18歳で初出場した北京大会時の状況は、今回と驚くほどに酷似している。8年前にも錦織はウィンブルドンで腹筋を痛め、ドクターから全治4~6週間という診断を受けた。そこで五輪前の大会はすべて欠場し、ギリギリで間に合わせて北京へと飛ぶ。実はその時点での錦織は、オリンピックも、普段と変わらぬ一つの大会としてしかとらえていなかったという。
だが初戦のコートに立った途端、彼はかつて味わったことのない緊張に襲われた。全身が硬くなり、それでも無我夢中で戦って、絶体絶命の窮地から立てなおす。結果的には接戦の末に初戦で敗れはしたが、日ごろのツアーでは得られない財産をこの大会から持ち帰った彼は、直後の全米オープンで当時世界4位のダビド・フェレールを破る大金星を手にして、ベスト16進出の快挙を成した。
4年前のロンドン大会は、ツアー中に陥ったスランプから抜け出せないまま、迎えた五輪であった。そんな彼に迷いを振り切る覚悟を与えてくれたのもまた、オリンピック特有の空気である。本人いわく「完ぺきに近いプレーもできた」末にベスト8まで勝ち進み、失いかけていた自信を取り戻す。このロンドン五輪をきっかけに復調した錦織は、2カ月後には東京開催の楽天ジャパンオープンで、自身二つ目となるツアー優勝も手にしたのだった。