。週に2、3回はスキー場でアルバイトをする生活。黙々とリフトの雪を払う嶋村さんの姿。そして家の周囲の除雪作業。道路から家までの小道は雪の谷間のようだ。それを広げるため、固くしまった雪によじ登り、切り崩す。  見るからに大変な力仕事だが、意外にも、嶋村さんはこう語る。 <冬の暮らしが最高ですね。夏は農作業でかなり忙しいのですが、冬は雪と向き合うだけでいい。家族との時間も多くなるし、なかなか出ないお天道様(太陽)のありがたさも分かります>(「市報とうかまち」平成26年12月10日号) 撮影:小野悠介  晴れた日はスノーボードをしながら、愛犬「サン」との散歩。日本酒やどぶろくを酌み交わす集落の集まり。年明けには積み上げた稲わら燃やす「どんど焼き」がある。お年寄りだけでなく、若い顔もけっこうある。最近は仲間たちと温泉水からの塩づくりも始めた。  星降る夜の雪の谷間。その向こうに、温かみのある明かりのともった嶋村さんの家が見える。妻と3人の子どもたちとのだんらん。作品はそこで終わる。 「太陽と月の下」というタイトルには、嶋村さんの暮らしのなかにある「陽と陰」の思いを込めた。  写真展案内のはがきのデザインは、嶋村さんが販売する茶のパッケージを描いた十日町市在住のデザイナーに依頼した。 「地元のデザイナーさんとも何かやりたかったんです。それに、利島の作品のときは東京で展示しただけで、心残りだったので、今回は作品で地元にお返しをする。十日町でも展示します」                   (文・アサヒカメラ 米倉昭仁) 【MEMO】小野悠介写真展「太陽と月の下」 ニコンプラザ東京 ニコンサロン 3月16日~3月29日 十日町情報館 4月3日~4月5日
「青天を衝け」で注目の「論語」 片付けができない10歳の娘に父親ができることを助言
「青天を衝け」で注目の「論語」 片付けができない10歳の娘に父親ができることを助言 山口謠司先生 ※写真はイメージです(写真/Getty Images)  NHK大河ドラマ「青天を衝け」の主役である実業家・渋沢栄一が信奉していたことで、いまふたたび「論語」が注目されている。論語は、2500年前の思想家・孔子の教えをまとめた書物で、生き方の指針となる言葉の宝庫だ。「仁(=思いやり)」を理想の道徳とし、企業経営だけでなく、迷える現代の子育てにも役立つ言葉がたくさんちりばめられている。現代の親の悩みに対する処方箋として、「論語パパ」こと中国文献学者の山口謠司先生が、孔子の格言を選んで答える本連載。今回は、「片付けられない10歳の娘」を心配する父親へアドバイスを送る。 *  *  * 【相談者:10歳の娘を持つ40代の父親】 片付けが苦手な10歳の娘に悩んでいる40代の父親です。遊んだあとは散らかしっぱなし、学習机はプリントの山。できないことを指摘すると「わかっている」「うるさい」と怒り返してくるし、親が手を出して片付けることはもっと嫌がります。部屋の中が常に汚いため、掃除が大変になってしまい、やる気が低下し、ますます掃除しなくなるといった悪循環に陥っているようです。このように言う私自身も、片付けが得意なほうではありません。娘に片付けを習慣づけさせたり、整理整頓の意識を育てたりするにはどうしたらよいでしょうか。 【論語パパが選んだ言葉は?】 ・子曰わく、「恭にして礼なければ則(すなわ)ち労す。慎にして礼なければ則ち(し)(くさかんむりに思)す。勇にして礼なければ則ち乱る。直にして礼なければ則ち絞(こう)す。君子、親(しん」に篤ければ、則ち民仁に興(お)こる」(泰伯第八) ・曽子曰わく「士は以て弘毅(こうき)ならざる可(べ)からず。任重くして道遠し」(泰伯第八) 【現代語訳】 ・孔子がおっしゃった。 「恭しさも礼にかなったものでなければ骨が折れるだけである。慎重さも礼にかなったものでなければ卑屈と思われるだけである。また、勇ましくても礼にかなったものでなければ乱暴なものになり、正直であっても礼にかなったものでなければ辛辣なものになる。もし君主が親族に対し手厚い態度をとるようにすると、それを見習って人民に仁愛の心が育まれていくようになる」 ・曽子が言った。 「教養のある人(上に立つ人)は、広い包容力と強い意志を持たなくてはならない。その任務は重く、その道ははるか遠いからである」 【解説】  お答えします。相談者さん、お子さんに「片付けを習慣づけさせたり、整理整頓の意識を育てたり」するためにお父さんができることは、ただ一つ。自分がそれをすることです。嫌がって片付け、整理整頓をしてはいけませんよ。鼻歌を歌いながら、ニコニコの笑顔で、楽しく明るく、元気にやってください。仕事も同じです。料理や掃除も同じです。苦手なことをやっているときこそ、楽しくやるのです。そうした態度は、すぐにお嬢さんも気づき、きっと楽しく日々の片付け、整理整頓をやってくれるようになるでしょう。  孔子はこんなふうに言っています。 「恭にして礼なければ則ち労す。慎にして礼なければ則ち(し)(くさかんむりに思)す。勇にして礼なければ則ち乱る。直にして礼なければ則ち絞す。君子、親に篤ければ、則ち民仁に興こる」  訳すと、次のようになるでしょう。 「自分が恭しい態度でいることは大切だが、礼にかなったものでなければ骨が折り損になってしまう。勇ましさがあるのは大切だが、礼にかなったものでなければ乱暴なものになってしまう。正直であることは大切だが、礼にかなったものでなければ辛辣なものになってしまう。もし、人の上に立つ君主が、自分の親族に手厚い態度をとるようにするならば、その影響を受けて、人民に仁愛の心が育まれていくようになる」  少し、ここに書かれた漢字について説明をしましょう。 「恭」という漢字は「心」を意味する「したごころ」と「ともにする」という意味の「共」で作られていて「心を一緒にすること」を表します。  お悩みの中で、お父さんはお嬢さんと「片付けの習慣、整理整頓の意識」を共有できないことを悩んでいらっしゃいます。それは、お嬢さんと心を共にするには、ご家庭に「礼」が足りないから。「礼」があれば、みんなが片付けや整理整頓を簡単に、楽しくできるようになるに違いありません。さて、それでは「礼」とは何でしょう。  ひと言で言えば「礼」とは「ルール」です。「社会規範」と訳されることもありますが、旧字体では「禮」と書かれました。これは、左側の「示」は「神様の依り代」、右側は「神様に捧げる果物や穀物を入れた祭器」を表します。