

大阪府・藤井寺市。かつて、ここは“野球の街”だった。
近鉄バファローズの本拠地として、幾多の名勝負がこの地で繰り広げられてきた。その猛牛軍団がオリックスと合併したのは2004年オフ。その使命を終えた藤井寺球場は05年1月に閉鎖、06年8月には解体された。跡地には学校とマンションが建てられ、その校門の横には「白球の夢」と名付けられたモニュメントが鎮座し、そこに球場があったという歴史的事実をひっそりと伝えている。
「藤井寺は電車一本で大阪市内に行ける便利な街、ベッドタウンなんですよね。ただ、人の流れという点では、球場がなくなったのは痛いですし、税収の面でも減っているのは確かなんですけどね」
バファローズがいなくなった藤井寺。その変遷を冷静に分析してくれたのは、藤井寺市議の岡本光(こう)だった。
2018年現在、4期目を迎え、今年5月からは同市議会議長も務めている57歳のベテラン議員には、もう一つの顔がある。1983年から巨人、89年からは西武と、2球団で投手として活躍し、現役を引退した1990年のシーズン途中から2001年までは、西武でトレーニングコーチを務めていた元プロ野球選手でもあるのだ。
松坂大輔がドラフト1位で西武に入団した1999年からの3年間、岡本は若き松坂に寄り添い、プロとして飛躍していく姿を間近で見守り続けてきた。その信頼関係は今も変わらず、岡本が西武を離れ、2003年から藤井寺市議として活動するようになってからも、松坂と家族ぐるみの付き合いがずっと続いているという。
「彼のことを語るに関して、最初に話さなきゃいけないなと思っていたことがあったんですよ」
そう前置きして、岡本が語り出したのは、松坂大輔を擁する横浜高が春に続いて全国制覇を果たした1998年夏の甲子園のことだった。
「高校野球の中で1人だけ、プロの先発ローテーションの投手が投げている感じでした。この子はホントにすごい。考えられないと思った。高校3年の彼を見て、僕は松坂大輔のファンになったんです。怪物・江川卓を僕らは見ているんですけど、あれ以来の衝撃でしたね」
岡本は1982年ドラフト2位で巨人に入団。当時は2位指名でも、複数球団が獲得を希望すれば抽選になる。岡本には4球団が競合した。串本高3年時の1978年に3位、松下電器入社後の81年にも5位で南海が指名も、岡本はいずれも入団拒否。3度目の正直とばかりに幼少の頃からファンだった巨人の指名を受け、プロの世界へ飛び込んだ。