必要か差別か? 学校での「色覚検査」復活の謎に迫る
石原式色覚検査表。著作権は公益財団法人一新会が継承している。「賛否の前に石原式の正しさと限界を知ってほしい」と澤充理事長。2013年に最新版が出た(撮影/写真部・小原雄輝)
問題の啓発ポスター。「進路指導には不可欠なのに、保健室に貼ってくれない学校が多いのが悩み」という。記載の元になった論文名が明記されてはいるのだが(撮影/小黒冴夏)
「パネルD-15」と呼ばれる色相配列検査の検査キットを示す日本眼科医会の宮浦徹理事。色覚検査にはこの他にも「標準色覚検査表」「CMT」「アノマロスコープ」など多様な方法がある(撮影/斎藤貴男)
6月3日に開かれた「日本色覚差別撤廃の会」の総会で講演する高柳泰世顧問。同会の創設当時から現在に至るまで、理論的支柱であり続けている(撮影/斎藤貴男)
小中学校での色覚検査が復活しつつある。そう、数種類の色のモザイクに隠された数字や形を読み取らせる、アレだ。創案者の名を取って、「石原式色覚検査表」と呼ばれる。ジャーナリスト・斎藤貴男氏がその実態に迫る。
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30歳代前半以上の読者なら、一度は経験があるだろう。かつては毎年、1994年以降は小学4年生を対象に行われていた石原表による検査は、2002年の学校保健安全法施行規則一部改正で、健康診断の必須項目から削除された。ところがここ数年、にわかに再開機運が高まり、今や実施しない学校のほうが少数派になっている。
「キッカケは文部科学省が各都道府県教委の教育長に宛てた通知です。今の色覚検査は学校医による健康診断とは別に、教員の仕事にされがち。特段の研修もないので、後のフォローをと言われても……」(都内の養護教員)
「通知」は14年4月30日に、文科省スポーツ・青少年局長名で出された。従来も不安のある生徒には保護者の同意を得た上で個別に検査・指導できる体制整備を促してはいたのだが、そこに、こんな文言が追加されたのだ。
〈特に、児童生徒等が自身の色覚の特性を知らないまま不利益を受けることのないよう、保健調査に色覚に関する項目を新たに追加するなど、より積極的に保護者等への周知を図る必要があること〉
色覚検査の再必須化、ではない。にもかかわらず実施を奨励する奇怪な文書。そして翌々6月、スポーツ・青少年局の学校健康教育課が、都道府県教委の学校保健主管課への「事務連絡」に、保護者の希望を募る申込書のヒナ型が掲載されたURLを明記した──。
かくて導かれたのが現状だ。文科省に尋ねると、この間に部局名が変わった初等中等教育局健康教育・食育課の西尾佐枝子係長が、「実施しなさいとは言っていません。やるかやらないかは、各教育委員会と学校の判断です」。
色覚とは色を識別する能力のことだ。視力や視野と同様に、視細胞の機能次第で色の見え方が他の人々と異なることがあり、医学的にはその状態を色覚異常という。ただし日常生活に支障があるような場合は皆無に近いとされる。
●塗装業やカメラマン…根拠を示さずに決めつけ
先天的な色覚異常は遺伝による。日本人男性の約4.5%(白人は約9%とされる)、女性の約0.2%に発現する。敏感な色(赤、緑など)によってタイプが分かれるが、本稿では割愛。大方の人々には関係のない話だと思われるかもしれないが、これがなかなか複雑な問題なのだった。
深い危惧を抱いている人々がいる。
「学校での色覚検査は差別の温床になります。だから原則廃止されていたのに。希望者にとは言っても、学校でやれば事実上の強制になりやすい」
憤るのは「日本色覚差別撤廃の会」の荒伸直会長(64)だ。同会の高柳泰世顧問(86、本郷眼科・神経内科院長)も、「学校での健康診断には、事後のフォローが伴わなければいけません。それがない典型が色覚検査です」。
撤廃の会は94年、色覚異常者に対する偏見や社会的差別の解消を目指して設立された、主に当事者の団体。16年前に学校健康診断のメニューから外れたのも、運動の“成果”だった。