古代中国の神官たちは、厳格な儀式のやり方に従って祭祀を行うことで、神託による人間社会の調和を教える役目をしていました。そこから「禮」とは、「人々の生活を調和へ導くための法則、あるいは決まり事」をいうようになりました。「礼」とは、どうすれば物や人との関係を調和に導くことができるかということを教えた「ルール」なのです。  すれ違ったら会釈をしたり、微笑んだり。そうした「礼」を実践するだけで人と人の間に調和が生まれます。家にある物を優しく扱う、あるべき場所に美しく置く、それだけでも生活空間にゆとりができ、調和を与えることができますね。家族のみんなが心から、「調和を求めるルール」に従った生活をしていると、片付けや整理整頓は簡単に、楽しくできるようになるのではないでしょうか。  また、孔子が言う「直」とは「心の目」のこと。しっかりと自分が目的とするものに心を向ける素直な視線のことを言います。もちろんそれは大切なのですが、ここでもルールがなければ「絞」になってしまいます。「絞」とは、「自分だけが正しい」と思って「人を絞り上げる(=責める)ことばかりを考えるようになること」を表します。相談者さん、お嬢さんの態度を「できないことを指摘すると怒り返してくる」ように感じているというのは、お父さんご自身が「絞」になっているからではありませんか?  そんな頑なな態度にならないために必要なものが「礼」、すなわちあらゆる人間関係の中にある「ルール」なのです。それぞれ人は違います。親子であっても、夫婦であっても、見方・考え方は、決して同じではありません。だから、相手を尊重して、「責めないようにすること」が大切なのです。そうして、ただ「篤い心」で自分に親しい人を見守っていく。  孔子の弟子、曽子の名言があります。 「士は以て弘毅ならざる可からず。任重くして道遠し(=教養のある人は、広い包容力と強い意志を持たなくてはならない。その任務は重く、その道ははるか遠いからである)」  10歳のお嬢さんにとって人生はまだ始まったばかり。片付けや整理整頓がなぜ重要なのかという意識は、ほとんどないでしょう。父親である相談者さんは、どうですか? 部屋が整っていれば、仕事もスムーズに運ぶし、何かを探すのに余分なエネルギーやイライラをなくすことができると知っていますよね。そうであれば、笑顔で、元気に片付けや整理整頓をやってみてください。 「そんなに楽しいことなら私もやる!」と、お嬢さんも自然に、片付けや整理整頓の習慣を身につけることができるようになるのではないでしょうか。 【まとめ】 「礼」、すなわち人間関係や空間を調和に導くための「ルール」に従えば、自然と片付けや整理整頓の習慣は身につく。まずは父親が楽しく実践して 山口謠司(やまぐち・ようじ)/中国文献学者。大東文化大学教授。1963年、長崎県生まれ。同大学大学院、英ケンブリッジ大学東洋学部共同研究員などを経て、現職。NHK番組「チコちゃんに叱られる!」やラジオ番組での簡潔かつユーモラスな解説が人気を集める。2017年、著書『日本語を作った男 上田万年とその時代』で第29回和辻哲郎文化賞受賞。著書や監修に『ステップアップ  0歳音読』(さくら舎)『眠れなくなるほど面白い 図解論語』(日本文芸社)など多数。母親向けの論語講座も。フランス人の妻と、大学生の息子の3人家族。
渋沢栄一は女好き!? “本妻とお妾さんの同居”に一之輔「メンタル強すぎ」
渋沢栄一は女好き!? “本妻とお妾さんの同居”に一之輔「メンタル強すぎ」 春風亭一之輔・落語家 イラスト/もりいくすお  落語家・春風亭一之輔氏が週刊朝日で連載中のコラム「ああ、それ私よく知ってます。」。今週のお題は「渋沢栄一」。 *  *  *  ちょっと前に1万円札がこの方になると聞き、「ほうほう、そういえばそんな人、日本史で習ったなぁ」と、息子の教科書を借りてきて、ぼんやりとそのお顔を眺めていると「かあさ~ん。爪切り、どこいっちゃったかな~?」と、台所に居る奥さんに、自分で捜せば何とかなるようなモノのあり場所を聞き、「目の前にあるでしょう!」と呆れられ、おまけに切った爪を辺りに飛ばして「ゴミ箱に捨ててくださいよ!」と怒られる、定年したばかりの人の好いお父さんに見えてきました。渋沢栄一。話すときに句点がなさそうな顔だなぁ、とも思います。だからつられてしまったの。「もー、お爺ちゃん。何が言いたいかわからないからハッキリしゃべってよ!」とか孫娘に言われてそう、渋沢栄一。いっそのこと区切りまくって「渋沢、栄一。」でどうだ? 間に読点、終わりに句点を入れるとちょっと主張がありそうなかんじです。少しの工夫でこんなに変わる渋沢栄一。驚いたか、孫娘よ。  平泉成と河原崎長一郎を足して、上からお湯をかけて10分どん兵衛にしたような、そんなお顔の渋沢栄一。平泉成も句読点を入れると、かなりトンガってるね「平泉、成。」。河原崎長一郎は長いから普通に句読点打ちたいよね「河原崎、長一郎。」。河原崎長一郎さん、懐かしいな。「意地悪ばあさん」の息子役でしたね。調べてみると歌舞伎の名優・四代目河原崎長十郎丈のご子息。父上は熱心な共産主義の信奉者で、中国の文化大革命を支持して日本共産党を除名されたり、所属していた前進座を除名されたり大変な方だったようです。あ、長一郎さんは『白い巨塔』の佃先生もやられてましたね。  ん? なんだっけ。そうそう、渋沢栄一だ。女好きだったらしい。艶福家。初めてこんな単語を書いたな。栄一のおかげ。「豊」と「福」で「色」を挟み撃ち。しかも渋沢。ダブルでサンズイ。栄一、びしょびしょ。なんでも本妻とお妾さんと同居していたとか。詳細は知りませんがメンタル強すぎ。子どもが20~50人いたそうで、ハッキリしていないというのがたまらない。『ウルトラの父』みたいなシンボリックなお父さんじゃなくてリアル子だくさん。  栄一は『日本資本主義の父』と言われているが、「『日本資本主義の父』の息子」「『日本資本主義の父』の娘」もたくさんいたし、「『日本資本主義の父』に本妻と同じ屋根の下で囲われていた妾の息子、娘」も存在したのです。  栄一が書いた『論語と算盤』が売れているそうだ。現代にも通じるビジネス書だって。『論語』って孔子様のアレでしょ。中国初のベストセラー。それに「と算盤」を付けて売っちゃうなんて商売上手。ということは、後追いで『論語と算盤』の下にまた「と〇〇」をくっ付ければ、バカ売れ間違いなし。『論語と算盤と男と女』『論語と算盤とYシャツと私』『論語と算盤と俺とお前と大五郎』とかね。  よくわからないから大河ドラマ『青天を衝け』を見てみましたが、どこに渋沢いるの? あれ? 平泉成出てるけど渋沢栄一役じゃない!? P.S.平泉成と河原崎長一郎はけっこう共演してる。 春風亭一之輔(しゅんぷうてい・いちのすけ)/1978年、千葉県生まれ。落語家。2001年、日本大学芸術学部卒業後、春風亭一朝に入門。この連載をまとめた最新エッセイ集『まくらが来りて笛を吹く』が、絶賛発売中 ※週刊朝日  2021年3月19日号
