2005年の秋、ケアタウン小平が開設されると知って、東京都府中市の高橋操さん(71)、清賀子さん(71)夫妻は、オープン前に見学に出かけた。そのときはまさか、わが子がここで世話になるとは考えていなかった。
間もなくして、娘の美峰子さんに異変が起こる。この年の春、美峰子さんは卵巣を取り除く手術を受けていた。腫瘍ができ、妊婦のようにおなかが膨れ上がった。
だが「がん細胞ではない」との診断で、その後は経過を見つつ、高校教諭の夫と2人の子どもとの暮らしに戻れていた。それが、再び体の不調を訴えるようになったのだ。目まいが激しく、楽しみにしていた子どもの運動会でも、まともに立っていられない。
清賀子さんは美峰子さんとともにケアタウン小平を受診した。
「採血の結果、重い貧血がありました。すぐに入院して、手術を受けた病院でしっかり検査してもらってください」
山崎さんが言った。
しかし、体が弱っていたところに検査、検査の連続で、美峰子さんはみるみる衰弱していく。検査のために何日も食事を抜いた。その周りで、同室の患者たちが食事を取る。食べ物を口に運ぶ音やにおいが三度三度、美峰子さんのベッドまで運ばれてくる。
食べることが生きがいの娘にとって拷問に等しい、と清賀子さんは感じた。
「もう無理です。家に連れて帰りますから」
連絡を入れ、自宅に帰るとものの30分で山崎さんがスタッフとやってきた。美峰子さんは、ケアタウン小平の患者第1号となった。
卵巣の腫瘍は実はがんで、小腸に転移しており、そこからの出血で、助かる見込みはなかった。だが美峰子さんは、入院していた約3週間とは見違える時間を過ごした。すっかり食欲を失っていたのに、親子丼やらスパゲティやら、清賀子さんが作る料理を平らげた。
「とにかくまあ、よく食べましたね。それでも足りずに、そっちでにおいがするけど、それ何?なんて」
清賀子さんがお茶をしていると、口を挟んできたりした。病院で"拷問"だった食事が、家では生きる喜びに変わったのだ。
両親だけでなく、勤務先の理解が得られた8歳下の弟もほぼ毎日付き添った。ケアタウンのスタッフは時には一日近くいて、入浴の介助やアロママッサージ、顔のパックまでしてくれた。
よく日のあたるリビングに置かれたベッドで好きな音楽に囲まれ、美峰子さんはよく食べ、よく眠り、よく笑った。家に帰ってきたときは歩けなかったのに、亡くなる前日までトイレに自力で行けた。
これなら、病に勝てる。清賀子さんが希望を感じるほどだった。
「ママ、ありがとう」
最期は小学5年生の娘、3年生の息子と夫からの感謝の言葉に送られ、38年の生涯を終えた。しばらくして、美峰子さんが家族あてにメッセージを書いたノートが見つかった。
〈安心しています。これから2人のこと、よろしくお願いします〉
〈子どもたちには、あまりきつく当たらないでくださいね〉
鉛筆で書かれた、しっかりとした文字だった。病院でなく、家で書いたのだろう。家族やスタッフに囲まれた、穏やかな時間があったからこそ、別れの言葉を残せたに違いない。清賀子さんはそう思っている。