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「秋の園遊会」雅子さまは“皇后の自覚”にじむ女郎花色 紀子さまはロイヤルブルーに“意志の強さ”
「秋の園遊会」雅子さまは“皇后の自覚”にじむ女郎花色 紀子さまはロイヤルブルーに“意志の強さ” 秋の園遊会にお出ましになった、天皇皇后両陛下と秋篠宮ご夫妻  季節外れの暑さとなった11月2日。天皇皇后両陛下が主催する秋の園遊会が、5年ぶりに、東京・元赤坂の赤坂御苑で開催された。今回の女性皇族のドレスコードは、洋装。和装のように、着物の文様にメッセージを込めることはできないが、色づかいや細やかな意匠にも、お一人おひとりのキャラクターはのぞくもの。スタイリストの角佑宇子(すみ・ゆうこ)さんが、雅子さまと紀子さまの「対照的な」ファッションを読み解いてくれた。 *  *  *  抜けるような青空の下、約1400人の招待客の前に現れた雅子さまは、うっすらと緑がかった黄色のツーピースを身にまとっていた。角さんによると、これは秋の七草の一つ、「女郎花(おみなえし)」の色。2015年秋の園遊会で着用されたツーピースは、深みのあるワインレッドだったが、例年より気温の高い今年は、秋を感じさせつつも重くならない色味を選ばれたのではないかと、角さんは推察する。 「雅子さまは、愛子さまとの親子コーデも緻密に計算される方。お召し物が持つメッセージ性をよく考え、大切にされている印象があります」  その姿勢は、皇室に入られてからの雅子さまのファッションの変遷からも見て取れる。ご成婚当初は、“ロイヤルブルー”に代表される、はっきりとした色を着用されることが多かった。しかし、お立場が皇太子妃から皇后になると、生成り色だったり、同じブルーでもより控えめな色味だったりを選ばれることが多くなったという。 招待客の前に現れた天皇皇后両陛下。雅子さまのツーピースの女郎花色が、秋の木の葉の色とマッチしている 本来は主張のある色がお似合いになるけれど… 「派手な色で自分を表現するのではなく、人々のことを思って、やわらかく落ち着いた印象を出していこうというお気持ちが、色に乗っているのかなと思います」と、角さん。  雅子さまはパーソナルカラーのパターンはおそらく“ブルベ冬”に当てはまり、本来は、以前好まれていたような主張のある色がお似合いだという。しかし、少なくともご公務で着用する服については、「自分の姿が周りにどのような印象を与えるか」を何よりも優先されていると思われる。女郎花色のツーピースには、皇后としての自負と覚悟がにじんでいるのかもしれない。  一方、紀子さまのファッションからは、雅子さまとは対照的な、「私は私の道を歩む」という意志の強さが感じられると、角さんは言う。  今回の園遊会で紀子さまがお召しになっていたのは、かつての雅子さまをほうふつとさせる、ロイヤルブルーのツーピースだ。 「この鮮やかな青は秋特有の色ではありませんし、結果的に皇后である雅子さまよりも目立っていらっしゃったので、何かご意図があって選んだというよりは、シンプルに紀子さまがお好きな色だったのかなと思います。どんな場面でも上品に見せてくれる、汎用性の高い色です」   シンガー・ソングライターの松任谷由実さんと歓談される天皇皇后両陛下。手前には将棋棋士の加藤一二三さんの姿も 紀子さまは“アナウンサー風”ファッション  紀子さまは当初から一貫して、うすいピンクや丸襟、花柄など、アナウンサー風の可憐なファッションを好まれてきたという。近年は、ロイヤルブルーのような落ち着きのある色を選ばれることも増えたが、今回の園遊会で着用された帽子やツーピースに、華やかな菊模様のレースがあしらわれていたように、今も「かわいらしさ=自分らしさ」を大切にされているご様子だ。  かたや、雅子さまは、襟元にほどこされた生地と同色の刺繍や、一見無地に見えるような繊細な柄など、上品でさりげないおしゃれを好まれる傾向があり、“色”だけでなく“意匠”の点でも、お二人の美意識や価値観の違いが表れているという。  エンプレス、プリンセスのお召し物に注目すると、その胸の内がチラリと垣間見えるかもしれない。 (AERA dot.編集部・大谷百合絵)
及川光博「きのう何食べた?」美形な“ツン”キャラで魅了 元妻・檀れいとの関係も良好で“最強のイケオジ”に
及川光博「きのう何食べた?」美形な“ツン”キャラで魅了 元妻・檀れいとの関係も良好で“最強のイケオジ”に 及川光博    人気ドラマには欠かせない役どころとして、引っ張りだこの及川光博(54)。今シーズンも「フェルマーの料理」(TBS系)では、名門私立校の理事長であり美食家の西門景勝役で登場。また「きのう何食べた? season2」(テレビ東京系)の第5話には、西島秀俊演じるシロ(史郎)さんの元カレ・伸彦役で登場する。 「伸彦は、史朗が賢二(内野聖陽)と付き合う前に、一緒に暮らしていた元恋人で、ルックスは好みなのに、恋人に対して思いやりに欠ける面があって破局したという設定。元祖“王子キャラ”ミッチーのツンとした演技は、まさに面目躍如です」(テレビ誌ライター)  アラフィフになってからは、ドラマ、映画に留まらず、バラエティー番組でもミッチー節で軽妙なトークを披露する。 「頭の回転が速いのでトークの切り返しもうまいし、とにかくカッコいいんです。スタイルも若いころとほとんど変わらないし、常にジェントルマン。礼儀正しくて、相手が誰であろうと謙虚で公平。彼が現場にいるだけで、なんとなく和んでしまうから、引っ張りだこになるのもうなずけます」(テレビ関係者) 「相棒」(テレビ朝日系)では、season7最終回からseason10まで、2代目相棒・神戸尊を務めた。同ドラマでの共演をきっかけに檀れいと結婚。プロポーズの言葉は「僕の帰る場所になって」だったという。まさに王子様とお姫様のお似合いのカップルだった。 ガンダムのキャラクター「シャア」のコスプレをする及川光博   離婚後も檀れいの舞台を観劇  18年には電撃離婚を発表したが、あくまでも円満離婚で、その後もよき友人としての関係が続いているという。 「当時、及川は離婚届を提出したあとに、ふたりだけで“打ち上げ”と称して食事をしたと明かしています。離婚してからも、檀が及川のライブのリハーサルに差し入れをしたり、及川が檀の舞台を観劇したりといい関係のようです」(芸能関係者)  俳優としての活動が多忙でも、毎年のライブツアーを欠かさず、今年も大みそかにはLINE CUBE SHIBUYA(渋谷公会堂)でライブもやる予定だ。 「デビュー当初から、ライブの演出や衣装などすべて自分でプロデュースするほどこだわりが強く、ファンサービスには定評があります」(スポーツ紙記者)  一方の檀も、宝塚を退団後から封印していた歌を解禁。芸能生活30周年を迎えた昨年はワンマンライブを開催し、今年もライブハウスでの公演を行う。 「檀は、不器用なタイプなので一つのものに集中すると、他のことができないタイプなんです。だから、舞台なら舞台、ドラマならドラマ、歌を解禁する時も数年前からボイストレーニングをして、これなら人前で歌っても大丈夫、と自分が納得しないとやらない。結婚生活も、結局、妻として頑張ろうと思えば思うほど、仕事との両立に葛藤してしまったことで離婚の選択に至ったようです」(同前)  イケオジでも王子様キャラは健在、ルックスも変わらず好感度も高い。名バイプレーヤー“ミッチー”人気はまだまだ続きそうだ。 (坂口友香)
雅子さまは「猫ちゃん!」と声を弾ませた 園遊会でひふみんの暴走も包み込んだ両陛下の真心
雅子さまは「猫ちゃん!」と声を弾ませた 園遊会でひふみんの暴走も包み込んだ両陛下の真心 赤坂御用地の木々が紅葉で色づくなか、秋の園遊会に臨む天皇、皇后両陛下=23年11月2日  天皇、皇后両陛下が主催する秋の園遊会が、赤坂御苑(東京・元赤坂)で開かれた。園遊会は春に続いて即位後2回目で、代替わり儀式や新型コロナウイルスの影響により秋の開催は5年ぶりとなる。シンガー・ソングライターの松任谷由実さんや将棋棋士九段の加藤一二三さん、漫才師の西川きよしさんら約1000人が招待され、両陛下や皇族方が声を掛けて回られた。なかでも、「ひふみん」こと加藤一二三さんとの雅子さまの会話の対応力に、マナーのプロが感嘆する。それはなぜか。   *   *   *  あいにくの雨模様だった春の園遊会とは打って変わって、快晴の空の下で行われた秋の園遊会。ユーミンの前に天皇陛下、続いて雅子さまがつかれると、天皇陛下が「どうも、松任谷さんどうも」「またお会いできてうれしいです」と声をかけられた。 園遊会に出席し、シンガー・ソングライターの松任谷由実さん(前列右から2人目)、将棋棋士の加藤一二三さん(右端)ら招待者と話す天皇、皇后両陛下=23年11月2日 代表撮影    それに続けて、雅子さまは「昨年50周年のツアーをなさって……」とユーミンに話しかけられた。そのひと言に「さすが雅子さま」と感嘆するのは、大手企業のマナーコンサルティングや、NHK大河ドラマ・映画などのマナー指導も務めるマナーコンサルタントの西出ひろ子さんだ。 雅子さまは相手の立場に立たれて 「先に『お会いできて』と話しかけられたのも素晴らしいと思いましたが、すぐさま松任谷由実さんへの会話の糸口を投げかけられました。しかも、雅子さまが選んだのは『50周年ツアー』というお仕事のお話でした。    お仕事の話であれば、松任谷由実さんが、園遊会という場所で緊張していたとしても会話がしやすいはずです。私は講習などで常日頃お話ししていますが、マナーとは相手の立場に立つことです。雅子さまは本当にいつも相手の立場に立っていらっしゃいます。相手が話したいであろう話題を振り、しかも話しやすいように柔らかく話しかけられています。これは、簡単にできることではありません」 【こちらも話題】 なぜ消えた? 天皇陛下もお似合いだったシルクハットが秋の園遊会で着用されなくなった理由 https://dot.asahi.com/articles/-/205455  こうした雅子さまの会話を引き出す対応力は、「事前の準備」と「基本」ができているからだと西出さんは指摘する。   「誰もが知っている松任谷由実さんのような方だけではなく、各界からの1000人以上の招待者との会話ですから事前準備が肝心ですよね。一般的にも新しい仕事に臨むときに準備は大切です。相手のことを可能な限りで良いので情報を得ておく。そして、それをコミュニケーションに取り入れ仕事に生かしていく。雅子さまはそういったビジネスの基礎基本もしっかりできていらっしゃいます」    と、雅子さまのひと言を、西出さんは絶賛する。雅子さまのふるまいには安心感があり、ときにあたたかい気持ちになり微笑んでしまうほどだ。微笑んでしまうといえば、今回の園遊会のシーンでは、バラエティー番組では「ひふみん」でおなじみの加藤一二三さんとのやり取りだろう。 園遊会に出席し、将棋棋士の加藤一二三さん夫妻(右手前)と話す天皇、皇后両陛下=23年11月2日   トークが暴走気味のひふみんに  ユーミンの次に天皇陛下と雅子さまが声をかけられたのが、加藤一二三さんだった。招待されたことにお礼を述べたあと、「藤井聡太さんが活躍していますが……」と自分の話はさておき、すでにやや暴走気味のひふみん。    天皇陛下がうまく会話をアシストして、なんとかひふみんの現在の活動に話を戻し、その中で雅子さまが「動物は何がお好きなんですか?」と投げかけられると、ひふみんは「猫です!」と答えた。それに対し、雅子さまは「猫ちゃん!」と声を弾ませた。 【こちらも話題】 愛子さま「内からにじむ品の良さ」はサーヤと共通 2人の内親王が国民から慕われる理由 https://dot.asahi.com/articles/-/205156    そこから、ひふみんのトークは猫の生態の話に暴走……。そんなハプニングとも思える会話にも、天皇陛下が「ここにも猫がいるんですよ」と赤坂御苑の敷地を手で指し示された。   「天皇陛下も素晴らしかったです。天皇陛下も雅子さまも常に“相手ファースト”なのです。会話も相手を中心に考え、会話の中で相手の方がしっかり“主役”になるようにしてくださる。一二三さんの隣にいらした奥さんに将棋を指すのか質問したとき、奥さんは『できません』と答えられ、雅子さまはとっさに『お支えになられたのですね』という言葉をかけられていらっしゃいました。    このひと言に心を打たれるほどに感動いたしました。ご招待されたのは夫の一二三さんですが、それには奥さんの支えがあってのことだと奥さんに対する賛辞を伝えられたわけです。このような言葉には思いやりと優しさが込められており、本当に真心からのマナーの基本を押さえていらっしゃると思いました」    やや暴走気味なトークな展開に思えるひふみんだが、実は天皇、皇后両陛下が声掛けをされる前からひふみん自身も映像には映らない「リハーサル」を重ねていたという。 園遊会に招待されたシンガー・ソングライターの松任谷由実さん(前列左から2人目)、将棋棋士の加藤一二三さん(同3人目)ら。ひふみんは立ち上がるリハーサルを重ねていたという=23年11月2日 代表撮影   「加藤一二三さんは、天皇、皇后両陛下とお話しなさるときには車椅子から立ち上がりたかったのか、会が始まる前に車椅子から立ち上がる練習をしていました。何度かフライングして皇族方がお見えになる前に立ち上がろうとしていたほどでした」(皇室記者)    こうした、ひふみんトークの裏話を聞くに、なんともあたたかい雰囲気だった秋の園遊会。西出さんはこうまとめる。   「どの招待者にも『お会いできてうれしい』という気持ちが伝わってくる対応で、天皇陛下も雅子さまも楽しそうなご様子でした。それには招待者の緊張を和らげて差し上げたいというお気持ちもおありなのだと思います。    始終、天皇、皇后両陛下が楽しんでいらっしゃるお姿を私たちに見せてくださることに、開かれた令和の皇室を感じました。このような情景を拝見しているだけで、私たちもうれしく思い、気がつけば自然と微笑んでいることに気づかされます。このように和やかに、あたたかい気持ちにさせてくださる両陛下に感謝の気持ちでいっぱいになりました」    いずれにしても、暴走気味のひふみんトークでさえ微笑みに包んでしまう雅子さまの対応力は、本当に素晴らしい。   (AERA dot.編集部・太田裕子) ◯西出ひろ子/マナーコンサルタント、マナー評論家、マナー解説者。大学卒業後、参議院議員秘書職を経て、マナー講師として独立。31歳で渡英。オックスフォード大学大学院遺伝子学研究者(当時)と英国にて起業。帰国後、企業のコンサルティングをはじめ、大河ドラマなどのマナー指導など多方面で活躍中。近著に『突然「失礼クリエイター」と呼ばれて』(きなこ出版)
天皇陛下と雅子さまは「お話好き」で笑顔でひふみんと猫談義 令和・平成・昭和の園遊会の名場面
天皇陛下と雅子さまは「お話好き」で笑顔でひふみんと猫談義 令和・平成・昭和の園遊会の名場面 秋晴れとなった園遊会。紅葉が色づく赤坂御苑で、三笠山に立つ主催者の天皇陛下と皇后雅子さま =2023年秋の園遊会  11月2日、天皇、皇后両陛下が主催する秋の園遊会が元赤坂の赤坂御苑で開催された。見事な秋晴れの空の下で、天皇陛下と雅子さまは、漫才師の西川きよしさんら招待者と懇談した。各界で活躍する名士や著名人が招待される園遊会は、その時代ならではエピソードであふれている。昭和から平成、令和の天皇陛下と皇族方らと招待者が織りなす名場面を振り返ってみた。 *  *  * 「小さいころからテレビで観ていました」  漫才師の西川きよしさんに、雅子さまはこう声をかけた。将棋の加藤一二三さんとの懇談ではおふたりが一緒に、マニアックな猫談義で盛り上がった。  天皇陛下と皇后雅子さまは、「お話好き」で知られる。公務での懇談は、「話が盛り上がり過ぎて」ほぼ予定を超過するという。  各界の名士が天皇陛下や皇族方と交流する園遊会は、時代を象徴するエピソードの宝庫だ。「名場面」を振り返ってみよう。   座談の名手といえば昭和天皇。柔道家の山下泰裕さんとの会話は、いまも人びとの記憶に残る。  1982年の春の園遊会で、昭和天皇はこう声をかけた。 「柔道で一生懸命やっているようだがね。どう?ずいぶん骨が折れますか」 ​ノーベル化学賞の福井謙一京大名誉教授、タレントの黒柳徹子、柔道の山下泰裕選手らと話談笑する昭和天皇。左端は入江相政侍従長 =1982年春の園遊会  どう答えるのか。他の招待者もニコニコしながら見守っている。山下さんが選んだ言葉は、 「2年前に骨折したんですけども、今は体調も完全に良く、一生懸命がんばっております」   素朴な人柄を感じる受け答えにその場は、あたたかな笑いに包まれた。昭和天皇のお返事はやはり、 「あっそう」  続けて、 「今日はよく来てくれて」  とねぎらった。  作家の司馬遼太郎と昭和天皇のやり取りも興味深い。『週刊朝日』に連載されていた、「週刊司馬遼太郎」には妻の福田みどりさんの著書からこんなエピソードを紹介している。 〈赤坂御苑の園遊会に招かれたときのこと。やや緊張していた司馬さんに対し、昭和天皇は意外な言葉をかけている。 「元気そうだね」  みどりさんは書いている。〈白髪を御覧になっておっしゃったのだろうが、司馬さんは陛下に言ったのよ。僕、まだ、若いんですよ〉  司馬さんがまだ45歳ほどのころの話だった〉   「きんさん・ぎんさん」で知られる百歳の双子姉妹、成田きんさん(写真中央左の車いす)と蟹江ぎんさんは「お元気ですね」「目の手術の方はどうですか」と声をかけられた= 1993年春の園遊会   平成の人気者といえば、明治生まれの双子の姉妹、「きんさん、ぎんさん」だろう。