「とりわけ許せないのは、日本眼科医会が病院などに配布したポスターです。現在も採用時の制約が残っている職種だけでなく、塗装業やカメラマン、美容師、板前、服飾販売などまで難しいと、根拠も示さずに決めつけている。多くの人々の努力でやっと進学や就職時の差別が減ってきて、それで特段の不都合も生じていないのに、これでは元の木阿弥にされかねない」(荒氏)
学校での色覚検査を推進する側の考えはどうか。日本眼科医会の宮浦徹理事(68、宮浦眼科院長)を訪ねた。
「私自身は学校医の立場から、子どもたちのために、というだけです。眼科医会でも中断以降、再開を訴え続けていましたが、10~11年度に全国で941人に聞き取りをしたところ、検査を受けていなかった子が進学や就職の際に異常と診断されて戸惑ったり、仕事に就いてからトラブルになったり、という実例が少なくない実態がわかった。そこでいろいろ働きかけました」
13年4月、衆院予算委の第4分科会で、民主党の笠浩史議員(現・無所属)が当時の下村博文文科相とスポーツ・青少年局長から、学校での色覚検査に“前向き”な答弁を引き出す。日本眼科医会は同年8月に文科省の「今後の健康診断の在り方等に関する検討会」で報告し、同年9月には記者会見も。12月、「検討会」がまとめた意見書には、保護者に対する色覚検査の積極的な周知を図る必要が盛り込まれた。
●徴兵検査で使われた石原式 学校の身体検査にも広がる
ところで日本眼科医会のポスターは、東京女子医科大学の中村かおる講師(59)の「先天色覚異常の職業上の問題点」(「東京女子医科大学雑誌」第82巻臨時増刊号、12年1月)に登場する職業名を並べたものである。緑のズボンの裾上げに茶色の糸を使ってしまったアパレル勤務26歳とか、動物の血便に気づかず辞職を勧告された牧畜業25歳等々の具体例が紹介されている。中村氏に会った。
「私は担当の色覚外来で受診者の事情を伺い、データを積み重ねてきました。日頃は問題なくても、実は仕事で困っている方が多くおられます。就業に制約を課す必要のある仕事はほとんどないけれど、仕事の内容によっては何か困ることが起きるかもしれません。今も制限が残る職種には根拠があるとも思います。これから社会に出ていく人は早めに検査しておいたほうがいい。自分の色覚を承知していれば、支障に備えたり、対策を工夫したりもできるのですから」
強烈なポスターとはやや印象の異なる話だった。彼女はこうも語った。
「息子が2歳の頃に色覚異常を発見したのが、この研究に対する私のモチベーションになりました。産んだ時に私の父の色覚を知らされ、そのつもりで見ていたので気がついたんです」
“原子論の始祖”ことジョン・ドルトン(1766~1844)は“色盲”だった。彼が18世紀末に発表した自身の観察結果が、この分野での世界初の学問的研究とされている。
1875年、スウェーデンのラーゲルルンダという地方で列車の衝突事故があり、多くの死傷者を出した。信号操作の過失が原因と断定されたが、後に生理学者F・ホルムグレンが、死亡した運転士の色覚に問題があったと主張。各国で鉄道会社の採用試験に色覚検査が導入される契機となった。
あえて“色盲”の表現を用いたのは他でもない。実際にそう称されていた時代の事実は、言い換えてしまうと当時の空気が伝わらないからだ。
色覚検査には多様な方法がある。日本では陸軍の依頼で東京帝国大学教授の石原忍氏(1879~1963)が16(大正5)年に創案した「石原式」が絶対視されてきた。仮性同色表と呼ばれる検査表の一種で、他の検査方法よりも検出率が高いのが特徴。まず徴兵検査に使われ、たちまち学校の身体検査にも広がった。学校で日本ほど徹底した検査制度のあった国はない。
“色盲”差別は戦後も続いた。多くの企業や官庁が採用の条件に“正常な色覚”を挙げ、このため理系や教育系の大学や高校などで入学が制限される時代が長かった。80年代後半に前出の高柳氏らが行った調査では、その大部分が具体的な根拠を示すことができず、ただ「慣例による」と回答したという。悩んでいる子や保護者を標的に、「色盲は治る」と謳う商法も現れた。
●進化の過程で淘汰されず種にとって有利だった?
