AERA with Kids+ Woman MONEY aerauniversity NyAERA Books TRAVEL
検索結果3500件中 1701 1720 件を表示中

瀬戸内寂聴は篠山紀信が「大好き」 理由は「実物より数倍美人に写る」から!?
瀬戸内寂聴は篠山紀信が「大好き」 理由は「実物より数倍美人に写る」から!? 瀬戸内寂聴(せとうち・じゃくちょう)/1922年、徳島市生まれ。73年、平泉・中尊寺で得度。著書多数。2006年文化勲章。17年度朝日賞。近著に『寂聴 残された日々』(朝日新聞出版)。 横尾忠則(よこお・ただのり)/1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。2011年度朝日賞。15年世界文化賞。20年東京都名誉都民顕彰。(写真=横尾忠則さん提供)  半世紀ほど前に出会った98歳と84歳。人生の妙味を知る老親友の瀬戸内寂聴さんと横尾忠則さんが、往復書簡でとっておきのナイショ話を披露しあう。 *  *  * ■横尾忠則「小さな奇蹟あり 長生きは面白い」  セトウチさん 「週刊朝日」はセトウチさんと同い歳の99歳だそうですね。改めて週刊朝日の99周年お祝い申し上げます。そしてセトウチさんの99歳おめでとうございます。  どーいうわけか週刊朝日とは今まで全くご縁がありませんでした。セトウチさんとの往復書簡がなければ、このまま終(おわ)るところでした。山藤章二さんの似顔絵塾に登場したかなと思う程度でした。朝日新聞社関連の他の雑誌、例えば「朝日ジャーナル」では表紙デザイン(この号は発禁騒動)とイラスト時評の連載、「アサヒグラフ」ではグラビア特集と表紙出演、「AERA」では表紙出演と表紙デザインなどのおつき合いがありましたが週刊朝日だけはお呼びじゃなかったですね。  ところが一昨年の11月に、知人の企画プロデューサーの根本隆一郎さんが昭和31年4月15日号の週刊朝日に僕のカットが掲載されているのを発見したと言って、当時の週刊朝日の現物を送って下さいました。見ると「読者と編集者」欄に僕の20歳の時に投稿したらしい「サクラ」と題したカットが出ていて、もうびっくり、それにしても65年前の僕の絵をよく見つけられたものです。20歳の4月といえば、地方の印刷工場を辞めてぶらぶらしている頃に投稿したカットだったんでしょうね。人生には不思議なちょっとした奇蹟(きせき)があって、やっぱり長生きすると面白いこと、いいことがありますね。  もし僕がセトウチさんと同じ99歳まで生きるとするとまだ15年もあります。もう絵もこれ以上描いても下手になる一方だから、そろそろ止めてもいいんですが、週刊朝日で起(おこ)った小さな奇蹟などを考えると、まだ何かあるかな? と思ってしまいます。でも何かあるとしても、色んな病気に見舞われるくらいだったら、さっさと引き揚げるのもいさぎよく、悪くないかな、と思います。  人間の寿命は生まれる前に定められているといいますが、努力次第で定められた寿命が延びるともいいます。次々とやるべきことが出てくれば、それを達成するまでは寿命が与えられるらしいですが、自己欲望のための努力ではなく、人のための社会的必然性という大義名分であれば延命されるとも聞いたことがあります。ということは、人間は自分の意志で生きているというより生かされているというべきかも知れませんね。  老齢になると長寿を願って、健康への努力や医療に頼る努力をしますが、もし与えられている命であれば、そんな自己執着などする必要はないということになりますね。養生だけに気をつけて、あとは自然体でいるのが一番かなと思います。死ぬ時が来れば、それはその人のお役目が終ったわけですから、ワーワー騒ぐこともないですね。セトウチさんみたいに「死にたい」なんて言わなくても、宿命がコントロールしているんだから、ほっとけばよく、成るように成らしてくれるはずです。でも最近は「百まで生きてみたい」と心変(こころがわ)りしてらっしゃいますが、そんな目標さえも持つ必要もないんじゃないでしょうか。「わしゃ、知らん」で、死ぬまで生きて下さい。 ■瀬戸内寂聴「週刊朝日と私が同い歳、何という偶然!」  ヨコオさん  二人の週刊朝日に連載しているこの往復書簡が『老親友のナイショ文』という題がつき、速くも一冊の本になり、見本本が届きました。表紙絵はもちろん、天才画家の「横尾忠則」氏作であります。  表紙絵に鶴亀が描かれているのは、私の九十九歳という長寿を祝ったつもりなのでしょう。ところが、九十九歳は私だけでなく、この週刊朝日が私と同年の数え百歳になるとは、何という偶然でありましょうか。  表紙の帯に、横尾さんと私の写真が写っています。三部正博氏撮影の横尾さんは、深刻な表情をして、おなか痛に耐えているような、云(い)いかえれば、哲学的で深刻な表情をしています。私ときたら、篠山紀信さんに撮ってもらった絶品の笑顔で愛嬌(あいきょう)をふりまいています。篠山さんに撮ってもらうと、なぜか私は実物より数倍美人に写るので、篠山さんが大好きです。  あ、写真といえば、この週刊朝日の表紙にも、今週、私は出る筈(はず)です。似ても似つかぬ美人に写っていますように!  百近い年齢にもなって、何をアホなことを言ってる?とヨコオさんが苦笑いしている顔が見えてきました。  ヨコオさんは、生まれつきハンサムでいいわね。ヘアスタイルなんか、しょっちゅう変えているけれど、どんなスタイルもよく似合っています。着るものにも神経を使って、御夫妻揃って、三宅一生の服をとても上手に着こなしていらっしゃる。  ヨコオさんに、いつ、どこで会ってもいい加減な身なりをしていたのを見たことがありません。ヨコオさんは、すっかり忘れているだろうけれど、はじめて朝日新聞社の編集室の片隅で偶然出逢(であ)った時、あなたはその頃まだはやりにもなってなかったジーンズをはいていました。なぜ私がそんなことをはっきり覚えているかというと、それをはいた美少年が、ジーンズをとめる革のバンドの替わりに、女性用の帯締めのような、絹のきれいなヒモを、腰に巻き付けていたからです。  それがあんまりしゃれていたので、改めてその人の顔をしげしげと見直し、その美少年ぶりに驚き直したことだったのです。  たぶん、ヨコオさんは、そんなことは何も覚えていないでしょう。  その帰りか、別の時か、二人でタクシーに乗っていた時、美少年のつもりだったヨコオさんが、すでに二児の父親だと聞いて、びっくり仰天したことは、はっきり覚えています。  あれから半世紀も過ぎて、私は百歳に手の届くほど、あなたは八十代も半ばの世間流に言えば、よいおじいちゃんになってしまいました。  ところが、実物の現在のヨコオさんは、とても八十すぎなんて信じられない若々しさで、世界のヨコオとしてアートの海を泳ぎまくり、活躍しています。私だって、頭を丸めたせいもあり、年より若く見え、黙っていたら、とても数え百歳の老婆なんて、誰も信じないでしょう。  長い生涯に、逢っては別れた人の数は、数えきれないほど、その中で半世紀も続いているヨコオさんと私の仲は何という縁で結ばれているのでしょう。その答えがこの新刊に明かされている。  売れるとイイネ! ※週刊朝日  2021年2月26日号
役所広司、西川美和監督の初タッグ! 狂気と善性を併せ持つ男が見た世界
役所広司、西川美和監督の初タッグ! 狂気と善性を併せ持つ男が見た世界 役所広司(やくしょ・こうじ、左):1956年生まれ、長崎県出身。主な出演作に「CURE」「うなぎ」(97年)、「三度目の殺人」(2017年)、「孤狼の血」(18年)他/西川美和(にしかわ・みわ):1974年生まれ、広島県出身。映画「蛇イチゴ」(2002年)で脚本・監督デビュー。主な作品に「ゆれる」(06年)、「夢売るふたり」(12年)、「永い言い訳」(16年)など多数(撮影/写真部・小黒冴夏) 「すばらしき世界」は全国で公開中。役所広司が元殺人犯・三上を演じている (c)佐木隆三/2021「すばらしき世界」製作委員会  西川美和監督は、これまでオリジナル脚本に基づいた映画を撮ってきた。初めて原案となる小説を下敷きに作り上げた映画が「すばらしき世界」(全国公開中)だ。主演の役所広司とは初タッグとなる。AERA 2021年2月22日号から。 *  *  *  映画「すばらしき世界」は、ノンフィクション小説『身分帳』(佐木隆三著)を原案に、人生の大半を刑務所で過ごしてきた男が悪戦苦闘しながら社会に復帰しようとする姿を通して、見る者に生きることの意味を問いかける。主人公・三上正夫を演じるのは役所広司だ。 ■狂気と善性を併せ持つ 西川美和(以下、西川):『身分帳』を読んだ直後は役所さんにお願いしようとはまだ考えていませんでした。主人公は小柄ですし、40代の設定だったのでシナリオを書いていくまでのリサーチをしつつ、主人公は「誰がいいんだろう」と悩んでいた時に、「ディア・ドクター」の頃から伴走してくれたプロデューサーが「これこそ役所さんじゃない?」と後押ししてくれました。(師匠であり同じ会社の)是枝さんにも相談したら、「その役所さん、観たい」と賛成してくれまして。 役所広司(以下、役所):是枝裕和監督がですか。 西川:はい。それで、「確かに役所さんなら、狂気と善性の両面を色濃く持つ、この複雑な主人公を演じ切ってもらえるに違いない」と奮い立ち、満を持してお願いしたんです。 役所:西川さんからオファーをいただいた時は、台本はまだなかったんですよね。でも、僕は受ける気でいました。西川監督の映画であることと、『身分帳』が原案になるというのも非常に興味深かった。僕が出演作を決めるポイントは、大体は監督です。今まで作ってこられた映画を見て決める。いい監督のところにはいいスタッフもキャストも集まりますからね(笑)。  映画は三上が旭川刑務所を出所するところから始まる。三上が向かった先は東京。身元引受人の庄司弁護士(橋爪功)と妻の敦子(梶芽衣子)の助けを借り、新たな生活を始める。一方、テレビ制作会社を辞め、作家を目指していた津乃田(仲野太賀)は、テレビプロデューサーの吉澤(長澤まさみ)から仕事の依頼を受ける。彼女は三上が心を入れ替えて社会復帰し、生き別れた母と再会するという筋書きのドキュメンタリー番組をもくろんでいた。渋々引き受けた津乃田は、三上の密着取材を始めるのだが……。 役所:原作と脚本との印象はまったく違いました。原作を読んだ時は、こんな男がそばにいると嫌だなと思ったんです。観客はこの男が嫌いだろうと。三上は4歳で母親と離別して養護施設で育ち、10代半ばから暴力団と関わって大半の人生を刑務所で暮らしてきた。かわいそうな境遇ではあるんですが、好きにはなれませんでしたね。ところが、脚本はまったく別物。映画を観客として見た時に、西川監督の三上を見つめるまなざしの温かさというのかな、優しさみたいなものを感じました。三上の周りにいる人たちの温かなまなざしと似ているような気がして。優しさがにじみ出てくるような演出をされたんだろうなと思っていました。 西川:ありがとうございます。役所さんは三上をどのように捉えていたのですか。 役所:本人は気づいていなくても、生い立ちが人格を作ってきたところはある。養護施設に入ってから飛び出すまでの間に、先生たちに教わったこと、例えば弱いものいじめをしてはいけないといったことを、長年ずっと守ってきたんじゃないかな。三上にはそういう良さもあるような気がしました。 ■チャーミングと思って 西川:私はワンカットずつ撮影しながら、自分が書いた三上が、まさにカメラの前で人として存在している、という実感を強めていきました。クランクイン前に、役所さんに一つだけ申し上げたんですよね。「観客に三上というキャラクターをチャーミングだと思ってもらいたい」と。三上は悪い癖もたくさんある人物ですけど、私たちと決定的に溝のあるモンスターではない。役所さんは欠点も余すところなく表現しつつ、人間としてのかわいげ、というか魅力で見る人を引き付け続けてくださいました。 役所:元々おかしみのある脚本ですからね。いい脚本だと読んでいる間に自然とキャラクターができあがってくる気がします。三上の周りには、彼を困ったやつだなと思いながらも、最終的には手を差し伸べてくれる人たちがいます。それは三上に愛嬌がないとできないと思うんです。だから、(見る人に)そういう印象を与えることが大切だと思っていました。 ■自分が暮らす世界は 西川:印象に残ったことはありましたか。 役所:三上が「善良な市民がリンチにあっていても見過ごすのがご立派な人生ですか」と言うシーンがありますよね。誰もが経験していることでも、三上は許せない。「生きにくいだろう」と言われても、彼は正しいと思えばどんな危険なことでもやってしまう。そこがすごく突き刺さる。みんなが三上のことを嫌えない理由の一つはその辺りなんでしょうね。  社会のレールを踏み外した人間に容赦のない厳しい現実が立ちはだかる。だが、決してそれだけではない。タイトルを改めて噛み締めたくなる。 西川:自分でもなぜこのタイトルに行き着いたのかよく覚えていないんです。物語を書いていくうちに、汚いものも苦しいことも永久不滅なのが人生であり、世界だと感じました。しかし一方で、人間の優しさも、光や美しいものも絶対になくならない。漠然としたタイトルですが、これしかないのかなと思いました。 役所:映画が終わってこのタイトルが出た時に、お客様はたぶん、「自分たちが暮らす世界はすばらしき世界だろうか?」って思うと思います。今、ニュースで殺人事件を聞かない日はないし、子どもの虐待事件も頻繁にある。大人が子どもを守って、成長した子どもたちは年老いた大人を守る。そんなことができればすばらしいけれど、現実はそうもいかない。矛盾をはらんだこの世界をどう生きるかは、僕は人間に与えられたテーマなんだろうなと思います。 西川:あの「役所広司さん」とお仕事したなんて1年前が信じられない! いままた緊張しています(笑)。これからも、役所さんに「また新しい作品を書いてもらったな」と思っていただけるよう頑張っていきたいです。 役所:僕は女性監督は初めてでした。カメラの横でずっと見ていられると、何となく照れ臭かったんですよ(笑)。いつでもまっさらのスケジュールでお待ちしています。 (フリーランス記者・坂口さゆり) ※AERA 2021年2月22日号
貯金61万円アラフィフ夫婦、持ち家なしの「老後賃貸」はアリなのか?