1993年、春の園遊会に100歳を迎えた成田きんさんと蟹江ぎんさんが車、いすで出席した。ぎんさんは、白内障を患い手術をしたばかり。それをご存じの天皇陛下(現・上皇さま)は、 「(目の)手術のあとはいかが?」  と尋ねた。 「はい、たいへんよく見えます。天皇陛下のおかげでございます」  ぎんさんのこの言葉に、周囲は大笑い。   ノーベル賞作家川端康成夫妻と話す昭和天皇。右は今日出海 =1968年秋の園遊会 意外な印象もあるが、天皇や皇族方は、アニメ番組、漫画に通じている。今年6月のインドネシア訪問では天皇陛下が、アニメの「NARUTO(ナルト)」にひっかけて、 「私は徳仁(なるひと)です」   とダジャレを披露したし、故・寛仁親王の長女、彬子さまが中国の春秋戦国時代を舞台にした「キングダム」の大ファンでもある。 「サザエでございます」  こう自己紹介をしたのはアニメの「サザエさん」役を40年以上続けた大御所声優の加藤みどりさんだ。 「両陛下はアニメなどはご覧になりますか」  加藤さんは、当時の天皇陛下と美智子さまにこう質問をした。美智子さまは、すこしおかしそうな表情で、「少し」。  さすがのお人柄と、周囲が感心したのが当時、皇太子だった天皇陛下の言葉だ。 「一家で見ていますよ」  皇太子さまの気遣いのある声かけに加藤さんは、「大感激でした」と胸を震わせた。  思い出すのは、2018年春、平成最後となった春の園遊会だ。皇太子妃だった雅子さまは、招待客ひとりひとりと丁寧に会話を続けた。そのため、皇太子さま(現・陛下)との間には大きく距離が空き、遅れてしまった。陛下は急かすことはせず、雅子さまを見守るように待っていた。おふたりの姿に、周囲はあたたかな空気に包まれた。  5年ぶりとなった秋の園遊会は、おふたりの人柄を写すように、会場は笑いが絶えなかったようだ。 (AERA dot.編集部・永井貴子) 激しい雨が降る中、傘を差さずにお辞儀をする歌舞伎俳優で人間国宝の片岡仁左衛門さんに対し、陛下は、「傘を、よろしかったらお差しになって」 とそっと気遣った =2023年春の園遊会、(日本雑誌協会) 園遊会に招待された東京五輪卓球混合ダブルス金メダリストの伊藤美誠さん =2023年春の園遊会、(日本雑誌協会) 両陛下と言葉を交わす、東京パラリンピック車いすテニス男子シングル金メダリストの国枝慎吾さん(手前右から5人目)  =2023年春の園遊会、(日本雑誌協会) 黒い雨傘と出席者の黒いモーニングのなかで雅子さまがさすライトベージュの明るい雨傘は、その場を華やかにした。手元が革で作られた傘は、前原光榮商店の一点もの =2023年春の園遊会、(日本雑誌協会)  雅子さまは、内廷皇族の菊紋である十六葉八重表菊(じゅうろくようやえおもてぎく)の三つ紋の訪問着をお召し。陛下はいつもさり気なく雅子さまを  気遣いサポートしている =2023年春の園遊会、(日本雑誌協会) 出席者と常に目線を合わせ笑顔を絶やさない秋篠宮家の次女、佳子さま。本振り袖に三つ紋を入れた格式の高い着物姿。秋篠宮家の家紋は、十四弁の菊花と秋篠宮さまのお印である栂(つが)の枝葉を四つずつ円形に連ねた意匠 =2023年春の園遊会、(日本雑誌協会)  
佳子さまが「エネルギッシュな笑顔」でペルーへ出発 なぜ秋篠宮家が南米の訪問を担うのか
佳子さまが「エネルギッシュな笑顔」でペルーへ出発 なぜ秋篠宮家が南米の訪問を担うのか 羽田空港で見送りを受ける秋篠宮家の次女佳子さま=11月1日、東京都大田区の羽田空港    秋篠宮家の次女、佳子さまが11月1日、南米ペルー訪問のために出発した。今年は日本とペルーの外交関係樹立から150年にあたり、10日間の日程で同国を訪れ、現地の日系人らと交流する予定だ。南米は2019年に秋篠宮家の長女、小室眞子さんもペルーを訪問するなど、最近は秋篠宮家のメンバーが相次いで訪れている。日本から遠い南米の訪問を秋篠宮家が担っている背景には、皇室の「少子高齢化」がありそうだ。 *   *   *  明るいグリーンのスーツを着た佳子さまが、東京・羽田空港の搭乗口にさっそうと現れた。エネルギッシュな笑顔は、その場の空気を活気づけてくれるようだ。  見送りに立つ空港の関係者らに順番にあいさつをする。居合わせた人びとから、「佳子さま」と歓声が飛ぶと、ほほ笑んで会釈をして飛行機に乗り込んだ。    皇室の海外の訪問先としては王室がある欧州各国が多いが、日本人の移民とその子孫が多い南米やアジアも頻度が高い。  特に南米は多くの日本人が移住し、汗を流して土地を切り開き、そして第2次世界大戦で強制収容されるなどした艱難辛苦の歴史を持つ。そしてそれぞれの国で深く根を張って生きている日系人たちの存在を、皇室は心に留めてきた。  各国を訪問した皇族たちは、現地の日系人と直接ふれあい、言葉を交わしてきた。上皇后美智子さまは、日本を懐かしむ高齢の日系人のために、日本から干菓子などを持参したこともあった。   「皇族の訪問は難しかった」 「南米の移民村へ 皇族・初の御訪問」  朝日新聞がそう伝えたのは1934年。ブラジルやアルゼンチン、チリ、ペルーを皇族が訪ねる予定だった。しかし、情勢が不安定だとして取りやめになった。     【こちらも話題】 佳子さまの海外公式訪問が「ペルー側にとって喜ばしい」理由 小室眞子さんと経由地で会う可能性は? https://dot.asahi.com/articles/-/199664      皇族が初めて南米を訪問したのは58年。昭和天皇の弟宮である三笠宮さまと妻の百合子さまだ。ブラジルに日本人が移住して50年という節目の年だった。 「戦前であれば、皇族のブラジル訪問は難しかったであろうが、実現したのは戦後の日本が民主化されたため」  ブラジル・サンパウロで執り行われた移民の慰霊祭での三笠宮さまの言葉は、南米への訪問が容易でなかった当時の状況を物語っている。    その後は、67年に当時の皇太子ご夫妻(現在の上皇ご夫妻)が、昭和天皇の名代としてペルー、アルゼンチン、ブラジルを訪問。78年のブラジルの日本移民70年の節目でも、ブラジルとパラグアイを訪れた。  82年には大学院に進んだばかりの浩宮さま(現在の天皇陛下)が、88年には秋篠宮さまが、それぞれブラジルを訪問している。  さらに95年には紀宮さま時代の黒田清子さんがブラジルを訪れたが、内親王の公式な外国訪問としては初めてのことだった。清子さんは99年にペルーとボリビア、2003年にはウルグアイ、ホンジュラスを訪れ、アルゼンチンに立ち寄っている。  2000年代に入っても、皇太子時代の天皇陛下や秋篠宮さまらが相次いで訪問しており、南米に対する皇室の思い入れの深さ、配慮の大きさがうかがえる。   現地の過酷な環境に耐えうる皇族  そんななか、過去10年ほどを振り返ると、南米の訪問を担ってきたのが秋篠宮家だ。秋篠宮ご夫妻は14年にペルーとアルゼンチン、15年にブラジル、17年にはチリへ。眞子さんも16年にパラグアイ、18年にブラジル、19年にはペルーとボリビアを訪れている。  ここしばらく、秋篠宮家が南米の国際親善を担っているのはなぜなのか。  皇室の事情に詳しい人物は、 「皇室の少子高齢化の影響です」  と指摘する。    日本から南米までは、米国を経由しての長時間のフライトとなる。現地での移動も時間がかかる。訪問先は暑いところが多い一方、山間地では気温がぐっと下がるため、体力が必要だ。 「若い皇族でなければ、長時間の移動や過酷な環境に耐えられません。必然的に、南米やアジアは若手の皇族が担うことになります」    そのような背景から平成の時代に活躍したのは、若く、機動力のあった清子さんだった。しかし、清子さんが05年に結婚して皇室を離れると、皇室のなかで「若手」であり、筆頭宮家である秋篠宮家がその役割を担うようになったのだ。  秋篠宮ご夫妻、そしておふたりが50代になった時期からは眞子さんが、そして眞子さんが結婚した今は佳子さまが、体力の必要な海外訪問を任される立場になっている。 「令和に入って秋篠宮家は、東宮家待遇の皇嗣家となった。今回の佳子さまの訪問は、皇嗣家の内親王の訪問となる。南米は、移民の関係もあり皇室が心に留めてきた国々のひとつ。佳子さまが、動けるというのは、非常に幸運な状況です」(前出の人物)  秋篠宮家の長男、悠仁さまも、来年には成年の18歳を迎える。日本からはるか遠い地で、皇族の訪問を待ちわびる人たちがいるなか、悠仁さまの南米訪問もそう遠いことではなさそうだ。 (AERA dot.編集部・永井貴子)    【こちらも話題】 「ねぇ、今日の夕食はなあに?」眞子さんと佳子さまもペロリと食べた 秋篠宮家元料理番の特製カレーレシピ https://dot.asahi.com/articles/-/202365
愛子さま「内からにじむ品の良さ」はサーヤと共通 2人の内親王が国民から慕われる理由
愛子さま「内からにじむ品の良さ」はサーヤと共通 2人の内親王が国民から慕われる理由 美智子さまへのお祝いのあいさつに向かう愛子さま。つぼみが混じるゴヨウツツジの花飾りは、次世代の皇室を担う愛子さまに重なる=10月20日、東京・半蔵門、読者の阿部満幹さん提供    天皇皇后両陛下の長女、愛子さまの人気が、その成長とともに高まっている。皇族の中で特に慕われた内親王といえば、「サーヤ」の愛称で呼ばれる上皇ご夫妻の長女、黒田清子さん(紀宮さま)。盲導犬に関心を持つなど共通点も多いが、おふたりが醸し出す「安心感」「信頼感」が国民から愛される理由だと、専門家は指摘する。 *   *   *  ふんわりとしたピンクのリボンや花の帽子が、よく似合う。 「愛子さま!」  沿道からの歓声に、愛子さまはやさしく微笑みを返す。  まだ大学生のため、公務で外出をする機会は少ないが、皇族方への誕生日や新年のあいさつではドレスを着て移動する。成年を迎えてからは、屈託のない笑顔はすこし減り、表情と仕草に落ち着きが増した印象だ。沿道から漏れる声も「かわいい」から「すてき」という表現が混じるようになった。  成長とともに、こんな感想も聞かれるようになった。元宮内庁職員で皇室解説者の山下晋司さんは、昨年3月にあった愛子さまの成年の会見を見て、上皇ご夫妻の長女、黒田清子さん(紀宮さま)を思い出したという。 「手元の紙を見ずに堂々と、そして穏やかにお話されるお姿。内からにじむ品の良さは、黒田清子さんの成年の記者会見と重なります」   本格的に公務を行った内親王  2005年に黒田慶樹さんと結婚し、民間での生活を始めた清子さん。18年を経ても、その人気は根強い。愛子さまが成年式のティアラを新調せず、叔母である清子さんのものを借りたことから、世間での清子さんの存在感が増すことになった。  清子さんといえば、本格的に公務に励み、外国への公式親善訪問をした、初めての内親王だ。ボランティアや自然保護、福祉などさまざまな分野に力を注いできた。  政府で「女性宮家」の創設案が議論されたときも、当初は清子さんを念頭に置かれたものだった。     【こちらも話題】 愛子さま「かっちり」佳子さま「ふんわり」 プリンセス・ファッションの違いの意味 https://dot.asahi.com/articles/-/203257   福井市で開催された全国ボランティアフェステバルに出席した紀宮さま(当時)。どことなく愛子さまに雰囲気が重なる=1993年9月、福井市    どちらも天皇家のただ一人の内親王。実際、愛子さまと清子さんには共通点が少なくない。日本の古典や盲導犬などに関心があること。そして、ちょっとした会話にもユーモアを交える明るさもそうだ。  愛子さまは成年を迎えての記者会見で、栃木県の那須御用邸で縁側にあるソファで朝まで寝てしまったことや、静岡県の須崎御用邸の海でサーフボードの上に座ろうとした家族3人全員が落ちたエピソードを披露し、場の空気を和ませた。  一方、紀宮時代の清子さんは、結婚を翌年に控えた04年12月31日の朝日新聞に、担当記者がこんなエピソードを紹介している。    1998年、皇后だった美智子さまがインドでの国際児童図書評議会(IBBY)世界大会に寄せたビデオ講演は、テレビでも放映された。 〈その収録前後のことだ。初めてのこととあって、さすがの皇后さまも緊張の極みにあった時―― 「裏番組は何ですか? ああSMAP×SMAPですか。それじゃあ勝ち目ありませんねえ」  この紀宮さまのひと言で、どっと笑いが起き、緊張はほぐれたという。ちゃめっ気の裏に、人の気持ちをおもんぱかってユーモアで和ませる度量をうかがわせるエピソードだ〉   「わきまえる」聡明さ  叔母とめいの間柄だけあって、お二人がまとう空気感はどことなく似ている。共通するのは「場の空気を自然と把握できる資質」であると、山下さんは分析する。  昭和の終わりから平成にかけての「皇太子・天皇ご一家」であった上皇さまと美智子さま、天皇陛下と秋篠宮さま、そして清子さん。 「控えめで、決して必要以上に前に出ない。一方で冷静に状況を見極め、何かあったときにご家族を上手くまとめる調整役を担っていたのは清子さん。当時の職員はそう見ていたと思います」     【こちらも話題】 愛子さまの帽子に添えられた「ゴヨウツツジ」の意味は…特別な「お印」の花飾りで美智子さまの元へ https://dot.asahi.com/articles/-/204443   那須御用邸に滞在する天皇ご一家。愛子さまは7万円ほどの価格の落ち着いたワンピースを選んだ=8月、栃木県、代表取材    周囲の状況を判断したうえで、立場にふさわしい振る舞いができるのは、愛子さまも同じだ。長年、パリコレの取材を続けたファッション評論家の石原裕子さんは、愛子さまの服装がヒントになると考えている。  誕生日写真やご静養時の服装を見ると、愛子さまが決して身体のラインを出す服装をしていないことに、石原さんは気づいた。  「ワンピースはもちろん、ジャケットであってもウエストを絞るなど、身体のラインを出すデザインは選んでいらっしゃらない。 勉学を第一とする学生の本来の姿だと思います」  そして若さや可愛らしさを強調することはせず、年齢より大人びた服装が多い。コロナ禍がおさまっていなかったここ数年は、茶系やグレーといったおさえた色味を選んでいる。  私的な場面でもTPOに相応しい服装に撤している。   那須御用邸から帰京した天皇ご一家。取材の設定がなかったためか、ファストファッションのワンピースでリラックスした雰囲気だ=9月、東京駅、読者提供    この夏、天皇ご一家はご静養で那須御用邸に滞在した。マスコミの取材が入る初日は、アパレルブランド「kay me」の6万8200円の落ち着いたワンピースを選んでいる。しかし、取材設定のない帰京時は、ファーストリテイリング傘下の低価格ブランド「GU(ジーユー)」の2450円の商品と見られるシンプルなワンピースを着用していた。   「ウエストをしぼらないデザインや社会の世情に沿った服装をお選びになる。こうした事柄を通じて感じるのは、愛子さまはお立場を『わきまえる』聡明さをお持ちということです。ご自分が好きな服装や行動をなさるのではない。世間が皇室、そして内親王に何を望んでいるのか——。それをよく理解なさっていると感じます」     【こちらも話題】 愛子さまの帰京時のワンピースは「GU」で2490円!? ファストファッションでも品と清潔感 https://dot.asahi.com/articles/-/200955      さらにいえば、愛子さまが両親の助言通りではなく、ご自分の意思で服装や物事を選択しているのはないか、と石原さんは見る。  流行に強い関心を持つ若い女性ならば、違う組み合わせを選ぶかもしれない――。ファッションの専門家から見れば、そう感じるほど素朴な服装も過去にあったからだ。 「愛子さまにとっていま優先すべきはお洒落ではないのでしょう。母の雅子さまも、焦らずとも自分のスタイルを探し当てるはずと、娘の意思を尊重して自由にして差し上げているのだと思います」   「作り込まない」自然なふるまい  皇室解説者の山下さんは、皇室と国民をつなぐ要素のひとつは「信頼感」と考えている。  公務は皇室の務めではあるが、「仕事をこなしている」と国民に思われてしまえば、それによって距離が生じてしまう。ふとした言葉や仕草から、天皇や皇族方の人柄を人々に感じさせることができるか、それが大切なのだという。  清子さんは、内親王として世間の関心を注がれるなか、親しみを持って「サーヤ」と呼ばれてきた。そして愛子さまについて山下さんは、 「愛子内親王殿下は、皇族として『作り込んだ』様子を感じさせない純真さと、自然に備わっている品位をお持ちだと思います。そうした点が『裏表のないお人柄』と受け止められ、人びとに愛されている理由ではないでしょうか」  と指摘する。 「国民とともに歩む皇室の一員として、どうふるまうべきかは、難しい問題です。それでも自然体でいる姿が、国民の望む皇族の姿と合致しているのでしょう」 (AERA dot.編集部・永井貴子)   【こちらも話題】 愛子さまの手にトンボがとまった瞬間、愛犬の由莉ものぞき込んだ 静養先の天皇ご一家 https://dot.asahi.com/articles/-/199535
小泉今日子は令和でも型破りアイドルなのか ジャニーズ問題にも斬り込む“ブレない”発言も賛否両論
