常勝を義務付けられてきた巨人のエースは特別な称号だ。シーズン日本タイ記録の42勝を挙げたビクトル・スタルヒン、巨人在籍時に球団最多記録の221勝をマークした別所毅彦、V9を達成した時のエース・堀内恒夫、「昭和の怪物」として強烈な印象を残した江川卓――。その後も斎藤雅樹、上原浩治、菅野智之と球界を代表する大エースが輩出されている。平成以降で「史上最強のエース」はどの投手だろうか。
・斎藤雅樹(55) 426試合登板 180勝96敗11セーブ 防御率2.77 勝率.652
「平成の大エース」。打撃のセンスがあったことから野手転向を勧める声もあったが、当時の藤田元司監督の助言でオーバースローからサイドスローに転向して開花。1989、90年と2年連続20勝、89年には11連続完投勝利の日本記録を達成した。サイドスローから浮き上がるような直球と切れ味鋭いスライダーが武器で安定感は抜群だった。最多勝5回、最優秀防御率3回、最高勝率3回、最多奪三振1回獲得。沢村賞3回受賞は史上4人目の快挙だった。
・槙原寛己(56) 463試合登板 159勝128敗56セーブ 防御率3.19 勝率.554
斎藤、桑田真澄と共に90年代の先発陣を支えた本格派右腕。94年5月18日の広島戦(福岡ドーム)で平成唯一の完全試合を達成している。若手の時は150キロを軽く超える球威十分の直球を主体とした投球だったが、30歳を超えるとスライダーやカーブを織り交ぜた投球で打者を翻弄(ほんろう)した。85年4月17日の阪神戦(甲子園)でランディ・バース、掛布雅之、岡田彰布に「バックスクリーン3連発」を浴び、99年6月12日の阪神戦(甲子園)でも新庄剛志に敬遠の球でサヨナラ打を浴びるなど記憶にも残る投手だった。
・桑田真澄(52) 442試合登板 173勝141敗14セーブ 防御率3.55 勝率.551
エースナンバー「18」が似合う右腕だった。身長174センチと恵まれた体格ではなかったが、PL学園高(大阪)で1年からエースを務め、清原和博と「KKコンビ」で甲子園に春夏通じて5回出場して2度優勝。甲子園通算20勝は歴代2位の記録だ。巨人に入団2年目の87年に15勝6敗、防御率2.17で最優秀防御率を獲得。同年から6年連続2桁勝利をマークし、30代になってからも98年に最高勝率、2002年に2回目の最優秀防御率に輝いた。打撃センスも高く、通算打率2割1分6厘は51年以降に通算500打数以上を記録した投手の中で歴代最高だ。