「係員がビックリしていましたね。えっ? って感じで。スーパースターの初登板前ですからね」

 トレーニングコーチは登録の関係上、試合中のベンチに入れない。岡本はベンチ裏で松坂の熱投を見守った。1回、155キロの剛速球で日本ハムの主砲・片岡篤史(現阪神ヘッドコーチ)に尻もちをつかせ、空振り三振を奪った圧巻のシーンは「見ました。すごかった」。8回2失点、文句なしの好投で初登板先発初勝利。その年の16勝は、まさしく岡本が予言していた「10勝、さらに上乗せ」だった。

 ただ、あのうなるような剛球を、松坂はもう投げられない。

「肩と肘、2回手術したんですよね。あんな低めを丁寧に投げなくても、どんと投げて、ぎゅっと曲げていたら、抑えられていたんですけどね。でも、彼は彼なりに試している。まだ進化を求めてやっている。だから、すごいんです」

 その松坂が、かつての本拠地・メットライフドームへ帰って来る。6月17日の西武戦で、先発マウンドに立つ。2006年10月7日、ソフトバンクとのプレーオフ第1ステージの初戦、相手のエース・斉藤和巳と投げ合い、1―0で完封勝利を収めて以来、12年ぶりとなる古巣での登板に「これは楽しみですね」と岡本。出会った20年前には、想像もつかなかった対決でもある。

 今年に入って、中日甲子園に遠征に来た際、松坂が「大阪のお母さん」と慕う夫人の幸代とともに、岡本は松坂を訪ねた。松坂は岡本の家で食事を取り、2人の息子たちと普通にゲームをしたり、一緒に遊んだりしていた。次男の大輔は松坂を「おっきい大ちゃん」と呼ぶようになっていた。

 その大輔は早実に進学し、1年下の清宮幸太郎(現日本ハム)とクリーンアップを組んだ。現在は早大2年生。プロを目指して、野球を続けている。

「大輔がプロに来て、対決できるまで、僕も頑張りますよ」

 松坂は岡本にその「夢」を告げたという。その日が来るとすれば、早くても2021年。“3年先への思い”は、あくなき挑戦を続けるという、松坂の決意表明でもある。

「こんな時も、あったんですけどね」

 そう言って、岡本が一枚の写真を見せてくれた。背番号18。ライオンズのユニホームに身を包んだ松坂の横に、岡本の2人の息子が座っていた。

「この時は、まだ1歳になってなかったですね」という次男・大輔はまもなく20歳になり、プロ20年目の松坂大輔は今もなお、マウンドに立ち続けている。

「復活してくれて、嬉しさがこみ上げます」。そう語る岡本も市議として15年が過ぎた。

「もう、プロにいた時間よりも長くなったんですよ」

 “大輔たち”に負けるわけにはいかない──。政治という舞台で、岡本も今なお、全力投球中だ。(文・喜瀬雅則)

●プロフィール
喜瀬雅則
1967年、神戸生まれの神戸育ち。関西学院大卒。サンケイスポーツ~産経新聞で野球担当22年。その間、阪神、近鉄、オリックス、中日、ソフトバンク、アマ野球の担当を歴任。産経夕刊の連載「独立リーグの現状」で2011年度ミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。2016年1月、独立L高知のユニークな球団戦略を描いた初著書「牛を飼う球団」(小学館)出版。産経新聞社退社後の2017年8月からフリーのスポーツライターとして野球取材をメーンに活動中。