菅首相“銘柄”の黒川元検事長と菅原元経産相 一転して「起訴すべき」となった理由
菅首相“銘柄”の黒川元検事長と菅原元経産相 一転して「起訴すべき」となった理由 略式起訴される黒川元検事長(C)朝日新聞社 「起訴相当」とされた菅原一秀元経産相(C)朝日新聞社  去年5月、緊急事態宣言の最中、賭けマージャンをしていた問題で刑事告発され、起訴猶予になった東京高等検察庁の黒川弘務元検事長について東京地方検察庁が検察審査会の「起訴すべき」という議決を受けて再捜査。今度は一転して、賭博の罪で略式起訴することが14日までにわかった。黒川氏とともに賭けマージャンをしていた産経新聞記者2人と朝日新聞元記者は、不起訴となる見通しだ。    安倍政権時代、官邸の「守護神」と呼ばれた黒川氏。安倍晋三氏が首相の座から去った後も、黒川氏を「法律顧問」などと重宝していた菅義偉首相の影響力か、不起訴となっていた。  だが、昨年12月に出た検察審査会の「起訴相当」の判断は重かった。黒川氏は起訴猶予処分とされたが、賭けマージャンでカネを賭けていたことは検察の捜査でも立証されていた。起訴しない理由は「金額が少ない」というものだった。  だが、1円でも賭ければ、賭博となる。長く、検察の幹部だった黒川氏への“温情”ともみられる判断に対し、検察内でも異論が出ていた。検察幹部は苦しい胸の内を打ち明ける。 「再捜査して、検察が不起訴としても再度、検察審査会が起訴相当となれば、強制起訴されてしまう。黒川問題で検察の信頼は地に落ちたので、自らの手で処分すべきとの判断でしょう。罰金刑なら、ほとぼりがさめれば、黒川氏は弁護士になる道も残りますから……」  そんな中、もう一人、2月24日付で「起訴相当」と議決された人物がいた。自民党の衆院議員、元経産相の菅原一秀氏だ。菅原氏は、2017~2019年にかけて選挙区内の有権者に枕花名目で生花18台(計17万5000円相当)を送ったり、秘書に命じて自己名義の香典(計約12万5000円分)などを渡したりしたとして、公職選挙法(寄付の禁止)違反容疑で告発されていた。  20年6月に不起訴処分(起訴猶予)となっていたが、東京第4検察審査会は「起訴相当」と議決した。    菅原氏への捜査は、衆院議員で元法相の河井克行被告の公職選挙法違反事件と同時期にされていた。克行被告は、参院議員を辞職に追い込まれた妻の案里氏(有罪確定)とともに逮捕。  菅原氏も克行被告と同じカネのバラマキであり、犯罪事実は認められたにもかかわらず、起訴猶予処分となっていた。こうした検察の「えこひいき」的な判断には、大きな疑問があがっていた。  菅原氏の検察審査会の申立書では、以下のように計画的、常習的な手口を訴えられていた。 <秘書は、常に「菅原一秀」という文字が印字された香典袋を持ち歩き、選挙区内の有権者の逝去の情報を秘書が入手すると、「香典はいくらですか?」とLINEで尋ね、指示された金額を香典袋に包んで、秘書が代理持参していた> <秘書に選挙区内の有権者に関する逝去の情報を収集させ(しかも、その情報を入手し損ねると、「取りこぼし」とされて秘書は罰金をとられる)、報告を受けて秘書に金額を指示して香典を持参させていた>  それが検察審査会の「起訴相当」の判断につながったのだ。菅原氏の検察審査会の申立代理人の元東京地検特捜部の郷原信郎弁護士はこう話す。 「河井夫妻と菅原氏の事件の根本は同じ構図です。河井夫妻はやるが、菅原氏は目をつぶってと検察が裏で政権と取引でもしていたんじゃないかと思いたくなる。黒川氏の場合も、起訴猶予だったが、犯罪事実は検察の捜査で確定していた。起訴相当の議決が1度でも出れば、アウト。菅原氏も起訴猶予ですが、検察審査会は起訴相当の判断。検察はまさに大恥をかいた。検察は黒川氏と同様に菅原氏を起訴する道を選ぶのではないか」  自民党幹部はこう愚痴る。 「年内に衆院は解散、確実に選挙はある。すぐ菅原氏を議員辞職させて無所属で選挙に出してもいいのではないかという声もあった。しかし、4月25日投開票の衆院と参院補選、参院広島選挙区の再選挙、どれもが厳しい。3月15日までに菅原氏が辞めれば、同じ日程になるので、現実的じゃない」  それに菅原氏が今さら、議員辞職しても、起訴相当という判断はそう簡単に覆らないという。 「内閣の支持率も低迷するばかり。それにしても、黒川氏の立件、菅原氏の起訴相当の判断がなぜ、選挙前になるのか……。疑問を感じる」(同前)  河井克行被告の妻、案里氏は懲役1年4か月、執行猶予5年、公民権停止5年間の判決が出て、5年間は選挙に出馬できない。自民党の筋書き通り、菅原氏が議員辞職し、反省の態度を認められて、検察が不起訴と判断したとなれば、菅原氏は公民権停止もなく、次の衆院選にも再出馬できる。そうなれば、案里氏らとの公平性という観点で大きな問題となる。 「菅原氏も公職選挙法違反ですから、検察は起訴して、立件すべき。大事なのは事件が選挙に関連するということ。克行被告、案里氏の事件を見てわかるように、公民権停止で当面、選挙に出馬できない。菅原氏も河井夫妻と同様にカネをバラまいたのだから、次の選挙に出馬することは、絶対に許されない」(郷原弁護士)  検察の捜査の行方を注目される。(今西憲之) ※週刊朝日オンライン限定記事
評論家4人がすべて満点! アカデミー賞が確実視される映画「ミナリ」
