交換トレードで巨人入団が決まった江川投手 (c)朝日新聞社
交換トレードで巨人入団が決まった江川投手 (c)朝日新聞社

 プロ野球開幕まで残り約1カ月、今季もオフの移籍を経て新天地での活躍に意気込む選手たちがいる。新たな船出ではあるが、過去にはその移籍劇が騒動となり、世間の反感を買った事例もある。そんな「後味の悪かった移籍」を振り返りたい。

■江川卓(阪神巨人

 言わずと知れた「江川事件」。78年に大騒動となった「空白の一日」による巨人との抜け駆け契約の解決策として、コミッショナーが同年のドラフトで交渉権を獲得した阪神にトレードを強く要望。当初は反発していた阪神球団も江川との契約交渉が進まない中で要望を受け入れ、急遽、沢村賞右腕の小林繁との電撃トレードが成立した。江川は念願の巨人入りを果たしたが、結果的に小林の野球人生を振り回し、江川自身も開幕から2カ月の出場自粛、そして世間からのバッシングに苦しむことになった。

■松永浩美(阪神→ダイエー)

 阪急・オリックスで活躍し、史上最高のスイッチヒッターとも評された。93年に野田浩司との電撃トレードで阪神入りし、開幕戦こそ5打数5安打と大活躍したが、直後に故障で長期離脱。同年、野田が17勝を挙げて最多勝に輝いた一方で、松永は80試合出場で打率.294、8本塁打、31打点と期待以下の成績でシーズンを終えた。そしてその年の11月に松永がFA宣言の末にダイエーに移籍。わずか1年のみの在籍に加え、「甲子園は幼稚園の砂場」と発言したと報道(現在は一部マスコミによる捏造とされている)され、阪神ファンから大ブーイングを浴びた。

■野茂英雄(近鉄→ドジャース

 95年に海を渡った大リーグ挑戦のパイオニア。右肩痛の影響で連続最多勝&最多奪三振王が4年で途切れた後の契約更改で、球団側との確執が表面化し、代理人交渉による強気の要求もあって交渉が成立せず。最終的に「任意引退の末にメジャー挑戦」という形となり、その前例のない強引な手法に球団およびマスコミから大バッシングを受けた。その後の大活躍で当初の向かい風を追い風に変えながら全米に「トルネード旋風」を巻き起こして最大級の賛辞を送られることになるが、その“渡り方”についてはしこりを残すことになった。

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前代未聞の“無償トレード”