小泉今日子は令和でも型破りアイドルなのか ジャニーズ問題にも斬り込む“ブレない”発言も賛否両論 社会的な発言が話題となっている小泉今日子    最近、小泉今日子(57)がアイドル時代の体験や当時の業界事情について赤裸々に告白し話題になっている。10月17日放送の「ナイツ ザ・ラジオショー」(ニッポン放送)に出演した際は、アイドル時代の恐怖体験を明かし、パーソナリティーを務めるナイツらを驚かせた。 「ラジオで、昔の雑誌やテレビでは“アイドルの自宅を公開していた”という話になると、小泉さんは自宅がバレて、寝ているときに何度も呼び鈴を鳴らされたと過去を振り返っていました。また、玄関ドアの郵便受けの穴から“目”が見えたこともあったそうですが、部屋の死角を通って、のぞいていた人を蹴って撃退したことも明かしていた。『(私は)そんなに気が弱くないので』とも話していましたが、小泉さんのアイドルらしからぬ撃退法にナイツさんたちも驚いていましたね」(テレビ情報誌の編集者)  NHKラジオ「ふんわり」(10月10日放送)でも、1985年にリリースされた「なんてったってアイドル」について歌詞を最初に見たとき、「これ歌わすんかい、大人の悪ふざけちゃうんかいって思ってました」と当時を振り返っていた小泉。しかし、もっとも話題となったのは、9月にジャニーズの性加害問題に言及した一件だ。 「小泉さんがレギュラー出演するラジオ番組でジャニーズの問題について言及し、大きなニュースになりました。メディアが出る側に忖度をして、芸能事務所側に不都合なことは報道してこなかったこともあったという趣旨のお話でした。『今いちばん悪い膿みたいなのが出始めちゃってるのがテレビとかラジオ』と持論を述べ、『テレビの世界も生まれ変わる気持ちで、放送局ごとにカラーを出してほしい』とメディアの将来に期待を寄せる発言をしました。これにはSNSでも反響が大きく、賛否両論飛び交っていました」(女性週刊誌の記者)   【こちらも話題】 小泉今日子が離婚した理由 https://dot.asahi.com/articles/-/94374 50歳となり落ち着いた雰囲気の小泉今日子(2016年)   事務所退所と自身の不倫  SNSでは、「モノ言えるカッコいい女性」「まともなアイドルもいたんだ!」など、核心を突いた発言を称賛する意見が多かったが、一方で「彼女も大手事務所からテレビで売れた人」「キョンキョン自身もその権力に助けられてた」と、かつて大手事務所に在籍していた小泉が自身のことを棚に上げて発言することに違和感を覚えた人もいたようだ。  冒頭のラジオ番組出演時に、「アイドルらしからぬ」エピソードを披露していた小泉だが、アイドル時代は絶大な人気を誇りながらも、王道ではない“異端児”として独特の存在感を見せつけていた。 「よく話題にあがるのはショートカット事件ではないでしょうか。小泉さんもデビュー当時はパーマがかかったレイヤースタイル、いわゆる聖子ちゃんカットだったんです。でも本人はそれに飽きてしまっていたようで、バッサリ髪を切ってしまった。ショートカットになった小泉さんを見て、当時の事務所の人は腰を抜かしたそうです。『人って驚くと本当に腰を抜かすんだと知りました』と過去のインタビューで話していました。また、自身で衣装を選んだり、デザインをしていたため、当時のアイドルの衣装とは違った奇抜なものが多かったのも彼女の特徴でしょう。当時のアイドル像を打破した功績は大きいと思います」(同)  2015年には舞台や映像、音楽などを企画制作する「株式会社 明後日」を設立。そして、2018年にはデビューから36年所属した大手プロダクションからの独立を発表した。この際、以前から交際関係がうわさされていた俳優・豊原功補との不倫関係も公に認めた。だが、豊原には妻子がおり、世間からは「不倫宣言する意味がわからない」など厳しい声があがる一方で、「キョンキョンらしい」と肯定的な声もあった。   【こちらも話題】 「いろいろと逆」の小泉今日子と“共鳴”した理由 豊原功補が明かす https://dot.asahi.com/articles/-/85265 パンキッシュな髪型でインタビューに答える小泉今日子(1999年)   本音を大切にする生き方 「不倫報道があった際、保身のためについウソをついてしまう芸能人も多い中、小泉さんは正々堂々と認め、相手方の家族に謝罪をし、俳優業など表立った活動をしばらく休業しました。そうした行動を起こすことで、たたかれすぎずに済んだ面はある気がします。最近になって、徐々に露出が増えてきましたが、約2年間、表だった活動を控えていたことや、豊原さんが正式に離婚して不倫関係ではなくなったこともあり、禊が済んだと認識する視聴者も増えたのではないでしょうか。ジャニーズ問題への発言が話題になったことで、コメンテーターとしてのオファーも増えるかもしれません」(同)  芸能評論家の三杉武氏は小泉についてこう述べる。 「80年代のトップアイドルであり、最近は社会や政治、芸能界などに対する率直な発言が話題となっています。アイドル時代から自己プロデュース能力に非常にたけており、きちんと自己主張して己の意志を貫く強さも魅力の一つでした。そうした飾らないスタイルや生きざまに憧れて彼女を慕う同業者も多く、芸能界での交友関係の広さでも知られています。いわゆる“不倫宣言”に関しては一部で厳しい意見もありましたが、ブレずに我が道を行く彼女らしいといえば彼女らしいといった声も業界内ではよく耳にしたものです。そういう意味では、近年の率直な発言も彼女の自然体のなせる業と言えるでしょうし、本音を大切にする生き方が改めて注目されているのかもしれません」  元祖“型破りアイドル”のキョンキョンは、令和でも健在のようだ。 (高梨歩)   【こちらも話題】 セレブ妻・吉瀬美智子が離婚 3年前に明かしていた「寝室」での出来事 https://dot.asahi.com/articles/-/74639
岸田首相「女性ならではの感性と共感力」で漏れた自民党の古い“オッサン政治”の本音 
岸田首相「女性ならではの感性と共感力」で漏れた自民党の古い“オッサン政治”の本音  認証式後に記念写真に納まる副大臣ら。副大臣、政務官の女性はゼロ(2023年9月15日)  世界と比べて女性議員の比率が低い日本。世界経済フォーラムの2023年「ジェンダーギャップ報告書」によると、政治分野は146カ国中138位と下から8番目だ。自民党女性議員はこの現状をどう見ているのか。小塚かおる氏の新著『安倍晋三 VS. 日刊ゲンダイ 「強権政治」との10年戦争』(朝日新書)から一部を抜粋、再編集して解説する。 *  *  *   【あわせて読みたい】 #1 安倍晋三元首相の経済政策がのっけから躓いた当然の理由 #2 貧しい国、人権も尊重しない国に外国人は住みたいか #3 防衛相がこぼした「安倍さんが約束しちゃったから」 #4 「軍備の増強と、使わない外交を」梶山静六の言葉の重み #5 公文書改ざん問題で自死した赤城俊夫さんの苦悩を、妻・雅子さんが明かす #6 安倍政権の「国会軽視」を加速する岸田首相 自民党の謙虚さはどこに #7 「3年間、抱っこし放題」で女性が喜ぶと疑わなかった安倍首相のズレの根深さ #8 「夫が働き、妻は家で子育て」古い価値観に固執する自民党 #9 「女性ならではの感性と共感力」で漏れたオッサン政治の本音  #10 勝率“8割”世襲議員に国民の苦しみは理解できるのか    自民党内にも伝統的家族観に固執することは社会が多様化している今の時代に合わず、弊害ばかりが顕著になっていくことを理解している男性議員はいる。しかし、安倍政権時代に強まった保守化傾向に選挙対策も絡み、議員は声を上げない。「女性は家庭」が当たり前で育った世代が党内で実権を握り続けていることも自民党の古さの一因だ。  そして、自民党で意識改革が広がらないのは、女性国会議員の少なさと相関関係があると私は考える。  内閣府の男女共同参画局が2023年8月にまとめたところによれば、女性国会議員は、衆議院が464人中48人、参議院は247人中66人。衆参合計114人だ。比率にすると、衆院は10.3%、参院は26.7%で、衆参合わせて16.0%である。 【あわせて読みたい】 「息子が政治家を目指している」 勝率“8割”世襲議員に国民の苦しみは理解できるのか  このように国会全体で女性議員は2割に満たない。その点では他党も努力不足なのは間違いないが、圧倒的多数の国会議員を抱える自民党は所属する全381人に対し、女性は衆院21人、参院24人の計45人で、比率は全体平均より低い11.8%だ。衆院に限ればわずか8%しかいない。  ようやく自民党は、23年6月に党改革として「女性議員の育成、登用に関する基本計画」をまとめ、「今後10年間で女性国会議員の割合を30%に引き上げる」という目標を掲げた。活動費の支援策も創設する。これまで女性議員を増やすことにほとんど関心がなかった自民党が、こうした数値目標を支援策とセットで打ち出したことは歓迎されるが、10年後に30%とは、あまりに遅すぎるし、どうして思い切って「50%」と打ち出せないのか。茂木敏充幹事長は「レベルの違った改革を党として進めていきたい」と言ったが、そんな胸を張れるレベルではない。  グローバルでは、国際的な議員交流団体「列国議会同盟(IPU、本部スイス・ジュネーブ)」の2023年の集計によれば、世界の下院(衆議院)における女性議員数で、日本は186カ国中164位と下位に沈んでいる。世界経済フォーラムの2023年「ジェンダーギャップ報告書」でも政治分野は146カ国中、138位だ。 【あわせて読みたい】 なぜ今も?「夫が働き、妻は家で子育て」自民党内は古い価値観に固執 安倍政権の罪深さ  政党に男女同数の候補者擁立を促す「政治分野における男女共同参画推進法」が2018年に制定されたが、罰則がないのでなかなかエンジンがかからず、施行後初の2021年の衆院選では、候補者の女性比率はほとんどの党で5割にほど遠かった。中でも自民党は現職が多いこともあり、女性の擁立に消極的だった。  こういう党の現状を自民党女性議員はどう見ているのか。  取材で本音に触れたことが何度もある。ある中堅議員は自嘲気味に語った。 「国会議事堂に女性トイレがなかった時代からすれば、政界も少しは進歩しているとは思いますが、侮辱されているなと感じるのは、閣僚ポストの『女性枠』という発想です。自民党内では当選5回以上が入閣の適齢期とされてきた。最近は一本釣りの抜擢で4回以下の入閣もたまにありますが、やはり原則は5回以上というのが共通認識です。ところが女性は例外で別枠扱い。当選3回程度でも選ばれる。特に安倍政権時代に『女性活躍』を打ち出していた頃は、まず『今回は何人女性を入れる』という『枠』を決めて、ならば誰、という人選だった。女性を登用してもらうのは嬉しいですが、個人の能力を見て判断してもらっているのではなく、“花を添える”意味合いなのかな、と。それに、男性に媚びる女性の方が登用されやすい。まあ、『女性がいる会議は時間がかかる』と発言した森喜朗元首相が、いまだ総理に助言したり、派閥に影響力を持っている党ですから」 【こちらもおすすめ!】 公文書改ざん問題で、自死した赤城俊夫さんの苦悩を、妻・雅子さんが無念とともに明かす  稲田朋美衆院議員がゲンダイのインタビュー(2020年1月23日発行)で語ったエピソードがわかりやすい。地元(福井)はとりわけ保守的だと前置きして、こう続ける。   「自民党が強い地域なんです。年末年始に帰ると、政治的な集会で私の話を聞いている人はほぼ男性。女性は賄いをしているんですね。集会の半分くらいを女性が占め、男性もエプロンをかけて豚汁を作ったりする。そういうふうに風景を変えたいと思うんです。(中略)女性活躍にしても、現状の固定的な雇用制度では難しい。雇用改革に切り込み、日本の生産性を引き上げ、財政再建にもつなげていく。日本の風景を変えるキーワードが女性活躍なんだと考えるようになりました」    国際社会からの厳しい視線もあり、23年9月の第2次岸田文雄再改造内閣で、過去最多タイの5人の女性議員が閣僚に起用された。閣僚枠の19人から考えれば、もっと女性大臣が増えていいし、これが一時的ではなく、女性大臣が半数ぐらいいるのが当たり前の光景になって欲しい。  しかし、閣僚に続く副大臣・政務官人事では、計54人のすべてが男性議員で女性議員はゼロになってしまった。岸田首相は「チームとして人選を行った結果だ」と強弁したが、こうなると過去最多タイの女性閣僚も、宣伝効果を狙っただけの「数ありき」だったと自ら暴露してしまったようなものだ。 【こちらもおすすめ!】 「3年間、抱っこし放題」と発言した安倍首相 女性は喜ぶと疑わなかったズレの根深さ  一連の流れの中で、特にがっかりさせられたのは、内閣改造後の記者会見で、岸田首相が女性閣僚について「女性ならではの感性や共感力を十分発揮していただきながら、仕事をしていただくことを期待したい」と発言したことだ。自民党の古い“オッサン政治”の本音が出てしまった。岸田首相本人はその「違和感」を、何ひとつ感じていない。  少なくとも言えることは、安倍政権以降で多用されている「女性を活用する」だの、「組織の何割を女性にする」では、所詮それを言い換えるならば「あくまでも男性が中心で上に立って、上から目線で女性にポジションを与えてやること」でしかない。  そうした「男目線」を跳ね返し、本当に女性が力を発揮する社会を実現するための象徴は、やはり女性が名実ともにトップに立つこと、要は、「女性首相」を誕生させることしかないのかもしれない。   【ほかの回もあわせて】 #1 安倍晋三元首相の経済政策がのっけから躓いた当然の理由 #2 貧しい国、人権も尊重しない国に外国人は住みたいか #3 防衛相がこぼした「安倍さんが約束しちゃったから」 #4 「軍備の増強と、使わない外交を」梶山静六の言葉の重み #5 公文書改ざん問題で自死した赤城俊夫さんの苦悩を、妻・雅子さんが明かす #6 安倍政権の「国会軽視」を加速する岸田首相 自民党の謙虚さはどこに #7 「3年間、抱っこし放題」で女性が喜ぶと疑わなかった安倍首相のズレの根深さ #8 「夫が働き、妻は家で子育て」古い価値観に固執する自民党 #9 「女性ならではの感性と共感力」で漏れたオッサン政治の本音  #10 勝率“8割”世襲議員に国民の苦しみは理解できるのか   ●小塚かおる(こづか・かおる) 日刊現代第一編集局長。1968年、名古屋市生まれ。東京外国語大学スペイン語学科卒業。関西テレビ放送、東京MXテレビを経て2002年、「日刊ゲンダイ」記者に。19年から現職。激動政局に肉薄する取材力や冷静な分析力に定評があり、「安倍一強政治」の弊害を追及してきた。著書に『小沢一郎の権力論』(朝日新書)などがある。
北条早雲「遅く起きては1日が無駄になる」 夜明けに始業、夜盗に備えて早寝 戦国武将フツーの1日
北条早雲「遅く起きては1日が無駄になる」 夜明けに始業、夜盗に備えて早寝 戦国武将フツーの1日  ドラマや小説でおなじみの戦国時代の武将たち。でもそこでは「武」の部分がクローズアップされていて、なにげない日常の暮らしぶりはわからない場合が多い。戦国武将の北条早雲が遺した家訓には家臣たちの日常の様子が詳しく記されている。「武士たちの一日の過ごし方」とはーー。 *   *   *  まず、当時とくに模範とされたのは早寝早起きだ。夜は8時前後(戌の刻)までに寝て、朝は4時前後(寅の刻)には起き、時間を有効に使う。厠から厩、庭と門外までよく見まわり、最初に掃除する場所を適切な者に言いつける。 夜は早く寝て、4時頃には起きることが理想とされた。そして起床後、洗顔の前に厠(便所)や馬小屋、さらに庭や門外の見回りを行い、掃除すべきところなどを家来に指示。顔を洗う際は、水を無駄遣いしないように心がけた    その後、水を無駄にせず、手早く手水で顔を洗い神仏を拝む。大声を出さない。当日の用事を妻子や家来に申し付けて出仕する。「主人が遅く起きてはご奉仕もできず、1日が無駄になる。家来も気を緩めることになる」と早雲は家臣に戒めた。  当時、城や役所の始まりは日の出だから、それまでに出仕しなければならない。夏の日の出は大体4時頃。遅刻は怠惰とみなされたのだから、遠方の者は大変だったであろう。日の入り時間は19時頃だから、明るい時間は夏が約15時間、冬は9時間半とずいぶん差があった。冬は、15時間の作業を9時間半で終わらせるため一日が慌ただしかった。  身支度も大変である。刀や衣裳は無理せず、立派なものでなくても見苦しくなければ十分だが、常に身だしなみは整えておくべきとされた。「たとえ出仕しない日でも、少しの用事があれば人前に出るものだ。客人が来てから狼狽えるようでは見苦しい」と早雲は言っている。  仕事は午後2時頃に終わるが、帰宅後も気を抜けない。下男下女の報告で済ませず、自分で厩から家の裏まで見て回り点検する。夜6時には閉門。火の用心は何度もかたく申し付け、台所や茶の間も自分の目で見る。夜、早く休むのは灯油の節約と夜盗に備えるためだ。 無駄な夜更かしなどをせずに、20時頃までに寝ることが理想。主人が朝寝坊すると、家来や下働きの気が緩んでしまう。そうなると朝の支度も遅れ、公務に遅れてしまい、主君の信頼を失うことになる。   「夜盗は子丑(深夜11時から3時)に訪れるものだから、この時刻に寝入ると対処できない。家の存亡だけでなく外聞も悪い」と防犯対策や火の用心を繰り返し述べた。加藤清正の『掟書』や、藤堂高虎の『遺書録』にも、やはり早寝早起きや武術の鍛錬、日常の心得の大切さなど大体同じことが家臣に言い聞かせるように記してある。平時でも怠りなく過ごすことが治国の第一歩であったのだ。 ◎監修/西ヶ谷恭弘 にしがや・やすひろ/1947年生まれ。歴史考古学者。月刊『歴史手帖』編集長、立正大学文学部講師などを経て、現在は日本城郭史学会代表 。主な著書に『戦国の風景 暮らしと合戦』『江戸城―その全容と歴史』(東京堂出版)、『一度は訪ねたい 日本の城』(朝日新聞出版)、『図解雑学 織田信長』(ナツメ社)など。 ※週刊朝日ムック『歴史道Vol.29 戦国武将の暮らしと作法』から  