貯金61万円アラフィフ夫婦、持ち家なしの「老後賃貸」はアリなのか? 写真はイメージ(GettyImages)  今回は、夫と2人暮らしをしている48歳女性からのご相談です。結婚してから10年間、不妊治療にお金を費やしたことから貯蓄がなく、現在は賃貸物件に住んでいるというNさん。持ち家なしの「老後賃貸」はアリなのか、お悩みです。 ■家族構成 夫 42歳 Nさん 48歳 子どもなし ■毎月の収入 夫(手取り):月38万円 Nさん(パート):月4万~8万円 *夫ボーナス(寸志程度):夏12万円、冬12万円 ■毎月の支出 家賃:9万円(3万円は会社から補助) 水道(2カ月): 3300円 電気:8500円 ガス:2000円~3800円 携帯:夫 8000~9000円台、妻 5000~6000円 ネット:2700円 U-NEXT視聴:2100円 生命保険:夫3600円 、妻2900円(二人とも掛け捨て・終身) イデコ掛金:1万円 食費:4.4万円(年平均) 外食: 1.3万円(年平均) 美容費:2.3万円(皮膚科、美容院、化粧品) 日用品:1万円(消耗品、衣服など) カード払い :9万円(家計用。光熱費・携帯料金など毎月の固定費はポイント貯めるためにカード払い) 遊興費:2万円程度(毎月2回ほどは二人で都内に外出し、趣味のお店をのぞいたり、散歩したりします) コロナ禍の前は年に1回、主人が義理の両親と一緒に九州帰省:持ち出し3万円 妻実家帰省:3万円(できたらもっと帰省したい) 夫借金返済:4万円(残129万円) ■貯蓄 普通預金:40万円 イデコ(開始して2年ほど):年金資産評価額 21万円(利回り4.47%) ■悩み  結婚してから10年もの間、不妊治療にお金を費やし、貯蓄なしの状態です。  昨年、主人の関東転勤をきっかけに彼の持っているカードの支払いを家計口座に変更しようとしたときに(彼の口座から引き落とされていたので)リボ払い専用の設定になっていることに気付きましたが、総額は200万円ほどになっていました。  不妊治療の出費もなくなり、これから新天地でやっと貯蓄をしていけると思っていたのでショックでした。その時点で貯蓄もなく月の利子が高額で元本がなかなか減らないと思い、家族から立て替えてもらって現在、毎月返済中です。  夫は子なし、家なしの二人のこれからの生活で九州にある祖母の土地(義理両親が健在ですが誰もこの家に住む予定なし。売却したとしても孫である夫にお金が入るという話も聞きません)と東海地方にある義理両親の建て替えをして10年たっている実家があるので、自分達のマイホームは考えていないと言います。今からローンを組んで家を買っても遺せる子どももいないし。現状、土地があるのにこれ以上、土地を買う気はないと。  夫は長男ですが義理両親との同居は私もまったく考えていませんし、弟が一人いて結婚して東海地方に住んでいますので夫の実家は彼だけのものではないと私もハッキリと言っていますが、彼の考えは机上の空論に過ぎず、こちらは心配でなりません。  持ち家か賃貸か?は夫婦のライフスタイルで変わると思っていますが、私にはその知識がなく相談させていただきました。  夫の勤め先の本社は東海にあります。関東進出ということで転勤になりましたが コロナ禍もあって人を増やして事業を拡大することができていないとのこと。もしかしたら東海地方に戻ることもあるかもしれない状況で家を買うべきではないと私は考えています。  今の私の収入は、家計でまかなえない二人の衣服費や赤字が出たときの補填に使ったりしていますが、おしゃれが好きなので高額を使ったりもします。  いろんなお悩み相談の記事を読んだりしますが、家を持たない人の老後家計相談が見当たらずこちらに相談した次第です。  私の回りで家を買わないという決断をした人がいないので、どう老後を迎えたらいいのか目安がわからず不安です。しっかりと先のことを考えたいです。 ■不妊治療にお金を費やし貯蓄なし老後が心配  結婚してから10年もの間不妊治療にお金を費やしたことから、貯蓄なしの状態のNさん。現在は賃貸物件に住んでおり、老後に住む家を持ち家と賃貸、どちらにするかで迷っているとのこと。家を持たない人の老後家計相談が見当たらないことからご相談をいただきました。家を買わないという決断をした人が周りにいなく、その中でどう老後を迎えたらいいのか目安がわからず不安なので、しっかり先のことを考えたいとお悩みです。  夫は両親、祖母が土地を保有していることから、土地を買う気はないとのことですので、簡単に相続のことから回答していきましょう。 ■祖母、両親から不動産は引き継げるのか? 相続の基本をおさらい  夫の祖母が九州に土地を保有している(空家)そうですが、この土地は夫の両親のどちらかの相続人が相続することになります。その際、他の法定相続人がいなければ両親のいずれかがすべて相続できますが、もし法定相続人がいれば遺産分割協議に応じた割合で相続することになります。  例えこの土地を売却した場合でも、孫である夫は原則としてそのまま相続財産を受け取ることができません。相続できるのは両親(法定相続人)が祖母より先に亡くなった場合、代襲相続として受け取れることになります。  東海地方に住んでいるご両親の相続についても考えてみましょう。相続が発生した場合、たとえば父が亡くなったケースでは母親、夫、弟が法定相続人になります。その際、法定相続割合は母親1/2、夫と弟は1/4ずつになります。 「Nさんの夫がそのまま実家を受け取る」というのは、相談文でおっしゃるように机上の空論であるといえます。ただ、遺産分割協議で母親、弟が納得すれば、夫の考え通り実家を受け取ることが可能です。  仮に夫が考えているように、九州の土地、東海地方の実家のいずれかを相続できる方法は、相続人である両親のいずれかが九州の土地を相続、両親2人が共に亡くなった時点で、弟と話し合いのすえということになります。  いずれにしても相続人が夫以外にいるのですから、遺産分割協議次第で取得の時期は前後すると考えられます。あくまでも記載のデータ及び相続の一般論からの回答になることから実際に相続が発生した場合、税理士などの専門家に相談してください。 ■「家を持たない老後」はアリなのか?  ここからは、Nさんのキャッシュフォローや老後の考え方について述べていくことにしましょう。老後に関しては、「家を購入しないで生涯賃貸住まいでいる」という人は増えているようです。このため生涯賃貸という選択肢、あるいは現役時代は賃貸住まいでリタイア時に購入という選択肢など、老後の住まいの考え方は多々あるとご理解ください。  なお、リタイア後も賃貸住まいの場合、購入したケースより支出は多額になりがちですが、リタイア後は田舎に住むなどすれば多額の支出とはなりません。老後の住居費を左右する鍵は購入か賃貸かだけではありません。特に、賃貸の場合はどこに住むかで家賃が大きく変わります。Nさんは現在48歳ですので老後が視野に入ってくるタイミングかと思いますが、まだ時間はたくさんあるため、賃貸の場合はどこに住むかも含めてじっくり考えてください。 ■Nさん一家のキャッシュフロー、ズボラ家計で老後が心配  最後にNさん一家のキャッシュフローですが、老後も視野に入れるなら計画的にしっかり貯蓄を行っていく必要があります。  現在、夫の収入が月38万円、Nさんのパート収入が4万~8万円の中央値の6万円として、世帯収入は44万円になります。  一方、記載されている支出を合計すると、遊興費を含め34万7250円、iDeCoの掛け金が1万円の合計35万7250円になります。このうち、携帯電話使用料は中央値で試算しています。収入44万円に対して35万7250円の支出ですから、差額は8万2750円になります。  ここから、夫の借金返済額(毎月4万円)を差し引いた、4万2750円は貯蓄できることになります。年間にすれば56万7000円になりますが、相談文を読む限りでは貯蓄に含まれていないように感じます。  むしろ相談文に「今の私の収入は家計でまかなえない2人の衣服費や赤字が出たときの補填に使ったりしていますが、おしゃれ好きなので、高額を使ったりしています」とあることから、差額はそのほとんどが貯蓄に回っていないと考えられます。  毎月しっかり貯蓄を行い、また相応の貯蓄があるのであれば問題ありません。しかしながら、現在のNさんは夫の借金があるうえ、貯金も40万円、iDeCoの残高を加えても61万円しかありません。厳しいことをいうようですが、このままのズボラ家計では老後の準備がままならないばかりか、何らかの突発的なことがあればたちまち貯蓄は底を尽いてしまいます。 ■早急に改善を! Nさん家計の改善案  老後の住まいを決めるのは時間をかけてもかまいませんが、貯蓄を含めた老後の準備はすぐにでも始めるべきです。  収入と支出の差額、4万2750円のうち4万円は貯蓄に回し年間48万円。iDeCoが月1万円あるので年間60万円が貯蓄等に回せることになります。ボーナスは年間24万円とありますが、Nさんご夫婦の帰省費用が6万円。Nさんはもっと帰省したいと書かれているので、ボーナスから使用する金額は帰省を含め10万円とします。残りの14万円を貯金するようにすれば、年間74万円が貯金できることになります。  夫の借金は3年弱で完済することから、3年間で222万円の貯金ができる計算になり、保有する金融資産とあわせれば283万円になります。このときNさん51歳、夫45歳ですから老後の準備のためにはさらに頑張らなければなりません。夫の借金の返済額分も貯蓄に回すとすれば48万円が加わり年間122万円、60歳までの9年間で1098万円の貯蓄増となり、1381万円が60歳時点の金融資産残高ということになります。  Nさんが60歳のとき、夫は54歳。仮にNさんがパートを辞めると年間72万円の収入減となりますが、夫の収入だけでも年間50万円貯金ができ、Nさんが65歳になるまでの5年間で250万円積みあがり1631万円になります。  夫の退職金の有無の記載がありませんが、退職金があればちまたいわれる老後資金2000万円は確保できるでしょうが、退職金がなければ2000万円に届きません。2000万円なければ老後が過ごせないわけではなりませんが、65歳まで頑張っても届かない可能性があるということは認識してください。住まいのことも然ることながら、早急に家計管理を行って老後への準備を始める必要があるということです。支出も限られることになりますので、1日でも早く貯蓄体質に改善するように頑張ってください。(深野康彦:ファイナンシャルプランナー)
人前で話すのが苦手な9歳の娘 渋沢栄一が愛読した「論語」からの助言「弁才が何の役に立つか」
人前で話すのが苦手な9歳の娘 渋沢栄一が愛読した「論語」からの助言「弁才が何の役に立つか」 山口謠司先生 ※写真はイメージです(写真/Getty Images)  新NHK大河ドラマ「青天を衝け」の主役である実業家・渋沢栄一が信奉していたことで、いまふたたび「論語」が注目されている。論語は、2500年前の思想家・孔子の教えをまとめた書物で、生き方の指針となる言葉の宝庫だ。「仁(=思いやり)」を理想の道徳とし、企業経営だけでなく、迷える現代の子育てにも役立つ言葉がたくさんちりばめられている。現代の親の悩みに対する処方箋として、「論語パパ」こと中国文献学者の山口謠司先生が、孔子の格言を選んで答える本連載。今回は、「人前で話すのが苦手な9歳の娘」を心配する父親へアドバイスを送る。 *     *  * 【相談者:9歳の娘を持つ40代の父親】 小学4年生の娘を持つ父親です。9歳になる娘は、自分の意見や考えを発言することに自信がありません。授業中に手を挙げられないことを悩んでいる様子で、とてももどかしいです。授業や教科書の中身そのものはきちんと理解できているようなのですが、人前で話すのがとにかく嫌いで、少人数での自己紹介でさえ縮こまってしまいます。感想文など文章で表現することにも苦手意識があるようです。生きていくために必要な力だと思うのですが、父親として娘にしてやれることはありませんか? 【論語パパが選んだ言葉は?】 ・或(あ)るひと曰わく、雍(よう)は、仁にして佞(ねい)ならず。子曰わく、焉(な)んぞ佞を用いん。人を禦(ふせ)ぐに口給(こうきゅう)を以てし、るる(しばしば)人に憎まる(公冶長第五) ・子曰わく、巧言令色(こうげんれいしょく)、鮮(すくな)し仁(学而第一) 【現代語訳】 ・ある人が孔子に対し、お弟子の雍さんは、立派な人柄ながら弁才がない、と言ったところ、孔子はこう答えた。弁才が何の役に立つか。口先の機転で、便宜的・一時的に人をごまかし、そのために人から憎まれるだけだ。 ・その場だけの巧みな言葉を用い、表情を取り繕って発言をする人には、真実の愛情が少ない。 【解説】  お答えします。孔子の弟子に雍という人がいました。雍は、友人から言わせると「仁にして佞ならず」という人でした。これは、「とってもいい人なんだけど、弁才がない」という意味です。今から2500年前にも「人前で話すことが苦手、うまく話せない」と言われて悩んでいた人がいたのです。  孔子はこれを聞いて、「焉んぞ佞を用いん」と強く言います。「いったい、弁才が何の役に立つか。人前で話すのが下手だということなど、全然、気にすることなどない」ということです。  なぜかと、孔子は付け加えます。 「人を禦ぐに口給を以てし、るる人に憎まる」  孔子は「人と接するとき、便宜的・一時的にごまかす弁舌の才能などを持っていると、かえって人に憎まれることになるから」と言うのです。  世の中には、「口から先に生まれたのではないか」と言われるように、話が上手な人がいらっしゃいます。でも、よく見ていると、そんな人の多くは、口ではうまいことを言っていても、本当には分かっていない、その場で自分の立場を格好良く見せるために、あるいはその場を取り繕うために、言葉でごまかしてしまっている……ということが、あからさまに分かる場面が少なくありません。  孔子は、「巧言令色、鮮し仁」、つまり「その場だけの巧みな言葉を用い、表情を取り繕って発言をする人には、真実の愛情が少ない」とも言っています。  相談者さんのお嬢さんは、授業や教科書の中身そのものはきちんと理解できている。ならば、授業中に手を挙げて発表できないことを、卑下したりする必要はないでしょう。  ただもし、お嬢さんが「少人数での自己紹介でさえ縮こまってしまう」という自分を変えたいと思っているとしたら、「音読」から始めて、おうちで声を出す練習をさせてみてはいかがでしょうか。  人前で話すことが苦手な人は、往々にして、「自分の声をどうコントロールしていいのか」を知らない人が少なくありません。教科書でも、物語でも、漫画でもいいので、毎日音読をしてみることをおすすめします。声を高くしたり、低くしてみたり、長くゆっくり読んだりしてみて、自分の声の性質を発見していくと、声を出すのが苦でなくなってくるでしょう。  実は、孔子は、「詩を学べ」と何度も「論語」のなかで、弟子たちに伝えています。また、自分の子どもに対しても「お前は、詩を学んだか?」と聞いています。孔子がいう「詩」とは、季節を感じる言葉、目上の人との話の仕方、冠婚葬祭の時の挨拶まで、人が一通り知っておくべき言葉が記されている書物のことです。  彼らは、声を出して「詩」を学び、暗唱したのです。  自己紹介でも、授業中の発表の場でも、他の人と違った意見や、「あの人は頭がいいなぁ」と思われるような発言なんてする必要などありません。父親である相談者さんは、「みんなが分かるような普通の言葉で、分かりやすく話すことが大切なのだ」と、お嬢さんに教えてあげてください。そのためには、漫画、小説など好きな本を、ぜひ「音読」してみるといいと思います。そして「こんな時には、こんな言い方をするのか」と思って覚えておくと、何か発表するときにも、そうした言葉を使うことができるようになりますよ。 「音読」は、孔子の時代から教えられてきた、「自分を表現」するための基本の勉強法なのです。よかったら、お嬢さんと一緒に、相談者さんも音読してください。音読は、誤嚥性肺炎の予防になるとも言われています! 【まとめ】 弁才などを持つとかえって人から憎まれる。わかりやすい言葉で話せるように、親子で「音読」を始めてみては 山口謠司(やまぐち・ようじ)/中国文献学者。大東文化大学教授。1963年、長崎県生まれ。同大学大学院、英ケンブリッジ大学東洋学部共同研究員などを経て、現職。NHK番組「チコちゃんに叱られる!」やラジオ番組での簡潔かつユーモラスな解説が人気を集める。2017年、著書『日本語を作った男 上田万年とその時代』で第29回和辻哲郎文化賞受賞。著書や監修に『ステップアップ  0歳音読』(さくら舎)『眠れなくなるほど面白い 図解論語』(日本文芸社)など多数。母親向けの論語講座も。フランス人の妻と、大学生の息子の3人家族。
夫または妻が亡くなる前にやるべきことは? お金、相続、墓…終活のプロが伝授