評論家4人がすべて満点! アカデミー賞が確実視される映画「ミナリ」 監督 リー・アイザック・チョン/19日からTOHOシネマズ シャンテほか全国公開/116分 (c) 2020 A24 DISTRIBUTION, LLC All Rights Reserved. 監督 リー・アイザック・チョン/19日からTOHOシネマズ シャンテほか全国公開/116分 (c) 2020 A24 DISTRIBUTION, LLC All Rights Reserved. 「一家の中に誰もが自分の家族を見いだす物語」と高評価を得て、全米の様々な映画賞で次々と賞を受賞した「ミナリ」。今月発表される第93回アカデミー賞ノミネートでも作品賞、監督賞、助演女優賞などが確実視されている。  1980年代、農業で成功することを夢みる韓国系移民のジェイコブ(スティーヴン・ユァン)は、アメリカ南部のアーカンソー州の高原に、家族と共に引っ越してきた。荒れた土地とボロボロのトレーラーハウスを見た妻のモニカ(ハン・イェリ)は、いつまでも心は少年の夫の冒険に危険な匂いを感じるが、しっかり者の長女アン(ネイル・ケイト・チョー)と心臓に病を持つ好奇心旺盛な弟のデビッド(アラン・キム)は、新しい土地に希望を見つけていく。  やがて毒舌で破天荒な祖母(ユン・ヨジョン)も加わり、デビッドと一風変わった絆を結ぶ。しかし、水が干上がり、作物は売れず、追い詰められた一家に、思いもしない事態が立ち上がる──。 本作に対する映画評論家らの意見は?(★4つで満点) ■渡辺祥子(映画評論家) 評価:★★★★ 米国に来た韓国移民夫婦の間に生じる思惑の食い違いがほろ苦い。夢を追う夫、子供2人を抱えて平凡な生活を望む妻。あとから加わる祖母の家族への思い。そこで起きる衝撃の出来事によって、家族の絆はより強まりそうだ。 ■大場正明(映画評論家) 評価:★★★★ 監督の想いが込められた半自伝的物語と俳優陣の自然体で感情豊かな演技。大地や見えない世界や変わり者へのこだわりに表れた女性作家フラナリー・オコナーの影響が、ドラマに深みを生み出しているところも見逃せない。 ■LiLiCo(映画コメンテーター) 評価:★★★★ 不思議な魅力を持つ一本。この家族の日常に釘付け。それぞれがみんな努力してるからでしょう。そしておばあちゃんの登場で可笑しくなったり、とんでもない方向に。最後はさまざまな感情が入り交じった優しい涙でした。 ■わたなべりんたろう(映画ライター) 評価:★★★★ 監督の自伝的内容で、アメリカへの移民の話ながら、誰もが心の奥底に抱えているアイデンティティーと家族に関してを、今までにない視点と奥深さで描く。その考察力とバランス感覚が絶妙かつ、とても新鮮で琴線に触れる。 (構成/長沢明[+code]) ※週刊朝日  2021年3月19日号
上杉謙信と武田信玄 神仏の分捕り合戦に翻弄された戸隠神社
上杉謙信と武田信玄 神仏の分捕り合戦に翻弄された戸隠神社 明治時代に創建された謙信を祭神とする上杉神社 春日山城に立つ上杉謙信像 高野山奥の院にある上杉謙信廟  旧暦の3月13日は上杉謙信の命日である。3月15日に次の戦に向けて出発する予定でいたところ、居城であった春日山城で倒れ、昏睡状態のまま亡くなったようだ。享年49、死因は脳溢血だったのではないかと考えられている。妻帯せず子がいなかったことから、謙信の死後、家督騒動が持ち上がったことは大河ドラマにもなった話でご承知の通りである。上杉謙信といえば、宿敵であった武田信玄もこれに先立つ5年前に53歳で病死している。信玄の死亡は3年秘匿されていたというから、世間的には謙信と信玄は相次いで死去してしまった感じだっただろう。ここから織田信長の勢力が一気に増したと言える。 ●「毘」は謙信の軍旗に  上杉謙信といえば義に厚く、神仏に深く帰依していたというイメージが強い。5月の端午の節句に飾られる「五月人形」では「謙信兜」が人気が高いのだと言う。月と太陽をイメージした日輪と三日月の前立ちが特徴的な頭形兜(ずなりかぶと)は、「妙見信仰」の「太陽と月」をモチーフにしているとも言われているし、また、実際残る兜をかたどった迦楼羅(かるら)姿の飯綱権現が前立に乗る形のものもある。戦国時代の武将たちは総じて信仰心が高かったが、謙信がまとう装束は一層その傾向が強かったようだ。自らを毘沙門天の生まれ変わりと信じ、軍旗には「毘」の一文字が描かれていた。 ●武田信玄に対抗できる上杉謙信として  このような謙信のイメージは江戸時代につくられたものと考えられている。徳川家康が滅亡した武田氏の家臣たちを重用していたこともあったのだろう、太平の世で彼らが武田信玄を美化することを許していた。これに対抗した上杉家などが、軍神・上杉謙信の像を作り上げていったのである。滅亡してしまった武田家に対して、減移封されたとはいえ江戸時代にも家名が存続し続けた大名である。どんどん武将の鏡のようにあがめられていく武田信玄に不満もあっただろうことは想像に難くない。 ●武田信玄からの奉納が戸隠神社を窮地に  さて、実際に上杉謙信は深い信仰心を持っていたのかといえば、ある意味、臨機応変だったのではないかということが最近の研究から明らかになってきていて、謙信が150に近い数の寺社を焼き討ちしていたことが記録として残っている。  興味深いエピソードがある。5回に及ぶ川中島の戦さで覇を競った武田信玄が、戸隠神社(当時は戸隠山顕光寺)の大権現に戦勝祈願を奉納した(祈願文が現存)。武田信玄も自らを不動明王の生まれ変わりと自負するほど神仏に帰依していたことで知られ、戦さの前には筮竹(ぜいちく)の占いと侵攻先の神仏に祈願と寄進をこのようにしていたことがわかっている。この時、戸隠神社は上杉側と考えられていたため、これを受理した社に謙信は激怒、戸隠に出兵し、僧たちは出奔せざるを得なくなった。この後、武田と上杉の間で戸隠は翻弄され衰退、僧たちは長く武田氏配下であった大日方(おびなた)氏の土地に身を潜めていたようだ。戸隠神社が復興したのは、豊臣秀吉の時代、朝鮮出兵から戻った上杉景勝の手によってである。 ●戦国時代の寺社も生き残りをかけて  当時の上杉謙信が居城としていた春日山から戸隠山あるいは飯綱山までは50キロもない。信州の大部分は信玄の領地のように思いがちだが、北部は謙信の土地だったのである。川中島の場所も戸隠山よりさらに20キロは南側なのだから謙信の怒りも分からなくもない。実際、信玄と謙信の間では、神仏の分捕り合戦のようなことも起きている。戦国時代は、寺社にとっても身を寄せる武将を過つと存続の危機に瀕していた時代である。ある意味、戦国時代をくぐり抜けて存続している寺社は、力のある為政者側にいたことも大事な要因だったのだろう。 ●各地に残る謙信の墓碑  上杉謙信は亡くなったのち、亡きがらは鎧と太刀を帯びた装束で漆で密封された甕の中へ収められた。その後、上杉家は米沢藩へと移封されるのだが、この時もこの甕は米沢城の一角に安置されていたという。