訪問診療が週に1回、ほかに週1回の訪問入浴と、訪問介護が2回来た。水曜日にケアタウンのデイサービスへ出向くこともあった。痛みが出た際、転移による骨折の疑いもあり、一時的に入院して症状をコントロールしたこともあったが、それ以降は、家で痛みを緩和できた。
家にいることで、人生の終い支度もできた。アルバムをめくりながら、
「この写真、君は欲しいか? 僕はいらないと思うよ」
そうやって一枚一枚、啓也さんが持っていきたいもの、順子さんが持っていたいもの、そして捨てるものの三つに分けていった。
「来年、僕は生きていないから夏服はいらない」と洋服も処分し、棺に入る際のワイシャツやブレザーを自分で選んだ。無宗教の音楽葬も生前予約した。
順子さんは食事の準備やトイレの介助、おむつ交換などをした。カニやうなぎが食べたいと啓也さんが望めば、買いに出かけた。病院では食事が出て楽な半面、好きなものは食べられないし、ほかの患者に気兼ねして話しづらいこともある。やはり家は自由だった。
「ケアタウンで診てもらえるようになって僕は生き返った、自分らしく生きられるようになった。夫はそう話していました」
啓也さんのリクライニングベッドは、8畳ほどの部屋に置いた。順子さんはその隣にふとんを敷いて寝た。
「順子、順子」
明け方、啓也さんは決まって呼んだ。
「なあに?」
「日の出だよ、日の出」
東側の窓から、日の出が見える。ゆっくりと昇る大きな太陽をふたりでずっと見ていた。ベッドを起こし、朝日を眺める啓也さんの横顔に光があたり、次第に明るくなってゆく。
「きれいね」
順子さんが言うと、いつもこう返した。
「今日もいい日になるぞ」
11月20日の朝は、夫が8回、ささやくように妻の名前を呼んだ。このころ啓也さんの体は急激に弱っていた。決まり文句を、この日は順子さんが言った。
「今日もいい日になるよ。大丈夫よね」
すると、夫の声が小さく聞こえた。
「もうだめだ。ありがとう」
翌日、啓也さんは家族に囲まれて眠るように息を引き取った。58歳だった--。
4年が過ぎたいまも、順子さんは、ふたりで見た日の出の光景を思い出す。朝日を浴びた夫の横顔がよみがえってくる。