家事育児の大変さを知り夫の働き方に変化 「これからは2人の時間も大切にしたい」
家事育児の大変さを知り夫の働き方に変化 「これからは2人の時間も大切にしたい」 橘勇輔さんと橘梓さん(撮影/篠塚ようこ)    AERAの連載「はたらく夫婦カンケイ」では、ある共働き夫婦の出会いから結婚までの道のり、結婚後の家計や家事分担など、それぞれの視点から見た夫婦の関係を紹介します。AERA 2023年10月30日号では、サイバーエージェントでオンラインクリニック事業部長を務める橘勇輔さん、ギークスで広報や組織活性化などのインナーブランディングを担う橘梓さん夫婦について取り上げました。 *  *  * 夫26歳、妻29歳で結婚。6歳長女と2歳次女との4人暮らし。 【出会いは?】妻の会社で展開していた学生向け就活支援サービスのOB・OG交流会に、夫が社会人OBとして参加し、流れで食事に出かけた。 【結婚までの道のりは?】20代でウェディングドレスを着せてあげたいと考えた夫が一念発起し、妻の上司に協力してもらい、出会いのきっかけとなった妻の勤務先でサプライズのプロポーズをした。 【家事や家計の分担は?】家事は平日が主に妻、休日はできる方が対応する形で、互いのストレスがたまらないよう気を付けている。生活費は夫の口座にまとめて管理している。 夫 橘勇輔[34]サイバーエージェント オンラインクリニック事業部長 たちばな・ゆうすけ◆1989年、東京都生まれ。2012年に東京工業大学を卒業後、サイバーエージェント入社。広告代理店営業部門を経て、新規事業開発部門で新規サービスの立ち上げ、Ameba事業本部で広告事業統括に就任し、22年10月から現職  コロナ禍で在宅時間が増えたことで、自分には見えていないことがたくさんあることに気が付きました。子どもと接する時間の大切さや、夕方から夜の育児の大変さを知り、改めて夫婦で話し合って週2回は在宅勤務を続けられるようにしました。  それでも出勤の日は妻の負担が大きくなりがちなので、とにかく目についた家事はすべて片づけてから寝ると決めました。見て見ぬふりをしてしまったら、明日の妻に押し付けることになるからです。  僕は察してあげるのが苦手なので妻は言葉にすることを心がけてくれていますが、彼女自身は僕が何も言わなくてもすべて察して、サポートしてくれます。いつまでもそれに甘えていてはいけない、僕もしっかり妻を支えていくことが30代のテーマです。  先日、フットサル仲間の多くが、奥さんを名前で呼んでいると知って反省しました。子どもたちの「ママ」だけでなく僕の大切な「あずさん」、いつまでも仲良く、楽しく過ごしていこうね。 橘勇輔さんと橘梓さん(撮影/篠塚ようこ)   妻 橘梓[37]ギークス 広報・サスティナビリティ推進部 たちばな・あずさ◆1986年、新潟県生まれ。2008年に東洋大学を卒業後、ギークスに入社。人材ビジネス営業、顧客企業の新卒採用支援事業、自社の採用担当を経て、18年から現職。PR業務のほか、組織活性化、インナーブランディングを担う 「学生が採用面接に来る」と上司が指定した部屋に行くと、そこには交際中だった夫の姿が。「あなたへのエントリーシートです」と、スライドを映し、私への志望理由をプレゼンしてくれました。私の誕生日ですら自分からは何も企画しない人だったので、びっくり。普通に返事をしていいのか、その場で内定でも出すべきなのかと混乱してしまったのを覚えています。  彼は、何事に対しても全力で取り組む人です。仕事に愚直に向き合い、家族に対しても朝は家を出る直前まで、夜は寝る瞬間まで、子どもたちと全力で遊び、家事をこなします。どんなに疲れていても手を抜かないところに、大切にされていると感じます。  先日、ケンカをした後、仲直りのしるしにデートに誘ってくれました。何年ぶりかのふたりだけの時間だったのに、何を話していいかわからなくて、普段は子どものことしか話題がなかったのだなあと反省。これからはふたりの時間も大切にして、いろんな話をしていきたいです。 (構成・森田悦子) ※AERA 2023年10月30日号
「池袋暴走事故」民事初判決 松永拓也さんを苦しめた飯塚氏の「それなら謝罪はしない」という不誠実さ
「池袋暴走事故」民事初判決 松永拓也さんを苦しめた飯塚氏の「それなら謝罪はしない」という不誠実さ   家族3人で暮らしたアパートで取材に応じる、松永拓也さん(撮影/写真映像部・佐藤創紀)  東京・池袋で乗用車を暴走させ、松永拓也さん(37)の妻子[真菜さん(当時31)、莉子ちゃん(同3)]の命を奪った飯塚幸三受刑者(92)=実刑確定=に損害賠償を求めた訴訟が、27日、結審した。東京地裁は飯塚受刑者らに、約1億4000万円の賠償を命じる判決を言い渡した。10月中旬、AERA dot.は松永さんに判決前の胸中を取材。そこで明かされたのは、約3年間の民事裁判で経験した苦しみや葛藤、そして今後の人生への願いだった。 *  *  * ――2021年に民事裁判を提訴した際の気持ちをお聞かせください。  やはり、むなしさはありました。2人の命さえ戻ってくるなら、お金なんていらない。でもそれがかなわないなら、せめてなぜあの事故が起きたのかを明らかにしたいと思いました。  というのも、個人の罪を裁く場である刑事裁判では、「飯塚氏がブレーキとアクセルを踏み間違えたのか、車が不具合を起こしたのか」ということしか争点になりません。判決では踏み間違いが認定されましたが、なぜ踏み間違えたのかは分からない。それでは、真相究明と再発防止につながらないんです。事故の原因を知るための材料を洗いざらいテーブルに出すには、民事裁判を起こすしかないと考えました。 【あわせて読みたい】 池袋暴走事故裁判で遺族が被告人質問のニュースに拳をキュッと握りしめた 鈴木おさむ https://dot.asahi.com/articles/-/70909   松永拓也さんと妻の真菜さん、長女の莉子ちゃん(松永さん提供)  ただ、私が所属している関東交通犯罪遺族の会(あいの会)の代表からは、「裁判には出ないほうがいいかもしれない」と言われました。賠償内容を争うなかで、加害者側の損害保険会社の弁護士から、心ない言葉で傷つけられる遺族は多いからです。でも、そのような“二次被害”が横行しているならなおさら、この目で、この身をもって、体験しなきゃいけない。それで本当にひどいと思ったのならば、現状を変えるために行動しようと決めました。 弁護士にブログを引用された ――裁判では、どのような二次被害の実態があったのでしょうか?  一番傷ついたのは、加害者側損保の弁護士が、僕が以前ブログに書いた内容を引用して、「松永は刑事裁判を早く終わらせたいと言っていたから、民事裁判も早期に終わらせるべきだ」という旨の主張をしたことです。刑事裁判のときに書いた「こんな何も生み出さない無益な争い、もう辞めませんか」というメッセージは、あくまで飯塚氏に向けたもの。事故の真相究明のために起こした民事裁判を、早く切り上げたいなんて思うはずないのに、当時の自分の思いをねじ曲げて利用されました。  そんな何の根拠もない主張は裁判で有利にならないし、被害者をいたずらに傷つけるだけです。ブログを引用した理由を裁判上で説明してほしいと、損保会社に書面で伝えましたが、いまだに返答はありません。 【あわせて読みたい】 「私はあなたに刑務所に入ってほしい」 池袋暴走事故で遺族が被告に問うも返事はまるで他人事 https://dot.asahi.com/articles/-/71119   居間の一角が、莉子ちゃんのお絵描き場だった。紙の下半分には、家族3人で手をつないでいる絵が描かれていたが、インクの経年劣化により消えてしまったという。「物ってどんどん壊れていく。それを見るのが悲しくて、おもちゃのキッチンセットなんかも泣きながら解体したんですけど、やっぱりしんどくて。片付けはもうやめちゃいました」(松永さん)(撮影/写真映像部・佐藤創紀)  もちろん、営利目的の企業である以上、賠償額を下げようとするのは理解できるし、弁護人が依頼人の利益を優先するのも当然です。でもそのためなら、配慮のない言葉で相手を痛めつけようがおかまいなしという姿勢がまかり通っているのはおかしい。  ほかの方の事例だと、お父さんを亡くしたご遺族が、「葬儀費がヒラ社員にしては高いのでは?」と追及されたという話も聞きました。「一般的な相場と比べて高いのでは?」だったら正当な主張だと思いますけど、「ヒラ社員にしては」なんて言う必要ないですよね?  弁護士がどういう主張をしているのか、依頼人である保険会社はもう少し精査すべきだと思います。僕たち「あいの会」は昨年7月、これ以上遺族や被害者が傷つけられるのを見過ごせないと、金融担当大臣と面会して、損保への指導をしてほしいと訴えました。 覚悟をきめ、謝罪依頼を受けたら… ――民事裁判を振り返って、特に苦しかったことは何ですか?  21年9月、収監される直前の飯塚氏が保険会社を通して謝罪依頼をしてきて、受けるかどうか、何日も眠れないくらい悩みました。「謝罪によって気が晴れることなんてないのに、受ける必要はあるのか?」「彼と顔を合わせたら、自分はどうなってしまうのか?」などとグルグル考えてしまって。 事故が起きた2019年4月のまま壁にかかっているカレンダー。事故4日後の23日には、「16:00 イングリッシュ!」の文字が。「莉子は、真菜に似て頭がよかったんです。街で駐車場の“P”の文字を見つけたら、どこで覚えたのか、『お父さんお母さん、あれピーでしょ?』って。それで、『今度英語教室行ってみようね』って言ってた矢先に……。自分だけ日が進んでいくのがつらくて、カレンダーをめくれないんですけど、いつかはちゃんとしないとね」(松永さん)(撮影/写真映像部・佐藤創紀)  実は事故以来、飯塚氏からは何度も謝罪依頼が来ていたのですが、断り続けていました。だって、彼は「事故が起きたのは車のせい」と主張しているのに、謝る意味がわからないから。  でも、刑事裁判が終わってもなお謝罪をしたいというなら、きっと本心なんだろうと信じたんです。民事裁判はまだ続いているけど、賠償金を払うのはあくまで保険会社で、裁判の結果は彼自身の利害に結びつかない。ご高齢の彼が収監される前に謝罪できたら、彼にとっては何か救いになるのかなと思って。  それで、覚悟をきめて、受けることにしました。ただ、本心から謝罪をしたいなら民事裁判の中でする必要はないので、「裁判の場でなければ謝罪を受けます」と伝えたら、「それなら謝罪はしない」と言われました。  もう意味が分からないですよ。そんなこと考えたくないですけど、「保険会社から、民事裁判を有利に進めるために謝ってほしいと頼まれたのか?」なんて、つい邪推してしまう。終始振り回されて、心をかき乱されました。 裁判所に認めてほしいこと ――判決を前にした、今の気持ちをお聞かせください。  事故から4年半続いた戦いが、やっと終わるんだなと。加害者がしっかり裁かれて、損害賠償がなされることは遺族にとって必要なことですが、正直、争いごとはもうこりごりです。   半年前から筋トレに打ち込んでいるという松永さん。「もともと真菜がしっかり健康管理をしてくれていたのに、事故が起きてから一気に20キロくらい太ったんです。さすがにまずいと思ってトレーニングをはじめたら、いつの間にか部屋がこんなことに。でも健康のためだったら、真菜も許してくれるかな」(松永さん)(撮影/写真映像部・佐藤創紀)  刑事裁判の判決で、(飯塚氏に)実刑5年が言い渡されたとき、僕はなんの感情も湧きませんでした。飯塚氏の横顔を見ていたんですけど、ただただ、むなしかった。彼には穏やかな老後が、僕には真菜と莉子と3人で歩む未来があったはずなのに、なぜこんなところにいるのか不思議でした。  民事でも同じような感情になると思います。でも、むなしいばっかり言っていてもしょうがないので、裁判所にはせめて、未来の社会につながる判決を出してほしい。具体的には、飯塚氏が抱えていた可能性のあるパーキンソン症候群と、事故の間の因果関係を認めてほしいです。  パーキンソン症候群は脳の病気で、結果的に足が動きづらくなります。事故後、足をひきずりながら歩く飯塚氏の姿が報道されると、「そんな状態で運転したから事故を起こしたんだ」という声が数多く寄せられましたが、因果関係が分からない以上、臆測の範ちゅうを出ない。だから現時点では、僕は高齢ドライバーの問題に言及することはあっても、病気というアプローチで再発防止を語ることができないんです。  もちろん、好きで病気になる人はいないし、病気を理由に制限を設けるのは酷だという意見もあるでしょう。それでも、(病気との因果関係があるならば、)事故によって命を落とす人を一人でも減らすための努力は必要だと思います。   松永拓也さんと妻の真菜さん、長女の莉子ちゃん(松永さん提供)  もし飯塚氏が持病の影響で事故を起こしたと正式に認められれば、パーキンソン症候群の患者さんについて、「車の運転の際にクリアすべき条件を法で定めるべきでは?」「アクセルとブレーキを手で操作できる車なら安全では?」といった議論に持っていける。国を動かすためには、公的な機関が認めた事例が必要なんです。 ――裁判が終わったあとは、どのような生活を願っていますか?  交通事故をなくすための活動に集中して、穏やかに生きていきたいです。真菜と莉子が愛してくれた僕は、2人に怒ったことなんてない、穏やかな人間だったので。裁判中は、こんな怒りに任せた顔をしたくないってすごく葛藤していたんですけど、争いが終われば、やっと2人が愛してくれた自分に戻れるかなと思います。  ただ、僕のすべての行動の根底にある、「2人の命を無駄にしない」という気持ちは、今後も絶対にぶれません。SNSでの発信をふくめた交通事故撲滅の活動は、体力が続く限りやめるつもりはないです。 (AERA dot.編集部・大谷百合絵) ※後編<「クルクルパー」「金が欲しくて提訴を遅らせた」… 交通事故被害者が損保側から吐かれる“心ない言葉”の数々>に続く 【こちらも話題】 あおり運転加害者に「500万以上の高級車」が多い理由 加害者の根底にある“勘違い”とは https://dot.asahi.com/articles/-/13532
天皇陛下は今日的な「非マッチョ」男性 上皇后・美智子さまの子育ての姿勢を振り返る
天皇陛下は今日的な「非マッチョ」男性 上皇后・美智子さまの子育ての姿勢を振り返る 長野県軽井沢町で、大日向開拓地の野菜畑を散策する上皇ご夫妻=2023年8月23日、代表撮影    上皇后美智子さまが89歳の誕生日を迎えた。絶対的な愛と冷静な目で、いまの天皇陛下を今日的な男性たらしめた、その子育てに対する姿勢を折々の言葉からたどった。AERA 2023年10月30日号より。 *  *  * 〈「父母(ちちはは)に」と献辞のあるを胸熱く「テムズと共に」わが書架に置く〉  1993年、皇后美智子さま(当時、現在は上皇后)が詠んだ歌だ。『テムズとともに』は天皇陛下による英国留学記。同年に出版され、この4月に新装復刊された。  学び、友と親しむ陛下。常に自然体で、偉ぶるところが全くない。読み進み、気づいた。そこにいるのは現在の陛下だ、と。  失礼を承知で書かせていただくのだが、陛下はとても今日的な男性だ。「マッチョでない」のだ。例えば9月20日の「日本伝統工芸展」を鑑賞する陛下がそうだった。この日、日本工芸会総裁を務める秋篠宮家の次女佳子さまが同席した。雅子さま、愛子さまと共に総裁賞作品の説明を聞いた。そこで陛下が「何かありますか、佳子ちゃん」と佳子さまに声をかけた──そう報じられていた。  日本工芸会幹部は佳子さまより年上がほとんどで、遠慮もあるのではと想像する。そこを陛下が「佳子ちゃん」と発言を促した。“若手&女性”へのエンカレッジ。なんて素敵なんだ、陛下。会社勤めを長くしていた身ゆえ、図々しくもそう感動した。 女性へのフラットな目  陛下と雅子さまの対等な関係は、国民誰もが知るところだ。雅子さまへの愛情と信頼があってのことだが、そもそも女性へのフラットな視点があるのではないか。『テムズとともに』を読んで、思ったことだ。  例えば大学内のバーで出会った学生の中に、「室内だというのに麦藁帽子をかぶり、額には銀色の星のマーク」の女性がいたと驚く。通った写真店には、現像用の封筒に黙って名前と住所を書いてくれるようになった「年輩の女性」店員がいた。彼女の退職の日、「お礼を言う絶好の機会」とティーパーティーに飛び入り参加した……。  淡々とした筆致に、男女の区別はない。昭和育ちの男性は男性優位が内在化されていて、男女の区別がデフォルトで自分を大きく見せがちだ。そうでない(それが「非マッチョ」)陛下を前に、ふと思う。陛下はどうして陛下になったのだろうか。   【こちらも話題】 愛子さまの帽子に添えられた「ゴヨウツツジ」の意味は…特別な「お印」の花飾りで美智子さまの元へ https://dot.asahi.com/articles/-/204443  ここからやっと本題だ。10月20日、89歳になった美智子さまの話を書く。陛下を育てた美智子さまは、とても今日的な女性だと思う。という話だ。  上皇さまの子ども時代と違い、陛下は両親の手元で育てられた。冒頭の歌もそうだが、美智子さまは子どもをたくさん詠んでいる。その始まりがこの歌だ。 〈あづかれる宝にも似てあるときは吾子(わこ)ながらかひな畏(おそ)れつつ抱(いだ)く〉  1960年、陛下が生まれた年に詠んだ。以来美智子さまは、子どもへの圧倒的な肯定感を言葉にし続けた。74年、40歳の誕生日を前にした記者会見もそうだった。14歳の陛下がオーストラリアでホームステイをした、初の海外旅行が話題になった。  