夫または妻が亡くなる前にやるべきことは? お金、相続、墓…終活のプロが伝授 終活ライフケアプランナーの資格を持つ女優の財前直見さんと、書籍「自分で作る ありがとうファイル」 (事務所提供) 夫婦じまい 伴侶と話しておきたい55のこと (週刊朝日2021年2月19日号より) 夫婦じまい 伴侶と話しておきたい55のこと (週刊朝日2021年2月19日号より)  どんなに仲のよい夫婦であっても悲しいかな、どちらかが先に逝き、どちらかが残される。残された人が前を向いて人生を歩めるよう、生前から伴侶と情報共有し、意思を確認し合う「夫婦じまい」の準備をしておきたいもの。終活のプロらが教えるお金、相続、お墓など、やるべきリストとは? ■お金  もし、あなたが伴侶を遺し旅立つ場合、何が一番心配だろうか。  夫婦じまいで押さえておくべきことを専門家と一緒に具体的に考えていきたい。複数の専門家に聞き、「夫婦じまい」のために、パートナーと事前にきちんと話し合っておくべき55のリストを編集部でまとめた。まず、お金から考えていこう。  お金のことは、どちらか一方に任せっきりという家庭は多い。わからない側が遺されたら大変だ。 「ご主人が亡くなった後、金庫の鍵のありかすらわからず苦労された奥様もいます。業者を呼んで何とかなりましたが、意外と多くの夫婦で大事なことが情報共有されていないものです」  こう話すのは、相続に詳しい税理士でシニアマネーコンサルタントの板倉京さんだ。管理している側がもしもに備え「預貯金や証券(株)なども含め、わが家の大事なものが、どこに、どのぐらいあるのか」だけでも書いておくべきという。 「それは伴侶のためではありますが、夫婦の資産の棚卸しにもなるのでお勧めです」(板倉さん)  伴侶を失った後、相続の手続きは専門家を入れて何とかクリア。しかしそこから始まるのが「没イチ」ライフだ。やっていけるのか。  ファイナンシャルプランナーで終活アドバイザーの山田静江さんは、危険なのは、「大企業にお勤めで年収や年金が豊かだった夫婦」という。 「例えば会社員だった夫が亡くなった場合、夫がもらっていた基礎年金と厚生年金のうち、基礎年金はなくなり、厚生年金の4分の3が遺族年金として振り込まれます。ざっくりですが夫の年金が19万円、妻の年金が10万円、計29万円の夫婦の場合、夫の死後は約半分になってしまう。夫の潤沢な年金で暮らしていた妻にとっては、不安になるのは当然です」  この不安を軽減するには生前から「夫婦で一緒にキャッシュフローを作っておくこと」だ。  毎年の収入と支出を書き出して表にする。支出は、家賃(住宅ローン)やその他住宅費、基礎生活費(食費、通信費、日用品など)、生命保険料、趣味代、税金等など。100歳くらいまでの収支と預金残高を表にする。年金暮らしで、貯金を取り崩した生活者の場合、何年後に赤字になるのかがざっくりと見えてくる。現実を見るのは恐ろしいが、目を背けるべからず、というのは前出の板倉さんだ。 「ご主人がいなくなったあと、例えば月20万円の生活費がかかるとして、それで何年やっていけるのか、ぐらいは知っておくべきです。夫婦じまいの基本です」  節約のために、保険の解約を考える人もいる。しかし山田さんは、安易に解約すべきではないという。理由は、生命保険が役立つのは年を取ってからというケースが多いからだ。 「相続でもめたとき、受取人の手続きだけで受け取れる生命保険は頼りになります。また、入院や手術が必要になる疾病にかかりがちなのも、65歳以上から。万一のときに保険金(給付金)が受け取れるのは大きな安心です」  個人賠償責任保険も住宅の保険も必要だと考える。 「(注意すべき点は)自動車を手放して自動車保険がなくなると、特約で付帯していた個人賠償責任保険も一緒に解約されます。自転車事故など、どこでどんな事故があるかわかりませんから、個人賠償責任保険は住宅保険の特約でつけるなど、どこかで入っておくべきです。このところ自然災害も多いので、再建に役立つ住宅保険は必須です」  こういった保険関係の資料の保管場所や連絡先を万が一のときのために夫婦で共有するのは当然の作業だ。  終活ライフケアプランナーの資格を持つ女優の財前直見さんはこうした情報を書き込むため、無料でダウンロードできる「ありがとうファイル」を考案。A4サイズのクリアファイルさえ用意すれば、簡単にエンディングノートが作れる。 「エンディングのことだけでなく、今のこと、そして未来のことを家族で話し合うために活用してもらえたら嬉しいです!」(財前さん) ■相続  相続が争族にならぬよう、夫婦それぞれ遺言書を作成しておくべきと前出の板倉さんはアドバイスする。それがなかったために大変な思いをした妻がいる。  60代で急死した夫の妻・A子さんは、家じゅうを探したが遺言書は見当たらなかった。子どもはいない。 「だいじょうぶ。死後の財産は全部妻に行く」  夫はそう思い込んでいた。だが……。  夫には腹違いのきょうだいが数人いたのだ。  子どもがいない夫婦のケースでは、きょうだいも相続人に該当する。異母きょうだいの中には亡くなっていた人もいたため、その子どもに相続権が渡った(代襲相続)。 「結局、8人もの相続人がいたのです。A子さんは大変でした。弁護士を通して全員にお金を渡して相続分の譲渡を依頼して解決しましたが、ご主人が紙切れ一枚にでも『私の全財産は妻に相続させる』と書いていればこんなに大変なことにはならなかったでしょう」  板倉さんは「このようなパターンは多い」と話す。子どもがいない夫婦は、今のうちから遺言書を書いておくべきだ。 「遺言書を作成するだけでは不十分で、(認知症などでの判断能力の低下に備え)委任契約・任意後見契約も事前に結んでおくのが良いと思います」  こう話すのは相続コンサルタントの一橋香織さんだ。こんな事例もある。  1億円近い現金を夫の公正証書遺言どおりに相続した女性が、夫を失った直後に認知症を発症してしまった。子どもがいなかったため、女性のきょうだいが女性の通帳を持ち出し、女性にかわって女性の預金管理をするようになり、認知症になったその女性を町はずれの安価な老人ホームに入れてしまった。その女性の面倒を最後まで見るつもりだった亡き夫側の甥はこう嘆く。 「叔父夫婦とは実の親子のような関係でした。そんな叔父から常々『自分が死んだら、遺した金で妻の面倒を見てくれ』と言われていたのに」  一橋さんは言う。 「この場合、甥御さんを妻の任意後見人にしていれば、全く問題がなかったはず」  そして、こう念を押す。 「遺言書を書いてハイ終わりではなく、毎年書き換えたり、遺言執行者を決めたり、遺贈先を考えたり。余談ですが私のクライアントの94歳の女性は毎年相続人の相続配分を書き換えています。その年に親孝行をした人に多めに分配するそうです」 ■墓  エンディングデザイン研究所の代表で、東洋大学客員研究員の井上治代さんは、夫婦で死後にどこに眠りたいのか、意思の確認をしつつ「互いの気持ちを尊重すること」が大切だと説く。 「散骨を希望していたのに、そのメモに、奥さんが納骨後に気づいてしまった、という残念なケースもあります」  これまでは家族で入り、継承していくことが当たり前だった墓。ところが現代は墓の多様化が進み、「死後離婚」という言葉まで生まれた。この言葉の生みの親は井上さんだ。 「死後離婚とは、死後に夫と離れる、つまり墓を分けるということ。人生を閉じるときに思い出すのは、生家だったり、自分の子ども時代の親との思い出だったり、夫婦の時間だけではない自分の人生を総括するもの。墓も葬儀も夫婦で個別性を尊重していい時代です」(本誌・大崎百紀) ※週刊朝日  2021年2月19日号より抜粋
遺品はハードディスク2枚のみ 金子哲雄さんの完璧な「夫婦じまい」
遺品はハードディスク2枚のみ 金子哲雄さんの完璧な「夫婦じまい」 流通ジャーナリストの故・金子哲雄さん (提供) 夫婦じまい 伴侶と話しておきたい55のこと (週刊朝日2021年2月19日号より) 夫婦じまい 伴侶と話しておきたい55のこと (週刊朝日2021年2月19日号より)  流通ジャーナリストだった金子哲雄さん(享年41)が肺カルチノイドで世を去ったのは12年10月。終活のプロでもあった哲雄さんの最期を見送った妻、稚子さん(53)は、その「夫婦じまい」についてこう語る。 「見事なぐらい悔いがないんです」  お互いを信頼し、絆が深く、思い合っていたからだと言う。 「死を前にした人が、死に向かってどう生きるのか。死ぬまでの時間をどう過ごしたいのか。伴侶が理解し、そして何があってもそれを受け止めることが大切だと思います」  稚子さんには過去に大切な人との苦しい別れがあって、それが哲雄さんの送り方に大きく影響を及ぼしたと話す。 「実父はがんで、夫の病気の発覚前に亡くなりました。でも私は本人が嫌がっていたのに『死なせたくなくて』抗がん剤治療を強要してしまった。そのせいか父はみるみる弱っていきました。父から嫌だと再度言われたときに、治療中止に賛同して、最期は在宅で看取りました。それを見ていた夫が、葬儀のときにポツリ。『稚ちゃん、僕死ぬんだったらおとうさんみたいに家で死ぬ』って」  哲雄さんの病気が判明したのは11年6月ごろ。  その時点で腫瘍が大きく、手術ができない状況だったが、病を公表せず、亡くなる前日の10月1日まで雑誌取材に応じたという。危篤から回復した最後の40日間で事務的な死の準備を集中して行った。 「もともと冠婚葬祭の金子、と言われていたほどの人ですから、実に楽しそうにやっていて『これって金子さんの葬儀の話ですよね?』と周囲から言われるほどでした」  会葬礼状の執筆から遺影選び、通夜で振る舞う料理の中身まで自分で決めた金子哲雄葬には1300人もの人が参列した。  稚子さんが一人になった後に困らないように、実に細やかな指示も残していた。自宅に公証人を呼んで公正証書遺言を作成した。稚子さんはその場には立ち会わず、のちにその内容を知ることになるが、自分の葬儀費用を記し「このお金で執り行うように」という指示のほか、死後の祭祀についても明記するなど、稚子さんへの配慮も具体的だった。  遺品もハードディスク2枚のみとし「それ以外は全部捨てていいからね。もし大事そうに思えるものがあったとしても、それは捨てていいから」と添えていた。  亡くなる前に(自分の死を)伝えようと思って電話をしたのに、話せなかった人もいれば、電話すらできなかった人もいる。そんな人には連絡してほしい、と死後に連絡すべき人も稚子さんに細かく伝えていた。  稚子さんの引っ越し先も探していた。「死後1カ月以内に」と指定までしていた。 「指示どおりにはいきませんでしたが、夫の四十九日を終えてからそこに移り住み、今もそこに暮らしています。夫もここにいるようです」  金子家の夫婦じまいはほぼ完璧といえるだろう。 「あのときは必死で、『今話しているのは哲ちゃんが死んだら私がやることだよね』『そうだよ、稚がやることだよ、頼んだからね』と、淡々と進めていた気がします。でも今思えば、もうちょっと彼に甘えていても良かったかもしれません。『死なないで。一人にしないで』と彼にぶつけていたら、二人で一緒に泣けていたかもしれないから」  二人の「夫婦じまい」の詳細は、哲雄さんの最後の著書『僕の死に方 エンディングダイアリー500日』となった。  編集者としても寄り添った稚子さんは今、哲雄さんの遺志を引き継ぎ、死の前後に関する情報発信や心のサポートを行う「ライフ・ターミナル・ネットワーク」の代表として活動する。夫婦の間に子どもはいない。稚子さんは、子どもの有無にかかわらず誰しも生前から垣根を越えて付き合える人を何人か集めて、「自分の人生のチーム」を作っておくべきと説く。可能ならばそのメンバーの中に若い人も入れる。チームがあれば将来一人になったり、困ったりすることがあっても仲間がいることが生きる支えになるからだ。(本誌・大崎百紀) ※週刊朝日  2021年2月19日号より抜粋
「お前なんて森喜朗と一緒だよ―――!」 妻の怒りの言葉のパンチに鈴木おさむは?
「お前なんて森喜朗と一緒だよ―――!」 妻の怒りの言葉のパンチに鈴木おさむは? 放送作家の鈴木おさむさん この人と同じ?!(c)朝日新聞社  放送作家・鈴木おさむさんが、今を生きる同世代の方々におくる連載『1970年代生まれの団ジュニたちへ』。今回は、森喜朗氏の失言問題について。 *  *  *  東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会の森喜朗会長の「失言」が日々、話題になっている。あれを見て「なんで、あんなこと言っちゃうんだろうな」とか「そりゃ、怒るわ」と思っている人多いだろう。僕だってそうだ。だけど、まさか、自分が「そっち側」だと思っている人なんかいないだろう。  数年に一度、僕は妻にめちゃくちゃ怒られる。怒られる理由はコミュニケーションの取り方についてだ。以前、怒られた時には、僕の妻への言い方が高圧的であることを怒られた。そこから、反省し、自分なりに改善をしていたつもりだ。  だが、人間の根本は治らない。再びの緊急事態宣言になり、ほぼ家での仕事になった。僕の仕事は「会議」と「執筆」である。「会議」はテレビ局などでやることが多かったのだが、リモートになり、「会議」も「執筆」も家でやることが多い。そして息子、笑福は保育園に通っているのだが、うちの保育園では緊急事態宣言中は自粛の要請がでている。妻はなんだかんだで日々外に仕事に出かけていくが、僕は家での作業が多いので、息子が家にいることが多い。息子とコミュニケーションが増えているのはすてきなことなのだが、家でのリモート会議中に、ゲームやYouTubeの音が大きかったりすると注意したり、会議と会議の合間も一人で休んだりが出来ず、日がたつごとに、少しイライラしている自分がいた。イライラしているのも分かっていたし、妻との会話の中でも、つい、そんな自分が出ているのが分かった。数年前に怒られて反省したにも関わらず、妻との会話でつい、嫌な自分が出てしまう。  人間って不思議なもので、「今、自分、嫌な言い方したよな」ってわかっているのに、言っちゃうんですよね。そして気づいているのに、すぐには謝れない。  言った側は言うだけだからいいけど、言われた側は、「言われたポイント」がたまっているんですよね。それに気づけない。小さな怒りのポイントカードが少しずつたまっているのに。  で、先日、父の三回忌があり、千葉の実家に帰った。もちろんコロナ対策をして、法事を済ませた。その帰り、せっかくだからと「マザー牧場」に寄った。現在、マザー牧場はコロナ対策としてドライブスルー形式で楽しめる。車から降りずに、大きな牧場を走って行き、窓から色んな動物を見ることが出来るのだ。帰り道だし、車から降りないわけだし、思い出を一つ作って帰ろうと。  だが、マザー牧場に車で入ってすぐ。ちょっとしたことで妻と言い合いになった。本当にしょうもないことなのだが、コース終盤に車を降りて楽しめる場所があるのだが、その場所について、妻が僕に説明しているのに、僕は「違うよ」と強めに否定して、言い返す。結局、僕と妻が言ってることは同じなのだが、妻の言ってることを僕がついつい否定してしまうのだ。  すると、そんな僕に妻がぶちぎれた。「なんだよ、さっきから、違う、違うって。こっちの言ってることに聞く耳もてよーーーー」と。そしてそのあとの言葉がすごかった。 「お前なんか森喜朗と一緒だよ―――――――――――――!」  そして「あいつと同じで、聞く耳もたねえじゃねえかよ!同じだよーーーー」。その言葉を言われて、怒りを通り越して悲しくなった。  だって、だって、「森喜朗」って言われるんですよ。失言で世の中に叩かれている森喜朗会長ですよ。自分はニュースを見て「なんで、こんなこと言っちゃうのかな~」って思ってたのに、気づいたら自分がそっち側にいたんです。  自分も一緒だったってことに気づいて、悲しくなった。  言葉のパンチ力はすごすぎて、そのあと2時間ほど無言が続き……。「撤回」は出来ないので、反省しました。  全国の旦那様、そしておじさま方。もしかしたら自分も同じ側に立っているかもしれない。気を付けましょう。  妻よ、気づかせてくれてありがとう。夫を辞任はしません。 ■鈴木おさむ(すずき・おさむ)/放送作家。1972年生まれ。19歳で放送作家デビュー。映画・ドラマの脚本、エッセイや小説の執筆、ラジオパーソナリティー、舞台の作・演出など多岐にわたり活躍。パパ目線の育児記録「ママにはなれないパパ」(マガジンハウス)が好評発売中。バブル期入社の50代の部長の悲哀を描く16コマ漫画「ティラノ部長」の原作を担当し、毎週金曜に自身のインスタグラムで公開中。主演:今田耕司×作・演出:鈴木おさむのタッグで送る舞台シリーズ第7弾『てれびのおばけ』が4月14日(水)~4月18日(日) 下北沢・本多劇場で上演。YOASOBI「ハルカ」の原作「月王子」を書籍化したイラスト小説「ハルカと月の王子様」が2/19発売!
瀬戸内寂聴「生き過ぎたと思います」