明治時代になり、歴代藩主とともに上杉家廟所に祀られることとなった。このほか、謙信が幼少を過ごした春日山林泉寺(上越市)、日本中の有名人たちの墓標のある高野山金剛峯寺の奥の院などにもお墓がある。毘沙門天、妙見菩薩、飯綱権現、大日如来と謙信が信仰していたという仏さまが記録からいくつも出てくる。幼少には曹洞宗、大人になって真言宗、晩年には天台宗のお寺に帰依していたとも言われている。信仰心の厚さはこの広く信じる心にあるのかもしれない。  今年、丑年は信州のお寺にとって大事に年になる。戸隠神社は数え7年(6年)ごとの岩戸開きがあり、式年大祭が行われる。本来ならば善光寺も同時にご開帳の予定だったのだが、コロナ禍のせいで来年に延期となった。来年の寅年にはこの戸隠と善光寺を先立ちとした、諏訪大社の御柱祭が行われる。共に丑寅(艮)年と未申(坤)年に欠かせない大事な行事として永く続くものである。艮は鬼門、坤は裏鬼門という風水から、そして仏教、神道、陰陽道など日本にある民間信仰を習合させたと考えられる行事の集大成がこの地に残っている。  まさに、上杉謙信の地元ならではの形である。善光寺の延期が残念でならないのだけれども。(文・写真:『東京のパワースポットを歩く』・鈴子)
日本映画批評家大賞は「星の子」が作品賞、「私をくいとめて」のんが主演女優賞
日本映画批評家大賞は「星の子」が作品賞、「私をくいとめて」のんが主演女優賞 作品賞の「星の子」で主人公を演じた芦田愛菜(C)朝日新聞社 「私をくいとめて」で主演女優賞を受賞したのん(C)朝日新聞社  第30回日本映画批評家大賞の受賞結果が3月10日に発表され、大森立嗣監督の「星の子」が作品賞を受賞した。主演女優賞に「私をくいとめて」ののん、主演男優賞には「山中静夫氏の尊厳死」から中村梅雀と津田寛治が選ばれた。  日本映画批評家大賞は、批評家だけの目で選んだ映画賞として1991年に発足。過去には大林宣彦監督の「青春デンデケデケデケ」(1992年度)や、若松孝二監督の「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」(2008年度)などが作品賞に選出されている。 「星の子」は今村夏子の同名小説(朝日新聞出版・刊)を映画化した作品で、新興宗教を信じる両親に育てられた中学生の少女の葛藤を描いた物語だ。主人公のちひろを芦田愛菜、永瀬正敏と原田知世がちひろの両親を演じた。  自ら「読書好き」を公言する芦田は、2020年9月に行われた「星の子」の完成報告イベントで「揺るがない自分の軸を持つことは難しいじゃないですか。だからこそ人は『信じる』と口に出して、不安な自分がいるからこそ、成功した自分や理想の人物像にすがりたいんじゃないかなと思いました」と、「信じること」の大切さを熱弁。映画では、怪しい宗教に傾倒する両親や想いを寄せる教師との関係のなかで、心揺れる中学生の女の子という難しい役どころを見事に演じきった。  また、「私をくいとめて」は主演女優賞と共に監督賞も受賞した。こちらも同名の小説(綿矢りさ・原作、朝日新聞出版・刊)を映画化した作品。初めて実年齢より年上の役、“31歳のおひとりさま”みつ子を演じたのんは、2020年12月の週刊朝日の取材で「全国のみつ子さん、みつ夫さんにとって、自分の中の『みつ子的な部分』を肯定してもらえる映画だと思っています。誰かと見ても、もちろん“おひとりさま”で見にいくのもよしです(笑)」と語っていた。  すべての受賞結果は以下の通り。 ◆作品賞 「星の子」 ◆主演男優賞 中村梅雀「山中静夫氏の尊厳死」 津田寛治「山中静夫氏の尊厳死」 ◆主演女優賞 のん「私をくいとめて」 ◆助演男優賞 宇野祥平「罪の声」 ◆助演女優賞 浅田美代子「朝が来る」 ◆監督賞 大九明子「私をくいとめて」 ◆新人監督賞 内山拓也「佐々木、イン、マイマイン」 HIKARI「37セカンズ」 佐藤快磨「泣く子はいねぇが」 ◆新人男優賞(南俊子賞) 宮沢氷魚「his」 奥平大兼「MOTHER マザー」 ◆新人女優賞(小森和子賞) 服部樹咲「ミッドナイトスワン」 佳山明「37セカンズ」 吉本実憂「瞽女 GOZE」 ◆ドキュメンタリー賞 「ムヒカ 世界でいちばん貧しい大統領から日本人へ」 ◆アニメーション作品賞 「劇場版 ごん - GON, THE LITTLE FOX -」 ◆脚本賞 天野千尋「ミセス・ノイズィ」 入江悠「AI崩壊」 ◆編集賞(浦岡敬一賞) 李英美「スパイの妻(劇場版)」 ◆映画音楽賞 渋谷慶一郎「ミッドナイトスワン」 ◆特別賞(松永武賞) 新文芸坐 ◆ゴールデン・グローリー賞(水野晴郎賞) 火野正平「罪の声」 ◆国際審査委員特別賞 チェ・ブラム                      (文:AERA dot.編集部)
「放射能が降っています。静かな夜です。」 詩人・和合亮一が「詩の礫」でつぶやき続けた福島への思い<現代の肖像>
「放射能が降っています。静かな夜です。」 詩人・和合亮一が「詩の礫」でつぶやき続けた福島への思い<現代の肖像> 福島県南相馬市の海辺で。高校教師としての初任地だが東日本大震災で大きな被害を受けた(撮影/東川哲也) 和合の創作ノート。彼の思考の跡が見えるようだ。夜は学校やレギュラーを持っているラジオの収録があるため、毎朝5時に起床し出勤までの時間を創作にあてる。多忙な毎日だが、彼は詩を書かずにはいられない(撮影/東川哲也)  詩人、和合亮一。東日本大震災発生の翌日、福島第一原発が爆発した。和合亮一がずっと住み続けていた福島が、放射能にさらされた。地震発生から間もなく、和合はツイッターで詩を呟きはじめた。それは怒りでもあり、故郷への思いでもあり、生きる術でもあった。和合の詩は、演劇になり、歌になり、今でも多くの人の心に届く。詩人としても、新しい境地を迎えようとしている。 *  *  *  2011年3月11日午後2時46分、東日本大震災発生。私の郷里である岩手県陸前高田市も地震と大津波に襲われた。その後はずっとテレビをつけっぱなしにし、パソコンでツイッターを見ながら情報収集を続けた。福島県では福島第一原発1号機がメルトダウン(炉心溶融)を起こし、12日には水素爆発で大量の放射能を放出。続けて3号機、2号機、4号機と事故は連鎖していった。  5日後、突然ツイッターに詩人・和合亮一(わごうりょういち)(52)の呟きが流れ始める。その数、3月16日だけで50近く。 「放射能が降っています。静かな夜です。」 