感想を尋ねられ、美智子さまは「自由」を語った。いわく、浩宮(陛下の称号)は普通の家庭を知らない。外を自由に歩くことを想像していると、現実より(期待が)大きく膨らむ。が、一般の家庭でも完全な自由はない。それがわかり自信を持ち、自分の立場がわかったと思う、と。そしてこう語った。 〈私一人の感じでいえば、浩宮の人柄の中に、私でも習いたいというような美しいものを見出しています〉(薗部英一編『新天皇家の自画像』から。以後、昭和の記者会見は同著による)  絶対的な愛を語る一方で、美智子さまは常に冷静な目で子育てを捉えている。70年、黒田清子さん(称号・紀宮)が生後10カ月の時に上皇さまと美智子さまはマレーシア・シンガポールを訪問した。事前の記者会見でこう述べた。 〈幼い紀宮のために、とくに子守歌の録音テープなどを残しておくようなことはしません。浩宮の時はやりましたが、親の気休めにすぎなかったか、とも思えますし、二人の兄がいるから安心して出かけます〉 第70回日本伝統工芸展を観覧する天皇、皇后両陛下と長女愛子さま。日本工芸会総裁を務める秋篠宮家の次女佳子さまが出迎えた=2023年9月20日、東京都中央区   適性は自身が見つける  60年、上皇さまと共に米国を訪問した際、生後7カ月の陛下のために美智子さまが、「デンデン太鼓にしょうの笛」など三つの子守歌をテープに吹き込んだ。側近に残した育児メモ(陛下の名前から後に「ナルちゃん憲法」とされる)と共に、話題になった子守歌のテープだった。が、「もうしない」と潔い。  これはつまり、子どもとの距離感なのではないか。76年、42歳の誕生日を前にした記者会見の言葉から、そう感じた。 〈子供の適性というものは親でもなかなかわからないものです。他人にはわからぬ人格を子は秘めていると思います。子供は私達親だけでなく、他人にも育てられているので、自分の適性は子供自身が見つけていくものではないでしょうか〉  親が子どもをどこかに導くようなことはしない。そう言い換えることもできる言葉だ。だからだろうか、陛下はのびのびと明るい青年になっていった。それがうかがえる美智子さまの言葉がある。  78年、44歳の誕生日を前にした記者会見。その年、陛下が大学生になり、「お妃選び」が話題になり始めていた。「浩宮さまの結婚問題を話し合われたこと」の有無を尋ねられ、美智子さまはこう答えた。 〈まだ、あまり改まってそうしたことを話し合ったことはありません。浩宮に「記者会見でお妃をめぐる質問が出たら、当方、弱冠18歳、学生の身分、と答えてほしい」といわれました(笑い)〉 「同志よ、弱らないで」  陛下のユーモラスな言葉には、会見に臨む母への思いやりも感じられる。陛下の今日性は優しさ由来だろうかと思いながら、美智子さまの言葉をもう少したどってみた。  上皇さまと美智子さまは60~70年代にかけ、地方公務のたびに同世代の男女を集め、積極的に対話をした。72年、夏の定例会見で美智子さまは若い女性たちと話した感想を尋ねられ、こう答えた。 〈いろいろな職業の女性と会いましたが、物事に自分で参加している人が少ない中で、参加していることによって、たえず自分に向き合いながら、一生懸命より良いものを求めていく。(略)参加して、社会への温かさ、愛情を育てているという印象を持ちました〉  働く女性が少ない時代に、美智子さまは「働く」ことと「働く人」と「社会」の関係を語った。美智子さま自身が皇太子妃として働き、社会と関わっていたという事実をしみじみと思う。  最後に紹介するのが、「全国公立小・中学校女性校長会結成50周年記念式典」(00年)での祝辞だ(『皇后陛下お言葉集 あゆみ』から)。わずか80人の会員で51年に始まった会だった。 〈結成当時、会長が会員に贈られた、「同志よ、弱らないで」という励ましの言葉は、そのころの女性校長の困難な立場を如実に語っているようであり、胸をつかれます〉 「同志よ、弱らないで」に、少し泣きそうになった。21世紀直前に美智子さまが寄り添った言葉に励まされた。陛下が陛下になるのも当然、と思う。(コラムニスト・矢部万紀子) ※AERA 2023年10月30日号   【こちらも話題】 ためいきがでるほど美しい美智子さま「24歳でこの道に招かれた」 雅子さまが受け継ぐ意志と気品 https://dot.asahi.com/articles/-/204358
防衛相がこぼした「安倍さんが約束しちゃったから」 米から武器を爆買いしたツケの「兵器ローン」
防衛相がこぼした「安倍さんが約束しちゃったから」 米から武器を爆買いしたツケの「兵器ローン」 来日したトランプ元大統領と安倍元首相(ロイター/アフロ)    岸田政権が防衛費をGDP比の2%、5年間で43兆円に倍増することを決めた。財源確保に向けた防衛増税の背景には、安倍政権時代に米国製兵器の爆買いがあるという。その流れは岸田政権に引き継がれ、兵器ローンが重くのしかかる。小塚かおる氏の新著『安倍晋三 VS. 日刊ゲンダイ 「強権政治」との10年戦争』(朝日新書)から一部を抜粋、再編集して紹介する。(肩書は原則として当時のもの) *  *  *   【あわせて読みたい】 #1 安倍晋三元首相の経済政策がのっけから躓いた当然の理由 #2 貧しい国、人権も尊重しない国に外国人は住みたいか #3 防衛相がこぼした「安倍さんが約束しちゃったから」 #4 「軍備の増強と、使わない外交を」梶山静六の言葉の重み #5 公文書改ざん問題で自死した赤城俊夫さんの苦悩を、妻・雅子さんが明かす #6 安倍政権の「国会軽視」を加速する岸田首相 自民党の謙虚さはどこに #7 「3年間、抱っこし放題」で女性が喜ぶと疑わなかった安倍首相のズレの根深さ #8 「夫が働き、妻は家で子育て」古い価値観に固執する自民党 #9 「女性ならではの感性と共感力」で漏れたオッサン政治の本音  #10 勝率“8割”世襲議員に国民の苦しみは理解できるのか    安倍政権時代の実質的な外務大臣は安倍晋三氏だった。 「地球儀俯瞰外交」や「自由で開かれたインド太平洋」などの新たなスローガンを掲げ、日米同盟を強固にしたのは間違いないだろう。  中でもトランプ米大統領とは、安倍氏本人も『安倍晋三 回顧録』で明かしているように、1時間や1時間半も「ゴルフ談議」の長電話をするほど親しかった。ワシントンの常識が通用しないトランプ氏は、だからこそ一部に熱狂的な人気があるのだが、そんなトランプ氏と会話が噛み合う政治家は少数派だ。安倍氏は2020年夏に首相を退陣した後、体調が改善したあたりから、近しい周辺に「24年の米大統領選挙でトランプ再選なら、私しか総理はできない」と、3度目の政権への意欲を見せていたという。 【あわせて読みたい】 「軍備の増強と、使わない外交をセットで」 “軍人”梶山静六が残した言葉の重み  だが、対日貿易赤字に不満を示し、「バイ・アメリカン(アメリカ製品を買おう)」と呼びかけるトランプ氏の歓心を買うために差し出されたものの代償は重い。  トランプ氏は口を開けば日本に対し、「武器を買え」と要求してきた。国賓として来日した際はもちろんのこと、国際会議での首脳会談時や、長電話の中でも「武器を買え」の要求があったという。  そんな米国にシッポを振って武器を爆買いした結果、どうなったか。安倍政権時代に米国の武器輸出制度「対外有償軍事援助(FMS)」の支払いがとんでもない額に増えてしまった。  このFMSはクセモノで、米政府が価格設定を主導し、交渉の余地は皆無に等しい。つまり、米国の「言い値」で武器を買わされている。そのうえ、購入代金は複数年度に分割して支払う。その「兵器ローン(後年度負担)」の残高は、第2次安倍政権1年目の13年度の3.23兆円が、22年度には5.86兆円だ。実に、日本の年間防衛費に匹敵する額にまで増えているのだ。米国への支払額も当然、増すばかりだ。  防衛ジャーナリストの半田滋氏がゲンダイ(2022年5月30日発行)で次のように実態を指摘した。 【あわせて読みたい】 「安いニッポン」インバウンドはいいが…貧しい国、人権も尊重しない国に外国人は住みたいか 「FMSによる米国製兵器の調達額は、第2次安倍政権で大きく膨らみました。それまでは、民主党政権でもその前の自民党政権でも年間500億~600億円で推移していたのが、安倍政権の2013年度に1000億円になり、15年度には4000億円、19年度には7000億円を超えたのです。安倍政権8年のローンの支払いが今、本格化している。22年度の米国への“ツケ払い”は対前年比で10%以上も増えています。防衛費の内訳は4割が人件費、4割がローンなどの歳出化経費、2割が一般物件費で、ローンの額が膨らめば防衛費が足りなくなるのは当然です。兵器が本当に必要なのかどうかとは関係なく、安倍政権の7年8カ月で米国に巨額を支払う流れができてしまい、逃れられなくなっている。弾薬不足などという防衛費増額理由の解説は口実。安倍氏の失政を見えなくする隠蔽工作です」  加えて理解しかねるのは、百歩譲って、これだけの費用を投じて防衛力が高まるのならまだいい。ところが現実は、高価なだけで性能がすばらしいわけではなく、現場の自衛隊が欲しがっていない使えない兵器ばかり買っていることだ。 【こちらもおすすめ!】 安倍晋三元首相とジャニーズの「蜜月」 タレントを官邸に招き、ジャニー氏に弔電まで送った“知られざる関係”とは グローバルホーク(写真:アフロ)    代表例が悪名高き無人偵察機「グローバルホーク」である。3機の購入を決めたのはオバマ政権の時代の2014年だが、半田氏によれば、グローバルホークは陸上偵察用なので、島国の日本には無用の長物と言っていい。明らかな“政治案件”で、陸海空の自衛隊のどこも欲しがらず、現場のない内部部局が仕方なく手を挙げた。契約当初の価格から何度も値上げされたうえ、使い道もないのでキャンセルすることも検討されたが、政治案件なので決断できず。当時の防衛相は「安倍さんが約束しちゃったから」と漏らしていたという。  その後、グローバルホークは航空自衛隊の三沢基地に配備されることになり、「偵察航空隊」という新部隊が発足してはいる。しかし、実際の運用や整備は米国の技術者が担うため、彼らの生活費も日本側が払うのだという。その額40人で年間30億円。1人当たり年間7500万円というとんでもない高額だ。  23年3月1日の参院予算委員会で行われた辻元清美参院議員(立憲民主党)の質問での、防衛省とのやり取りにも驚かされた。 「グローバルホークを9年前に契約した。3機で613億円、維持費はその5倍の2951億円。9年経ってもまだ1機納入されていない。その間に米空軍は2年前、日本が買う機種は旧式で中国の脅威に対応できないとして、保有する20機すべてを退役させるとしたのは事実か」  この質問に、防衛省は「承知している」と答え、事実だと認めた。 【あわせて読みたい】 〈この国の首相はアホかホラ吹きか〉安倍晋三元首相の経済政策がのっけから躓いた当然の理由  つまり、こういうことだ。米空軍が「使い物にならない」として「退役」を決めた型落ちの無人偵察機を、日本は多額の税金を投じて購入契約したうえ、まだ「未納の機体」もある。そして、未納分を含めた維持費はすでに3000億円近い。これでは税金がいくらあっても足りるはずがない。  故障が多いなどの問題が指摘されている最新鋭ステルス戦闘機F35についても、当初の導入計画は42機だったが、安倍首相がトランプ大統領に追加調達を約束し、合計147機の配備計画となっている。機体購入費と維持費で6兆円超かかる見通しだ。  これについては、トランプ大統領が19年の訪日時の記者会見で、「米国の同盟国の中で日本が最大のF35保有国となる」と明かし、安倍氏を“称賛”している。買い手のいない戦闘機を大量購入してくれるのだから“日本は上客”ということなのだろう。 防衛費倍増で手形を決済する岸田首相  岸田文雄政権が防衛費をGDP比の2%、5年間で43兆円に倍増することを決めたが、その裏には、安倍政権時代に出来上がった米国からの兵器爆買いの流れと膨れ上がったFMSの兵器ローンという“負の遺産”が横たわる。 【あわせて読みたい】 驚くべき勢いで戦争準備が進む日本 パレスチナもウクライナも利用する自民党に騙されるな 古賀茂明  さらには、FMSに荷重が置かれたため、日本国内の防衛産業への支払いが5年ローンから10年ローンに引き延ばされるなどした。そうした国内防衛産業を支援するための法律も2023年に成立した。米国に借金を返しながら、新たな借金を作り続ける“無限ループ”に対応していくためには、防衛費をこれまでの倍の額にしなければ回らないということなのだ。その結果、予算が組めないから、27年度までのどこかのタイミングで必ず「防衛増税」なのである。  首相官邸の関係者はこう言った。 「安倍氏がトランプ氏と約束した防衛費のGDP比2%を岸田首相が実現した。米国から巡航ミサイル『トマホーク』の購入を決めたのも、安倍政権時代の延長線上にある。安倍氏はトランプ氏に7兆円分の武器購入の手形を切っている。岸田首相がそれを引き継いだ」  7兆円という金額はどういう根拠なのか不明だが、いずれにしても理不尽な防衛増税は、安倍氏が作ったツケを国民が払わされるということなのだ。  そして米国がトランプ共和党からバイデン民主党に政権が代わっても、防衛費を倍増し、日本に武器を買ってもらう“約束”は引き継がれている。  バイデン大統領が23年6月20日の自身の集会でポロリと暴露した。後に訂正してはいるが、支援者向けアピールに使われたその演説の中身は衝撃的だ。 「私は日本の議長、大統領、副……いや失礼、指導者と広島(G7サミット)を含め、確か3回会談した。そして彼(岸田)が……、私が彼を説得した結果、彼自身が何か違うことをしなければと思うに至ったのだ。日本は防衛費を飛躍的に増やした」  安倍氏も岸田氏も、米国の言うなり。米国はそれを当然視している。日本政府に自主性はない。その結果、国民負担が増えるというのは納得できない。     【ほかの回もあわせて】 #1 安倍晋三元首相の経済政策がのっけから躓いた当然の理由 #2 貧しい国、人権も尊重しない国に外国人は住みたいか #3 防衛相がこぼした「安倍さんが約束しちゃったから」 #4 「軍備の増強と、使わない外交を」梶山静六の言葉の重み #5 公文書改ざん問題で自死した赤城俊夫さんの苦悩を、妻・雅子さんが明かす #6 安倍政権の「国会軽視」を加速する岸田首相 自民党の謙虚さはどこに #7 「3年間、抱っこし放題」で女性が喜ぶと疑わなかった安倍首相のズレの根深さ #8 「夫が働き、妻は家で子育て」古い価値観に固執する自民党 #9 「女性ならではの感性と共感力」で漏れたオッサン政治の本音  #10 勝率“8割”世襲議員に国民の苦しみは理解できるのか   ●小塚かおる(こづか・かおる) 日刊現代第一編集局長。1968年、名古屋市生まれ。東京外国語大学スペイン語学科卒業。関西テレビ放送、東京MXテレビを経て2002年、「日刊ゲンダイ」記者に。19年から現職。激動政局に肉薄する取材力や冷静な分析力に定評があり、「安倍一強政治」の弊害を追及してきた。著書に『小沢一郎の権力論』(朝日新書)などがある。
前評判覆し活躍する姿にファンも安堵 大谷翔平らWBC出場の侍JAPANメンバー今季の成績を振り返る