瀬戸内寂聴「生き過ぎたと思います」 瀬戸内寂聴(せとうち・じゃくちょう)/1922年、徳島市生まれ。73年、平泉・中尊寺で得度。著書多数。2006年文化勲章。17年度朝日賞。近著に『寂聴 残された日々』(朝日新聞出版)。 横尾忠則(よこお・ただのり)/1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。2011年度朝日賞。15年世界文化賞。20年東京都名誉都民顕彰。(写真=横尾忠則さん提供)  半世紀ほど前に出会った98歳と84歳。人生の妙味を知る老親友の瀬戸内寂聴さんと横尾忠則さんが、往復書簡でとっておきのナイショ話を披露しあう。 *  *  * ■横尾忠則「池田満寿夫と熱く交わした、ぜんざい論争」  セトウチさん  ムカシ、池田満寿夫が生きていた頃、箱根の温泉旅館で対談することになりました。彼は僕より二歳年長で初対面でした。彼は版画家、僕はまだグラフィックデザイナーの頃です。さて、何から話そうかということになって、いきなり芸術論というよりも、先(ま)ずお互いの性格が表われ易(やす)い食べ物の話から、どうですかと編集者。  グルメではない僕は食べ物音痴なので料理の話はニガ手だ。ぜんざいの話ならできるけどと言うと池田さんも、「俺もぜんざい大好きだ」と、いきなり話が合ってしまった。でも、僕はツブあんでないとぜんざいとは言わない、と言うと彼は、コシあんこそぜんざいだと言う。コシあんはぜんざいではなく、おしるこだと反論すると、彼は「おしるここそがぜんざいだ」と主張し始めた。  そこでぜんざい論争になってしまった。彼は長野出身で、ツブあんを否定する。僕にすればコシあんこそ否定的対象だ。コシあんは口の中でもコシあん、胃袋に入ってもコシあん。それに対してツブあんは、口の中でツブあんだけれど噛みくだいて胃の中に流し込んだ時にはコシあんにメタモルフォーゼして、二度感触が味わえる。まさに芸術ではないか、と僕。池田さんは最初から最後まで変(かわ)らないのが伝統だと言い張る。僕はあくまでもブルトンのシュルレアリスムで応戦。池田さんの信奉するピカソも、君の作品だって変化するのに、変化しないコシあんが好きだというのは、君の芸術観は不正直過ぎると再び突っ込む。  彼は僕のツブあんがコシあんに変化するのは一貫性がないと言う。それに対して僕は一貫性に固執するその態度は権威主義的で人間としても面白味がない、作品はコロコロ変化する多様性こそ現代社会に対応しており、固執するのは停滞の証拠だ。  とかなんとか、お互いに、口から出まかせに自己主張。ぜんざいから芸術論争に発展してしまった。編集者は大満足で、版画の芸術性とデザインの大衆性、まさにハイ&ローの実に今日的な課題だと喜ぶが、こっちは、カリカリ。「対談は成立しない」打ち切ろう、ということになってしまった。  箱根温泉まで来て、仕事が成立しなくなってしまった編集者は、マッ青。「まあ、まあ、温泉でも入りませんか」ということになって三人で大浴場に入ることになった。お互いに裸になって言いたいことを言ったが、本当の素裸になると、先(さ)っきまでのぜんざい論争がバカバカしくなってしまった。やっぱり素裸になると対談は仮面の告白で、お互いにつっぱり合っていたことがわかって。池田さんと顔を見合せて、湯船の中で大声で笑いころげたものだ。  こうして、本気で自己主張することで、お互いに吐き出すものを吐き出して、なんだか、お互いのカルマが解脱したように思えた。池田さんとはこの日以来、気心の知れた仲になって、ニューヨーク、サモア、タヒチ、フランスへと度々、旅行などして、一度ももめることはなかった。本当の友人とは言いたいことを言い合って空っぽになった時、親密になるように思えた。精神の裸と肉体の裸を両方見せたら、問題(対立)がなくなった。 ■瀬戸内寂聴「スイーツ好みでスマートなヨコオさん」  ヨコオさん  今朝の京都の新聞は、一面の真中に、塗椀(ぬりわん)に、大きなお餅の浮(うか)んだ「ぜんざい」の写真が坐(すわ)り、「節分は“ぜんざい”で厄除(やくよけ)招福」と、大文字で謳(うた)っています。  その写真の美味(おい)しそうな「ぜんざい」を見たとたん、ヨコオさんの和んだ顔が浮かびました。  ヨコオさん御夫妻と一緒に温泉へ旅した時、一夜を明かした朝の食事に、ヨコオさんは味噌(みそ)汁の替(かわ)りに「ぜんざい」を要求し、それが運ばれてくると、さも美味しそうに三杯くらい、あっという間に食べてましたよね。いつもすっきり痩せていて、スマートなヨコオさんが、若いムスメのように、甘いぜんざいをペロリと召し上がるとは!  そのあと、街へ散歩に出たら、目につく菓子屋に、必ずはいって、ぜんざいを召し上がるのでした。あんまり美味しそうなので、つい、つられて、私も注文してみますが、とてもヨコオさんの何分の一も食べきれません。その甘党ぶりと、スマートなほっそりとしたスタイルの違和感に、まずびっくりさせられたことでした。  以来、つきあう度に、ヨコオさんの甘党ぶりに慣れて、どこかの旅先や、散歩の途中で、甘い物屋の店先を通ったりすると、必ず、ヨコオさんの甘い物を食べている時の、和やかで無邪気な表情を想(おも)い出すのです。そんなに甘い物好きなのに、ヨコオさんはいつだって、ほっそりスマートなのは、どうしてだろうと、寂庵ではよく話題になっています。  もの心ついた時から、ひどい偏食の私の数少ない好物に、小豆飯があります。それもあたたかい炊きあがりではなく、さめた冷たい小豆御飯(ごはん=古里の徳島では“おこわ”と呼んでいた)が大好きで、さめたおこわのお茶漬けが何よりのお気に入りでした。小豆御飯をお茶漬けにすると嫁入りの時、雨になると、年寄りたちが言い習わしていました。それでも私は「おこわのお茶漬け」が止められませんでした。ところが嫁入りの時は、一滴の雨も降りませんでした。  赤飯のお茶漬けなど、消化が悪いに決まっているので、子供に食べさせまいとしたのは、大人の知恵でしょう。私の命がみじかいと信じきり、わがまま一杯に育ててしまった母の、無教養を、私は一度だって怨(うら)んだことはありません。二十の時、自分で気づいて、断食寮へ入り、四十日かけて、本式の断食をして、すっかり体を仕立て直したのがきいたのか、今や数え百歳まで長生きしています。  最近、さすがに体が弱ってきて、歩く旅はあきらめきっています。  脚の丈夫だった頃、インドへ何度も行ったことなど夢のよう。それもヨコオさん父子と御一緒したのは夢のようですね。  いつ行ってもインドは、ここを昔々、お釈迦さまは、御自分の脚で歩いて通られたのだと思われる路が至るところにありました。歩きつかれて、傷んだ靴で、一歩一歩踏みしめながら、この道をたしかにお釈迦さまは歩いて行かれたのだと想うと、不思議な体力が疲れ切った自分の躰(からだ)にみなぎってきた感覚を、忘れることができません。  御一緒したインドの旅も、二十年も昔の想い出になりました。生き過ぎたと思います。 寂聴 ※週刊朝日  2021年2月12日号
カウンセラーが語る「一度壊れたカップルの関係修復に必要なこと」
カウンセラーが語る「一度壊れたカップルの関係修復に必要なこと」 写真はイメージです(C)GettyImages カップルカウンセラーの西澤寿樹さんが夫婦間で起きがちな問題を紐解く連載「男と女の処世術」。今回のテーマは「一度壊れた関係の修復」について。自分に非があると思うと過去を反省し、「今後は○○します」と未来を誓う――というのがよくありがちですが、実はこのパターンがよろしくないと言うのです。いったい、どういうことなのでしょうか。 *   *   *  年末年始、Netflixで公開されている「愛の不時着」が人気でしたね。ご覧になられた方も多かったと思います。  恋愛ドラマ、というか女子がきゅんと来るストーリーにはいくつかのパターンがあるという話を聞いたことがあります。いわく、「この人」と意識する前に、気づかずにどっかで既に出会っていた、というのがその一つなのだそうです。  確かに「愛の不時着」もそういう構図になっています。出会ったのが偶然であると同時に運命だったんだ、というのがいいのだそうです。  ふと、しばらく前にお会いした智弘さん(仮名、40代、管理職)の話を思い出しました。 「共働きなのに、妻一人に家事や子育てを押し付けてしまって……仕事をしていたのは事実で、仕事に頑張ることが家族のためだと思っていたんですが、こんな手紙を置いて妻が子供を連れて実家に帰ってしまって……」  その手紙には、「私は孤軍奮闘して、心も体も悲鳴を上げてあなたに助けを求めたけど、あなたは聞いてくれなかった。もう愛情がなくなってしまった。いまでは憎しみすら感じることがあるから、もう一緒に生活するのは無理だと思う。だからいったん実家に帰ります」というような趣旨のことが書かれていました。  智弘さんはそれを読んで、こうおっしゃいました。 「私は頭をガーンと殴られて目が覚めた思いで、すぐには無理かもしれませんが、少しでも愛情を取り戻してもらうために自分なりにできることは何でもする決意なんです。ただ、変わった自分を見てもらうチャンスを欲しいといっても、妻は、愛情が戻らない限り実家から帰るつもりはないとけんもほろろで、変わった自分を見てもらうチャンスすらもらえずどうしたらいいかわからないので、何でもいいので解決の糸口が見つかればと思って」  そこで「自分なりにできること」として、どんなことをしようと思っているのか聞いてみました。 「共働きなのに、家事の分担が不公平だったので、できる限り会社から早く帰って、妻が料理している間は子守をして、掃除、洗濯、風呂掃除はするようにするとか……」 「他にも何かありますか?」  とお聞きすると、不意をつかれたような沈黙の後、こうおっしゃいました。 「一緒に楽しい時間を作りたいです」 「例えばどんなことをして一緒に楽しむことをイメージしていますか?」  そうお聞きすると、また、しばらくの沈黙の後にこうおっしゃいました。 「他愛もない話を普通に笑いあって話をするとかができれば楽しい気分になると思います」  ここまで読んで、仮に妻が「お試し期間」として1週間帰ってきて、これでうまくいくと思われる方はどのくらいいらっしゃるでしょうか。  人間のことなので「100%」はありませんが、私は、これでは何ともならないだろうと想像しました。 ■「愛の不時着」と決定的に違う点  つまるところ、智弘さんのゴールは、「現在は存在しない智弘さんに対する愛情をもってもらうこと」のようです。それを前提にすれば、その目標達成のためにどんな方法が効果的か、と考えるのが妥当でしょう。  そこが冒頭の「女子がきゅんとなる」プロットの話とつながります。これはドラマだからできるプロットですが、「出会い方」が重要だという話なので、「初見で一目ぼれ」ならまだどうにかその後の「出会い方」の演出ができるかもしれません。が、既に出会っている智弘さんのケースではなかなか難しそうです。で、智弘さんは家事を手伝うという方法で彼女の愛情を獲得するとおっしゃっているわけです。  しかし、例えば、私が「愛の不時着」のヒロインのソン・イェジンさんを好きになって、 「私があなたを口説きたいから、1週間同居して私を見てもらうチャンスが欲しい」  と言ったとして、そもそもそんな話が通るとは思えませんし、仮に万々が一、それが実現したとしても、私が家事を誠心誠意することで、彼女が私を好きになることは考えられません(家事で恋愛が成就するならみんなあこがれの人と結ばれるはずです)。  私の話が荒唐無稽なのだとしたら、智弘さんの話も同じ構図ですから、可能性が相当に低いことが予想されます。  紘三さん(仮名、50代、起業家)の話も似たような感覚を覚えました。紘三さんは10年ぐらい前に不貞が発覚して一時夫婦仲が険悪になったものの、どうにか「乗り越えた」そうですが、仕事だといって部下の女性と飲みに行ったりしていたのがばれたりして、また関係が悪化したのだそうです。  そのうえで、こうおっしゃいます。 「妻が自分に関心がなくて、男女の愛情っていうのはもうなくて、空気のような存在だっていうんです。でも、私は妻のことを愛しているんです。どうにかそのことをわかってほしいのです」  これって、自分のことを多少ネガティブにみている女性を口説くのと似ているなぁと思いました。自分のことをどちらかといえば避けている異性を好きになったら、どうやってアプローチしますか?  紘三さんは何回かおいでになった帰り際に、私のオフィスのそばの店の名前を挙げて、「あの店どうですかね?」とお聞きになりました。その店は、私がランチに行くような店ではないので、いわれるまでそんな店があることすら気づいていませんでしたので、その旨を伝えると、 「私だって頑張っているんですよ」 と、にこやかにおっしゃいました。  ああ、紘三さんはこういう風に頑張るんだな、と思いました。おいしくて雰囲気の良いお店に連れていって、楽しませてあげることが、自分への好意や愛情を獲得する紘三さんなりのやり方なのです。事実、相手が仕事上のお付き合いの方(接待)でも、プライベートで仲良くなりたい女性でもそれでうまくいってきたのでしょう。  智弘さんの一緒に楽しい時間を作る、という話を一歩具体化したものです。 ■「楽しい時間を共有する」は“万能”ではない  しかし、カウンセリングにおいでになるたびに、妻の郁海さん(仮名、50代、専業主婦)を「接待」しているようなのですが、なかなかうまくいかないようでした。  つまるところ、「楽しい時間を共有する」は、二人の関係が良好なときはより親密感を増大させる効果があり、二人の関係がニュートラルなときは一歩ポジティブな印象を形成する効果があると思いますが、ネガティブな印象を改善することは難しい、というか、ネガティブな印象を持っている相手と本当に楽しい時間を共有すること自体がそもそも難しい、という現実があります。  ベースにある気持ちを増幅するのは比較的容易ですが、ベースにある気持ちを変えるのは難しいということです。  なので、ある限定的な状況でしか使えないにしても、冒頭に書いたような、気持ちをきゅんとさせるようなテクニックって、(私には効果のほどがわかりませんが)本当に効果があるのだとすれば、すごいなと純粋に思うのです。  私には、そういうアイデアを伝授する能力はないので、もう少し別の切り口から考えます。  そもそも、両方の当事者に、本当に愛情がないのなら、関係が成立しないはずです。愛情がなくなった、とか愛情が薄れたという話はよく聞きますが、私はその手の話には懐疑的です(本当に愛情がなくなっているケースも多少ありますが)。本当に愛情がないなら、わざわざそんな話をしにカウンセリングに来ること自体に違和感があります。  そんな話をすると、「良かった」とほっとされる方がいらっしゃいます。最初の例の智弘さんもそうでした。でもそれは早合点です。智弘さんは、「少しでも愛情が残っているなら、それを広げて……」と夢がいきなり膨らみましたが、そうではなく智弘さんに対するネガティブな気持ちのほうが大きいので、そちらを膨らますことは比較的容易ですが、ポジティブな気持ちをふくらますのは難しいのです。  智弘さんも紘三さんもそうなのですが、ポジティブな気持ちを膨らますために、家事を頑張ったり、楽しい時間を作ろうとしたりするわけですが、そのアプローチは難しいのです。本当の問題は、100%を超えるようなポジティブな気持ちがあって結婚したはずなのに、それが見えないほど小さくなっているのは「今」何がどうなっているのか、なのです。  智弘さんに聞いてみると、 「共働きなのに、自分の仕事のことで頭がいっぱいで、家事をしなかったのが原因なので」  と過去のことを話し始めました。そう認識しているから、家事をするという対処をしようとしているわけです。よく言えばとても素直な反応です。しかし、意地悪く言えば、妻に非難されたことのうち、自分が理解できたことをただオウム返しに繰り返しているように聞こえます。 ■対応すべきは過去や未来でなく「今」  私は、そうではないだろうと思います。私が、イェジンさんに前述の1週間のお試し期間に「あなたの言うことを何でもするから、好きになって」といって好きになってくれることもないだろうと思います。  私の理解では、 「あなたに助けを求めたけど、あなたは聞いてくれなかった」  と、「今」言っていることが重要なはずです。これに「今」どう対応するかが課題です。  経験的にダメな対応はわかっています。 ・謝る ・事情を説明したり、反論したりする ・これからはこうするという  などです。  じゃあ、どうしたらいいのか、と聞きたくなるのが普通だと思います。紘三さんも智弘さんもお聞きになりました。私は「あなたに助けを求めたけど、あなたは聞いてくれなかった」という気持ちをわかってほしいということだと思いますよ、とお伝えしたら、 「それはもう十分わかっています。」  とおっしゃいます。智弘さんの妻に聞いてみました。 「智弘さんは、こう言っていますが、わかってもらえている感じがしますか?」 「いいえ、まったく。この人はいつも口だけなんです」  妻はこうおっしゃいました。私の理解では、「今」行われているこのやり取りこそが糸口です。上述のダメな反応は、過去の説明や謝罪、将来の約束で、いずれも「今」の話ではありません。  糸口を見つけたいとおっしゃる方は、糸はきれいに巻かれていて、糸口を見つければ(多少の苦労があるにしても)あとは糸を引っ張っていけば自動的に問題が解決するというような無意識の前提がありますが、本当は、糸がきれいに巻かれてないことが問題なのです。だから、糸口にたどり着くというステージと、糸口にたどり着いてからそれをほどいていくという2つのステージがあります。  智弘さんの立場なら、どう答えるでしょうか?  関係がすでに険悪なのでなければ、こういった話をしておくのは、二人の関係をよりよくするために有効なことです。                         (文責:西澤寿樹) ※事例は、事実をもとに再構成しています。
村上春樹が“ボサノヴァ・ガールズ”結成 ジャズでもクラシックでもない理由