「あなたにとって故郷とは、どのようなものですか。私は故郷を捨てません。故郷は私の全てです。」 「現代詩の旗手」と呼ばれた和合が、洗練された前衛的表現をかなぐり捨てて、生の言葉を叩きつけるように書き込んでいることに衝撃を受けた。すでに福島県からは続々と避難者が出ていた。  和合は当時勤務していた県立保原(ほばら)高校で地震に遭遇した。家の中がぐちゃぐちゃになりライフラインが途絶したため、しばらく福島市内の避難所で過ごしたが、原発事故はさらに彼を追い立てた。 「原発で働いていた教え子が、危ないと連絡をくれたんです」(和合)  だが両親は「故郷を離れたくない。お前たちは逃げろ」と言った。和合は両親と共に福島に残ることを決意し、妻と当時小学校6年生の一人息子を山形県に避難させた。福島では情報が錯綜し、人々はパニックになっていた。自分の命もどうなるかわからない。「これが妻子との今生の別れになるかもしれない」と覚悟した。    やがてツイッターでのつぶやきは「詩の礫(つぶて)」として世に知られるようになっていく。それまでは難解な現代詩を発表し詩壇で高く評価されていたが、一般的には無名に等しかった。そんな彼が「詩の礫」で一気に有名になり、原発事故が落ち着いた後も福島からの発信者、福島の代弁者としての活動を続けてきた。  福島市で育った和合はおばあちゃん子で、大人しく優しい少年だった。小学校3年生の春、同じ学校に妹が入学してきた。母・タケ(76)は、 「学校に慣れない妹が靴を取り違えたりしてはいけないと、いろいろ世話をしてやったりするんです。『そんなことやんなくていい』と言ったんですけどね。亮一はいつもそんな風でした」  と話す。身体は大きかったが、喘息だったせいもあって運動は苦手。おまけに大の野菜嫌いだった。給食が食べられず、毎日教師から見せしめのように残されたり叱られたりした。それがつらくて学校ではいつも怯えていたという。 「本来は饒舌な人間なのに言葉を失っていたというのかな。5年生で郡山の小学校に転校するまでそんな風でした。今でも昼間、理由もなく不安になることがありますが、何か子ども時代とつながりがあるんでしょう。それがまた、ものを書くことへと自分を走らせているように思います」(和合)  中学2年生の時、父・隆(83)が病気で倒れ、仕事をやめざるを得なくなった。食べるに困ることはなかったものの、思春期の和合には将来への悩みがいつもつきまとった。地方育ちの少年らしく東京への強い憧れはあったが、両親を置いて福島を出ていく状況にはなかったのである。  高校は県下一の進学校である福島高校に進む。2年生の時、それまで続けていた剣道を辞めて演劇部に入った。部室の壁に唐十郎の芝居のポスター(横尾忠則デザイン)が貼ってあり、アングラに興味が湧いた。詩にも関心を持ち始めた。タケに、「お母さん、詩人ってどこからお給料をもらうの?」と訊ねて驚かせたのはこの頃のことだ。 「僕も東京の大学へ行って、演劇をやったりライターのような仕事をしたりしたかったんです。でも、それはできないと諦めていました」  タケによれば、息子が葛藤を親に告げることは一切なかったという。ただ目標が持てず、学校の勉強がおもしろいとは思えなかった。帰宅すると、悶々とする心をなだめるように1時間も2時間もランニングをする。走る彼を包んでくれたのは、四季折々に美しい福島の自然だった。緑、風、光。真冬の雪の日も休まなかった。顔に雪が降りかかる感触は今も忘れられない。  大学は自宅から通える国立福島大学に進んだ。国語が好きだからという理由で、教育学部の中学校国語科に入学。大学1年で萩原朔太郎の詩を知り、創作活動をしたいと思い始めた。2年生の時、ノーベル賞候補にもなったシュールレアリスム詩の巨人・西脇順三郎研究で知られる澤正宏(74)と出会う。当時教授だった澤は1年間詩論の講義を担当しており、和合はそれを熱心に聴いていた。 「ある時彼は、僕の部屋に入ってくると『詩人になりたいのです』と言いました。『これは大変だ!』と思ったけれど、書くにしても喋るにしてもよく言葉の出る男でしたから、可能性があると思いました。演劇をやっていたので、劇的な詩を書く時のコツみたいなものは持っていましたね」(澤)  和合は詩作に没頭し、作品ができるとすぐ澤のところへ持っていった。 「当時の澤先生は徹夜で論文を書く方だったんですが、徹夜明けに僕がニコニコしながら詩を持っていくんですから大変だったでしょうね(笑)」  澤は熱心に和合を指導し、「東京に住んでいないと詩人は不利だ」と塞ぎ込むこともあった彼に、こんなことを言った。「それは逆だよ。詩人というのは環境を変える力を持っているんだ。宮澤賢治がそうだ。郷里の花巻を『世界の花巻』にした。イーハトーブに引かれて全国から岩手まで来るんだぞ。それこそが本当の詩人なんだ」  大学2年での、作家の故・井上光晴との出会いも忘れがたい。当時井上は「文学伝習所」を展開しており、全国で伝習所を開いては、ときには殴り合いが起きるほどの情熱を傾けて弟子たちを指導していた。文学熱を高めた和合は山形で伝習所が開かれると聞き、書いた詩を持参したのである。 「小さな会議室に40代50代の小説家志望者が20人くらい集まっていました。そこに僕が一人迷い込んだわけです。井上先生は一升瓶を横に置いて注いだ酒をガーッと飲みながら、すごい迫力でみんなをバンバン怒っていらっしゃいましたね。でも僕には優しかったです」  1泊して翌日も指導を受け、帰るときに礼を言うと、井上は和合にこう言った。「すべてを疑ってかかれ」「書いて書いて自分を作っていくんだぞ。ただし文学賞はもらうな、堕落する」 「もらっちゃいましたけど(笑)。井上先生との出会いは片時も忘れたことはありません」  井上の言葉は和合を根本から揺さぶった。取り憑かれたように書こうと思った。書いた詩をコピーしては、大学の最寄り駅の前で道ゆく人に配る姿が同級生に目撃されている。雑誌への投稿を始め、詩の雑誌「現代詩手帖」に作品が掲載された。「現代詩手帖新鋭詩人」にも選ばれた。 (文・千葉望) ※記事の続きはAERA 2021年3月15日号でご覧いただけます。
長編小説に俳句の本 「とてもまだ死ねませんね」と瀬戸内寂聴