前評判覆し活躍する姿にファンも安堵 大谷翔平らWBC出場の侍JAPANメンバー今季の成績を振り返る 大谷は右脇腹を痛めた影響などで、25試合を残したところでシーズン終了となったが、打率.304、44本塁打、95打点、20盗塁をマーク(写真:AP/アフロ)    今年3月、侍JAPANのWBCでの活躍に日本中が沸いた。一方、調整を前倒しにしたことがレギュラーシーズンに影響するとも言われていた。実際はどうだったのか。AERA2023年10月30日号より。 *  *  * 「奥さん、ご主人に野球中継を見せてやってくださいよ」  平成の初めのころのこと。部署の忘年会のあとうちにやってきた夫の上司に、そんな余計なお世話を言われたことがある。  小娘だったそのころの自分といえば、大がつく野球嫌い。交代だ、CMだ、とダラダラしててスピード感がないし。第一おじさん臭くていけないや。そんな妻のチャンネル統制を聞きつけた上司の進言だった。  あれから数十年。ずいぶん時間はかかったが、野球に癒やされる当時のおじさんたちの気持ちが、ようやくわかるようになってきた。  ダラダラしているように見えた試合運びは、瞬間沸騰するときのためのプロローグに思えるようになり、おじさん臭いどころか、若さがみなぎっている(選手が全員、自分よりずっと年下になったのもあるが)。  変心のきっかけは、今年のWBCだった。大谷翔平とか、ダルビッシュ有とか、自分も知っているようなスター選手が勢ぞろい。ヌートバーという愛くるしい新キャラも誕生してペッパーミルパフォーマンスが大流行とか、今年の新語・流行語大賞の大本命と目される大谷の名ゼリフ「憧れるのをやめましょう」とか、あっという間に日本中の話題をかっさらっていった。 決勝の九回の名勝負  そしてクライマックスは3月22日にマイアミでおこなわれたアメリカとの決勝戦の九回。マウンドに立った大谷と、同じエンゼルスのマイク・トラウトとの対戦だ。  にわか、なので正式名はわからないが、大谷が左にキューンと曲がるボールを投げ、トラウトが全力で空振りしたシーンは、今や自分の脳内で編集されてスローモーションの記憶に。歓声が止まり、ボールが飛ぶブォォォオ〜ンという効果音とともに2人の筋肉がゆがんで汗もはじける……みたいな。とまあ、それくらいドラマチックなラストシーンだった。   【こちらも話題】 大谷翔平の「本塁打王」米国では話題にならない理由 在米ジャーナリストが解説する現地の反応と評価 https://dot.asahi.com/articles/-/203382 WBCでは全7試合で1番・センターで出場したラーズ・ヌートバー。今季は打率.261、本塁打14本、出塁率.367で自己ベスト(写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ)    先日、2028年ロサンゼルス五輪の追加競技として、2大会ぶりに野球・ソフトボールが復活することが承認された。決定前のプレゼンでもWBC決勝での2人のスーパースターによる激戦がアピールされたという。  ケガなどで泣く泣く出場を断念した選手もいたが、今回はスター選手が軒並み出場していたのも盛り上がった一番の理由だろう。例えば、前回大会が開かれた17年、Q&Aサイトには、こんな質問が寄せられていた。 「WBCはサッカーのワールドカップと違って、辞退者が多いのはなぜですか?」  その答えとして選ばれていたのが、「ワールドカップは夢や名誉のため。WBCはお金のために出場するから」。今回はお金に困ってなさそうな選手の出場も多いが、メジャーリーグなどではシーズンに影響するなどの理由で、WBCへの選手の派遣を歓迎しない球団も多いという。 ファンの申し訳なさ  日本でも、過去にはある球団の選手が全員代表入りを辞退、なんてこともあった。WBCがシーズン開幕直前に行われるため、調整を早めることでシーズン途中で失速したり、ケガをしたりするリスクも指摘される。  WBCをきっかけに野球推しになったという、知り合いの50代女性会社員が言う。 「大会の前後には『WBCなんかに出てシーズン大丈夫かよ』と言う関係者もいましたよね」  彼女は、国民のためにがんばってくれた侍メンバーがシーズンで損をしたら申し訳ないと感じ、ローカルテレビなども小まめにチェックして、陰ながら侍メンバーを応援するようになったという。すると……。 「シーズン開幕当初は一部の新聞やスポーツ紙では、『WBCで調整が前倒しになった影響で本番は不調』みたいな論調だったけど、シーズンを通してみると、だいたいみんな(成績が)いいんですよ。ほっとしました」(前出の女性) WBCで大会新記録の13打点と大暴れした吉田正尚は、名門レッドソックスに移籍1年目から打率.289、15本塁打と活躍した    例えば、大谷はシーズン終盤ケガで出場をとりやめたものの日本人初のメジャーでの本塁打王に。吉田正尚もメジャー移籍1年目らしからぬ活躍をみせた。WBCで2本のホームランを打ったDeNAの牧秀悟は4、5月こそ不調だったが、以降は一転絶好調。今季は4番として初めて全試合に出場し、最多打点(103打点)、最多安打(164安打)でリーグ2冠に輝いた。 WBC決勝でホームランを放った岡本和真は、シーズンでは自己最多の41本塁打で3度目の本塁打王に WBCで好投した山本由伸は最多勝、最優秀防御率、最高勝率、最多奪三振の四つのタイトルが確定。なかでも防御率1.21は驚異的だ WBCでは2番打者として出塁率5割の活躍だった近藤健介。今季は本塁打と打点の2冠を達成し、打率は.303で2位 AERA 2023年10月30日号より    WBCでは大谷とタイの9得点を挙げた近藤健介(ソフトバンク)も成績では過去最高を更新。本塁打と打点などでタイトルを獲得した。また「最高です」の巨人の岡本和真も、今年2年ぶりの最多本塁打だ。  オリックスの山本由伸は16勝を挙げて最多勝、オリックス宮城大弥も10勝でリーグ優勝に貢献した。「肩は消耗品」という理由でアメリカのメジャーリーガーはWBCに出ない人も多いが、むしろ出場以降、選手のパフォーマンスが上がる例は少なくないとみた。  大谷やダルビッシュなどスターの活躍を間近で見ることは、若手選手のプラスにならないはずがないのだが、「WBCにメジャーに、両刀で大活躍した大谷のケガがWBCと関係しているとしたら……国民総出でごめんなさいと言うしかないですね。そして心からありがとう、と」(前出の女性)。  大スターのみなさん、28年オリンピックも、きっとね!(ライター・福光恵) ※AERA 2023年10月30日号   【こちらも話題】 大谷翔平が「アメリカの常識を変えた」と在米ジャーナリスト “別格”“100年に1人”の声 https://dot.asahi.com/articles/-/203446
「安いニッポン」インバウンドはいいが…貧しい国、人権も尊重しない国に外国人は住みたいか
「安いニッポン」インバウンドはいいが…貧しい国、人権も尊重しない国に外国人は住みたいか 緊急経済対策を閣議決定、記者会見に応じる安倍元首相(2013年1月、ロイター/アフロ)    長きにわたる日本経済の低迷で、物やサービスの内外価格差が拡大し、外国人にとっては「安いニッポン」。円安は日本の「貧しさ」をより際立たせた。経済成長がなければ、賃金は上がらない。外国人労働者は今後もやってくるのだろうか。小塚かおる氏の新著『安倍晋三 VS. 日刊ゲンダイ 「強権政治」との10年戦争』(朝日新書)から一部を抜粋、再編集して解説する。(肩書は原則として当時のもの) *  *  *   【あわせて読みたい】 #1 安倍晋三元首相の経済政策がのっけから躓いた当然の理由 #2 貧しい国、人権も尊重しない国に外国人は住みたいか #3 防衛相がこぼした「安倍さんが約束しちゃったから」 #4 「軍備の増強と、使わない外交を」梶山静六の言葉の重み #5 公文書改ざん問題で自死した赤城俊夫さんの苦悩を、妻・雅子さんが明かす #6 安倍政権の「国会軽視」を加速する岸田首相 自民党の謙虚さはどこに #7 「3年間、抱っこし放題」で女性が喜ぶと疑わなかった安倍首相のズレの根深さ #8 「夫が働き、妻は家で子育て」古い価値観に固執する自民党 #9 「女性ならではの感性と共感力」で漏れたオッサン政治の本音  #10 勝率“8割”世襲議員に国民の苦しみは理解できるのか   安いニッポンに訪日客大挙 “やってる感重視”の安倍晋三政権は、毎年のように様々な目標数値を掲げた。しかし、金融緩和とバラマキ偏重、1年単位でくるくる変わる経済政策の看板掛け替えに終始したため、数値目標は未達成のオンパレードだ。  おもな目標と結果を少し挙げてみると……。 【名目GDP 2020年に600兆円】 →2019年558兆円、2020年537兆円 ※算出方法を2016年に変更して「数値かさ上げ」をしても達成ならず。 【消費者物価指数 2015年春に上昇率2%】 →2018年0.9%が最大(消費税増税の影響を除く) 【出生率 2025年に希望出生率1.8】 →2020年の合計特殊出生率1.34、2022年は過去最低の1.26 【女性活躍 2020年に管理職の女性比率30%】 →2020年13.3% ※達成年限を「2030年までの可能な限り早期」へ先送り。 【訪日外国人観光客 2020年に4000万人】 →2019年3188万人(2020年はコロナ禍で411万人)  これほど未達成だと、民間企業の社長なら株主が黙っていない。 【あわせて読みたい】 〈この国の首相はアホかホラ吹きか〉安倍晋三元首相の経済政策がのっけから躓いた当然の理由  もっとも、安倍首相が最初から強い決意で達成しようと掲げた目標だったのかは疑わしい。安倍首相にとっては「言ったもん勝ち、あとは野となれ山となれ」で、耳目を集め、支持率アップにつなげられれば成功だったのだろう。  結果的にとはいえ憲政史上最長の7年8カ月もあったのだから、中長期的な視野を持って成長の種を蒔き、腰を落ち着けてじっくり育てることだってできたはずなのに残念だ。  ただ、インバウンド(訪日外国人観光客)については、2020年からのコロナ禍がなければ、4000万人の目標数値を達成できていたかもしれない。2030年6000万人の目標は今も継続されている。 「観光立国で稼ぐ」というビジョンは、2003年の「ビジット・ジャパン・キャンペーン」を経て、08年10月に国土交通省の外局として観光庁が発足した時には政府内にあり、09年9月からの民主党政権で本格化していたから、正確に言えば安倍政権の成果ではないが、着実に実行に移したという意味では、デタラメなアベノミクスの中で数少ない成功例ではある。  官邸で力を入れていたのは菅義偉官房長官だ。中国と東南アジア諸国からの旅行者に対するビザ発給要件を緩和し、アジアの中産階級の新たな旅行先として、日本への関心を高め、需要を掘り起こした。同時に、民泊を解禁するなど国内の受け入れ態勢も強化し、小売業は訪日客の爆買いに沸いた。2012年に1兆円だったインバウンド消費額は、2019年の4.8兆円にまでに拡大した。 【こちらもおすすめ!】 驚くべき勢いで戦争準備が進む日本 パレスチナもウクライナも利用する自民党に騙されるな 古賀茂明  コロナ禍の大打撃を経て、水際対策が完全解除された2023年はインバウンドが急激に回復してきている。23年8月の訪日客数(日本政府観光局の推計値)は19年の同月比85.6%の215万人まで戻ってきた。  和食が世界に浸透したことや、アニメやマンガなど日本のコンテンツ人気も背景にあるだろうが、インバウンドの急回復の最大のプッシュ材料は超のつく「円安」だ。  世界の物価比較で用いられる「ビッグマック指数」は、マクドナルドのビッグマック価格(1個)をドル換算し、各国の貨幣価値を測るもの。英誌「エコノミスト」が毎年発表している。  2023年1月時点(1ドル=130円前後)で日本は3.15ドルだ。これに対し、最も高いのはスイスの7.26ドル、ユーロ圏では5.29ドル、米国は5.15ドル。アジア圏ではシンガポール4.47ドル、韓国3.97ドルである。  日本のビッグマックは23年1月時点で日本円では410円だ。これでも原材料の高騰で日本人にとってはかなり値上がりしているが、世界の国々から見れば「日本は安い!」ということになる。  インバウンドの急回復で、外国人に人気の高い京都ではホテルの予約が取りにくくなっているうえ、宿泊料金も上昇。都市部だけでなく地方でもコロナ後を狙ったホテル開業ラッシュが続いている。全国的に新規開業はラグジュアリー系の外資系超高級ホテルが多く、23年4月に東京駅前にオープンした「ブルガリ ホテル 東京」は1泊25万円から。メインターゲットは外国人で、一握りの日本人富裕層なら泊まれるかもしれないが、普通の日本人はお呼びじゃない。 【こちらもおすすめ!】 木目田氏と澤田氏「2人のヤメ検」はなぜ危機管理に失敗したのか 木目田氏を知る弁護士が見た“弱点”  インバウンドはいいけれど……。  円安による内外価格差が続く限り、インバウンド頼みの経済成長を追求すれば、「安いニッポン」「貧しい国ニッポン」と裏表の関係だ。 移民の議論なし。もう日本に労働者は来ない  こんな「安いニッポン」に、果たして外国人労働者は今後もやってくるのだろうか。ネックは上がらない賃金だ。  日本の経済成長を阻む要因には、アベノミクスの失敗など政府の経済政策のマズさ以前に、少子高齢化で労働力不足という構造的問題が立ちはだかる。  それを補うため、安倍政権は2018年秋の臨時国会でバタバタと出入国管理法を改正し、翌年4月にスピード施行した。「特定技能(1号、2号)」と呼ばれる2つの在留資格を新設して14業種で外国人労働者の受け入れを拡大し、従来認めていなかった単純労働も合法化するものだった。  ここでより明確になったのは、1993年から導入されている「外国人技能実習制度」の破綻だ。  途上国への「国際貢献」の名の下に、外国人を日本人以下の低賃金で「労働力」として使ってきたことはもはや否定しようがない。劣悪な労働環境、イジメや暴力に耐えかねて、実習先から失踪する実習生が続出していることも広く知られるようになった。  コロナの水際対策が解除され、23年5月に政府の有識者会議が技能実習制度を廃止し、「人材確保」を目的に加えた新制度創設を提案する中間報告をまとめた。批判された制度をようやく廃止する方向に舵を切ったのは、人手不足の尻に火がついているからで、日本側の勝手な事情だ。外国人労働者の人権侵害の問題は今も解消していない。そのうえ、日本の賃金は韓国やシンガポールより安い。出稼ぎ目的なら、わざわざ日本を選ぶだろうか。 【あわせて読みたい】 安倍晋三元首相とジャニーズの「蜜月」 タレントを官邸に招き、ジャニー氏に弔電まで送った“知られざる関係”とは  公益社団法人「日本経済研究センター」が22年11月に発表したアジア経済予測によれば、日本に多く出稼ぎに来ている東南アジア各国(ベトナム、インドネシア、タイ)の現地給与は2030~32年に日本の給与水準の50%を超える。日本に来るうまみが薄れるため、2032年には来日する外国人労働者が頭打ちになるという。  2018年の入管法改正時、国会では「これは移民政策を曖昧化したもの」という批判があった。自民党内の保守派を中心に「移民解禁」には反対が根強い。それで、「家族は連れてこられない」などの規制をかけて、永住につながらないようなハードルを作ったわけだが、あの時、移民の是非についてもっと国民的な議論になっていたら、と思う。人口減少社会で、どうやって日本が外国人とともに生活し、働く社会を作るか、どういう負担をするかなど、総合的なグランドデザインを描くべきだったのだ。  安倍首相は当時国会で、「国民の多くの方々が懸念を持っているような移民政策を取る考えはない」と答弁していたが、改正法施行前後に実施された読売新聞(2019年5月5日付)の外国人材に関する世論調査では、外国人が定住を前提に日本に移り住む「移民」の受け入れについて、賛成が51%で、反対の42%を上回った。  国民的な議論の素地はあった。安倍政権時代に移民や外国人労働者の待遇などについて、人権面も含め深い検討が行われなかったことが悔やまれる。  2023年の今になって政府が、無期限の滞在が可能で家族の帯同も許される、熟練者のための「特定技能2号」を大幅に拡大しようとしているのを見ると、相変わらずの後手に呆れるしかない。無期限滞在は永住を意味し、事実上の移民政策だ。ところが、なし崩しに広げようとしながら、岸田文雄政権は依然、「移民にあたらず」(松野博一官房長官)と強弁し、相変わらず外国人との共生のグランドデザインを描こうとはしていない。  安い賃金で人権も尊重しない国に、たとえ移民を受け入れようとなっても、外国人が住みたがるのか。もはや手遅れではないか。  エコノミストなどに取材すると、「それでも日本は治安がいいし、賃金のわりに生活水準が高いので、住みたい外国人はいるだろう」とのことだが、さて。  いずれにしても、外国人労働者と移民政策については、逃げずに真正面から国会で徹底的な議論をしなければならない時期に来ている。  結局、アベノミクスによってもたらされた「失われた10年」で何が残ったのか──。庶民は超のつく円安が招く物価高に苦しめられ、グローバル比較で安すぎる給料に甘んじ、経済成長への明るい見通しが持てないまま、訪日外国人が「安い」「安い」と買い物するのを眺めている。  失敗が明確なアベノミクスを「道半ば」と言い続け、国民生活よりも政権維持とメンツを優先した安倍氏の責任は重い。     【ほかの回もあわせて】 #1 安倍晋三元首相の経済政策がのっけから躓いた当然の理由 #2 貧しい国、人権も尊重しない国に外国人は住みたいか #3 防衛相がこぼした「安倍さんが約束しちゃったから」 #4 「軍備の増強と、使わない外交を」梶山静六の言葉の重み #5 公文書改ざん問題で自死した赤城俊夫さんの苦悩を、妻・雅子さんが明かす #6 安倍政権の「国会軽視」を加速する岸田首相 自民党の謙虚さはどこに #7 「3年間、抱っこし放題」で女性が喜ぶと疑わなかった安倍首相のズレの根深さ #8 「夫が働き、妻は家で子育て」古い価値観に固執する自民党 #9 「女性ならではの感性と共感力」で漏れたオッサン政治の本音  #10 勝率“8割”世襲議員に国民の苦しみは理解できるのか     ●小塚かおる(こづか・かおる) 日刊現代第一編集局長。1968年、名古屋市生まれ。東京外国語大学スペイン語学科卒業。関西テレビ放送、東京MXテレビを経て2002年、「日刊ゲンダイ」記者に。19年から現職。激動政局に肉薄する取材力や冷静な分析力に定評があり、「安倍一強政治」の弊害を追及してきた。著書に『小沢一郎の権力論』(朝日新書)などがある。
〈この国の首相はアホかホラ吹きか〉安倍晋三元首相の経済政策がのっけから躓いた当然の理由