村上春樹が“ボサノヴァ・ガールズ”結成 ジャズでもクラシックでもない理由 3年目を迎えた「村上RADIO」のスタジオで、村上はつかのまジャズバーのマスターの表情に戻る (TOKYO FM提供)  新型コロナウイルスの感染が広がる中、世界中に読者を持つ作家・村上春樹さんが本誌の単独インタビューに応じた。「どんな状況でも人は楽しめるなにかが必要です」と語る。では、村上春樹さんが今、楽しめるなにかとは何だろうか──。 作家であり、音楽のフィールドでも精力的に活動する村上は、2月14日のバレンタインデーに東京・半蔵門にあるTOKYO FMホールで行われる音楽イベントもプロデュースする。タイトルは「MURAKAMI JAM ~いけないボサノヴァ Blame it on the Bossa Nova~supported by Salesforce」。ミュージシャンで村上の番組のナビゲーターでもある坂本美雨とともに自身が司会を務め、後述する腕利きミュージシャンがボサノヴァのライブ・パフォーマンスを行う。  しかし、今回なぜボサノヴァのセッションにしたのか、不思議に思った村上ファンも多いかもしれない。  というのも、村上小説のほとんどで音楽が登場するが、それらはほぼジャズとクラシック。次いでロックだ。作品中にボサノヴァを見つけるのは難しい。デビューから40年のキャリアのなかでは、『ノルウェイの森』でレイコさんがギターで弾く「デサフィナード」、初期短編集『カンガルー日和』に収められた短編「1963/1982年のイパネマ娘」、『国境の南、太陽の西』に出てくる「コルコヴァード」、2020年の短編集『一人称単数』所収の「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」くらいだろうか。 「今はコロナ禍で世界中が大変なとき。でも、どんな状況でも人には楽しめるなにかが必要です。そこで、ボサノヴァをテーマにしました。バレンタインデーにふさわしい洗練された音楽ですし、ミュージシャンと話をすると、ボサノヴァが嫌いな人はまずいません」  1950年代後半にブラジルでサンバとジャズがクロスして生まれたボサノヴァは、8ビートを基本に静かな抑揚で演奏される。ブラジル以外の国で聴かれるようになったのは、60年前後。フランスとブラジルの合作映画「黒いオルフェ」にボサノヴァが使われ、62年にニューヨークのカーネギーホールでジョアン・ジルベルトやカルロス・リラがボサノヴァ・コンサートを行ったころからだ。63年にはボサノヴァの金字塔ともいえるアルバム「ゲッツ/ジルベルト」が録音され、収録曲の「イパネマの娘」が世界的に大ヒットしたとき、村上は10代だった。 「僕が高校に入ったころ、毎日のようにラジオから『イパネマの娘』が流れていました。ものすごく新鮮でした。それがボサノヴァとの出会いです」  かつてジャズバーを経営していた村上はアメリカの白人のテナーサックス奏者、スタン・ゲッツのレコードをほとんど手に入れて愛聴している。2019年にはドナルド・L・マギン著『スタン・ゲッツ 音楽を生きる』を翻訳。そのジャズ界のレジェンドのゲッツが、ジャンルの枠を超えてレコーディングしたアルバムが「ゲッツ/ジルベルト」だった。 「スタン・ゲッツ、ジョアン・ジルベルト、アントニオ・カルロス・ジョビン、(ジョアンの元妻)アストラッド・ジルベルトによる『ゲッツ/ジルベルト』はリアルタイムで聴きました。最初は『イパネマの娘』だけだったけれど、やがて『デサフィナード』や『コルコヴァード』など、ほかの曲もラジオでかかり始めた。全曲素晴らしい。1964年に、ゲッツとアストラッドがニューヨークのジャズクラブ、カフェ・オー・ゴー・ゴーで共演したライブアルバム『ゲッツ・オー・ゴー・ゴー』も、すぐにレコードを買いました」 「ゲッツ/ジルベルト」はグラミー賞最優秀アルバム賞をはじめ数々の賞を受賞した。その一方で、ゲッツとジルベルトの不仲、アストラッドとゲッツの不倫、金銭トラブルなど、数々のエピソードも伝えられている。 「あのアルバムでは、ブラジル生まれの音楽とアメリカのジャズ、二つの文化、あるいは二つの“海流”と言っていいかもしれませんが、それらが真っ向からぶつかった。衝突によって生じる輝かしさ、混乱、スリル……が感じられます」  アルバムの前、ゲッツはヘロイン中毒で実刑判決を受け、半年の服役後にスウェーデンへ移住。しばらくジャズから距離を置いていた。 「帰国すると、アメリカのジャズシーンが変わっていました。ゲッツ不在のうちにジョン・コルトレーンがナンバーワンのテナー奏者になっていました。ゲッツは、それまでのジャズとは違う方向を示さなくてはいけなくなったわけです。一方、ジルベルトとジョビンの音楽はアメリカで認められ始めた時期でした」  だれもが次の新しいなにかを求めていた。 「だからこそ、自然発生的に幸福な作品が誕生したのでしょう。あれより少し前でも、少し後でも、奇跡は起こらなかった。ゲッツとジルベルトももめましたけれど、ジルベルトとジョビンの方向性も変わり、気持ちが離れていきましたから。ゲッツ、ジョアン、ジョビン。3人のレジェンドがキャリアのピークに出会ったからこその奇跡です。3人とも気力が一番充実しているときでした」  村上JAMでは、ジョビンが作曲した曲を主に「ゲッツ/ジルベルト」の収録曲も演奏される予定だ。 「でね、ボサノヴァの一番の魅力がなにかというと、鑑賞する音楽だということだと、僕は思っています。『ゲッツ/ジルベルト』の時代のアメリカではダンス音楽が流行っていました。マンボやチャチャチャです。最初は多くの人はボサノヴァもダンス音楽だと思って聴いていました。ちょっと軽く見ていたわけです」  ところがボサノヴァは、リスナーが思っていたよりも高度な音楽だった。「同じブラジルで生まれたサンバは踊る音楽だけど、ボサノヴァは踊れないんですよ。繊細でソフィスティケートされた音楽だから、演奏者もリスナーも同時に体を動かすなんてできません。鑑賞音楽であることがボサノヴァの最大の強みの一つです。踊る音楽は多くの場合、衰退していきます。流行と衰退をくり返す。でも、ボサノヴァは聴く音楽だから、ずっと残っているんですよ」  JAMのテーマをボサノヴァに決めた村上は、まず音楽監督を任せるジャズピアニスト、大西順子に連絡をした。 「大西さんは戦闘的で意欲にあふれ、それが音に表れています。今回もボサノヴァのセッションを快く引き受けてくれました。彼女の演奏はバーンとはじけるでしょ。彼女ほど素直にはじけられるミュージシャンは、最近少なくなりました」  ブラジルで生まれ育ったシンガー・ソングライター、小野リサにも依頼。 「僕はリサさんのファンなんです。彼女の歌は本場のボサノヴァです。ブラジルの空気も感じられる。彼女が歌う日本のポップスも好き。日本のシンガーにはたいがいコブシがあります。ア・ア・ア・アン……って。それも悪くはありませんが、リサさんはどんな曲を歌ってもコブシがない」  そしてクラシックのフィールドで村治佳織に声をかけた。 「クラシックのギタリストがボサノヴァのセッションでは、どんなアプローチをするのか、期待しています。村治さんは歌うようにメロディーを奏でる。クラシック系のギタリストには、歌うような演奏を恐れる人もいますけれど、彼女は恐れない。大西さんやリサさんとどんな演奏をするのか、想像もつきません」  司会の坂本美雨もシンガーとして加わる。 「名盤『ゲッツ/ジルベルト』の録音から50周年の13年、日本人ミュージシャンを主に『ゲッツ/ジルベルト+50』というトリビュート盤がリリースされました。そこで美雨さんが『デサフィナード』を歌っているんです。彼女たち4人で“ボサノヴァ・ガールズ”を結成してもらいます」  そして、スペシャル・ゲストには山下洋輔も。 「美雨さんが歌った『デサフィナード』では、洋輔さんがピアノを弾いていましてね。大西さんに話したら、“最終兵器”として洋輔さんを投入しましょう、と言いだした」  その場で、大西は山下に電話をかけ、OKの返事をもらった。 「ボサノヴァが生まれて60年くらい経ち、今では世界共通言語のように演奏されています。ブラジルだけでなく、各国それぞれのボサノヴァがある。日本人が演奏するボサノヴァだからこその解釈や魅力もあります。今回の顔合わせは、とても新鮮。僕自身リスナーとしても楽しみです」 (聞き手/神舘和典、本誌・森下香枝) 村上春樹(むらかみ・はるき) 1949年生まれ。早稲田大学在学中にジャズバーを開く。79年、『風の歌を聴け』でデビュー。87年発表の『ノルウェイの森』は上下巻1000万部を売るベストセラーとなり、春樹ブームが起きる。海外でも人気が高く、世界中で大きな影響力をもつ作家の一人。音楽好きで翻訳本『スタン・ゲッツ 音楽を生きる』(ドナルド・L・マギン著)などがある。 ※週刊朝日  2021年2月12日号より抜粋
移住希望者と地方をwin-winでつなぐ「地域おこし協力隊」 霞が関キャリア官僚も憧れの田舎暮らしへ
移住希望者と地方をwin-winでつなぐ「地域おこし協力隊」 霞が関キャリア官僚も憧れの田舎暮らしへ サーファー御用達の大岐の浜を背に立つ染谷さん。土佐清水市は、東京から空路と陸路で約5時間と、最も遠い市の一つだ。市内には四国最南端の足摺岬がある(写真:染谷さん提供) 加藤さんは「地域の方と共同して町を活性化させ、演劇祭事務局の開設準備も進めています。専門職大学の学生とも世代を超えた連携を築きたい」と話す(撮影/澤田晃宏) 小谷さんは現在、退任後に知り合った男性と結婚し、竹野町内の平屋の古民家を購入した。夫婦で自宅を改修し、今後も竹野の町で生きていくつもりだ(撮影/澤田晃宏) AERA 2021年2月8日号より  コロナ禍もあり密の少ない地方に移住したいが、就業先があるか不安。「地域おこし協力隊」はそんな人々と、人材がほしい自治体の架け橋だ。AERA 2021年2月8日号では、制度を使って移住を実現した人たちの声を聞いた。 *  *  *  目標だった中国での駐在員生活は、わずか4カ月で幕を閉じた。  染谷輝夫さん(40)は大学時代に1年間休学し、中国へ留学。卒業後は中国語のスキルを生かしメーカーなどで働いてきたが、勤め先には現地法人がなく、駐在員のポストはなかった。  38年間生まれ育った東京を離れ、中国に現地法人を持つ電子部品を扱う大阪市内の商社に転職。念願叶い、北京に渡ったのは2019年10月だ。 「中国の旧正月である春節(20年は1月25日)の大型連休前に帰国しましたが、新型コロナの感染が広がり、北京に戻れなくなりました」  染谷さんは東京の実家からリモートワークで仕事を続けたが、思うように進まず、苛立ちを感じていた。日本でも感染が拡大するなか、里帰り出産で高知県土佐清水市の実家に居を移していた妻が20年2月に出産した。  染谷さんは今後を考えた。 「しばらくコロナが収束することはないだろう。これまでは仕事ばかりの人生でしたが、自然豊かな地域で子どもを育てたいと考えるようになりました。土佐清水市には何度となく足を運んでおり、最高の環境だと思いました」  だけど、どうやって──。 ■隊員の6割はその後も定住 政府は今後も増やす方針  人口約1万3千人の土佐清水市は、人口の約50%が65歳以上の高齢者で、主要産業である漁業の衰退が進む。妻の実家の近くに宗田節の製造工場があったことは覚えているが、簡単に仕事が見つかるとは思えなかった。  そんなとき、妻から連絡があった。 「土佐清水市が地域おこし協力隊を募集しているよ」  職務内容は、土佐清水市への移住促進業務だった。染谷さんは振り返る。 「協力隊のことはまったく知りませんでした。民間企業で利益追求型の仕事ばかりをしてきたので、何か人のためになる仕事は魅力的に思えました」  協力隊とは何なのか。  09年、人口減少や高齢化が著しい地方の人材確保と都市部から地方への人の流入を目的に、総務省が創設した制度だ。後者の目的のため、協力隊の応募は3大都市圏や政令指定都市の居住者に限られる。協力隊員は年々増加し、19年度までに任期を終えた協力隊員は4848人に上る。男性が過半の6割を占め、約7割は20~30代で、40代も約2割いる。  協力隊の任期は最長3年間で、任期終了後も約6割が同じ地域に定住し、その3人に1人が起業している。一定の成果が認められ、政府は24年度までに協力隊を8千人にまで増やす方針(20年7月17日閣議決定)だ。  協力隊にかかる経費は国からの地方交付税で賄われ、20年度は協力隊1人当たり上限440万円。その内訳は、隊員の給与に当たる報償費が240万円、その他の経費が200万円だ。その他の経費には、活動旅費や、作業道具代等の消耗品費、また、協力隊の居住費や車両費も含まれる。  報償費の上限は21年には270万円、23年以降には上限280万円にまで引き上げられる。20年から正社員と非正規社員の不合理な待遇差を解消する「同一労働同一賃金」が民間企業で導入され、公務員の世界でも正規職員と非正規職員の待遇差を是正する「会計年度任用職員制度」がスタート。民間企業のボーナスにあたる期末・勤勉手当や、退職金が加算されるようになったためだ。  もっとも、報償費はあくまで上限で、自治体により異なる。20年7月に土佐清水市の協力隊として着任した染谷さんの月給は14万3612円。それでも、車両が無償で貸し出され、3LDK・約80平米の戸建て住宅の家賃も経費から支払われる。任務終了後に協力隊が起業を目指す場合は、受け入れ先を問わず別途100万円の補助も出る。  染谷さんは「米に野菜に魚と、近所からのお裾分けも多く、貯金を切り崩さずに生活できている」と話す。 「土佐清水市では現在も農業、林業の担い手や、ブランド鶏のPRや販路開拓に関する活動など、様々な募集を行っています。地方移住を考える際、協力隊がその背中を押す制度となっていることは確かです」 ■10人の募集に50人超応募 演劇祭の担い手として活躍  コロナ下で低密な地方に関心が高まるなか、その「移住手段」として協力隊に注目が集まっている。  北は日本海、東は京都府に接する人口約8万人の兵庫県豊岡市。20年末時点で48人の隊員を採用し、任務終了後の定住率は100%だという。  20年度は夏と冬に協力隊を募集した。夏は17人の募集に56人、冬は10人の募集に52人の応募があった。豊岡市環境経済課の大岸由佳さんは、 「応募の多さに驚きました。19年末に募集した際は、応募者数は定員の1.5倍で、コロナの影響があったと思います。都市部で様々な経験をした人に街を活性化させて欲しい」  加藤奈紬(なつみ)さん(25)は「豊岡演劇祭」の企画・運営業務の協力隊に採用され、20年8月に豊岡市に移住した。  豊岡市には4月、演劇を必須科目とする芸術文化観光専門職大学が開校する。その初代学長予定者が、世界的にも知られる劇作家・演出家の平田オリザさんだ。自ら主宰する劇団「青年団」を引き連れ、19年に平田さん自身も豊岡市に移住。豊岡演劇祭を5年でアジア最大、10年で世界有数の国際演劇祭にすることを目指して、19年に第0回「豊岡演劇祭」をプレ開催した。20年から本格的に豊岡演劇祭として開催している。  加藤さんは芸術大学を卒業後、19年に都内の制作プロデュース会社に就職。イベントの企画宣伝や海外のビジターの手配など、充実した日々を送っていたが、コロナで状況は一変した。  イベントは次々と延期になり、緊急事態宣言が発令された4月には、全ての活動が一旦停止の状況に。契約社員として入社した加藤さんは、7月末に契約更新を控えていた。知人を辿って新しい働き口を探すも、業界全体が新しい雇用を担保できるほどの余裕はない。そんなときに見つけたのが、豊岡市の協力隊の募集広告だった。 「以前から場づくりに興味があり、地域おこし協力隊のことは知っていました。それも、演劇に関する事業の募集で、もうこれしかないと思い、その日のうちに応募書類を書き始めました」  書類選考、Zoomでの面接を経て、8月末には豊岡市に移住した。着任早々、豊岡演劇祭の事務局業務や、出演アーティストへの対応に追われた。  協力隊としての加藤さんの給与は21万円。駐車場代込みで家賃6万5千円の住居費(2LDK)に加え、リース会社から借りている車の借り上げ料も協力隊の経費から出る。  協力隊の約8割は自治体と雇用契約を結び、会計年度任用職員として活動しているが、NPOや観光協会と雇用関係を結ぶケースもある。個人事業主として活動する加藤さんは国民健康保険、国民年金は全額自己負担だが、手取りで15万円以上はある。協力隊としての月140時間の活動をすれば、兼業・副業も認められている。 「東京で働いていたときは給料が安く、家賃の安いシェアハウスに住んでいましたが、手元にお金が残らず、携帯代を親に負担してもらっていました」  生活も安定し、任務終了後に向け、貯金も始めたいと加藤さんは話す。 ■霞が関のキャリア官僚から実現した田舎暮らし  任務終了後に定住した協力隊が、新たに人を呼び寄せる動きもある。NPO法人たけのかぞく(豊岡市竹野町)理事長の小谷芙蓉(ふよう)さん(34)は、豊岡市の元協力隊だ。  たけのかぞくでは、竹野への移住者を増やすため空き家や仕事の情報を発信するほか、移住希望者の相談にあたっている。小谷さんらの活躍もあり、豊岡市への移住者は20年12月時点で75人。昨年度の56人を大きく上回る。  19年度からは特産品の開発・販売事業も開始した。漁網や漁船のスクリューに絡み、漁師から厄介ものにされてきたアカモク(ホンダワラ科の海藻)を乾燥させ、食物繊維やミネラルが豊富な「藻食健美 乾燥あかもく」の販売も始めた。19年度の事業収入は約680万円。常勤職員は小谷さん1人だけだが、NPOの活動だけで生計をたてられるまでになっている。  小谷さんは大学卒業後、自然環境業務を行うレンジャーとして働くことを希望し、09年4月に環境省にキャリア官僚として入省した。霞が関の本省勤務を経て、3年目からは念願の現場レンジャーとして国立公園の管理にあたった。それが現在暮らす竹野町エリアも含む、山陰海岸国立公園だった。  竹野での生活はすべてが新鮮だった。春夏秋冬にメリハリがあり、海も山も姿を変える。夏は観光客で賑わう竹野浜海水浴場が徒歩圏内にあり、こんな綺麗な海をプライベートビーチのように使える贅沢さに感動した。  ただ、その生活は3年で終わった。14年には再び霞が関へ。官僚は激務で、特に国会開会中は、野党議員からの質問通告を待ち、質問の意図がわからなければ、ヒアリングに行く。答弁書を作成したり、答弁する大臣に説明したり、国会対応に明け暮れる。 「9時くらいに登庁し、退庁は早くて22時。終電がなくタクシーで帰る日や土日登庁もあり、各省庁にはもっとハードな部署もありましたが、このままでは体が壊れると思いました」(小谷さん)  夏休み、休暇を使って竹野浜海水浴場で開催される花火大会に向かった。  やはり、ここで暮らしたい。  だけど、どうして生計を立てていけばいいのか──。竹野で働いていた当時に仲良くなった地元住民に相談すると、役場が協力隊を募集していることを知った。迷いはなかった。 「なぜ、こんな素晴らしい環境なのに、若者が都会に出て戻ってこないのか不思議に思った。自分の大好きな竹野をみんなに知って欲しい」と、協力隊2年目にたけのかぞくを設立した。  協力隊という制度について、小谷さんはこう話した。 「自分は何ができるのかわからない状況でも田舎暮らしをスタートすることができ、実現に向けて3年の準備期間が与えられる。その間に、地域との関係を作ったり、地域のニーズを調べたりすることもできます。地方での生活に憧れる人にとって、うまく活用できれば有効な制度だと思います」  目下、コロナ移住者はリモートワークの普及した一部の大企業やITベンチャー企業の社員に限られるのが現状だ。退任後の保証はないが、協力隊がコロナ下で地方移住に関心を持つ人たちの希望になっている。(フリーランス記者・澤田晃宏) ※AERA 2021年2月8日号
どうなる眞子さまと小室さんの「新婚生活」 皇族らが集う「菊栄親睦会」入りで晩餐会出席も?