長編小説に俳句の本 「とてもまだ死ねませんね」と瀬戸内寂聴 瀬戸内寂聴(せとうち・じゃくちょう)/1922年、徳島市生まれ。73年、平泉・中尊寺で得度。著書多数。2006年文化勲章。17年度朝日賞。近著に『寂聴 残された日々』(朝日新聞出版)。 横尾忠則(よこお・ただのり)/1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。2011年度朝日賞。15年世界文化賞。20年東京都名誉都民顕彰。(写真=横尾忠則さん提供)  半世紀ほど前に出会った98歳と84歳。人生の妙味を知る老親友の瀬戸内寂聴さんと横尾忠則さんが、往復書簡でとっておきのナイショ話を披露しあう。 *  *  * ■横尾忠則「何をでも如何にでもなく超越して描く」  セトウチさん  長いつき合いなのに、自分のことを理解してくれてないと怒ってらっしゃいますが、人を理解するなんて、自分の存在さえ不確かなのに無理です。次の一件でもセトウチさんは不可解です。ヘェー、何(な)んだか狐(きつね)につままれたような話です。デパートの一階で、誰かの絵の展覧会で若い絵描きさんが──? そこに集まっている見物人の中に僕の家族がいた──? セトウチさんが女子大生の頃、神戸のデパートでの出来事。しかも、そこで会話を交わしていた人達が僕の実の家族だと確信されたとか。  80年前の話でしょ。当時実の家族は(兵庫県の)西脇に住んでいて、「裕福そうなインテリ」どころか、長屋住いで僕の養父母は、尋常小学校しか出ていません。  当時、セトウチさんが女子大生だとすると、僕は四歳で養子になった年です。セトウチさんは僕の家族とは親類でもないのに交流があるはずがないし、どうしてそこにいた人達が四歳の僕の実家族だなんて、おわかりになるんですか。第一、セトウチさんが十四歳違いの四歳のチビの僕の存在など、知りようがないんじゃないでしょうか。  セトウチさんのお話を分析すると四歳の子供がデパートで個展をして、集まった人たちに絵の説明をしていたということになりませんか。第一、僕の存在など80年前のセトウチさんの意識の中では無いも同然です。セトウチさんは夢でも小説でもないとおっしゃっています。これが現実なら悪夢です。  さらに以前こんな話を僕にしたら、「何という大バカなのだろう。このオンナ!」と凄(すご)い言葉をまるで僕が吐いたかのように、ののしっておられます。僕はゾッとしました。あまりにも品性がなさ過ぎませんか。もうこの話は僕には身に覚えのない支離滅裂な話にしか聞こえません。  非現実的な話から現実的な話に切りかえます。僕の現実はやはり創作を抜きにして考えられません。  僕の場合はいつもいうように特定の主題がありません。主題は何んだっていいのです。何を描くかではなく、如何(いか)に描くか。つまり絵をフォルムとして考えています。世の中に存在する森羅万象は全てフォルムでしょ。人間自身もフォルムでできています。人と人との付き合いもフォルムと考えれば実にシンプルです。それが複雑になるのは感情が入り込むからです。だから感情もフォルムにしてしまえばいいんじゃないでしょうか。  生が複雑なのはフォルムではなく感情だからでしょ。そういう意味では死はフォルムです。だから死は単純で、いいと思います。もっというと考えなくっていいということです。考えるから感情的になって生にしがみつきたくなって、ますます複雑になるんじゃないですかね。描きたくないというのは究極のフォルムというか、フォルムさえ否定するフォルムです。フォルムで生きるということは単純に生きるということです。  ですから、何を描くかでも、如何に描くかでもなく、それらを超越して如何に生きるかということになります。ゴーガンの大作の題名に「われわれはどこから来たか、われわれとは何か、われわれはどこへ行くか」。結局この言葉につきると思います。  頭を空っぽにして寝ます。 ■瀬戸内寂聴「未来の小説 閑かに想えば落ち着きます」  ヨコオさん  今日、寂庵は、朝から雨に包まれています。  まさに春雨です。  想(おも)い出はみなやさしくて春の雨  ふっと、口をついてきた句です。寂庵はまだ梅が満開で、座敷には、お雛様(ひなさま)が壁一杯に並んでいます。例年の今頃は、お詣(まい)りの人々が次から次に訪れて、お雛様の前で、お菓子を食べながら、口々にお喋(しゃべ)りをしているのに、コロナのせいで、今年の春は訪れる人がなく、ひっそりとしています。  閑かでいいなど言っていたのは、とうの昔のことで、こうまで人の訪れがないと、やはり淋(さび)しくて、身も心も持て余します。  毎年の寂庵の春の行事のお釈迦さまの誕生日のお祭りも、今年は、庵の者たちで、お釈迦さまの像に甘茶の雨をかけてお祝いすることでしょう。  今年の春は、見事に改装出来た天台寺へ、ぜひ来いといわれているので、迷っています。とてもこの老衰体では、天台寺までの旅は無理と思う一方で、今年行かないと、もう死ぬまで行かれまいという想いも強く、心が乱れます。  墓の字も書いておかなければ、墓石屋が待ちかねています。井上光晴さん御夫妻のお墓は、すでに天台寺に造られています。井上さんの雄渾(ゆうこん)な字で、井上さんの詩が書かれた墓石です。遠い所なのに、御家族は言うまでもなく、井上さんの小説のファンたちのお詣りもあります。  甥(おい)の敬治の三回忌がこの間過ぎましたが、徳島の墓の外に、天台寺にも敬治の墓をたててやりたいと思います。  りんどうを踏まねばゆけぬ天台寺  という敬舟(俳号)の句を刻んでやろうと思います。  彼を見送ったのが、ついこの間のような気がするのに、もう三回忌とは!  別に朝も晩も自分の死や墓や、遺言のことばかり考えているわけではないのですが、考えておかねばならない事情も出て来て、そういうことも少しずつ片づけています。  ヨコオさん、改めて考えてみればあなたは私より十四歳も若いので、余生の時間はたっぷりありますね。  それまでにどんな大きな絵を描き残されることでしょう。  大きな絵を描く体力と、情熱は、長篇を書く小説の労力と比べたら、はるかに力が必要でしょう。その体力と、情熱を想像しただけでも体がきしみます。  私も一つ長篇を書き遺(のこ)したいと想い、題も内容も決めてあるのですけれど、この体力では、果(はた)して書けるかどうか怪しくなりました。  それを書くには、遠い旅も必要なので、さあ、出来るかどうか。  でも、今日のような静かな雨の日などに、一行も出来ていない未来の小説のことなど考えるのは心が落ち着くものです。出来れば俳句の本ももう一冊遺したいものです。  わあ、これではとてもまだ死ねませんね。まあ、想うことにはお金がかかりませんから、せいぜい、見る夢の数を増やしましょう。  そうだ! 油絵もせめて三枚くらいは遺さないとね。ああ、忙し。なかなか死ねないぞ!  春風邪にかからないように! おやすみ ※週刊朝日  2021年3月19日号