〈この国の首相はアホかホラ吹きか〉安倍晋三元首相の経済政策がのっけから躓いた当然の理由 2013年秋の臨時国会で所信表明演説をする安倍晋三元首相(アフロ)    第2次安倍政権において、安倍晋三元首相が主導した経済政策「アベノミクス」。金融緩和、財政出動、成長戦略の3本の矢を掲げ、日本経済の再生を目指したが、低迷を抜け出すことはできなかった。アベノミクス失敗の要因は、3本目の矢の「成長戦略」にあるという。小塚かおる氏の新著『安倍晋三 VS. 日刊ゲンダイ 「強権政治」との10年戦争』(朝日新書)から一部を抜粋、再編集して解説する。(肩書は原則として当時のもので、一部敬称略) *  *  *   【あわせて読みたい】 #1 安倍晋三元首相の経済政策がのっけから躓いた当然の理由 #2 貧しい国、人権も尊重しない国に外国人は住みたいか #3 防衛相がこぼした「安倍さんが約束しちゃったから」 #4 「軍備の増強と、使わない外交を」梶山静六の言葉の重み #5 公文書改ざん問題で自死した赤城俊夫さんの苦悩を、妻・雅子さんが明かす #6 安倍政権の「国会軽視」を加速する岸田首相 自民党の謙虚さはどこに #7 「3年間、抱っこし放題」で女性が喜ぶと疑わなかった安倍首相のズレの根深さ #8 「夫が働き、妻は家で子育て」古い価値観に固執する自民党 #9 「女性ならではの感性と共感力」で漏れたオッサン政治の本音  #10 勝率“8割”世襲議員に国民の苦しみは理解できるのか   大風呂敷は広げたが、機能しなかった「3本目の矢」  異次元緩和の金融政策が日本経済を歪め、大企業が競争力を失い、賃金が上がらなかったアベノミクス。最大の失敗は、3本目の矢である「民間投資を喚起する成長戦略」が機能しなかったことだ。  結局一体、「成長戦略」って何だったのか、と問われても、適当な答えが出てこない。  第1の矢の金融緩和と第2の矢の財政出動は、本来は対症療法としての「風邪薬」でしかなく、成長戦略こそが持続的に日本経済を活性化させていく本格治療となるはずだった。新しい産業を創出する発想や競争力のある分野を徹底的に強化するなど、日本経済を足腰の強い筋肉質な身体にするための中身のある成長戦略が必要だったのだ。  当初、想定されていた成長戦略の柱は「規制緩和」だった。2013年6月に「日本再興戦略」がまとめられ、「世界で一番企業が活動しやすい国を目指す」と謳った。  しかし、「10年間の平均で名目GDP成長率3%程度、実質GDP成長率2%程度」「10年後に1人当たり名目国民総所得(GNI)150万円以上増加」など、壮大な目標数値と達成目標時期をあれこれ並べて大風呂敷は広げるものの、そこへ至るプロセスの説明はない。あまりに具体性が乏しく、成長戦略の素案が発表されると株価は急落した。アベノミクスの一番の信奉者だった株式市場のプレーヤーにさえソッポを向かれてしまった。  つまり、アベノミクスの成長戦略はスタートから躓いていたのである。  安倍晋三首相は13年秋の臨時国会を「成長戦略実行国会」と名付けた。所信表明演説が行われた翌日のゲンダイ1面(2013年10月16日発行)が、前途を暗示している。 【こちらもおすすめ!】 驚くべき勢いで戦争準備が進む日本 パレスチナもウクライナも利用する自民党に騙されるな 古賀茂明 〈この国の首相はアホかホラ吹きか〉 「実行なくして成長なし。この国会は、成長戦略の実行が問われる国会です」──。きのう(15日)の所信表明演説で、安倍首相は「成長戦略実行国会」を高らかに宣言してみせた。  安倍は「これまでも同じような『成長戦略』はたくさんありました。違いは『実行』が伴うかどうか。もはや作文には意味はありません」とまで言ったが、本当に「実行」できるかどうかは怪しいものだ。  成長戦略なんて、いつも口先だけのアドバルーンだった。絵に描いたモチのような話をいかに具体化するか。それを雇用の安定や暮らしの向上にどう結び付けるのか。それこそが問われているのに、安倍は具体的な施策を何ひとつ示さなかったからだ。(中略)  国民をけむに巻くために安倍が持ち出したのは、“古き良き日本”へのノスタルジーと、お涙頂戴の美談の数々だ。  明治時代の教育家・中村正直の「意志さえあれば、必ずや道はひらける」との一説や、ホンダ創業者の本田宗一郎の「チャレンジ精神」を奨励する言葉を借りて、「明治の日本人にできて、今の私たちにできないはずがない」「再び起業・創業の精神に満ちあふれた国を取り戻す」と叫んでいたが、逆に「根拠はそれだけ?」と“ドン引き”した国民も多かったのではないか。精神論で経済が良くなれば苦労はしない。 【こちらもおすすめ!】 木目田氏と澤田氏「2人のヤメ検」はなぜ危機管理に失敗したのか 木目田氏を知る弁護士が見た“弱点”    翌年以降も毎年、新たな成長戦略がまとめられたが、経済政策の効果よりも“やってる感”アピールを重視していたのは明らかで、次から次へと「看板の掛け替え」が行われた。  ざっと並べてみても……。 「地方創生」「女性の活躍推進」「働き方改革」「外国人材の活用」「生産性革命」「ローカル・アベノミクス」「第4次産業革命」「ソサエティ5.0」「プレミアムフライデー」  15年9月には、「アベノミクスは第2ステージに移る」とか言って、「新3本の矢」(希望を生み出す強い経済、夢をつむぐ子育て支援、安心につながる社会保障)が打ち出されたが、最初の「3本の矢」と違って、覚えている人は誰もいないのではないか。 「新3本の矢」でも数値目標として、「GDP600兆円」「希望出生率1.8の実現」「介護離職者ゼロ」が掲げられていたが、安倍政権退陣時までにいずれも達成できなかったのは言うまでもない。  規制緩和は「国家戦略特区」として継続的に議論が続けられたが、加計学園の獣医学部設置で便宜を図った疑いが浮上した「アベ友問題」で、大きなミソをつけた。  結局、日本経済を大きく牽引するような成長戦略は育たず、具体的な「形」が残った(残っている)ものとしては、「東京五輪」「カジノ(IR)」「観光立国(インバウンド)」などが挙げられるが、いずれもコロナ禍で大きなダメージを受けた。 【あわせて読みたい】 安倍晋三元首相とジャニーズの「蜜月」 タレントを官邸に招き、ジャニー氏に弔電まで送った“知られざる関係”とは  いや、コロナがなかったとしても、東京五輪とカジノは一昔前のハコモノでしかなく、「新たな発想から生まれる新産業」とはほど遠い。今さらカジノを地域経済活性化の起爆剤にしようとしている大阪府・市の気が知れない。  この先も期待できるのはインバウンドくらいじゃないか。  ところで、前述した安倍氏が最初に掲げた目標のひとつ「10年後に1人当たり名目国民総所得(GNI)150万円以上増加」の「10年後」は、23年6月だった。内閣府の国民経済計算年次推計によると、13年の1人当たり国民所得は292.5万円。最新の20年は297.5万円だった。「デフレからの脱却と富の拡大によって経済の好循環を実現する」とブチ上げ、異次元緩和で市場をジャブジャブにしたのに、国民所得は7年間で5万円しか増えなかった。「150万円以上」にはるかほど遠く、このペースで「10年後」に目標を達成できているはずがない。 「経産省内閣」の限界 成長戦略になぜ具体性や中身がなかったのか。  安倍首相はアベノミクス「3本の矢」を打ち立てながら、その実、1本目の金融緩和にしか関心がなかった。金融緩和で株価が上がれば、物価も上昇し日本経済が上向くと勘違いしていた。ニューヨーク証券取引所で投資家を前にして、自らの政策を自画自賛したスピーチ、「バイ・マイ・アベノミクス」がその象徴だ。  成長戦略は“やってる感”さえあればよかったわけで、だから、法人税減税など企業向け減税や補助金などの手垢のついたバラマキ政策が並ぶ。売れ残りにお化粧を施して、新しいラッピングで包み、あとは“ネーミング勝負”である。安倍政権はずっとそんなことばかりやってきた。  透けて見えるのは「経産省内閣」の限界だ。  財政再建至上主義でエリート臭をプンプンさせる財務省を毛嫌いした安倍首相は、とりわけ経済産業省を重用し、政務の首相秘書官の今井尚哉氏や内閣広報官の長谷川榮一氏を筆頭に「官邸官僚」の主要ポストに経産省出身者を登用した。  中でも今井尚哉氏は、第1次安倍政権で首相秘書官として安倍氏を支えて以来の関係で、安倍氏の最側近として内政から外交まで重要政策の立案に関わった。当然、成長戦略のとりまとめも今井氏ら経産官僚が主導した。財務省の影響が濃い経済財政諮問会議とは別に「日本経済再生本部」が新設され、その事務局に経産官僚が集められ、成長戦略が立案されたのだ。  問題は経産官僚に新産業を創出する力が乏しかったことだ。  安倍政権の発足からしばらくして、旧知の官僚が揶揄していたことを思い出す。 「経産省内閣でしょ。長続きしないよ。経産省は2年で飽きる人たちだから」  元経産官僚の古賀茂明氏も古巣について私の取材にこう言っていた。 「経産省は実は、最近ほとんどまともな仕事をしていない。かつては自動車や電力など官民一体となって日本の産業を支えてきたけれど、産業政策で経産省はもはや必要なくなってしまった。そこで何かでっち上げなければと『○○補助金』などを作るのですが、中身がないから立派に見せるのが大変」  要はこういう話だ。  戦後復興の産業政策において、経産省の前身の通商産業省(通産省)は目覚ましい力を発揮した。城山三郎の小説『官僚たちの夏』(新潮社)の世界だ。高度経済成長で官民一体の取り組みが功を奏し、1980年代には「ジャパン・アズ・ナンバーワン」に躍り出た。  そうなると民間企業は官に頼る必要がなくなり、1990年代以降、通産省、経産省の「不要論」がささやかれるようになる。これに必死で抵抗し、「日の丸産業」の復活に取り組むが、液晶テレビ、半導体、太陽光パネルなど、経産省が絡むとことごとく失敗した。省内では常に「新しい政策を作れ」の号令がかけられ、毎年のように何か作っては財務省に予算要求を繰り返す。しかし、中長期的な視点がなく、具体的な中身も薄いから、5年計画の事業が2年くらいで頓挫して消えてしまうことも珍しくない。それでも、次から次へと看板を掛け替え、「形」だけは立派に見せる。  そんな霞が関の「広告代理店」のような存在の経産省だから、パフォーマンス重視の安倍首相と親和性が高かったわけだが、しょせん“やってる感”だけだから本格的な経済成長には結びつかない。       【ほかの回もあわせて】 #1 安倍晋三元首相の経済政策がのっけから躓いた当然の理由 #2 貧しい国、人権も尊重しない国に外国人は住みたいか #3 防衛相がこぼした「安倍さんが約束しちゃったから」 #4 「軍備の増強と、使わない外交を」梶山静六の言葉の重み #5 公文書改ざん問題で自死した赤城俊夫さんの苦悩を、妻・雅子さんが明かす #6 安倍政権の「国会軽視」を加速する岸田首相 自民党の謙虚さはどこに #7 「3年間、抱っこし放題」で女性が喜ぶと疑わなかった安倍首相のズレの根深さ #8 「夫が働き、妻は家で子育て」古い価値観に固執する自民党 #9 「女性ならではの感性と共感力」で漏れたオッサン政治の本音  #10 勝率“8割”世襲議員に国民の苦しみは理解できるのか     ●小塚かおる(こづか・かおる) 日刊現代第一編集局長。1968年、名古屋市生まれ。東京外国語大学スペイン語学科卒業。関西テレビ放送、東京MXテレビを経て2002年、「日刊ゲンダイ」記者に。19年から現職。激動政局に肉薄する取材力や冷静な分析力に定評があり、「安倍一強政治」の弊害を追及してきた。著書に『小沢一郎の権力論』(朝日新書)などがある。    
天皇陛下は「雨男」それとも「晴れ男」?雅子さまと到着した空港では2度も雨風がおさまり青空が
天皇陛下は「雨男」それとも「晴れ男」?雅子さまと到着した空港では2度も雨風がおさまり青空が 鹿児島市の鴨池港で傘を差しながら出迎えた人たちに手を振る天皇、皇后両陛下=10月8日、鹿児島市  皇室の公務ラッシュとなる秋。天皇、皇后両陛下は10月に石川県、鹿児島県を相次いで訪問したが、いずれも雨に見舞われた。以前から天皇陛下は「大きな行事の際に雨が降る」と言われたり、その一方で「大事なタイミングでは晴れる」とも言われたり。果たして陛下は「雨男」なのか、「晴れ男」なのか――。 *   *   *  10月15日、石川県の小松空港周辺は大雨に見舞われていた。時折、雷鳴も聞こえた。   この日、「いしかわ百万石文化祭」に出席するため、天皇陛下と雅子さまが東京から空路で到着する予定になっていた。  おふたりが載る特別機の到着時刻が近づくと、雨が小降りになり青空まで出てきた。空港で到着を待っていた男性は、天候が回復しつつあることに一安心していた。  しかし、特別機にトラブルが発生。羽田空港で別の機体に乗り換えることになり、おふたりの到着は1時半ほど遅れる事態となった。  一方の小松空港は、再び雷雨になった。天候不良で着陸を見合わせ、上空で待機する便もあったという。    おふたりが乗り換えた予備機は、12時15分過ぎに小松空港に無事に到着。現地にいた報道関係者によると、それまでは土砂降りだったが、予備機が到着する頃に雨は再びおさまったという。  小松空港にいた男性は苦笑する。 「濃霧が立ちこめるなかでの着陸でしたから、ヒヤヒヤしました。しかし、雷雨だったのに、飛行機の到着時刻に合わせたように、二度も雨がおさまった。不思議なこともあるものだと、妙に感心しました」      地元紙の北國新聞社は、両陛下の訪問の様子を、こう書いている。 <いしかわ100万石文化祭の開会式会場周辺では、両陛下が到着した時刻にちょうど雨がやんで晴れ間がのぞき、集まった人々が歓声とともに日の丸の小旗を振った>  先の報道関係者もこう振り返る。 「今回は季節柄、雨に見舞われました。しかし、両陛下が目的地に到着した際や出発の時刻になるとギリギリ雨があがり、我々は『保ったね』とほっとして声をかけあったものです。雨になるとうまく映像が撮影できなかったり、両陛下の動線が変更になったりして大変ですからね」   鹿児島市の鴨池港で傘を差しながら挨拶をする天皇、皇后両陛下=10月8日、鹿児島市  しかし、両陛下が「かごしま国体」への出席のために鹿児島県を訪問した10月7~8日は、鹿児島空港に到着した際は「ポツポツ雨で持ちこたえた」(現地の大会関係者)ものの、たびたび土砂降りの雨に見舞われ、予定の変更が続いたという。 「雨具は常備せよ」  平成の時代の天皇陛下(上皇さま)は「晴れ男」として知られていた。  報道関係者にとって皇室の取材は、数十秒から数分という時間制限のなかで、天皇や皇族の写真や映像を必ず撮影しなければならない。おのずと天候には敏感になる。  前出の報道関係者は語る。 「取材で地方に行くと、地元の自治体の職員が空模様を見て、大丈夫かなとヤキモキしているのを見ることが少なくない。そんなとき僕らは『大丈夫、陛下は晴れ男だから』と声をかける。そばにいる皇宮警察も、やり取りを横目に含み笑いしている。  彼らはずっと警護を担当しているから、知っているんですね。果たして、両陛下が現場に到着すると、その一瞬だけ雨があがるのです」  筆者も、上皇ご夫妻の取材の現場で、そんな場面に何度か遭遇したことがある。  雨の中でおふたりを待っていたとき、車やヘリが到着するころに雨がやみ、日差しも出てくるのだ。    一方で、皇室取材が20~30年と長い複数の報道関係者は、 「平成の時代、皇太子さまは『雨男』だった」  と口をそろえる。  確かに天皇陛下は、節目のときに雨が降っていることが珍しくない。 山口県を訪問した皇太子さま(当時)と雅子さま。雨の降る中、カルスト地形の景観が広がる秋吉台展望台に向かうおふたり=1993年7月、山口県     結婚の儀後のパレードの1時間前に雨があがり、薄日が差した。沿道の人たちに手を振る皇太子さま(当時)と雅子さま=1993年6月9日、東京都千代田区    1993年6月9日、おふたりのご成婚の日も、朝から雨だった。  それが夕方からのパレードの直前に雨があがり、薄日さえ差した。おふたりを乗せたオープンカーは皇居前広場、新宿通り、そして東宮仮御所へと走り、沿道に集まった大勢の人びとの祝福を受けたのだった。   さらに印象深いのが、2019年の即位式だ。  10月22日、天皇陛下が即位を宣言する「即位礼正殿(せいでん)の儀」が執り行われた。午後に行うはずだったパレードは、東日本を襲った台風19号の被災者に配慮して、11月に延期されている。 「即位礼正殿の儀」は、直前に雨風が強まり、中庭に装束姿で並ぶ職員の配置の一部を宮殿内に変更することに。しかし、始まる前に雨はあがり、空には大きな虹が弧を描き話題になった。     学習院幼稚園の父親参観は雨模様。傘を差して皇太子さま(当時)と一緒に登園する愛子さまが愛らしい=2006年6月、東京・目白の学習院幼稚園    そのほか、雨のシーンはたびたびあった。  愛子さまが通う学習院幼稚園で06年にあった父親参観では、大きな傘を差す愛子さまが皇太子さま(当時)と手をつないで歩く愛らしい光景があった。     傘を差しながらも笑顔で学習院女子高等科の入学式に向かう皇太子ご夫妻(当時)と愛子さま=2017年4月、東京都新宿区の学習院戸山キャンパス前    08年の愛子さまの学習院初等科の入学式も雨模様。17年の高等科の入学式では、傘を手にご家族3人で楽しそうに式に向かう様子が印象的だった。  皇室を長年取材するベテランカメラマンは、こう話す。 「皇太子の時代は、ご夫妻のおでましは雨に突然降られることも多いので雨具は常備せよ、というのが我々の認識でした。しかし、令和に入ってからは、たとえ天候が雨であっても、到着や出発の瞬間に雨がやむ場面が増えたように思います」 2023年春の園遊会では晴れ間もあったものの雨の時間が多かった(日本雑誌協会)  晴れるか、雨が降るか。コロナ禍も収まって各地での公務が増えるなか、「論争」はさらに活発化しそうだ。 (AERA dot.編集部・永井貴子) 
愛子さまの帽子に添えられた「ゴヨウツツジ」の意味は…特別な「お印」の花飾りで美智子さまの元へ〈GWスペシャル〉