どうなる眞子さまと小室さんの「新婚生活」 皇族らが集う「菊栄親睦会」入りで晩餐会出席も? 2017年、婚約内定会見に臨んだ眞子さまと小室圭さん (c)朝日新聞社  父の秋篠宮さまが「結婚を認める」と言及した長女の眞子さまと小室圭さん。結婚すれば眞子さまは皇籍を離脱するが、実は、国民が想像するより「皇室に近い」新婚生活を送ることになる。  象徴的なのは皇室と元・旧皇族でつくる菊栄親睦会。上皇ご夫妻と天皇、皇后両陛下と愛子さまら名誉会員、皇族や元皇族から成る会員、その家族や親族ら準会員で構成される組織だ。 「眞子さまは結婚後も引き続き会員としてリストに記され、小室さんと母親の佳代さんも準会員の資格者にあたります」(宮内庁関係者)  平成のときは、天皇の古希や傘寿のお祝いの際、大規模な「菊栄親睦会大会」が赤坂東邸で開催されてきた。また、限られた会員で行われる御所での夕食会や午餐、鴨場での鴨猟など定期的に交流の場があるようだ。前出の宮内庁関係者が言う。 「夕食会は、皇室も西洋式に夫婦同伴が基本です。民間人となっても、眞子さまが夕食の場に招待されれば、小室さんも同伴するのでは」  皇居・宮殿に世界中のVIPが集まる晩餐会の場も例外ではない。たとえば黒田清子さん(紀宮さま)は、元皇族として国賓を歓待する晩餐会に夫の黒田慶樹さんと何度も出席。オバマ米大統領、ベルギーのフィリップ国王夫妻、トランプ米大統領夫妻などをもてなしてきた。いずれも、内親王時代の訪問や交流が縁となり招待が実現している。眞子さまはブラジルやペルー、ボリビアなど日本人移民の歴史を持つ南米各国とのパイプ役を上皇ご夫妻から引き継いでいるほか、南アジア・ブータンの王室も秋篠宮家と家族ぐるみの交流がある。  こうした国々の国賓が来日した際の晩餐会では、民間人となった眞子さまもドレスに身を包み、タキシードを着た小室さんと一緒に出席する可能性が高いのだ。 「いまは金銭トラブルへの対応などで小室さんへの批判が強いが、タキシード姿で皇居や赤坂御用地の門を出入りする姿が報道されれば、国民の批判感情もなし崩し的に消えるかもしれない。だが、そうした扱いを受けるにふさわしい人物なのか、証明する責任は、おふたりにあるのではないか」(皇室ジャーナリスト) (本誌・永井貴子) ※週刊朝日  2021年2月12日号
手塚治虫の名作の背景に、日本のユダヤ人社会があった
手塚治虫の名作の背景に、日本のユダヤ人社会があった 横浜の外国人墓地のなかにあるユダヤ人墓地(ニシム・オトマズキン提供) 長崎市にあるユダヤ人墓地。ヘブライ文字が見える(ニシム・オトマズキン提供)  横浜港からそう遠くはない山手の丘の上にある「外国人墓地」の片隅に、ユダヤ人たちの墓があります。この横浜の外国人墓地は、1859年に設置されました。それは諸外国との交易のために開港してからすぐのことでした。江戸幕府の200年余の鎖国後、19世紀半ばの開国に伴って日本にやって来た外国人の開拓者たちが葬られた墓地です。その中に、何人かのユダヤ人の墓もあります。そしてこれは、近代にユダヤ人と日本人が出会った証拠でもあります。 近代において、ユダヤ人が来日し始めたのは、1853年に米国のペリー提督が開国を迫った幕末の時代です。この時のユダヤ人は米国、ロシア、ポーランドの出身者でしたが、何人かはインドやバグダッド、隣国の中国、香港、シンガポールなどを経由して来日しました。これらのユダヤ人たちはビジネスチャンスを求めて、成長する可能性がある極東貿易のためにやって来たのです。また第2次世界大戦中の欧州からは、ホロコーストを逃れてやって来たユダヤ人たちもいました。来日したユダヤ人の多くは日本に家を構え、生活基盤となるユダヤ人コミュニティーを東京、そして神戸、長崎に設立しました。 歴史的にユダヤ人は貿易に従事することのみ許可されていた時代が長かったため、日本に来たユダヤ人たちが交易を始めたのは特別なことではありませんでした。母国がないまま「離散」という状況を何世紀も続けたユダヤ人たちは、マイノリティー(少数派)としていろいろな地で生きてきました。その歴史は、しばしばその存在を侵害されたり、土地への定住を拒否されたりしてきたのです。貿易業は一カ所に定住しなくとも、ユダヤ人たちが繁栄することを可能にしました。また異なる地を旅することで、ユダヤ人は異文化や異国の言語を習得しました。そして多くの都市や国で築いた人間関係を広げて、国際交易で優位に立つことができるようになりました。 近代になって横浜に最初に来たユダヤ人として知られているのがマークス兄弟です。彼らは英国から1861年に来日しました。徳川幕府によって外国人居留地として設定された小さな漁村、横浜に定住しました。マークス兄弟も貿易に従事し、特にオーストラリアから木材輸入を行っていました。兄弟のひとり、アレキサンダー・マークスはロンドンで発行されていた新聞「ジューイッシュ・クロニクル」に、日本とその文化について紹介する記事を書いています。彼は最終的にオーストラリアで最初の対日本の総領事を15年間務めました。彼の2人の弟たちは、不幸にも1871年、蒸気船ジュリアで横浜から太平洋の島に航海する途中で行方不明になりました。 ラファエル・ショイヤーは米国ボルチモア生まれのユダヤ系米国人の商人で、日本におけるユダヤ人開拓者の一人です。彼は1861年に横浜に定住し、貿易だけでなく、「ジャパン・エキスプレス」という日本で最初の英字新聞を発行しました。また数年間、外国人自治区の代表も務めました。 彼は横浜の外国人墓地のユダヤ人区画に埋葬されています。その隣には、この時代の興味深い人物の墓があります。それがチャールズ・リチャードソンです。彼は1862年9月におきた生麦事件で亡くなったことで知られています。この事件は、4人の英国人(男3人女1人)が、横浜から川崎大師(川崎市)に向かう途中で起きた事件です。今の横浜市鶴見区にある生麦付近で、薩摩藩の島津久光公とその家臣団の隊列と出会いました。4人の英国人はこの著名な一行に対して馬から下りて道を譲ることをしませんでした。この態度は当時たいへん不敬な態度に受け取られ、怒った侍たちは切りつけ、2人が負傷し、リチャードソンは殺されました。 英国はこの事件を知って怒り心頭に発し、一年後に砲艦を派遣して薩摩の中心地、鹿児島を砲撃しました。また薩摩藩と幕府に巨額の賠償金も請求しました。リチャードソンはユダヤ人ではありませんが、彼が埋葬された一角はのちに、私が以前このコラムに書いたユダヤ人ビジネス王、シャウル・アイゼンバーグの援助で、この区画を東京のユダヤ人コミュニティーが一括購入したからです。  横浜のユダヤ人墓地区画はいまもユダヤ人コミュニティーによって維持されています。そこにはいろいろな時代を生きた、貿易商、商人、教育者、起業家などが埋葬されています。近年では、2015年に亡くなったアルモン・クナッフォ氏です。モロッコに生まれた彼は、幼い頃フランスに移民として渡り、1980年代に来日し、東京にフランス語学校を開校しました。彼は日本をとても愛しており、最期の願いは、日本のユダヤ人墓地に埋葬してほしいということでした。 日本国内のユダヤ人墓地は長崎と神戸にもあります。両コミュニティーは明治時代にできました。ユダヤ教において、正しい埋葬は死者の鎮魂のためにとても大事なことです。だから新しいユダヤ人コミュニティーができたときには、埋葬地を設置することが重要になります。もう一つは、ユダヤ人コミュニティーにおける生活の基盤となるシナゴーグ(ユダヤ教会堂)です。ここは集会の場であり、祈りの場です。ユダヤ教の教えが書いてある手書きのトーラー(ヘブライ語聖書)が保管され、人々は毎日共に祈りながらそれを読みます。また、ミクべと呼ばれる身を清める沐浴場も備わっています。 長崎のユダヤ人コミュニティーは1880年代にでき、19世紀初頭にはそのピークを迎えます。当時は約100家族が暮らしており、そのほとんどがロシアからやって来た人々です。当時の長崎は、ロシア、中国そして東南アジアまで伸びる港湾貿易網の重要な中心地でした。1860年代、米国系ユダヤ人のエリアス・トールマンはすでに長崎でビジネスを盛んにやっており、のちにハルビン、上海を経由してきた東欧のユダヤ人商人たちとともにビジネスを行いました。 1892年、ロシア出身のギンズバーグ家の寄付により、長崎国際墓地の一区画をユダヤ人コミュニティーが購入しました。最初に埋葬されたのは、米国系ユダヤ人水兵ソロモン・キーラーです。1894年には、「イスラエルの家」と呼ばれるシナゴーグが作られました。それは近代日本で最初のシナゴーグでした。 長崎で最も活動的であった家族の一つがサッスーン家です。財務と貿易に明るく、一家は時に”東のロスチャイルド”と呼ばれるほどの巨大な富を築き上げました。もとはバグダッド出身のユダヤ人で、その後インドのボンベイ(現ムンバイ)に移り、中国全土や東南アジア、英国までその活動の範囲を広げていきました。サッスーン家は、上海とボンベイに本拠地を構え、世界的な交易ネットワークを構築し、横浜と神戸にも支店を設けました。 一家の息子のひとりであるエリヤス・ビクトゥール・サッスーン卿は、上海の不動産王として知られています。1920年から30年代にかけて土地の開発と建築を手がけ、街のスカイラインを変え摩天楼を作り、世界有数の富豪となりました。彼の不動産帝国は上海租界のほとんどを占め、そこには高級キャセイホテルも含まれていました。もっとも、その後、これらは中国共産党に没収されましたが。  長崎のユダヤ人コミュニティーは、公式には1920年代に閉鎖されました。貿易の中心地としての長崎の重要性が低下したからです。シナゴーグは売られ、ユダヤ教の律法トーラーは神戸のユダヤ人コミュニティーに譲られました。ただ一つ長崎に残ったのが、ユダヤ人墓地です。長崎大学病院の近くの丘にある「坂本国際墓地」の中にそれはあります。数年前、私は現地を訪れた時、墓石に彫られたヘブライ文字の名前を見つけました。そこは長崎市を見下ろす丘に立ち、私は20世紀初頭、この街でユダヤ人たちがどのように生きたのだろうかと思いをはせました。  横浜と長崎のように、神戸のユダヤ人コミュニティーも19世紀後半に外国貿易のためにやって来た人々によって開かれました。ユダヤ人貿易商がここに住み、1912年に最初のシナゴーグが建てられました。日露戦争の影響でロシア貿易に頼っていた長崎の地位は低下し、長崎の多くのユダヤ人たちは神戸に移っていきました。もう一つの流れは、1923年の関東大震災によるものです。横浜をはじめ関東にいたユダヤ人たちも神戸に移ってきました。 予期せぬ流れは、第2次世界大戦初頭、欧州のホロコーストから逃げてきたユダヤ人たちです。神戸のコミュニティーは、これらの人々を受け入れ始めました。これは当時リトアニアの外交官であった杉原千畝氏のおかげで逃げ延びたユダヤ人たちです。約6000人のユダヤ人難民たちがナチスから逃れて敦賀港に到着し、神戸で保護されました。このうち約1000人は神戸を経由して世界の別の場所に安全に行くことができました。今でも彼らは、杉原氏に感謝の気持ちでいっぱいです。  当時、神戸のユダヤ人たちは、ほかの外国人たちと隣り合って暮らしていました。1920年代から30年代にかけての神戸は本当の国際都市でした。いろいろな商人コミュニティーと多様な文化的影響がありました、インド人、アルメニア人、ロシア人、中国人など、異なる民族的背景や宗教の人々がともに暮らしていました。漫画家・手塚治虫氏の作品「アドルフに告ぐ」のなかで、この神戸の国際都市の性格が描かれています。作品は、神戸を舞台に、アドルフという同じ名前のユダヤ人とドイツ人の仲のいい少年たちが登場します。その後第2次世界大戦が欧州で勃発し、2人の少年は敵味方に分かれました。1920年代半ばから1950年代まで、神戸のユダヤ人コミュニティーはロシア、欧州、イラクから来た多くのユダヤ人が暮らす、日本最大のコミュニティーでした。現在でも、神戸に健在するユダヤ人コミュニティーによって、印象的なシナゴーグと墓地が守られています。  最後にもう一つ興味深いユダヤ人の話をします。日本が正式に開国する前年の1846年、バーナード・ベッテルハイムは、妻と子どもを伴って英国船で沖縄・那覇に着きました。ベッテルハイムはハンガリー系ユダヤ人で、若い時はユダヤ教の宗教的指導者であるラビになるべく勉強していました。その後、イタリアと英国を旅行してから、なんと、キリスト教に改宗しました。そして医学の学位をとり、フランス語、ドイツ語、ヘブライ語、英語、ハンガリー語、イタリア語など、数カ国語をマスターしました。その中には少しの日本語も含まれます。那覇の有力者の意に反し、彼は船を降りて上陸し、那覇にある護国寺という寺を住まいにして7年間滞在しました。彼の2番目の娘は1848年に那覇で生まれ、おそらく沖縄で最初に生まれた欧州出身の子だと思います。  ベッテルハイムの目的はキリスト教の布教でした。しかし彼の努力にもかかわらず、布教活動は失敗します。それは琉球の人たちと有力者の協力を得られなかったためです。1854年、彼は那覇を去りますが、その前に彼はペリー総督にも会い、交渉の助力を申し出ています。同志社大で教鞭をとっているイスラエル人のドロン・コーヘン氏は、聖書の日本語翻訳の研究をしています。彼によると、ベッテルハイムは沖縄の地元の人の助けを借りて、最初の旧約聖書の和訳を試みました。ただ日本語の知識は限定的で、聖書のごく一部しか訳すことができませんでした。  今回の記事で、私は近代における日本人とユダヤ人の出会いを紹介してきました。このような出会いは日本に来た野心的な個人が新しい文化に適応し、日本という場所に定住しようと努力したことによって可能となったのです。現在でも神戸と東京のユダヤ人コミュニティーは継続しており、京都でも小さいですが新たなユダヤ人コミュニティーが育っています。ユダヤ人と日本人の対話はまだまだ続いています。 〇Nissim Otmazgin(ニシム・オトマズキン)/国立ヘブライ大学教授、同大東アジア学科学科長。トルーマン研究所所長。1996年、東洋言語学院(東京都)にて言語文化学を学ぶ。2000年エルサレム・ヘブライ大にて政治学および東アジア地域学を修了。2007年京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科修了、博士号を取得。同年10月、アジア地域の社会文化に関する優秀な論文に送られる第6回井植記念「アジア太平洋研究賞」を受賞。12年エルサレム・ヘブライ大学学長賞を受賞。研究分野は「日本政治と外交関係」「アジアにおける日本の文化外交」など。京都をこよなく愛している。
『鬼滅の刃』に描かれた「呪い」――産屋敷耀哉と鬼舞辻無惨の“頂上決戦”の裏にあったもの
『鬼滅の刃』に描かれた「呪い」――産屋敷耀哉と鬼舞辻無惨の“頂上決戦”の裏にあったもの 産屋敷耀哉(左)と鬼舞辻無惨(画像はコミックス16巻、22巻の表紙カバーより)  漫画『鬼滅の刃』は、鬼を討伐するための組織・「鬼殺隊」の物語だ。鬼殺隊の総領・産屋敷耀哉と、「鬼の始祖」である鬼舞辻無惨は、敵対する組織の長として登場する。この産屋敷耀哉は、隊士たちからの人望を一心に集める人格者として描かれながらも、鬼殺に対する恐ろしいまでの「執念」をみせる。「子どもたち」と呼ぶ隊士の多くが命を落とし、自らの体も病に侵されていくなかでも、耀哉は鬼舞辻を中心とした「鬼」と戦い続けることをやめない。そしてまた、鬼舞辻も耀哉に異様なこだわりをみせる。その根底には、2人が決して逃れることができない「呪い」が横たわっていた。(以下の内容には、既刊のコミックスのネタバレが含まれます) *  *  * ■鬼舞辻の討伐に心血を注いできた産屋敷家 『鬼滅の刃』には、「鬼殺隊」と呼ばれる鬼を滅殺するための組織が描かれている。そして、まだ23歳という若さの、産屋敷耀哉(うぶやしき・かがや)という青年が、その長として組織の指揮に当たっている。鬼殺隊の目的は「鬼を倒すこと」。人間を喰う鬼を根絶やしにするために、剣士が養成されている。彼らの最終的な目的は、この世の中で最初に鬼になった人物、鬼舞辻無惨(きぶつじ・むざん)を葬ることである。    鬼舞辻は、自らの血を「人間」に分け与えることで、人を鬼に変える能力を持つ。鬼舞辻が死亡すると、他の鬼たちも消滅するが、鬼舞辻が生き続ける限り、この世の中から鬼はいなくならない。そのため、鬼殺隊は日々、鬼舞辻の居場所を特定するため、さまざまな諜報活動も行っている。耀哉の祖先である産屋敷家の代々当主たちもまた、鬼舞辻の討伐に心血を注いできた。なぜ産屋敷一族は、「鬼」の滅殺に生涯をささげることになったのか。 ■産屋敷耀哉にかけられた「呪い」とは?    実は、鬼舞辻は産屋敷家と同じ一族の出身である。耀哉が当主になったのが大正時代(1910-20年代)で、鬼舞辻が誕生したのは平安時代(794年以降)。2人の誕生には千年ほどの隔たりがあるが、彼らには美しい容姿、カリスマ性など、いくつもの共通点がある。皮肉なことに、鬼舞辻と耀哉は双子のようにそっくりなのだ。産屋敷が「短命」な「人間」なのに対し、鬼舞辻は「永遠の命」を持った「鬼」であることも、一つの対をなしている。    もともと耀哉と鬼舞辻を輩出した産屋敷家は、豊かな財と高い地位にあった。そして、この産屋敷家には、常人とは異なる「能力」が備わっていた。 <特殊な声に加えて この勘というものが産屋敷一族は凄まじかった 「先見の明」とも言う 未来を見通す力 これにより彼らは財を成し幾度もの危機を回避してきた>(16巻・第139話「落ちる」)    しかし、産屋敷一族は皆、30歳まで生きられないという短命の「呪い」がかけられていた。耀哉の説明によると、産屋敷一族が「早死」なことは、産屋敷家が鬼舞辻という「はじまりの鬼」を誕生させてしまったことに対する、神仏からの「天罰」だという。そして、ある神主から、「鬼を倒すために心血を注ぎなさい」と宣託を受けたことを根拠に、千年以上もの間、産屋敷家は鬼舞辻と戦い続けることになったのだった。 ■鬼にはあたらない「天罰」?    一方、鬼舞辻無惨は、そんな産屋敷一族の執念、耀哉が引き継いだ怨念を真っ向から否定する。 <お前の病は頭にまで回るのか? そんな事柄には 何の因果関係もなし なぜなら 私には何の天罰も下っていない 何百何千という人間を殺しても 私は許されている この千年 神も仏も見たことがない>(鬼舞辻無惨/16巻・137話「不滅」)    鬼舞辻のこの言葉には、一定の説得力がある。『鬼滅の刃』には、死者が現世にあらわれ、邂逅し、愛した人を励ますシーンが多く見られる。そんな神秘体験が散りばめられた世界観であるにもかかわらず、不思議なことに、「神」や「仏」は、一切登場しない。  鬼による危害をはじめ、貧困、子捨て、人身売買、けが、病など、ありとあらゆる不幸に見舞われる人間たちが、その過酷な運命から脱却するためには、自分の力を尽くすしかないのだ。 ■鬼舞辻無惨が「鬼」である理由 <私にはいつも死の影がぴたりと 張りついていた 私の心臓は 母親の腹の中で 何度も止まり 生まれた時には死産だと言われ 脈もなく呼吸もしていなかった 荼毘に付されようという際に もがいて もがいて 私は産声を上げた>(鬼舞辻無惨/23巻・201話「鬼の王」)    鬼舞辻の生い立ちと、産屋敷家に伝わる話を総合すると、鬼舞辻も含む産屋敷一族は、高貴で豊かな家柄にもかかわらず、「病苦」と「死」に苦しめられてきたことがわかる。