5回2死からの小刻み継投が回りまわって、「勝利投手を誰にすべきか?」と公式記録員の頭を悩ませたのが、99年7月9日の広島vs巨人(東京ドーム)。

 巨人が2対0とリードの5回、先発・ホセがあと1人で勝利投手の権利を得る2死満塁から押し出し四球を許し、1点差に迫られたことが、すべての始まりだった。

 ここで長嶋茂雄監督は、リリーフ・岡島秀樹にスイッチ。この起用がズバリと当たり、なおも満塁のピンチを無失点で切り抜けた。

 だが、岡島も6回に1死一、二塁のピンチを招き、3番手・三沢興一がマウンドへ。三沢は早大の先輩・仁志敏久との絶妙な連係プレーで二塁走者・江藤智をけん制で刺したあと、町田康嗣郎を中飛に打ち取り、スリーアウトチェンジ。

 その裏、三沢に代打が送られたため、3対1とリードを広げた7回からは4番手・南真一郎がマウンドに上がり、8回1死から柏田貴史、9回は木村龍治とつなぎ、7対1と快勝した。

 先発投手がリードを保ったまま4回2/3で降板し、2番手以降の5投手がいずれも1イニング前後の小刻み継投。このようなケースでは、「最も勝利に有効な投球をした」と公式記録員が判断した投手に白星がつくことから、当初はリリーフ陣の中で最長の1回1/3を無失点に抑えた南が最有力と思われた。番記者たちは「プロ5年目で初勝利」の見出しまで考え、公式発表を待った。

 ところが、白星が記録されたのは、意外にも打者1人を打ち取っただけの三沢だった。これには本人も「2/3(イニング)で勝ち投手なんて記憶にない」と目を丸くしたが、「(決め手は)あのけん制だな」の長嶋監督の言葉に皆納得。

 勝ち投手になり損ない、「今日は三沢にツケということで」とコメントした南も、それから6日後、7月15日のヤクルト戦(神宮)で待望のプロ初勝利を挙げた。

「勘違いをしていたのは、全部で何人でしょう?」―思わずこんなクイズを出題したくなるようなトンデモ珍事が起きたのが、前出の巨人・三沢の棚ぼた勝利からわずか4日後、7月13日のロッテvsダイエー(福岡ドーム)だった。

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全員“勘違い”に監督激怒