実態が公になり、人々の人権意識も高まるにつれて、改善の方向性が定まっていった。雇い入れ時の色覚検査義務を廃止した労働安全衛生規則改正は01年。翌々年に学校での検査も必須でなくなった。現在もパイロットや管制官、警察官、自衛官などに採用制限が残っているが、たとえば警察官は、職務遂行に支障がなければOKと、運用が緩和されている。また消防職員の場合は、昨年消防本部ごとに色覚を採用条件にするか否かがまちまちである実態が明らかになった。
前述のスウェーデンの事故についても、英国の心理学者J・モロンらが12年、“色盲”との関連を裏付ける証拠はなかったとする精緻な研究成果を発表した。ホルムグレンは、トリックを使って世間を欺いたのだという。事故から137年が経っていた。
筆者も当事者だ。子どもの頃は「健康手帳」の類(たぐい)にいつも「色弱」と書き込まれ、自分はデキソコナイだと思ってつらかった。理系に進む学力はなかったし、就職でも制限されそうな職種には初めから興味がなくて実害もなかったが、出版と放送には受験資格がない(当時)ことには理不尽を感じた(後にある雑誌社でカラーグラビアを担当もした)。結婚する時、相手に「俺、色弱だけど、いい?」と念を押した。
誰もが善意なのだとは思う。ただ、気になるのは、筆者がさる2月、夕刊紙の連載コラムで最初にこの問題を取り上げた際の反応だ。ネット上に「色盲の奴に大事な仕事に就かれちゃ迷惑なんだよ!」という声が溢れていた。
あるいはまた、石原表の評価を満天下に知らしめたのは、太平洋戦争前夜の「新体制運動」下で、朝日新聞社がとった態度だったという。“色盲”には一方で濃淡のコントラストを強く感じる特性があり、擬装された敵陣を発見するのに米軍が活用しているとの報を機に石原表を礼賛し始め、41年には石原氏に「朝日賞」まで授賞した。
その過程を分析した東京農業大学の鈴木聡志准教授(57、教育心理学)の話。
「朝日新聞は、石原表を優秀で、世界に認められ、日本人が苦心して創り出した日本の誇りだと強調していました。挙国一致の戦時体制を固める新体制運動にあって、民族の優越をアピールするには格好の素材だったのでしょう」
“日本スゴイ”と自画自賛する本やテレビ番組が激増する近年の風潮と、どこか重なってはこないか。日本眼科医会の宮浦氏はこうも話していた。
「学校での検査がなくなった当時は、人権派の政治家が多かった。今は右の人が増えている。政治状況の変化が、我々には追い風になったと言えます」
だからいけない、と言いたいのではない。推進派の主張には一理がある。だが論理的には筋道が通っても、現代の日本社会は、学校での検査復活に耐えられるほどに成熟しているのだろうか。
東京大学大学院新領域創成科学研究科の河村正二教授(55)に会った。中南米の新世界ザルや、ゼブラフィッシュを使って色覚の研究をしている自然人類学者は、こんな話をしてくれた。
「ホモ・サピエンスの登場から20万年。ホモ(ヒト)属に遡れば200万年です。進化の過程で、環境や生態条件の変化に対応しながら柔軟に多様化したらしい“色覚異常”が淘汰されなかったのは、そのほうが種にとって有利だったからではないか。本来はABOの血液型──優劣では語られない──と同じような性格のものだったのかもしれません。それが産業革命に伴い、色をつけることで物を区別する方法が広まり、特性による有利、不利が生じてしまったように、私は思うのです」
日本遺伝学会が昨年9月、「色覚異常」の用語を「色覚多様性」に改めたという報を思い出した。成熟しつつある領域は確実に存在する、のだが──。(ジャーナリスト・斎藤貴男)
※AERA 2018年7月23日号
AERA
2018/07/23 11:30