生まれながらに病弱な鬼舞辻が「力強い生命力」を望んだことと、鬼誕生の罪を背負って短命になってしまった産屋敷一族が「鬼の呪いからの脱却」を望むことは、コインの裏表だったのだ。 『鬼滅の刃』には、神も仏もあらわれない。人間の苦難を救済する絶対的存在はおらず、人間を苦しめるものは、鬼だけでなく、悪しき人間や、悪しき社会など、うんざりするほどに多く存在している。鬼舞辻が、自分の運命を呪い、自分が生き残るために他者を利用することは、彼なりの必然だったのかもしれない。    しかし、鬼舞辻の人生における「最初の失敗と罪」は、彼を治療していた善良な医師を、治療が完了する前に殺害してしまったことにある。医師を信じなかったこと、彼の短慮、彼の身勝手さが、結局自分自身を鬼へ変貌させてしまう「呪い」となってしまった。 ■産屋敷と鬼舞辻を取り巻く「呪い」    耀哉は、「数日で死ぬ」と医師に告知された後も、鬼舞辻を倒すという強靭な意思を持って、鬼舞辻に対面するまで生き続けた。彼の鬼舞辻への怒りと恨みは、鬼殺隊の誰よりも深く、長く、最後には自分の妻子をも巻き込んで、自ら復讐への布石となる。 <私は思い違いをしていた 産屋敷という男を 人間に当てる物差しで測っていたが あの男は完全に常軌を逸している><自分自身を囮に使ったのだ あの腹黒は 私への怒りと憎しみが蝮のように 真っ黒な腹の中で蜷局を巻いていた>(鬼舞辻無惨/16巻・138話「急転」)    結局、産屋敷も鬼舞辻も、彼らの中に流れる「血」の呪いに縛られている。鬼舞辻は己の弱い体を、産屋敷は鬼舞辻と同族であるがゆえに発動される「短命」の呪いを。鬼舞辻の生き方は身勝手極まりなく、自分の力を分け与えた「鬼」たちですら、自分のためだけに利用した。彼が滅びゆく運命なのは、避けようがない。しかし、鬼舞辻は、耀哉と対峙した際には、自分が彼を「憎んでいない」ことを自覚する、奇妙な感覚にとらわれている。    一方、耀哉は、会ったことすらない鬼舞辻を恨み続けた。「仏のような笑みをはりつけたまま」、数多くの鬼殺隊の「子どもたち」の死を見送り、妻子たちをともなって自死してしまった。  産屋敷耀哉がいなければ、鬼殺隊の隊士たちが命をかけなければ、人喰いの鬼たちが、永遠に人に危害を加えていたことは間違いない。産屋敷家の一族を呪いから解き放ち、生き残った人たちを守るために、耀哉は自らの命をかけた。そして、彼が「鬼」に対して抱き続けていた「憎しみ」という名の「呪い」から、耀哉自身が解放されるためにも、彼は死を選んだ。  絶対だったのは、産屋敷耀哉は鬼舞辻無惨と共に死ぬこと。彼らにかけられていた「呪い」は、彼らの死によってはじめて完結したのだった。 ◎植朗子(うえ・あきこ) 1977年生まれ。現在、神戸大学国際文化学研究推進センター研究員。専門は伝承文学、神話学、比較民俗学。著書に『「ドイツ伝説集」のコスモロジー ―配列・エレメント・モティーフ―』、共著に『「神話」を近現代に問う』、『はじまりが見える世界の神話』がある。
「最後に家族と海に行きたい」 コロナ禍でも終末期の患者の願いをかなえる人々
「最後に家族と海に行きたい」 コロナ禍でも終末期の患者の願いをかなえる人々 岡山県瀬戸内市の「牛窓オリーブ園」。都内から帰省した女性は母親と、同園内にあるカフェ2階からの眺望を満喫。思い出深い場所へのラストドライブになった(写真:中村幸伸医師提供) 比留間亨一さん(前列右)は、テレビ局勤務の頃から家族ぐるみの交流を続けてきた元上司の鈴木茂夫さん(89)と固い握手(写真:比留間さん提供) 故・小野由紀子さんは蒲郡市のホテルで近くにある観光名所から戻った孫に、「海の匂いをかがせて」と頼み、その手を自身の鼻に近づけてみせた(写真:小野さん提供) AERA 2021年2月1日号より  移動や病院での面会が厳しく制限されているコロナ禍。一度入院すると、家族や友人と面会もできずに亡くなるケースもある。困難な状況のなか、効率を度外視してでも患者のために奔走する人がいる。AERA 2021年2月1日号で取材した。 *  *  * 「先生、ありがとうございました。いい冥土のお土産になりました」  ストレッチャーに乗せられた62歳の女性は、中村幸伸(ゆきのぶ)医師(43)にそう笑顔を向けた。2020年10月下旬、岡山県瀬戸内市のカフェの2階で、瀬戸内の海と島々を晴天の下で一望できた。  女性は末期の大腸がんと診断され、同年7月下旬に都内の病院に入院。10月に入ると、最期の時間をどこで過ごすかを考える局面を迎えた。彼女は家族とも相談。移動中に体調が急変して命を落とすことも覚悟で、約40年暮らした都内の自宅ではなく、母と妹が暮らす岡山の実家を選んだ。その2日後には、看護師による介護保険外の外出支援サービス「かなえるナース」に依頼し、看護師2人の同行で新幹線で岡山に戻ってきていた。  中村医師が女性の妹から「姉を自動車に乗せて移動させられますか?」と、尋ねられたのは前日の診療時。姉が行きたいカフェがあるという。大丈夫と即答した中村医師は、明日なら自分も休みなので同行できると伝えた。  だが、女性は即座に断った。中村医師は遠慮がちな女性の人柄に触れていたから、とくに無理強いはしなかった。 「先生、やっぱり明日はご同行をお願いしても、よろしいでしょうか」  妹から再び中村医師に電話が入ったのは、次の訪問先に向かう車中だった。  中村医師は09年に岡山県で初めて、終末期対象の在宅診療専門所「つばさクリニック」を開業。24時間365日体制で1500人以上を看取ってきた。 「病院では無表情だった方が、自宅に戻られると笑顔を見せることが多く、私たち在宅医のやりがいでもあります。命がけで岡山に帰ってこられた女性の希望も、かなえたいと思いました」  普通の医師なら止めるかもしれないが、中村医師は迷わなかった。急きょ決まったカフェ訪問には、訪問看護師、ケアマネジャーら総勢14人が同行した。 「女性は医療者には遠慮がちですが、妹さんには『先生より先にお茶を飲んじゃダメでしょ』と注意するなど、長女然として振る舞われていました。病院では患者でも、実家に戻ると家族内での役割を取り戻し、それが生きる力にもつながります。でも、カフェに行くことについては、妹さんから、『先生に甘えられる最後のチャンスよ!』と言われ、背中を押されたようですよ」(中村医師)  カフェ訪問から約1週間後の11月初旬、女性は家族に「大丈夫」と繰り返し、気丈な長女のまま旅立った。  その約1カ月後、中村医師らが女性の実家を訪ねると、家族から「カフェに一緒に行けたことが心の支えになっています」と感謝されたという。  女性は都内で入院中にも体調が悪化し、院内での看取りが一度決まっていた。だが、その後も看護師らが本人や家族と話し合いを重ね、最終的には彼女が岡山への帰省を決断したという。  病院か、都内の自宅か、岡山の実家か。女性は揺れていた。その都度、彼女らしく生き切ることを支えようとする医療者たちの粘り強いバトンリレーで、希望はかなえられていた。  この女性に限らず、終末期の人の心は揺らぎやすい。中村医師の実感値だと、「在宅医療を始めても、自宅で看取られたいと決心されている方は1割。最期は病院で、という方が2割。残りの7割がこれから考える」だという。ところが、自宅で過ごしていると最期は自宅派が約7割に増える。 「『これなら大丈夫そうだ』とわかるからです。私の仕事はご本人や家族と向き合い、両者の意思を探っていくこと。あくまでもご本人の意思が最優先で、在宅至上主義ではありません」  厚生労働省は18年11月から「人生会議」の名称で、高齢者がどんな最期を希望するかを、家族で事前に話し合うことを推奨している。新型コロナの感染拡大を踏まえ、20年8月には日本老年医学会が、老親がいる家族は事前に人生会議を開くようにうながす声明を出した。一度入院すると、面会もできずに亡くなる可能性が高まったからだ。  17年の厚労省調査では、自宅での療養を望む人が約6割。ところが実際には、病院や診療所で亡くなる人が約7割という現実もある。  一方、17年に在宅医療を受けた患者数は1日当たり推計18万人。1996年の同省の調査開始以来最多となり、在宅医療の需要は着実に増している。 「本人と家族が覚悟を決めて介護保険を利用し、訪問看護師やヘルパーに来てもらえば、共働きでも、老老介護でも自宅でのお看取りはできます。1日24時間の完全看護は無理ですが、適度にという意味で『いい加減』を許容できれば、の話です」(中村医師)  また、コロナ禍によって面会を禁止する病院が増え、患者や家族の希望がかなえられにくい現実もある。冒頭の女性の帰省を助けた「かなえるナース」代表で、看護師でもある前田和哉さん(34)はこう話す。 「コロナ禍で一泊旅行への同行依頼が減る一方、実家でのお看取りが前提の地方への帰省や、病院からの一時帰宅時の同行依頼が増えています」  20年11月、前田さんは病院から介護タクシーに乗り、高齢患者の一時帰宅に同行した。元テレビ局勤務の比留間亨一(ひるま こういち)さん(84)は、19年9月から脳梗塞を4回発症。その後、脳梗塞後に起こりやすい誤嚥性肺炎を繰り返し、20年9月に下血して搬送され、都内の病院に現在も入院中。余命告知は受けておらず、終末期ではないが厳しい状況は続いている。  妻の徳子さん(85)らは面会制限がある中、1回わずか20分の面会に週2回通っていた。だが、自宅に戻りたいという比留間さんの強い希望を受け、病院との協議の末に3時間限定の帰宅が初めて許された。  柔らかい光が差し込むリビングルーム。その窓側にある介護用ベッドに横たわる比留間さんの右脇で、長女(62)が朱色の盆の小皿料理を見せていた。  長女手作りの介護食3品は、米のおかゆの上にペースト状にした鰻、隣に焼いた鰻の小片が添えられたもの。カステラを細かく刻んでプリンで包んだものと、こし餡をお湯で溶いてとろみをつけ、おかゆを包んだおはぎ。いずれも誤嚥性肺炎を繰り返していた父親が、病院に戻ってから食べるものだ。 「一時帰宅中は飲食禁止でしたから、鰻と餡こが好きな父親を一目見るだけでも喜ばせたいと、娘がせっせと作ってくれました。蕎麦を刻み、とろみをつけた麺つゆに混ぜ込んだものも、それぞれラップに包んで病院に持ち帰ってもらいました。主人はお蕎麦とプリンが気に入ったようです」(徳子さん)  当日は、長年懇意にしている元上司の家族の訪問が予定されていた。前田さんは、参加者全員に手指消毒の徹底と、比留間さん以外はマスクの着用を依頼。当日の主役の顔は、全員が見たいはずだからだ。唾液でも誤嚥する危険がある比留間さんのために、携帯式痰吸引機を持参していた。 「主役の苦しそうな表情は極力お見せしないように、ベッド柵にクッションを重ねてお顔を隠してから吸引を手早く済ませ、終了後はクッションを外しておくようにしていました」(前田さん)  徳子さんは、全員で撮影した写真が額装され、夫が病室に戻った直後に届けられたサービスにも感激したという。 「わずか3時間とはいえ帰宅できたことで、コロナ収束後、次回の帰宅への希望も持てました。前田さんが見守ってくださる安心感の下、主人をはじめ、貴重な時間を共有してくださった皆さんが、しっかりと輝けたと思います」  終末期の人たちのために奔走する人たちはさまざまだ。善意の在宅医もいれば、「かなえるナース」のような事業も生まれている。ボランティアでその願いをかなえる団体もある。意思の疎通ができる終末期の人を対象とする、一般社団法人「願いのくるま」だ。本人が最後に行きたい場所に医療用車両を使い、看護師同行で無料送迎する。  事故車のリユース事業を行う「タウ」が、協賛企業の支援を受けて運営している。同社の宮本明岳(あきたか)社長(53)は、「看護師の社員の他にも、一般社員が同行します。命や健康の大切さ、事業収益で社会貢献ができていることを実感し、仕事への誇りを感じられるようになってきています」と語る。  20年9月中旬、小野由紀子さん(62)は、愛知県蒲郡市の海沿いに立つホテルに到着した。岐阜県から車で約3時間もかかった。小野さんの希望は、「大好きな孫や親友と一緒に、思い出の海に行きたい」だった。親友の女性が捕ってきてくれた雌雄2匹のカブトムシを、彼女は4歳の孫に手渡した。 「カブトムシは何を食べるか、知ってる?」と、孫に嬉しそうに尋ねる小野さんを、長女(33)は黙って見つめていた。母親の乳がん発症は約5年前。19年7月以降、体調は急速に悪化した。 「がん細胞が皮膚表面にせり出し、赤いおでき大の発疹が潰れ、体液とともに血液成分が浸み出し、服が血まみれになることが増えたんです。週2回の輸血と出血の繰り返しでした」(長女)  通称“花咲き乳がん”と呼ばれる。孫の帽子とお揃いにも見えた小野さんの長袖の濃紺色は、岐阜からの移動中の出血も想定し、孫や周囲に気づかれないようにと選ばれたものだった。小野さんはこの5日後に亡くなった。  当日同行した、タウの社員兼看護師の酒匂(さこう)こず枝さん(32)は、笑顔を見せる本人や家族と接すると、患者中心の医療の大切さを痛感するという。 「病院だと効率優先で、誤嚥性肺炎の疑いがあれば胃ろうが簡便、終末期の人は外出させないほうが安全という発想に陥りやすい。でも、患者さんの気持ちが置きざりにされていることが多いように感じます」  小野さんが亡くなった後、長女はしばらく落ち込んでいたという。 「長男がある日、メモリーカードを、私に持ってきてくれました。蒲郡の海で撮影した動画が残っていて、笑顔の母を見ていたら、私なりに介護をやり切ったんだと、やっと吹っ切れました」  母親が亡くなった翌月、長女は起業した。専業主婦が自宅で働けるように、IT環境の整備を応援する夢を実現させていた。彼女が母親の痛々しい闘病さえ歯切れよく話してくれていた理由が、ようやくわかった。(ルポライター・荒川龍) ※AERA 2021年2月1日号
2021年必見の韓流ドラマ・映画は? 日本の小説が原作の作品も
2021年必見の韓流ドラマ・映画は? 日本の小説が原作の作品も 「ミスター・サンシャイン」Netflixオリジナルシリーズ独占配信中 この冬に見たいホットな韓流ドラマ・映画 (週刊朝日2021年2月5日号より)  年始に「愛の不時着」のヒョンビンとソン・イェジンの交際というホットなニュースが駆け巡り、まだまだ熱い韓流。巣ごもりが続く中、2021年版の見るべき韓流ドラマ・映画を一挙紹介。  まず「韓国TVドラマガイド」の高橋尚子編集チーフの今期イチオシ作は、1月18日から日本での放送がスタートした話題作「悪の花」だ。14年間生活を共にしてきた夫(イ・ジュンギ)の正体は、連続殺人犯の息子で共犯者として指名手配されている男で、しかも、妻(ムン・チェウォン)はその男を追う刑事というサスペンス。 「サスペンスでありながら、中身は夫婦の愛の物語。夫は、自分には人並みの感情がわからないと思い込んでいるのですが、妻が窮地に立たされると咄嗟(とっさ)にかばうなど、その行動は愛そのもの。彼と妻がたどり着く選択に引き込まれていきます」(高橋チーフ)  2月放送開始の「18アゲイン」は、ハリウッド映画「セブンティーン・アゲイン」(2009年)のリメイク版ドラマ。18歳の時にできちゃった婚をした夫婦が、37歳になって離婚の危機に陥る。だが、ある日突然、夫だけ18歳に変身してしまい、人生をやり直そうとするファンタジーだ。 「18歳になった夫を演じるのは、今年ブレークが期待されるイ・ドヒョン(25)です。37歳の妻役のキム・ハヌルとの相性が合うのか心配していたのですが、意外にもときめきがあります」(同前)  大人気ウェブ漫画原作の「女神降臨」も4月中旬の放送開始が決定した。メイクによって女神のように美人になる女子高生を2人のイケメンが奪い合う三角関係ラブコメディー。 「顔よし、運動神経抜群の完璧優等生チャウヌと、ヒロインにちょっかいを出す不良っぽい少年ファン・インヨプが、火花を散らして争う。『花より男子』の道明寺司と花沢類のどっちを選ぶのか、という黄金の少女漫画の世界を楽しめます」(同前)  続いての注目作はイ・ビョンホンが9年ぶりにドラマに主演した「ミスター・サンシャイン」(18年)。韓国ではtvNで放送、日本ではNetflixで配信。韓国で視聴率18%を超える大ヒットを記録した。  ドラマの舞台は日本による統治直前の朝鮮で、日本の描かれ方が物議をかもした作品だ。幼少期に朝鮮で両親を貴族に殺されるというつらい経験をしたイ・ビョンホン扮する主人公は密航し、米国へ行き、米国軍人となり、祖国に戻ってくる。キム・テリ扮するヒロインの大貴族令嬢と出会い、祖国を守るためひそかに戦うが……。「韓流ぴあ」露木恵美子編集長がこう解説する。 「イ・ビョンホンはあまり笑みを浮かべない愁いある将校役なのですが、ヒロインとのふれあいで少しずつ変わっていきます。軍服を着たイ・ビョンホンは、若い頃と変わらず素晴らしかった」  正統派二枚目のイ・ビョンホンがコミカルな役作りで新境地を開いたのは映画「それだけが、僕の世界」(18年)だ。イ・ビョンホンが元プロボクサーで、サヴァン症候群の弟を持つダメな兄を演じ、「お薦めの感動作です」(露木さん)。  最近、Netflixでは過去のヒット作品を配信しているが、中でもお薦めは、「美男<イケメン>ですね」の脚本家による「マイガール」(05年)だ。「トッケビ」の死神役イ・ドンウク主演で、脇役にイ・ジュンギが登場する。財閥の御曹司×同居×三角関係という韓流ドラマの王道を味わえる。  韓流好き必見の映画として露木さんがあげるのは、ソン・イェジン主演の「ラブストーリー」(03年)。女子大生役のソン・イェジンが母の初恋相手との思い出の品を発見する。そこから始まる母と娘の2代にわたる時を超えた恋物語。 「娘役のソン・イェジンは、友達の好きな先輩にメールを代筆していたのですが、ソン・イェジンもその先輩が気になって気持ちが揺れていきます。母の初恋と重なっていく切ないラブストーリーです」(同前)  2月19日から公開される「藁にもすがる獣たち」は、銭湯のロッカーに忘れられた大金をめぐり、借金を抱えた人たちが欲望をむき出しにして奪い合うサスペンス。曽根圭介の同名小説が原作。 「10億ウォンをめぐる争奪が繰り広げられる中、巧妙に伏線が張られ、最後まで誰が大金を手にするのか予測のつかない展開に目が離せません」(同前) (本誌・岩下明日香) ※週刊朝日  2021年2月5日号
銀行も注力する「遺言信託」 トラブル増加で注意喚起も
