堀監督(中央)は勝負勘の冴えた采配で浦和を10年ぶりのアジア王者へと導いた(写真・Getty images)
堀監督(中央)は勝負勘の冴えた采配で浦和を10年ぶりのアジア王者へと導いた(写真・Getty images)

 浦和レッズは、10年ぶり2回目のAFCチャンピオンズリーグ(ACL)制覇を果たした。シーズン中に監督交代が起こる激動の大会になったが、前任のミハイロ・ペトロビッチ監督からバトンを受け、コーチから昇格した堀孝史監督は、今大会で試合を重ねるごとに“勝負勘”を冴え渡らせていた。

 ペトロビッチ前監督がチームを離れたのは7月末、ACLではラウンド16を突破した段階だった。川崎フロンターレと相対した準々決勝では、初戦のアウェーゲームは前任者が残した3-4-2-1システムの“亜種”と言える3ボランチの3-5-2システムで臨んだ。しかし、圧倒的にボールを保持されると1-3で敗北。ここから、堀監督はスパッと自らの路線に切り替え、4バックを導入していくことになる。

 その第2戦、先制点まで許してトータルスコア1-4となったところからの大逆転が語り草になっているが、4バックでスタートした浦和は決して前半から良いゲームをしていたわけではなかった。川崎が退場者を出して10人になって迎えた後半のピッチには、テクニカルエリアで時にしゃがみ込みながら思案する指揮官の姿があった。川崎の攻撃姿勢と残り時間を図るようにして、3バックへの変更を決断。恐ろしいまでに攻撃の圧力を高めたチームは、交代出場でピッチに送り込んだズラタンのゴールから立て続けに3得点を奪い、逆転勝利を収めた。

 サッカー界では、実戦から少し離れた選手に対して“試合勘”という言葉で不安を語られることが少なくない。では、監督は別物なのだろうか。

 そうではないと考える。堀監督は2011年のシーズン途中に浦和の監督を務めた経験があるが、翌年から5年半はコーチとして関わってきた。最前線にいるとはいえ、全ての決断を下して責任を取る立場である監督とはまるで違う。

 例えばリーグ戦での初陣となった大宮アルディージャ戦。浦和はリードしてから追いつかれて引き分けた。堀監督は「押し込まれたところに跳ね返すパワーがなかった。もっと違うやり方があったんじゃないか」と自責の念を語った。こうやって、堀監督にも試行錯誤しながら実戦感覚、特に指揮官にとって何よりも重要な勝負勘を取り戻すための時間が必要だった。

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