なぜノコギリだったのか 86歳夫を殺害した76歳妻の長年の恨みが表すもの
なぜノコギリだったのか 86歳夫を殺害した76歳妻の長年の恨みが表すもの 写真はイメージです(Getty Images) 北原みのり(きたはら・みのり)/1970年生まれ。作家、女性のためのセックスグッズショップ「ラブピースクラブ」代表  作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。今回は、3月5日に起きた殺人事件について。逮捕された犯人はまったく知らない女性なのに、どこかで知っている気持ちになるという。 *  *  *  長年の恨みが積もっていたという。暴力を振るわれ、お金を家に入れない夫だったと、女性は警察で話した。  76歳の女性が83歳の夫の首をのこぎりで切って死なせ自首した。使ったのは刃渡り25センチの折りたたみ式ののこぎりで、一般家庭用の小ぶりなものだ。寝ている夫の首にのこぎりを立て、その後約2時間、女性は夫の上に馬乗りになり死んでいく様を眺めていたという。    家にいくらでも凶器となるものはあるはずなのに。包丁でもなく、錐でもなく、金づちでもなく、ハサミでもなくのこぎりを使ったことに、女性の殺意が衝動的なものではなく「長年の恨み」という言葉以外ではあらわせないものであることを知る。夫には抵抗した跡があったというが、自分より小さかった妻に馬乗りになられた状態で身動きが取れないくらいには、体は弱っていたようだ。首が完全に切られていたわけではなく、出血も大量ではなかったため、圧迫死の可能性もあると語る専門家もいる。  第一報からなぜか強烈にこのニュースに惹きつけられている。郊外の住宅街、小さな庭の小さな一軒家。40歳くらいの息子と高齢の両親の3人暮らしという高齢社会の今どきの家族。事件当時、息子は出かけていて、別に住んでいる娘に連絡し、娘に促されて110番をしてきたという。  近所の人によれば、女性は事件の2、3日前に庭の木を全てのこぎりで切ってしまっていたという。「一生懸命切ってました」と女性の姿を見た人が話していたが、テレビ画面に映された庭には、真ん中あたりでバッサリと切断された木がいびつに並んでいる。木の切断面は白くつやつやとなめらかで、家庭用の小さなのこぎりで、こんなにきれいに切れるものなのかと思わず画面に釘付けになってしまう。テレビリポーターの男性が「電動のこぎりで切ってたのですか?」と近所の住人に質問していたが、それほど鮮やかに何本もの木が切断されていたのだ。のこぎりをひきながら、女性は何を思っていたのだろう。切り落とされた枝や葉はきれいに片付けられ、切断面が剥き出しになった木が並ぶがらんとした庭を見ているうちに、会ったこともない女性の後ろ姿が見えるような錯覚に陥る。  殺された夫にしてみればたまったものではないだろう。でもなぜだろう、私を含め、この事件に心を囚われ、続報を待ち受けてはそれについて語りたくなる女性は少なくない。友人が会社に行くと「読みました? のこぎりの事件!!」と興奮気味に語りかけてきた同僚がいたという。それは私も同様で、会う人会う人にこの事件の感想を聞いている。多分それは、この国を今生きている女性として、「彼女の生活」をどこかで目撃したことがあるような、証人のような気分に簡単になれてしまうからなのではないか。  76歳の女性。戦後、男女平等、民主主義の教育を受けてはいるものの、経済的に女が簡単に自立できるような社会などではなかった。殺された夫はあの森喜朗氏と同世代。根深い女性蔑視から自由になれた人はどれだけいただろう。  日本でDVという言葉を根付かせたのは、90年代の女性運動だった。1992年「夫(恋人)からの暴力」調査研究をはじめた女性たちのもとに、当時約800人の女性からの回答があった。このアンケートは日本で初めてDV問題をまとめた本として後に出版されるのだが、アンケート結果のなかには、殴られる理由にセックスを拒否したためと答えた女性が3割、暴力を受けた後に性交を強いられ、避妊を拒否された女性たちの叫びのような声が多く残されている。経済的に支配し、「誰のおかげで食ってるんだ」と殴り、夫婦間にレイプなどないと口を塞がれ、何度も妊娠中絶を繰り返してきた女性たちの声がある。この調査をした女性たちは、のこぎりで夫を殺害した女性と同世代だ。2001年に配偶者暴力防止法が成立するまで、家庭内の暴力は「夫婦間の痴話ゲンカ」程度にしか語られない時代を、この国の女性たちは言葉にならない悔しさを抱え生きてきた。 「長年の恨み」  その言葉が突き刺さるのは、その悔しさが全く無関係の女の口から発せられたものと思えないからなのかもしれない。母の悔しさ、祖母の悔しさを、この国の女の子たちは見てきた。「お母さんみたいになりたくない」という思いと無関係でいられる幸福な女の子は、どれくらいいるだろう。私が幼いころ、近所のおばさんが(当時30代前半くらいだったろう)、必死の形相で縄跳びをしていたのが忘れられない。子ども心に異様な光景に見えたのだろう。その後、その女性が中絶をしたらしいと、大人たちがひそひそと話しているのを聞いた。ずいぶん後になって、あの時の大人たちのひそひそ話と、女性の必死な縄跳びの姿が結びついた時があった。その瞬間、何か大きなものに殴られたような重い気持ちになった。  女の恐怖、女の恨みは家庭の中で育つのだ。そのことを私たちはどこかで知っている。だからこそ、家の庭の木を全て切断し、夫の上に馬乗りになり死ぬのを見つめ、娘に連絡し、自ら警察に通報し、取り調べに「長年の恨みがありました」という女性の言葉が刺さるのかもしれない。まったく知らない女性のまったく知らない事件。でも私たちはどういうわけか、彼女を知っている気持ちになり、彼女を語りたがろうとしている。  事件のことはこれから少しずつ明らかになっていくだろう。夫の死は、女性を長年の恨みから解放したのだろうか。その恨みが消える日は、くるのだろうか。 ■北原みのり(きたはら・みのり)/1970年生まれ。作家、女性のためのセックスグッズショップ「ラブピースクラブ」代表

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