寄席は10日間ごとに最後に出演するトリの真打をたてるために、十数人の落語家や色物(落語以外の漫才や紙切りなど)が次々と登場しては15分くらい高座に上がるシステムになっている。“たてる”という意味は、トリ目当ての客も多くいるので、トリの落語家がいちばん盛り上がるように、それ以外の出演者全員がその流れのなかで高座に上がるという意味だ。

 しかし、なぜアウェイの戦いなのか。それは、寄席がトリ目当ての客だけではなく、弁当を食う客、寝ている客、まったく笑わない客、しゃべっている客、時間つなぎで立ち寄っただけの客など、実にさまざまな目的で座る不特定の客で占められているからだ。いつも切符が完売の人気落語家もここでは見向きもされないまま高座に上がったりする。同様に、テレビでおなじみの人気落語家が登場してきても嬌声は上がらない。

「どんなに一生懸命やっても、いわゆる“蹴られる”(客に受けない)修行の場なんです。満席の会ばかりに出ていたらおかしくなりますから。自分のことなんか眼中にないお客さんの前でやることで度胸がすわり怖いものなんてなくなっていく。絶対に必要なところです」と一之輔も語る。

 寄席には落語以外に、お題を頂戴しては時事ネタだろうとなんでも切ってしまう紙切り芸、独楽が刃先をすべっていく曲独楽など江戸から続く多彩な芸がさりげなく登場する。一日中、生で三味線と唄を耳にできるのは歌舞伎座をのぞけばここだけだ。300年の歴史のハードルを低く不敵なほどゆるく見せてくれる平成のライブハウスは低料金で出入り自由。仕事帰りにふらりと立ち寄り、缶ビール片手に“電脳近代主義”の疲れを取りながら若手の成長ぶりを鑑賞してみるのはどうだろうか。(文・守田梢路)

※アエラスタイルマガジン31号より抜粋