愛子さまの帽子に添えられた「ゴヨウツツジ」の意味は…特別な「お印」の花飾りで美智子さまの元へ〈GWスペシャル〉 美智子さまへのお祝いのあいさつに向かう愛子さま。つぼみが混じるゴヨウツツジの花飾りは、次世代の皇室を担う愛子さまに重なる =2023年10月20日 、半蔵門、読者の阿部満幹さん提供  上皇后、美智子さまが10月20日に、89歳の誕生日を迎えた。この日に天皇、皇后両陛下と長女の愛子さまはお祝いのあいさつのため赤坂御用地を訪問した。ご一家の顔からマスクが消え、優しい笑顔に沿道の人びとから歓声がわき起こる。御用地に向かう沿道でひときわ注目を集めたのは愛子さまだ。そのとき、愛子さまが被っていた帽子には可憐な花飾りが添えられていた。その花飾りに込められた思いを紐解いた。 *  *  * 「愛子さま」「かわいい」   愛子さまをひと目見ようと集まった人から歓声が起きた。にっこりとほほ笑む愛子さまの表情は、すこし大人びたように感じる。落ち着きが増した愛子さまの口元は、美しい桃色のリップで彩られていた。  愛子さまは20日、美智子さまの89歳の誕生日のあいさつのため赤坂御用地を訪問した。午前10時40分過ぎ、皇居半蔵門から愛子さまを乗せた車が出発。愛子さまは、日中の正装であるローブモンタント(長袖ロングドレス)に、共布でつくられた帽子を被っている。帽子は花と一緒に編み込んだリボン飾りで品のよい華やかさ。淡いサーモンピンクのドレスが愛子さまの雰囲気によく似合う。 ほほ笑む表情がやわらかくなり大人びた印象の愛子さま。2粒の真珠が連なるイヤリングも華やかさを添えている =2023年10月20日、半蔵門、読者の阿部満幹さん提供  記者が注目したのは、帽子に添えられた花飾りである。9月に誕生日を迎えた秋篠宮家の紀子さまへのごあいさつでは、ふんわりとしたリボンの帽子を被っていた。実は今回の帽子の花は、愛子さまのお印であるゴヨウツツジ。皇族はそれぞれ自分だけの「お印」を持つ。皇族として生まれた赤ちゃんは名前と共に、結婚で皇室に入る女性皇族は、そのときに「お印」が決められるのだ。 このときはふんわりリボン。秋篠宮妃紀子さまの誕生日に、お祝いのあいさつをするため赤坂御用地に入る天皇、皇后両陛下の長女愛子さま=2023年9月11日、代表撮影      【こちらも話題】 ためいきがでるほど美しい美智子さま「24歳でこの道に招かれた」 雅子さまが受け継ぐ意志と気品 https://dot.asahi.com/articles/-/204358  天皇陛下と雅子さまは、栃木県の那須御用邸に咲くゴヨウツツジが好きで、「この純白の花のような純真な心を持った子どもに育ってほしい」と願いを込めて、愛子さまのお印としたという。愛子さまがこの日、お印の花飾りの帽子を選んだということは、それだけ美智子さまへのごあいさつを大切に思っているのだろう。 美智子さまへのあいさつに向かう両陛下。雅子さまがお召しなのは、淡い水色のローブモンタント。久しぶりにマスクを外したご一家の姿に沿道から歓声がわき起った=2023年10月20日 、半蔵門、読者の阿部満幹さん提供  成年皇族は、宮中行事や公務へ出席する。愛子さまが成年を前にした時期、宮殿行事などで着用する正装のドレスにあわせる帽子をいくつか新調した。  父である故・平田暁夫さんとともに、親子2代で皇室の帽子デザイナーを務める平田欧子さんは、20代の女性皇族となる愛子さまの清楚な雰囲気に似合うだろうと、花飾りのデザインを提案した。愛子さまの最初の帽子にふさわしいデザインと選ばれたのが、今回の訪問で被っていたお印であるゴヨウツツジの帽子だった。  平田さんの提案に対して、愛子さまは、にっこりと笑い、こう答えた。 「あ、それもよいですね。お願いします」  愛子さまは感情が豊かだ。うれしいと感じるときは、素直に表情にあらわれる。愛子さまが笑うと、その場の空気がふわっと明るくなったという。 よくみるとゴヨウツツジの花飾りが。仙洞仮御所に入る天皇、皇后両陛下と長女の愛子さま=2022年1月1日、代表撮影  実は、過去にも愛子さまは上皇ご夫妻にお会いするときに、ゴヨウツツジの帽子を選んでいた。成年皇族になったばかりの2022年の元旦。愛子さまは、新年のごあいさつで上皇ご夫妻を訪ねた際に、はじめてゴヨウツツジの帽子を披露していた。 マスク姿でも伝わる笑顔。仙洞仮御所に入る天皇、皇后両陛下と長女の愛子さま=2022年1月1日、代表撮影  美智子さまが2008年の誕生日に際して出した文書で、愛子さまへの愛情をこう表現している。 「周囲の人の一寸した言葉の表現や、話している語の響きなど、『これは面白がっているな』と思ってそっと見ると、あちらも笑いを含んだ目をこちらに向けていて、そのような時、とても幸せな気持ちになります」  美智子さまは仙洞御所で、庭のツクツクボウシやエンマコオロギの声に耳を澄まし、舞妃蓮(まいひれん)やユウスゲなど季節の草花を楽しみながら上皇さまと穏やかな日々を過ごしているという。  今回、愛子さまがつけた花飾りは、「おばあさま」の美智子さまへのお祝いの花のようでもある。愛子さまのゴヨウツツジの花と笑顔は、上皇さまと美智子さまに、幸せなひとときを運んだのだろう。(AERA dot.編集部・永井貴子) 【こちらもおススメ】 愛子さま「ピンクの帽子」に大きなリボン 提案したデザイナーが語った“ふんわり”の効果
摂食障害と強迫性障害で精神科病棟に入院したわたしが伝えたいこと 苦しんだ日々は「変なんかじゃない」
摂食障害と強迫性障害で精神科病棟に入院したわたしが伝えたいこと 苦しんだ日々は「変なんかじゃない」 入院中、「自分は病気なんだ」「わがままじゃなかった」と安心して初めて、体形の変化に気づいた (c)もつお/KADOKAWA 『高校生の娘が精神科病院に入りバラバラになった家族が再び出発するまで』から  高校1年生のある日、“神様”が現れた。不安を感じるとその声が聞こえ、指示通りすると不安が消えた。やがて神様の命令に支配され、摂食障害と強迫性障害で精神科病棟に入院することになった──。病気の受容と回復に至るまでの道のりを描いた漫画が注目を集めている。漫画家のもつおさんが伝えたいこととは。AERA 2023年10月23日号より。 *  *  *  なぜ、自身の経験を描こうと思ったのだろうか。 「自分なりに病気に区切りをつけるためでした。大学3年生になって、摂食障害の症状も落ち着いてきましたが、病気のことは誰にも話していませんでした。神様の存在も含めて誰かに伝えてみたら、『治ったと実感できるかな』と思ったんです」  コミックエッセイの公募を見つけ、最初に「神様」の絵を描いた。下描きもせず、わずか2~3日で一気に描き上げたタイトルは「わたし宗教」。応募して入賞し、SNSで公開されると大きな反響があった。摂食障害の当事者やその家族からの共感も多かった。 「『この話を読んで、明日を生きるのが楽になれる人がきっといる』という感想を見つけた時は、描いてよかったと思いました」  それをベースにしたデビュー作が完成するまでには、3年がかかった。 「当時の感情がフラッシュバックして、長時間描くのが難しいことがありました」  神様のことを描いていいのか、悪者にしていいのか、不安に駆られることもあった。神様とは何だったのか、改めて自分と向き合うことにも時間をかけた。作中では、もつおさんが辿りついたその正体も明かされている。 「時間がかかっても諦めなかったのは、同じ状況で苦しんでいる人のためになればという思いがあったからです。私自身、病気のことを誰にも相談できなかったのが一番つらかったから」  1作目『高校生のわたしが精神科病院に入り自分のなかの神様とさよならするまで』をきっかけに家族との関係を見つめなおし、2作目『高校生の娘が精神科病院に入りバラバラになった家族が再び出発するまで』では家族の視点も描いた。先日刊行した3作目『精神科病棟の青春 あるいは高校時代の特別な1年間について』では、自身の体験をベースにセミフィクションの形をとって入院中の日々を綴った。 【こちらも話題】 武田真治マッチョ化の影に、過去の拒食症と母への想い https://dot.asahi.com/articles/-/102672 「神様」の命令に支配され、食事をとることができずに痩せていく。家族も苦しい時間を過ごした (c)もつお/KADOKAWA 『高校生の娘が精神科病院に入りバラバラになった家族が再び出発するまで』から わがままじゃなくて私は病気だったのか  作品からは、精神科病棟に入院することへの戸惑い、病識を持つことの難しさや、回復につながるさまざまなきっかけが伝わってくる。  もつおさん自身が、入院には必死で抵抗したという。 「家族から『入院しかない』と説得されても、『見捨てられた』と涙が止まらなかった。精神科病棟は未知だったし、さまざまな状態の患者さんを見て『怖い』という気持ちもあったんです」  心療内科で診断がついても入院しても、自分が病気とは思わなかった。一方で、親に土下座をされても状況が悪くなっても食べないのは、「自分がわがままだからでは」とも思っていた。病識を持てたのは、入院してしばらくしてからだ。 「自分のことも娘のことも責めたらダメ」「無理に原因探しをしなくていい」。同じ病気の娘を持つ人のこんな言葉に救われた(c)もつお/KADOKAWA 『精神科病棟の青春 あるいは高校時代の特別な1年間について』から 【無料漫画】『高校生のわたしが精神科病院に入り自分のなかの神様とさよならするまで』はこちら 「摂食障害で入院中の大学生の女性と初めて話した時に、『何食べて生きてた?』『私、ガム』『私、海苔』とか、楽しく話せたんです。彼女に『同じ病気の人と会えてよかったな』と言われて、『そうか、私は病気だったのか』と腑に落ちました。私はその人をわがままと思わなかったし、闘病している他の患者さんもわがままじゃないと思った」 「先が見えない」と思った入院は、結局、大きな転機になった。受けた治療も合っていて、結果として「命をつなぐことができた」。  体重が少し増え、病棟から通学しているとき、友人に言われた言葉がある。  ──頭がおかしくなって、入院したわけじゃないんだよね? 「悪気はないとわかったけど、摂食障害のことを言っているのだと思ったとき、ショックでした。病棟の人たちが頑張って闘病している姿を見ているから、『頭がおかしい』の一言で片づけられることに、怒りもありました」  自身が最初は「怖い」と感じたように、馴染みのない多くの人にとって精神疾患やその患者は「怖い」ものかもしれない。物語の終盤、主人公の父親が精神疾患に拒否反応を示し、退院する娘に「忘れなさい」「あんなところに入院させるのは本当に嫌だった」と言うシーンがある。  それに対し、主人公ははっきりと否定する。「そんなふうに言わないで」「変なんかじゃない」。それは、いまのもつおさんの思いにつながるものだ。 【こちらも話題】 結婚4年目、妻に異変が起きた。摂食障害、アルコール依存症......夫婦の壮絶な20年を綴った体験記 https://dot.asahi.com/articles/-/6097 3作目、病院から自宅へ戻る車の中で主人公は父親にこう伝える (c)もつお/KADOKAWA 『精神科病棟の青春 あるいは高校時代の特別な1年間について』から   「病棟であったこと、先生や看護師さんとの思い出は大切なものだと、知ってもらいたい」と、もつおさんは言う。  退院してからも決して順風満帆ではなく、美大に入ってからも、神様との葛藤はしばらく続いた。過食嘔吐も経験した。発病してから、今年で10年。好きなことができ、普通にご飯を食べることができ、大切な家族や友達がいる。いま、とても幸せだと感じている。 「あの時、私も家族も『お先真っ暗』と感じていました。『この病気は治らない』とか、よくない話を少しでも聞いたら絶望していた。今は先がないなんてことはないと思うし、心の病気は『絶対治る』とは言えないけど、『よくなる解決策はある』と思うようになりました。それを伝えていきたいし、私がやらなければいけないことかと思っています」 (ライター・羽根田真智) 【前編を読む】神様はなぜ現れた? もつおさんが明かした病気の始まり きっかけは“神様” 身長160㎝で35キロ、高1で精神科病棟に入院したわたしが「死ぬ」より怖れたこと 【無料漫画を読む】『高校生のわたしが精神科病院に入り自分のなかの神様とさよならするまで』 ※AERA 2023年10月23日号より抜粋
きっかけは“神様” 身長160㎝で35キロ、高1で精神科病棟に入院したわたしが「死ぬ」より怖れたこと
きっかけは“神様” 身長160㎝で35キロ、高1で精神科病棟に入院したわたしが「死ぬ」より怖れたこと (c)もつお/KADOKAWA 『高校生のわたしが精神科病院に入り自分のなかの神様とさよならするまで』から   “神様”の命令に従っていたら、摂食障害と強迫性障害で精神科病棟に入院することになった──。病気の受容と回復に至るまでの道のりを描いた漫画が注目を集めている。漫画家のもつおさんが、神様との出会いや当時の心境を語った。AERA 2023年10月23日号より。 *  *  * 「このベンチを触れば、明日のテストは最下位じゃないかもしれない──」  部活に習い事、塾。青春真っただ中にいた“わたし”が、“神様”と出会ったのは、高校1年生のある夜、塾からの帰り道だった。 「テストの成績は悪く、部活のギターの練習もできていない。終電も逃してしまった。すべてに努力し、充実しているけれど疲れていて、そんな時、ふと駅のベンチに目が留まったんです」  そのとき、唐突に聞こえてきたのが「触れば悪いことが起きない」という“声”だった。 「自分の意思とは関係なく、脳に響いてきた。次第に声は大きくなり、気づくとベンチを触っていました。すると声はやみ、気持ちがすっきりしました」  以後、不安を感じると「○○を触れば悪いことが起きない」という声が聞こえるようになった。触ると不安がなくなり、テストの成績が良くなったり、友人関係がうまくいったりした。 「偶然かもしれませんが、声の言うとおりにすれば願いが叶う。“成功体験”が重なるうち、私を救ってくれる“神様”と呼ぶようになったんです」  神様。現在、漫画家として活動するもつおさん(26)は、強迫性障害と摂食障害で精神科病棟へ入院することになるきっかけになった声をそう表現した。 「病気になった当時のことは、すごく鮮明に覚えています」  もつおさんは自身と家族の経験を漫画にした。『高校生のわたしが精神科病院に入り自分のなかの神様とさよならするまで』『高校生の娘が精神科病院に入りバラバラになった家族が再び出発するまで』には、病気の受容と回復に至るまでの道のりが、ほのぼのとした絵柄で克明に描かれている。 【こちらも話題】 武田真治マッチョ化の影に、過去の拒食症と母への想い https://dot.asahi.com/articles/-/102672 ごく普通の高校生だったわたしは、摂食障害と強迫性障害で精神科病棟に入院することになる。「神様」が現れたのは高校1年生のある日だった (c)もつお/KADOKAWA 『高校生の娘が精神科病院に入りバラバラになった家族が再び出発するまで』から 【こちらも話題】 結婚4年目、妻に異変が起きた。摂食障害、アルコール依存症......夫婦の壮絶な20年を綴った体験記 https://dot.asahi.com/articles/-/6097 “神様”は食事も制限、突然死してもおかしくない  突然現れた神様は、「ベンチを触る」という他愛ない命令を下しただけだった。だが、命令は徐々に激しく、複雑にエスカレートしていく。触る順番、手順、回数。中断すればやり直し。無視すれば、ペナルティーで命令が増えた。気がつけば言葉は「触れば悪いことが起きない」から「触らなければ悪いことが起きる」に変わり、家でも外でも目に付いた物をペタペタ触った。食事の制限までが追加され、思うように食べられないようになった。  勉強も趣味も人間関係も二の次になり、身体はみるみる痩せていき、母親に連れられ心療内科に通うようになる。  摂食障害の一つである「神経性やせ症(拒食症)」は10代の女性に多く、死亡率は6~20%にのぼる。患者は明らかに痩せていても「痩せている」と認識せず、痩せるために食事量を制限する。過食するケースもあり、嘔吐を繰り返したり、下剤を使用するなどして、体重増加を防ぐことが多い。日本摂食障害学会評議員で、精神科医の宗未来医師によれば、重症の神経性やせ症に対し、「効果の証明された外来治療は存在しない」という。 「推奨されるのは認知行動療法などですが、適応は諸外国で可能な高強度型でもBMI15以上で、日本で可能な簡易版ではBMI17.5(身長160センチで体重44.8キロ)以上とごく軽症のみ。さまざまな試みがなされていますが、多くの患者さんが外来治療では不十分で、特に命の危険性も高い重症者では入院による栄養補給が唯一の治療選択となります」  他の精神疾患が併存することも珍しくない。もつおさんも、摂食障害と強迫性障害と診断された。だが、診断がついても事態は好転しない。「お願いだから食べてください」と父親に泣きながら土下座されたこともある。それでも神様の命令はやまず、従うことをやめられない。「自分ではどうしようもできない。頼まれても食べられるものじゃないのに」と思ったが、神様の存在を打ち明けることはできなかった。  学校は休みがちになり、栄養不足で失神することが増えた。限界は感じていた。 「一生こんな状況が続くのは、心がもたない。死ぬ恐怖より、神様との生活が続く方が怖かった。16年間生きてきて初めて死にたいと思い、1日に何度も死ぬことを考えていました」  神様と出会って半年。身長は160センチあるのに、体重は35キロを下回った。血液検査の数値は医師から「いつ突然死してもおかしくない」と言われるほどに悪化した。そして、とうとう精神科病棟へ入院する──。  読者が目の当たりにするのは、一人の高校生と家族の日常が猛スピードで変容していくさまだ。(ライター・羽根田真智) ※AERA 2023年10月23日号より抜粋 【続きはこちら!】摂食障害と強迫性障害で精神科病棟に入院したわたしが伝えたいこと 苦しんだ日々は「変なんかじゃない」 【無料漫画はこちら!】『高校生の娘が精神科病院に入りバラバラになった家族が再び出発するまで』

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