テニス選手の功績が、オリンピックのメダルの色で語られることは、一般的にはまれだろう。代わりに彼らの“評価指標”となるのは、グランドスラムでの戦績や、毎週のように変動する“世界ランキング”、あるいはツアーで獲得するタイトル数などである。2014年全米オープン準優勝、自己最高ランキング4位(現在6位)、獲得タイトル数11――。錦織圭というテニスプレーヤーのすごさを語るには、これらの数字があれば十分だ。
ただテニス界におけるオリンピックの位置付けは、ここ10~20年の間で急激に変化しつつあるのも事実である。
「大きな転機は、1996年のアトランタオリンピックで、アンドレ・アガシが優勝したことだった」と見るのは、70年~80年にかけて世界を席巻した元世界1位のジョン・マッケンロー。「アガシが母国開催の五輪で優勝し、肩に星条旗を掛け涙を流す姿を見た時に、選手間のオリンピックへの意識が変わった」のだとマッケンローは分析した。また、アガシがグランドスラム4大会すべてを制する“キャリアグランドスラム”を達成し、そこに金メダルが加わることで“ゴールデン・スラマー”の称号を与えられたことも、テニス界における新たなステータスを生んだ要因だ。
これらの傾向にさらに拍車を掛けたのが、08年の北京オリンピックだろう。この大会で最も美しく輝くメダルを首にかけたのは、当時世界2位のラファエル・ナダル。これは五輪のテニス競技史上で、ランキング5位以上の男子選手が初めて、金メダルを獲得した瞬間でもあった。以降は、現世界1位のノバク・ジョコビッチや2位のアンディ・マリーら多くのトップ選手たちが公に、オリンピックの金メダルをキャリアにおける一つのゴールに掲げるようになる。ちなみに前回のロンドン大会を制したのは、地元英国のマリーであった。