銀行も注力する「遺言信託」 トラブル増加で注意喚起も ※写真はイメージです (GettyImages) 信託銀行の遺言保管件数は20年間で5.5倍に (週刊朝日2021年2月5日号より)  終活ブームで信託銀行などがこぞって力を入れる「遺言信託」。「銀行に任せれば安心」と考えて、安易に飛びつかないほうがいい。よく確認しないまま利用すると思わぬ費用がかかったり、かえって損をしたりするケースが相次いでいる。 *  *  * 「よくわからないまま契約してしまうところでした。きちんと説明や相談があれば最初から選ばなかったと思います」  東京都内に住む50代の男性Aさんは昨年、大手信託銀行の営業担当者から熱心に遺言信託を勧められた。当時、相続は心配のタネだった。高齢の父親が所有する土地は最近の再開発もあって値上がりし、周りはマンションの建設が進む。相続対策はメディアでもよく取り上げられていたし、「うちはだいじょうぶか」と気になっていた。 「父親は、もともと、その銀行と取引がありました。そこで営業担当者に相談したところ、『このままでは数千万円の相続税がかかる』と言われて衝撃を受けました。土地はあっても、そんなお金は簡単に用意できません。そう伝えると、『節税の相談にも乗りますし、遺言を書きましょう』と言われ、遺言信託を提案されたのです」(Aさん)  遺言信託は、遺言書の作成のアドバイスや保管をしたり、遺言の内容どおりに財産の分配や名義の変更を行ったりするサービスだ。メガバンク系列の信託銀行をはじめ、地方銀行など各金融機関も力を入れている。  信託協会によると、遺言信託で扱うことの多い遺言の保管・執行件数は右肩上がりだ。同協会の会員70行余りの合計は2020年3月末時点で14万9693件に達し、10年前の約2倍、20年前の5.5倍に増えている。 「各行とも、低金利で収益性が下がり、手数料収入を増やしたい。相続税の基礎控除額が大きく減った15年以降、特に力を入れている」(金融業界関係者)  Aさんが戸惑ったのは、相談もなく、いきなり遺言の案を示されたことだ。 「母には遺産を渡さず、直接、私や妻、娘が引き継ぐものでした。遺言の執行人の欄にはその銀行の名前が書いてあり、生命保険など土地以外の資産はすべて換金して同行の口座に預けることになっている。相談した数日後にはその案を持ってきて、翌週には契約を結ぶ段取りの良さ。考える間もなく、契約を結ぶところでしたが、たまたま相続に詳しい知人と会う機会があったので相談したところ、『考え直したほうがいい』と言われた」  知人に見てもらうと、銀行の提案どおりに相続すれば、母親が相続しないため相続税の負担が軽くなる特例が使えなくなってしまうことがわかった。Aさんの妻や娘ら、法定相続人以外への相続は2割増しの相続税がかかる。こうした点などから、かえって相続税の負担が増える内容だったのだ。  不信感を強めたのは、担当者から最初に言われた相続税の額が大きく違っていたことだ。実際は「数千万円」ではなく、「数百万円」だった。 「担当者に問いただすと、『計算が間違っていました』と。眠れないほど心配していたのに……」  Aさんは結局、契約しなかったという。  相続に詳しい板倉京税理士は、「とんでもない話」と憤る。 「顧客の危機感をあおって、契約を早く決めてしまおうという姿勢に映ります。そもそも、十分な説明や相談もなく、遺言を作るのは論外。この担当者は営業成績のことしか頭になかったのではないでしょうか」  Aさんとトラブルになった銀行に確認すると「個別のご相談・ご契約に関する事項となるため、回答を差し控えさせていただきます。なお、相続業務における当社への苦情等の件数は明らかに減少傾向にあります。お客様にご相談することなく、契約の締結を進めることはございません」と。  Aさんのケースは決して限られたものではなさそうだ。国民生活センターには、遺言信託に関する相談が寄せられている。「遺言信託や死後に備えた生前契約型のサービスなど『終活』に関する相談はいつも途切れることなく、寄せられています。遺言信託に限った集計はしていませんが、最近は増えており、折に触れて注意を呼び掛けています」(担当者)  国民生活センターでは以下の被害が報告された。 ▽営業職員が数人がかりで押しかけてきて、遺言信託を提案された。契約を結んだ後には、なぜか「家族にも話してはいけない」と言われた。後から解消したくなったので担当者に連絡をすると「不在」などと言われてなかなか取り合ってもらえない(80代女性) ▽90代の父が30万円の手数料がかかる遺言信託の契約を結んで遺言を保管してもらっている。しかし、父には遺産がほとんどない。父自身も、サービスの内容をよくわかってなさそうだ。解約したいのだが、どうすればいいか(息子) ▽母親が亡くなったので、生前に契約していた遺言信託で作った遺言を実行してもらいたい。しかし、担当者に母の死亡を伝えてから2週間経っても何もしてくれない(息子)  遺言や相続に詳しい別の税理士は、そもそも、「銀行が手がける遺言信託は割高で、費用に見合ったメリットがあるか疑問です」と厳しい。 「サービス開始時にかかる手数料のほか、遺言の作成や保管、執行の際にもそれぞれ別途手数料がかかる。たとえば、遺言の執行手数料が遺産の額に応じて100万円を超えるサービスもあります。遺言信託は、弁護士などの『士業』も手がけることができますので、必ずしも銀行にこだわる必要はないと思います」  銀行に任せれば倒産の可能性が低かったり、金融機関としてのブランド力や信用性が高かったりするなどのメリットもある。だが、相続人同士でトラブルが起きた場合には手を引かれてしまったり、途中で契約をやめると、解約金がかかったりする場合もある。金田万作弁護士はこう話す。 「費用や安心面などを考慮して検討すべき。利用する必要があるとしても、銀行と弁護士などのどちらがいいか、しっかり考える必要がある。余裕があれば両方に相談し、比べてみましょう」  前出の板倉さんもこう注意を促す。 「どんな商品やサービスも、自分が理解できないものは買ってはいけません。わからないことがあったら、納得できるまで担当者に説明してもらいましょう」  不慣れなのは当たり前。慎重に備えるようにしたい。(本誌・池田正史) ※週刊朝日  2021年2月5日号
YOASOBIが“初の一般誌表紙”に登場!蜷川実花が撮影した「AERA 2月8日号」は2月1日発売
YOASOBIが“初の一般誌表紙”に登場!蜷川実花が撮影した「AERA 2月8日号」は2月1日発売 AERA2021年2月8日号表紙はYOASOBI ※アマゾンで予約受付中  2月1日発売のAERA 2月8日号の表紙に、「夜に駆ける」の大ヒットで紅白にも出場したYOASOBIが登場します。一般誌の表紙を飾るのは、今回が初めて。コラム「表紙の人」や3ページにわたるカラーグラビア&インタビューでは、怒濤の2020年や紅白の舞台裏、今後のYOASOBIについて語っていただきました。撮影はもちろん、蜷川実花です。この号の巻頭特集は「コロナ禍のがんリスク」。検診控え・受診控えで早期発見の機会が失われている実態を取材しました。今年23回忌を迎えるジャイアント馬場さんが、妻とやりとりした往復書簡を巡る秘話も、独占掲載しています。  2月1日発売の2月8日号は、表紙にYOASOBIを起用しました。YOASOBIは、コンポーザーのAyaseさんとボーカリストのikuraさん二人による音楽ユニット。2019年10月に結成され、翌11月には第1弾楽曲「夜に駆ける」を発表。YouTubeで公開したミュージックビデオが、現在までに1億5000万回以上再生されています。テレビで初めて歌ったのが20年末の紅白。そして一般誌の表紙を初めて飾るのが、今回のAERAとなりました。 「夜に駆ける」発表以降の1年を振り返って、「10歳くらい老けた気がする」とAyaseさんが言えば、「一気に大人の階段を上り始めた感じです」とikuraさん。インタビューでは、子ども時代のことやユニット結成以前のそれぞれの活動、今後のYOASOBIについて、縦横無尽に語っています。  この号の巻頭特集は「コロナ禍のがんリスク」。コロナ禍でがん検診は一時ストップし、受診者数も激減。日本対がん協会のがん検診研究グループは、2020年度、「がんが発見されなかった人は少なくとも1万人」と見通しています。検診控え、受診控えがどんなリスクをもたらすのか。詳細に取材しました。  悪性リンパ腫からの「完全寛解」を果たした笠井信輔アナウンサーも、妻の茅原ますみさんとともにインタビューに応じています。診断を受けるまでに4カ月を要し、診断されたときにはステージIVだったという笠井さん。意外にも、自身のがんについて、ネットで検索することはしなかった、と話します。ご夫妻はどんな風に情報に向き合ったのでしょうか。そこから、闘病中に心の安定を保つコツが見えてきました。  さらに、1999年になくなり、今年23回忌を迎える伝説のヒーロー、ジャイアント馬場さんが妻と交わした往復書簡を巡る秘話も掲載。1千通にも及ぶという二人が交わした「ラブレター」が書籍化されることを受け、「東洋の巨人」の知られざる愛の物語を、秘蔵写真とともに独占先行掲載します。  ほかにも、 ・看護師たちの悲鳴「使命感だけではもう限界」 ・保健所職員たちも「燃え尽き寸前」 ・ひとりぼっちで療養「経験者」が語る孤独・不安・偏見と打ち勝つ方法 ・岩田剛典インタビュー「かっこつけないかっこよさを知りました」 ・「推し」のよさをプレゼンし合う異種格闘技大會をルポ ・文在寅大統領「徴用工判決」発言軟化でも日韓関係改善は薄氷の上 ・辺野古新基地「共用」日米極秘合意 スクープした記者が内幕を寄稿 ・海外ドナーの提供精子・卵子で出産「出自を知る権利 守りたい」 ・ピュリツァー賞写真家が捉えた米大統領交代の「瞬間」  などの記事を掲載しています。 AERA(アエラ)2021年2月8日号 定価:364円+税 発売日:2021年2月1日(月曜日) https://www.amazon.co.jp/dp/B08T3V6QLM
田中将大が復帰しても楽天がソフトバンクに勝てない理由
田中将大が復帰しても楽天がソフトバンクに勝てない理由 2013年の日本シリーズ第7戦で、最後の打者を三振に打ち取り、両手で大きくガッツポーズする楽天の田中将大(C)朝日新聞社 楽天の石井一久監督(左)(C)朝日新聞社  今オフ一番のビッグニュースだ。楽天が、ヤンキースからフリーエージェント(FA)になっていた田中将大の獲得を1月28日に正式発表。背番号18の2年契約、年俸9億円プラス出来高の日本球界最高年俸で合意したとみられる。  古巣に8年ぶりの電撃復帰は1投手の補強にとどまらず、大きな影響をもたらす。則本昂大、松井裕樹ら後輩たちは田中の野球に取り組む高い志とストイックな姿勢を慕っている。その存在だけで投手陣全体の底上げにつながるだろう。  ヤンキースとの7年契約が満了した今オフ、メジャー通算78勝(46敗)右腕の評価は決して低くなかった。だが、コロナ禍の影響で各球団の財布のひもはきつく、移籍市場は停滞。メジャーのあるスカウトは、今回の決断にこう理解を示す。 「田中は例年だったらもっと早くメジャーで所属先が決まっていただろうし、好条件の契約を勝ち取れただろう。コロナで犠牲になった選手の一人ともいえる。米国で新型コロナウイルスの感染拡大は収まっておらず、シーズン開催も数年は不透明な状況が続くだろう。高額なサラリーが望めない状況になる可能性は十分にある。それなら日本でプレーして2年後に再びメジャーでプレーするのも現実的な選択肢だと思う」  メジャー挑戦した日本人選手が、所属していた古巣球団に戻るのは決して当たり前ではない。32歳と脂が乗り切った田中にも日本の複数球団が興味を示していたが、楽天との絆は強かった。メジャー移籍後も楽天が自主トレ用に仙台の球団施設を開放するなど交流を継続。今オフも松井らと練習を行っていた。  交渉術にたけた石井一久ゼネラルマネジャー(GM)兼監督の手腕も光った。自身もメジャーで現役時代にプレーしていたことから、田中がメジャーでプレーしたい気持ちは十分に理解している。関係者の話によると、楽天はメジャー各球団の評価がそろうまでは条件提示せずに静観。田中の気持ちの整理がつくまで待ち続けた。日本球界復帰も選択肢として浮上したところで、オファーを出したとみられる。  楽天は昨季4位とクライマックスシリーズ(CS)進出さえならなかったが、田中の加入で一気に優勝候補となる。先発ローテーションは田中、則本、移籍1年目の昨季、最多勝を獲得した涌井秀章、岸孝之の4本柱に加え、早稲田大のドラフト1位左腕・早川隆久、プロ2年目の成長株・滝中瞭太、塩見貴洋、石橋良太、弓削隼人、福井優也らがしのぎを削る。  特にエース・則本は2年連続5勝止まりと不本意なシーズンが続いただけに、師と仰ぐ田中と再び同じユニホームを着てプレーできることは大きな発奮材料になるだろう。  ただ、楽天が優勝を狙う上で大きなカギとなるのが捕手だ。昨年のスタメンを見ると、太田光の51試合出場が最多で、下妻貴寛が43試合、足立祐一が26試合出場と正捕手を固定できなかった。強肩が武器の太田はリーグトップの盗塁阻止率3割3分3厘をマークし、ソフトバンク・甲斐拓也の盗塁阻止率3割2分8厘を上回っただけに潜在能力は高い。だが、リード面や確実性を欠く打撃など磨かなければいけない部分は多い。  スポーツ紙デスクは、こう分析する。 「楽天は田中が戻ってきて手ごわくなりますが、ソフトバンクのほうが総合力は上でしょう。三木肇監督(現・楽天2軍監督)が昨年の1年限りで退団し、その前年の2019年もCS進出した平石洋介監督(現・ソフトバンク1軍打撃コーチ)が1年限りでチームを去っている。3年連続で監督が代わる状況はチームの方向性が定まっていないと批判されても仕方ありません。石井GM兼監督は人脈の広さを生かして選手を獲得する能力が高いですが、現場の指揮官としての能力は未知数です。田中も米国からマウンドの土が柔らかい日本に戻り、アジャストするために時間を要すると思います。開幕から白星を積み重ねると皮算用をするのはリスクです」  東日本大震災から10年の節目となる21年。田中の獲得に成功した「石井楽天」の運命はいかに――。(梅宮昌宗) ※週刊朝日オンライン限定記事
親子のおうち時間を充実させてくれる! 「しかけ絵本」10選
親子のおうち時間を充実させてくれる! 「しかけ絵本」10選 思わず歓声が上がる「しかけ絵本」(撮影/掛 祥葉子) 贈り物にもピッタリ!(撮影/掛 祥葉子)  大都市を中心に再び緊急事態宣言が発出され、休日もおうちで過ごす親子が増えています。どうしてもゲームや動画の時間が長くなりがちですが、たまには親子でしかけ絵本を楽しんでみてはいかがでしょう。「しかけ絵本=小さい子が見るもの」と侮るなかれ、作家たちが趣向を凝らした豪華なしかけ、アートな世界を楽しむもの、科学の知識が身につくもの……さまざまなタイプがあり、大人のほうが夢中になっていることも! 発売中の「AERA with Kids冬号」(朝日新聞出版)では、鎌倉にある日本初のしかけ絵本専門店「メッゲンドルファー」の嵐田康平さん・晴代さんご夫妻と長男の一平さんにオススメのしかけ絵本をうかがいました。 *   * * ■『エンクロサイペディア 太古の世界III 絶滅した獣たち』 ロバート・サブダ、マシュー・ラインハート/作 わくはじめ/訳  大日本絵画 4180円  しかけ絵本界の黄金コンビによる、古生物シリーズの完結編。空飛ぶトカゲやマンモスなど、絶滅した35体の古生物たちが、大迫力のポップアップでよみがえる。最新科学による解説も充実。「次々と飛び出す古生物たちに目を奪われ、きっと興味も深まります」 中学年から ■『サファリ』 キャロル・カウフマン/文 ダン・ケイネン/作 きたなおこ/訳 大日本絵画 3520円  獲物を追いかけるライオン、耳をパタパタと揺らすゾウ……。ページをめくる動きに連動して、野生動物がまるで映像のように動きだす。「新感覚のしかけに、大人もくぎ付けになる一冊。解説も充実していて、見るだけでも、読みものとしても楽しめます」(嵐田さん:以下同) 中学年から ■『等身大ポスターがとびだす! ポップアップ人体図鑑』 リチャード・ウォーカー/著 坂井建雄/日本語版監修 ポプラ社 3080円  人体の仕組みをまとめた約20ページの図鑑の巻末についているのは、140センチメートルの人体模型のような飛び出すポスター。「頭蓋骨や肋骨が立体になっていて、奥をのぞいたりもできるので、イメージがわいて理解しやすいと思います」 低学年から ■『太陽系探検 惑星とその果ての旅』 イアン・グラム/文 あかつききょうこ/訳 大日本絵画 3520円  太陽と惑星から火星探査の様子まで、宇宙空間の不思議を、五つのダイナミックなポップアップとともに探るガイドブック。「立体的な宇宙空間の様子に、わくわくしたり驚いたりすること間違いなし。図鑑よりも引き込まれてしまうかも!?」 中学年から ■『地球のまんなかまでどんどんのびるしかけ絵本 地面の下には、何があるの?』 シャーロット・ギラン/文 ユヴァル・ゾマー/絵 小林美幸/訳 河出書房新社 2750円  地面から地球の中心のマントルまでの様子が、蛇腹状に折られた1枚の長い長い紙に描かれている絵本。全部伸ばすと2.5m! 表面は都会の、裏面は動物たちが暮らす田舎の地面の下を眺められる。「蛇腹のまま読んでもいいですが、伸ばして天井から飾ったりしてもいいですね」 低学年から ■『ようせいのおしろのぶとうかい』 マギー・ベイトソン/作 ルイーズ・コンフォート/絵 かがわけいこ/訳 大日本絵画 3520円  お城の舞踏会に行きたくても行けなかった、4人の小さな妖精たち。絵本を読み進めると……? 華やかな舞踏会の場面が、ぐるりと立体的に現れる!「切り抜いて使う妖精の紙人形などもついているので、空想でストーリーをふくらませて、読んだあとに人形で遊ぶお子さんも多いようですよ」 低学年から ■『不思議の国のアリス』 ロバート・サブダ/作 わくはじめ/訳 大日本絵画 4400円  『紙の魔術師』といわれるロバート・サブダが、『不思議の国のアリス』を迫力あるポップアップで表現した人気作品。ページの中にも小さなしかけや、のぞき穴があり、隅々まで楽しめる。「おなじみの作品もこんなユニークなしかけ絵本で読めたら、きっと心に残りますよね」 中学年から ■『フラワー・フェアリーズ 魔法のとびら 妖精の王国へとつづくとびらを見つけよう』 シシリー・メアリー・バーカー/作 みましょうこ/訳 大日本絵画 3300円  ページをめくるたびに現れる不思議な扉と、そこに隠れているかわいい妖精たち。主人公の女の子たちと一緒に、妖精の王国につながる魔法の扉を見つけに行こう。「色彩が美しく、ながめているだけでも楽しいので、シリーズで集めるご家庭もある絵本です」 中学年から ■『おばけやしき(新装版)』 ジャン・ピエンコフスキー/作 でんでんむし/訳 大日本絵画 3300円  紙を引っ張ると肖像画の目玉が動いたり、扉を開けるとガイコツが飛び出してきたり、ギシギシと音がしたり……。紙工作の精緻を極めた、しかけ絵本の大ロングセラー。「あっちこっちからおばけが登場する、怖くて楽しい絵本です。実は私も、子どもの頃に大好きだった作品です」 低学年から ■『ブラックライトでさがせ! 光の勇者大迷路 闇の魔王をたおせ!』 やまおかゆか、むらたももこ/絵 中田隆司/構成 パイ インターナショナル 2970円  新感覚の迷路ブック。ブラックライトで本を照らして、モンスターやアイテムを探しながら、光の勇者と一緒にゴールを目指す。「店内でも、夢中になっているお子さんをよく見かけるシリーズです。一人でも大勢でも楽しめるところが、おすすめポイント」 ※価格はすべて税込みです (取材・文=竹倉玲子) ※発売中の「AERA with Kids冬号」では、今回紹介した「しかけ絵本」をはじめ、絵本や児童書、家族で盛り上がれるボードゲームなどを多数紹介しています。

カテゴリから探す